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第一章:追憶のサテライト


 中立星域に浮かぶ交易衛星「リガス」は、銀河の掃き溜めであり、同時に最も輝く宝石箱でもあった。

 無数の宇宙船が吐き出す青白いプラズマの尾が、人工の空に幾筋もの傷跡を残し、地表には星々の数ほどもあろうかという種族の欲望が渦巻いている。

 エルシエラは、埃っぽい市場の喧騒の中、フードを深く被り直した。

 

 薄暗い路地の隙間から差し込むネオンの光が、彼女の瞳を鳶色に染める。

 帝国宮廷の、あの静謐で、どこか死の匂いのする完璧な美しさとは対照的な、生臭いまでの活力。

 初めて吸い込む、フィルターを通さない荒削りな空気。

 それは彼女にとって、何よりも甘美な自由の味がした。


「……これが、外の風なのね」


 エルシエラは小さく、誰にも聞こえない声で呟いた。

 彼女の指先は、慣れない安物の外套の裾をぎゅっと握りしめている。

 淑やかさを美徳として育てられた皇女にとって、この雑踏を歩くこと自体が、銀河を股にかける大冒険にも等しい無謀な挑戦だった。

 だが、彼女を突き動かすのは、抑えきれない好奇心と、そして切実な恐怖。


 外遊という名目の軟禁生活。

 その裏で、第三継承権を持つ義理の兄妹たちが、自分を亡き者にしようと画策していることを、彼女は知っていた。

 王位という名の檻は、今や処刑台へとその姿を変えつつある。

 だからこそ、彼女は逃げ出した。

 自分を「銀河の宝珠」としか見ない者たちの手が届かない、この混沌の淵へと。


(どこへ行けばいいのかは、わからない。けれど、戻ることだけはできない)


 彼女が踏み出した一歩は、泥に汚れ、石に躓いた。

 それでも、エルシエラの心は、かつてないほどに澄み渡っていた。

 自分の足で歩き、自分の意思で運命を選ぶ。

 その代償が、死であったとしても構わないとさえ思っていた。


 しかし、運命は彼女が静かに消えることを許さなかった。

 市場の喧騒を切り裂くように、無機質な機械音が響き渡る。

 エルシエラの背筋に、氷のような戦慄が走った。

 それは、彼女が嫌というほど聞き慣れた、帝国製暗殺ドローンの駆動音だった。



 心臓の鼓動が耳の奥で早鐘を打つ。

 エルシエラは無我夢中で人混みを掻き分け、狭い裏路地へと飛び込んだ。

 背後からは、重力制御装置特有の低い唸りが迫っている。

 帝国の暗殺者たちは、彼女の僅かな体温や生体波を逃さない。

 迷路のように入り組んだスラムの街並みは、彼女を助けてくれるどころか、次第に袋小路へと誘っていくようだった。


「……はあ、はあ……っ」


 呼吸が荒くなる。肺が冷たい外気で焼けるように熱い。

 宮廷の回廊を歩くために作られた華奢な脚は、すでに悲鳴を上げていた。

 ふと視線を落とせば、石畳の隙間から不気味な廃液が流れ、ネオンの光を反射して七色に濁っている。

 ここには、自分を守ってくれる騎士も、跪く臣下もいない。

 あるのは、剥き出しの「死」と、孤独な沈黙だけだった。


「見つけたぞ、帝国第二皇女、エルシエラ様」


 頭上から降ってきたのは、感情を削ぎ落としたような低い声。

 三人の男たちが、建物の屋上から音もなく着地した。

 彼らが纏う光学迷彩が解除され、漆黒の戦闘服が闇の中から浮かび上がる。

 その胸元には、エルシエラの義理の兄が好んで用いる「銀の蠍」の紋章が刻まれていた。


「お兄様は、私をそこまで憎んでおられるの……?」


「憎しみではありません。これは清算です。……美しい首を、こちらへ」


 一人が、紫色の光を放つプラズマ・カッターを起動させた。

 ジリジリと空気が焦げる音が、彼女の最後の希望を削り取っていく。

 逃げ場はない。背後の壁に背を預け、エルシエラは静かに瞳を閉じた。

 銀色の睫毛が震え、頬を一筋の涙が伝い落ちる。

 宇宙一と謳われた美貌が、恐怖に歪む。

 けれど、その死の間際にあっても、彼女は王族としての矜持を捨てなかった。


(せめて、最後は気高く。……誰の所有物でもない、私として)


