他者への依存
”連帯”は支配だ、”仲間”は支配だ
僕はあなた方と一緒に喜びたくないし、あなた方と一緒に悲しみたくない
僕は他の人と感情を共有したくない、入ってきてほしくない
価値観を共有したくない、僕と同じ感じ方をする人なんて気持ち悪い
僕は学校でクリスマスの祭りがあった時に
「サンタさんなんかいるわけない!」て言って飛び出して
作業所でクリスマスの祭りがあった時に
「僕はクリスチャンじゃない!」て言って飛び出して
地元のサッカーチームがなんかいい所まで行っているとかで
作業所のみんながテレビを持ち込んでわいわいしている時に
「球蹴り遊びに夢中になるなんてどうかしてるなあ」
と言って通り過ぎて行って
僕の誕生日にみんながサプライズとかでプレゼントを持ってきた時は
「こういうのは事前に相手の許可を貰っておくもんだろう?」
と言って突き返して
それで、いま僕は友達がいなくて気にかけてくれる人も誰もいなのだけど
それでも僕は他者にすごくすごく依存しているのだ
それはもちろん僕の食べるものや着るもの、住んでる家に
このサイトを含めたインターネットインフラ、それらを結ぶ生産関係
世界中の無数の人々の労働があってそのおかげで僕はこうして生きていて
ネットで罵詈雑言を撒き散らす事が出来ているのだけど
でも、それだけではないのだ
僕は切実に他者の”存在”を必要としているのだ
何か言葉を交わすわけでは無くとも其処に他者がいてほしいのだ
もし、僕がいま関わっていないのだとしても、そこに世界があってほしいのだ
他者にいてほしいのだ、それがいないというのは怖い事なのだ
恐らく最も恐ろしい事の一つなのだ
それは恐らく”孤独”というものだ
そしていま僕は孤独ではないのだ
なぜなら此の家の壁を隔てた向こうに誰かが住んでいるのを知っているからだ
言葉を交わした事は無くとも、そこに誰かがいるのなら
僕が其の誰かに話しかける事が出来るのかもしれないから
それで僕が孤独でないのは、その誰かが僕を認識する能力を持っていると
僕が信じているからなのだ
もし他者が僕を認識しないのなら、それは世界が僕に応答しないという事だ
それが孤独だ、凡そ人間にとって最も恐ろしい事の一つだ
その意味で僕は紛れもなく人間だ
これだけ社会性が欠如していて尚、僕は人間なのだ。




