第六章:名もなき星の開拓者
「嘆きの星雲」を越えた先に広がっていたのは、帝国の星図には空白として記さ
れていた、原始の美しさを湛えた宙域だった。
中央に輝くのは、柔らかな琥珀色の光を放つ恒星。
その第三惑星は、深い紺碧の海と、瑞々しい緑の森に覆われていた。
リベレイターとエクス・マキナは、その惑星の穏やかな重力に引かれ、大気圏内
へとゆっくりと降下を開始した。
エルシエラは展望窓に額を押し当て、眼下に広がる景色に息を呑んでいた。
王宮の庭園のような整えられた美しさではない。
そこにあるのは、荒々しく、けれど生命の祝福に満ちた、手つかずの自然だ。
「……綺麗。……まるでおとぎ話に出てくる、創世記の星のようね」
彼女の呟きに、背後から近づいたレオナールが静かに頷いた。
彼は軍服の襟を正し、厳しい表情のまま、計器が示す環境データを読み取ってい
る。
「大気組成は良好。重力も標準値に近い。……何より、ここには帝国の監視衛星
も、通信網も存在しない。……我々の亡命先としては、これ以上ない場所だ」
「お兄様、ここを私たちの『家』にしましょう。……戦うためではなく、生きる
ための場所にするの」
「……家、か。……私にその資格があるのかはわからんがな」
レオナールは微かに視線を逸らした。
彼にとって、帝国を捨てることは己のアイデンティティを削り取るに等しい苦行
だった。
一方、操縦席のカイザルは、豪快に笑いながら着陸態勢を指示している。
「おい、湿っぽい顔をするなよ、指揮官殿! ……野郎ども、着陸だ!
今日からここが、俺たちの新しい領土……いや、『自由の楽園』だ!」
轟音と共に、二隻の巨大な鉄の塊が、海岸沿いの広大な草原へと着陸した。
ハッチが開くと、そこから流れ込んできたのは、潮の香りと、草花の芳醇な匂
い。
エルシエラは、真っ先にタラップを駆け下りた。
大地を踏みしめた瞬間、エルシエラは思わず裸足になった。
足の裏に伝わる、冷たくて柔らかい土の感触。
王宮の冷徹な大理石とは違う、命の温かさがそこにはあった。
「カイ! 見て、お花が咲いているわ! ……見たこともないような青い花よ!」
彼女が差し出した手のひらには、星のような形をした小花が揺れていた。
追いかけてきたカイザルは、その花と、それ以上に輝いているエルシエラの笑顔
を交互に見て、満足そうに頷いた。
「あんたに似合ってるぜ、エル。……ここなら、誰にも邪魔されずに好きなだけ
花を愛でられる」
船からは、続々とクルーや帝国兵たちが降りてきた。
彼らは最初こそ警戒していたが、この星の穏やかな空気に触れると、次第に武装
を解き、安堵の表情を見せ始めた。
「さあ、のんびりしている暇はないぞ。……日が暮れる前に拠点を設営する。
帝国兵はエクス・マキナから資材を運べ。海賊どもは食料と水の確保だ!」
レオナールの的確な指示が飛ぶ。
かつての敵同士が、今は生きるために肩を並べて働く。
海賊たちは力仕事で本領を発揮し、帝国兵たちは効率的な設営術で拠点を形に
していく。
エルシエラもまた、その輪の中にいた。
彼女は、マーサと共に臨時炊事場の準備を手伝い、疲れ果てた男たちに冷たい
水を配って回った。
「姫様、そんなことまでなさるなんて……」
元帝国兵の若者が恐縮して言うと、エルシエラは悪戯っぽく微笑んだ。
「ここでは『エル』と呼んで。……私はもう、守られるだけの存在ではないの。
……あなたたちと一緒に、この星の開拓者になりたいのよ」
彼女のその言葉は、立場を失い不安に駆られていた兵士たちの心に、新たな
「誇り」という名の火を灯した。
拠点の設営が一段落し、夜の帳が下りる頃。
海岸には大きな焚き火が焚かれ、人々はその周りに集まって食事を摂っていた。
波の音と、爆ぜる薪の音。
エルシエラは、少し離れた岩場に座り、夜空を見上げていた。
この星から見る宇宙は、帝国の中心部から見るものよりもずっと深く、そして
優しい。
そこへ、足音もなくカイザルが近づいてきた。
彼は無言で彼女の隣に腰を下ろし、一本の木彫りのペンダントを差し出した。
「……何、これ?」
「この星の木で作った。……あんたをこの場所に繋ぎ止めておくための、呪いさ」
カイザルの照れ隠しのような言葉。
エルシエラはそれを受け取り、指先でその滑らかな曲線をなぞった。
そこには、リベレイターの紋章と、小さな百合の紋章が刻まれていた。
「素敵。……ありがとう、カイ。……私、これ一生大切にするわ」
「……エル。……俺は、あんたを連れ出したことを、時々後悔することがある」
カイザルの意外な言葉に、エルシエラは彼の顔を覗き込んだ。
焚き火の光に照らされた彼の横顔には、深い憂いが滲んでいた。
「……もし王宮にいたら、あんたはこんな風に泥にまみれて働くことも、命を狙わ
れることもなかった。……宇宙一の美貌を讃えられ、穏やかな一生を終えられた
はずだ」
「……カイ、それは違うわ」
エルシエラは彼の手に自分の手を重ね、指を絡めた。
「王宮にいた私は、ただの『物』だった。……美しくて、高価なだけの飾り。