 だが、その瞬間、路地の空気が一変した。

 極寒の宇宙空間が、そのままこの路地に流れ込んできたような錯覚。

 鋭く、そして圧倒的な「暴力」の気配が、周囲の音をすべて掻き消した。




 突如、頭上の建物が激しく爆ぜ、瓦礫の雨が暗殺者たちに降り注いだ。

 轟音と共に着地したのは、人間とは思えぬほどのしなやかさを持った、一人の男だった。

 埃が舞う中、男は片膝をついた姿勢から、流れるような動作で立ち上がる。

 黒い革のロングコートが風に翻り、その下からのぞく無骨な重力銃が、青白い光を蓄えていた。


「おいおい、綺麗なバラを摘むには、いささか作法がなってないんじゃないか?」


 低く、どこか楽しげな響きを帯びた声。

 暗殺者たちが色めき立ち、一斉に銃口を男へ向けた。

 しかし、男は動じない。

 彼は軽く首を回して骨を鳴らすと、逆光の中に佇むエルシエラを、ちらりと一瞥した。


「……なんだ。噂通りの美人さんだが、随分と情けない顔してるな」


「貴様……! 何者だ。これは帝国の内政問題だ。部外者は去れ!」


 暗殺者の叫びを、男は鼻で笑い飛ばした。

 彼は一歩、前へ踏み出す。

 その瞬間、彼の身体の周りで空間が歪み、不可視の衝撃波が路地を駆け抜けた。

 カイザル。

 銀河最強の武力と、国家一つを買い取れるほどの財力を持つ海賊団の頂点。

 彼にとって、帝国という権威は、ただの「壊し甲斐のある玩具」でしかなかった。


「内政? そいつはいい。俺はこの宇宙で一番、その言葉が嫌いでね」


 カイザルの右手が閃いた。

 目にも止まらぬ速さで引き抜かれた電磁ナイフが、暗殺者の一人の腕を、衣服ごと壁に縫い付ける。

 悲鳴が上がる前に、彼は残る二人の懐へ飛び込み、掌底一つで意識を刈り取った。

 洗練された、無駄のない殺人術。

 それはかつて、彼が第一王子として学んだ王宮の剣術と、海賊として培った実戦の経験が融合した、美しくも残酷な芸術だった。


「……さて」


 わずか数十秒。

 路地に転がる三人の男たちを跨ぎ、カイザルはエルシエラの前に立った。

 至近距離で見る彼の瞳は、冷徹な氷のようでありながら、その奥に燃えるような情熱を隠している。

 エルシエラは、息を呑んで彼を見上げた。


「……あなたは?」


「通りすがりの、暇人さ。……あんた、名前は?」



「……エル。そう呼んで」


 彼女は咄嗟に偽名を口にした。

 身分を隠してこの街に来たのだ。救世主に見えるこの男にさえ、本当のことは言えない。

 だが、カイザルは彼女の嘘を、まるで見透かしているかのように薄く笑った。

 彼は彼女の顎を指先でクイと持ち上げ、その鳶色の瞳を覗き込む。


「『エル』、か。いい名前だ。……だが、その手の震えと、その気品までは隠せていないぜ、お嬢さん」


 カイザルの指先は、戦いの中でついた火薬の匂いがした。

 エルシエラは震えながらも、その指を拒まなかった。

 なぜだろうか。この初対面の、野蛮で危険な香りのする男に対して、彼女は不思議な安堵感を覚えていた。

 それは、彼が自分を「皇女」としてではなく、ただの「弱っている女」として扱っているからかもしれない。


「助けてくれたことには感謝するわ。……でも、どうして? あなたは海賊でしょう? メリットのないことはしないはずよ」


「メリット? ああ、そうだ。俺は強欲なんだ。……気に入ったものは、この手で掴まないと気が済まない性質でね」


 カイザルは彼女を抱き寄せるようにして、背後の壁に手をついた。

 いわゆる壁ドンのような体勢に、エルシエラの顔が林檎のように赤く染まる。

 彼の低い声が、耳元で囁かれる。


「あんたのその瞳、気に入った。絶望の中にいながら、まだ何かを掴もうとしている。……俺と一緒に来るか? ここよりは、マシな地獄へ連れて行ってやるぜ」


「地獄……? ふふ、素敵な誘い文句ね」


 エルシエラは、自嘲気味に笑った。

 王宮という名の、装飾された地獄。

 それに比べれば、この男が言う「地獄」の方が、どれほど鮮やかな彩りに満ちていることだろう。

 彼女は、カイザルの胸元にそっと手を置いた。

 厚い革の下から、力強く規則正しい鼓動が伝わってくる。

 それは、生きている、という何よりの証拠だった。


「……いいわ。連れて行って、カイ。……私を、誰も知らない場所へ」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、カイザルは彼女を横抱きにした。

