満月の夜に
「逃げたくはないか」
満月の夜に現れる彼は、開け放たれた窓辺から室内に踏み入ることはしない。
ただそこに腰を下ろし感情の感じられない顔でこちらをじっ…と見つめ、そして低く、小さく、でも魂が揺さぶられるような真摯な声でこちらに問いかけてくる。
「…逃げる必要はありません…」
そう答えると小さな頷きを一つ、残してカーテンの揺らめきと共に姿を消す。
はじめの頃は「落ちた!?」と焦って窓辺に駆け寄っていたが、半年以上続いた訪問に消えた彼を探すことは無くなった。
なぜ、私はこの訪問を許しているのだろうか
ー来る時が分かっているのだから騎士に報告して巡回を強化してもらえばいいのにー
なぜ、私は満月の夜が近づくと窓の鍵を閉めないのだろうか
ー閉めてしまえば彼が来ることはないだろうにー
気付いてはいけない。
揺れる心に。
気付いてはいけない。
愛しい心に。
応えてはいけない。
彼の言葉に。
言い聞かせる自分の言葉が弱くなっているのを感じる。
あぁ次は…ちゃんと断ることが出来るのだろうか…
愛しています。名も知らぬお方。
だからもう訪れないでください。
隣国に嫁ぐ事が決まっているこの身に、貴方は毒でしかありません。
問いかけに応えることはできません。
だから、だから………
………攫って逃げて………
囁く声を拾ったのだろう。
始めてみる彼の微笑みは、はっとする程に美しく、いつの間にか零れていた涙を拭う手は、痺れる程に優しく、私の心を溶かしてゆく。
ふわりと香る彼の甘い匂いに包まれて、私は意識を手放した。
あぁきっと…次に目覚める時は彼の腕の中…
FIN