……でも今は違う。……私は、自分の意志で、あなたを愛し、ここにいる。
……この泥も、汗も、私にとってはどんな宝石よりも輝いて見えるのよ」
エルシエラの言葉に、カイザルは喉の奥で小さく笑った。
彼は彼女の腰を引き寄せ、その温もりを確かめるように強く抱きしめた。
「……本当に、敵わないな。……あんたは、俺が思っていたよりもずっと、
勇敢で、型破りな女だ」
「ふふ、海賊王の恋人なんですもの。……これくらいでなくては務まらないわ」
二人は、寄せては返す波の音を聞きながら、静かに唇を重ねた。
それは、明日の見えない逃避行の中、唯一確かな「答え」だった。
一方、拠点の外れ。
エクス・マキナの影で、レオナールは独り、通信機を見つめていた。
画面には、帝国本国で流されているプロパガンダ放送が、ノイズ混じりに映って
いる。
『レオナール皇子、叛逆により廃嫡。……第二皇女エルシエラ、海賊により
拉致、死亡の可能性あり』
「……死亡、か。……父上にとっては、生きて逃げられるよりは、死んだことに
する方が都合がいいということか」
レオナールは、拳を血が滲むほど固く握りしめた。
彼は帝国を、そして秩序を愛していた。
けれど、その愛した対象が、自分たちをこれほどまでに冷酷に切り捨てた。
その事実が、彼の誇りを内側からじりじりと焼き尽くしていく。
そこへ、夜風に乗って、楽しげな笑い声が聞こえてきた。
焚き火を囲む海賊と帝国兵たちが、酒を酌み交わし、歌を歌っている。
そこには帝国の階級も、厳格な礼儀もない。
ただ、今日を生き抜いた喜びを分かち合う、人間としての営みがあった。
「……私には、あの中へ入る資格はないのかもしれんな」
レオナールは自嘲気味に呟き、暗い森の奥へと視線を向けた。
彼の葛藤は、まだ終わっていなかった。
自分は本当に、このまま「開拓者」として余生を過ごすべきなのか。
それとも、歪んだ帝国を正すために、再び剣を執るべきなのか。
数日が過ぎ、拠点には「リガス・セカンド」という名が付けられた。
簡易的な住居が並び、小型の発動機が安定した電力を供給し始めている。
エルシエラは、森で見つけた食用可能な果実や薬草を分類し、簡易的な診療所
を作った。
彼女が白衣を纏い、傷ついた人々を看病する姿は、いつしかこの村の心の支え
になっていた。
ある日の午後、エルシエラは森の散策中に、レオナールが一人で古びた剣の
素振りをしているのを見かけた。
彼の動きは鋭く、正確無比。
けれど、その剣筋には、どこか悲痛な迷いが見て取れた。
「……お兄様」
声をかけると、レオナールは動きを止め、乱れた息を整えた。
「……エルシエラか。……診療所の方はどうだ?」
「順調よ。……でも、お兄様の方はどうかしら? ……最近、あまり食事も
摂っていないでしょう」
「……私は、考えているのだ。……この安らぎが、いつまで続くのかを」
レオナールは剣を鞘に収め、遠くの海を見つめた。
「帝国は、我々を放っておかない。……今は星雲に阻まれているが、いずれ
最新の探査技術でここを見つけ出すだろう。……その時、この村の人々を
守れるだけの力が、今の我々にあるだろうか」
「……だから、お兄様はあんなに必死に訓練を?」
「ああ。……私は、二度と守るべきものを失いたくない。……アルタリスのよう
な惨劇を、ここで繰り返すわけにはいかないのだ」
彼の言葉には、責任感という名の重い鎖が繋がれていた。
エルシエラは、兄の背中にそっと歩み寄り、その肩に手を置いた。
「お兄様。……独りで背負わないで。……ここには、カイもいる。私もいる。
……そして、あなたを慕ってついてきた兵士たちがいるわ」
「……兵士たち、か。……彼らは私に従っているのではない。……行く場所を
失ったから、私に縋っているだけだ」
「いいえ。……昨日、若い兵士が言っていたわ。……『レオナール殿下と一緒に
いれば、いつか本当の帝国を作れる気がする』って」
レオナールは目を見開いた。
自分を裏切り者としてではなく、希望の灯火として見ている者がいる。
その事実は、彼の冷え切った心に、小さな、けれど確かな熱を宿した。
「……本当の帝国、か。……ふふ、あいつらは、私以上に大それた夢を見るな」
レオナールの唇に、数日ぶりに微かな笑みが浮かんだ。
それを見たエルシエラは、安堵の溜息をつき、兄の手を引いた。
「さあ、お兄様。……今日は、獲れたての魚で宴会をするんですって。
……カイが待っているわ。……行きましょう」
二人は、夕焼けに染まる海岸へと歩き出した。
夜。
村は賑やかな笑い声に包まれていた。
カイザルとレオナールが、焚き火を挟んで酒を酌み交わしている。
二人の間には、まだ多くの意見の相違や過去の因縁がある。
けれど、共通の「守るべき場所」を得たことで、彼らの絆はより強固なものへ。
この作品はAI40%、筆者60%で書きました。
原案100%筆者。
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