 お姫様抱っこというには、あまりに強引で乱暴な、けれど頼もしい腕。

 彼は足元の重力制御ブーツを最大出力で作動させ、空へと跳躍した。




 風が、エルシエラの銀髪を激しく乱す。

 眼下には、リガスの喧騒が星の海のように流れていく。

 二人は夜空を切り裂き、大気圏外に待機している漆黒の影――海賊船「リベレイター」へと向かって加速した。

 重力に逆らう快感。

 エルシエラは思わずカイザルの首に腕を回し、その胸に顔を埋めた。

 

 やがて、巨大な鋼鉄の城が視界を覆った。

 それは、帝国の洗練された軍艦とは対照的な、継ぎ接ぎだらけで荒々しい、しかし生命力に満ちた巨躯だった。

 ハッチが開き、二人は格納庫へと滑り込む。

 着地した場所には、武装した荒くれ者たちが数十人も集まっており、彼らを呆然と見守っていた。


「おい、船長……! 何を持ち帰ってきたんだ?」


「獲物か? それとも、新しい仲間か?」


 騒ぎ立てる部下たちを、カイザルは一喝した。


「うるさいぞ。客人だ、丁重に扱え。……彼女に手を出した奴は、宇宙の塵にすると思え」


 その言葉に、格納庫が静まり返る。

 カイザルの言葉は絶対だった。

 エルシエラは彼に降ろされ、ふらつく足取りで床に立った。

 周囲の視線は好奇と畏怖に満ちている。

 中には、彼女の隠しきれない高貴さに気付き、息を呑む者もいた。


 カイザルはコートを脱ぎ捨てると、エルシエラに向き直った。

 そこには、戦いの最中に見せた冷淡な顔はなく、どこか悪戯っぽく、それでいて真剣な眼差しがあった。


「ようこそ、自由の船へ。……エル。ここなら、あんたを縛る鎖はない」


「……ありがとう。でも、後悔しても知らないわよ? 私は、とても厄介な女だから」


「ははっ、そいつは望むところだ。俺は簡単な女には興味がないんだよ」


 二人の間に、不思議な絆のようなものが芽生え始めていた。

 それは、まだ恋と呼ぶには未熟で、信頼と呼ぶには危ういもの。

 けれど、広大な銀河の中で、魂が共鳴した瞬間だった。




 その夜、エルシエラには船長室の隣にある、清潔な一室が与えられた。

 海賊船とは思えないほど、整えられた部屋。

 壁のモニターには、船の外に広がる本物の銀河が映し出されている。

 彼女は窓に寄りかかり、遠くで輝く帝国の母星を眺めた。


 そこには、今頃パニックに陥っているであろうメイドたちや、自分を殺せなかったことに歯噛みしている兄妹たちがいるはずだ。

 けれど、今のエルシエラにとって、それらはすべて遠い過去の出来事のように感じられた。

 彼女の手は、まだカイザルの温もりを覚えている。

 型破りで、傍若無人。

 けれど、誰よりも自由を愛するあの男。


「カイ……」


 その名前を唇に乗せてみる。

 まだ見ぬ宇宙への探索、未知の星々、そして隣り合わせの死。

 明日から始まるのは、王女としてではなく、一人の「エル」としての人生だ。

 彼女は深く息を吸い込み、銀河の闇を見つめた。

 

 一方、ブリッジでは、カイザルが独り、古びた星図を見つめていた。

 そこには、彼の故郷であり、今は帝国に占領された「アルタリス星系」が記されている。

 今回のエルシエラの救出は、単なる気まぐれではない。

 彼は、彼女が「帝国第二皇女」であることを、最初から見抜いていたのだ。


(禁断の愛、か。……クソ食らえだ。運命なんて、俺が書き換えてやる)


 彼はコーヒーを飲み干し、不敵に笑った。

 帝国と反帝国勢力。

 二つの大きなうねりが交錯する中心に、今、二人の運命が置かれた。

 それがどのような破滅を招くのか、あるいは救いとなるのか。

 星々は何も語らず、ただ冷たく、美しく輝き続けていた。


 銀河の歯車が、一段と大きな音を立てて回り始める。






この作品はAI40%、筆者60%で書きました。

原案100%筆者。

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