【小説】光あれ(She four)
青い空は急速に遠ざかって赤くなる。
その空を横切る飛翔体がミサイルやロケットなのかジェット機なのか見分けは付かない。はるか彼方を何かが飛んでいくと、煙の様な白い線を空に描いて消えた。
歩道橋の上から火がついたままの煙草を指で弾き飛ばす。
短い煙草はクルクルと回りながら放物線を描いて落ちて行く。遠ざかる赤い火。
地面に着地した小さな赤い光は少し弾むと車に踏みつぶされてすぐに消えて見えなくなった。
煙草で曖昧になった味覚の上に緑色のアルコールを流し込む。
思考の輪郭も曖昧になっていくのを感じる。心臓のトルクが上がっていく。上気して目から力が抜けていく。
舌の上を転がり続ける苦味。
その舌を焼くアルコールの感覚が長く尾を引いている。このまま死との境界が曖昧な眠りにつくのも悪くないと思う。
そして再び煙草に火をつける。
急速に遠ざかった赤い青空は、すぐに群青色へと変化していく。
穴の空いたアルミホイルのような光がぽつりぽつりと降り始める。
天の光が全て星なのか衛星なのかそれとも何秒後かに落ちてくるミサイルやロケットなのか。
あの光を線で結んで見えるのは過去の神話か未来予想図なのかと指で光を弄ぶ。
指先を赤い光が焼く。赤い光は再び指を離れる。白い煙と共に落ちていく。
天の光。赤い光。
そこに違いは無い。
おれの指から離れた赤い光は地面に刺さった後、少しだけ瞬くように明滅してから消えた。
あれは星か。
それともミサイルか。
警報は聞こえない。しゃがみこむ必要も無い。だが足に力が入らない。
白い光に包まれた部屋でおれは椅子に座らされている。
「どんな夢を見たんですか」
白く光る白衣がおれに訊く。
「どこかから地球を見ているんです」
「地球を?どんな所からでしたか?」
「宇宙のどこかです。行ったことないのでわかりませんけど」
おれは困った顔を作る。
「私も行ったことないですよ」
白く光る白衣は笑顔を作る。
「きっと月とかですかね、火星とかかも知れない」
「なるほど」
「それで、地球に向かって飛んでいくんですよ」
「ほう」
白衣が驚いた顔をつくる。
おれは少し嬉しくなって続けた。
「でも飛んで行ってるのを主観では見てないんです」
「どう見てるんですか」
「光が白い線を描いて飛んで行ってるのを横から客観で眺めてるんです」
「そうですか。いいですね。綺麗でしたか、それは」
白衣は優しく訊く。
「よくわかんないです。なんか白いおたまじゃくしみたいでした」
「白いおたまじゃくしですか」
「そんで地球に刺さるんです」
「あなたが」
「白いおたまじゃくしが」
「なるほど」
「その光が宇宙を遡上して地球に刺さると地球が分裂するんですよ」
「地球が分裂するのは大変そうですね」
「地球が分裂して、分裂して、分裂して胎児になるんです」
「地球が胎児になるんですか。大変ですね」
白衣を着た土くれが無造作に動いた。
その後ろに立っている土くれはナースキャップを頭に乗せていて、その土くれが白衣の土くれに何かを渡した。
数か月前はこの土くれが積み重ねた石ころに見えたし、その前はハレーションを起こした光の様に見えた。
だが狂っているとは言われず、単なる目の錯覚だとか受容体の不具合だと言うばかりで何も交換したり直したりしてくれる気配はなかった。
歩道橋の上から緑色のアルコールが入った瓶を投げる。
天の光、ミサイル、ジェット機、信号。
全ての光を受けて緑色のアルコールが入っていた瓶が回転して落ちていく。
飲み口からこぼれる液体は透き通っていた。
緑色に輝かないんだなと笑う。遠ざかっていくのに赤くもならない。
信号は赤色に光っている。
天の光は全て白。
指の間にある光は赤く、遠ざかる瓶は地面に刺さって分裂すると無数の光になった。
天の光。地面の光。
指で結ぶ点と点、線、原点はどこだろう。
この指の光か。
遠くの空で無人の飛行機や戦車が燃えている。
空から見たそれはどんな光に見えるのだろうか。
歩道橋から投げて分裂したガラス瓶みたいに綺麗に光るのだろうか。
もしかしたら歩道橋の下が戦場で、あの光は全て戦車なのかも知れない。
手すりから身を乗り出す。
落ちていくミサイルの気分になる。
または墜落する飛行機だ。
もしくは丘のふもとにある赤い割れ目、点を結んでその奥まで沈み込んでいこうとする指。
それは夢だ。憧れた柔らかさだ。
「川の終わりって見た事ある」
おれは記憶の底にある光を拾い上げる。
「自転車で向かった事があるよ。河口手前でパンクして、結局は押して歩いていったけど」
「そう。どうだったの」
「よく分からないな、どこから海が始まってるのか見えなかったよ」
「虹の始まりみたい」
「逆に川の始まりを見ておくべきだったかもしれないな」
「自転車で行くの。それとも舟で」
ゆっくりと降りていくおれの指が双丘を越えて丘を下る。
手が伸びてくる。こすれ合う感触が冷たい。
鈍色になったバックルを外す。
「高瀬川も案外と小さいものだからね」
「でも玉川上水では死ねないもの」
下着を剥ぎ取るとそこには丸みを帯びた外殻があった。
おれも自分の下着を下ろすとそこにはやはり丸みを帯びた外殻があった。
何もない肌の延長。
硬い外殻が腹の下から続いている。
両足の間を回り込んで後ろの方へ。
無機質な殻が鈍く光る。
目の前のそれはまだ優しく微笑んでいる。
こすれ合う感触が冷たい。
両足の間にある硬い殻を撫でる。
指は沈み込まない。柔らかさは存在しない。
こすれ合う冷たい感触だけが指先を伝わる。
目の前のそれは優しく微笑んでいる。
硝子の目がちかちかと光っている。
指関節のジョイントが硬い。
分裂できない。
目の前のそれを押し退けておれは部屋を飛び出る。
階段を駆け上がり屋上に続く鉄扉を押し開ける。
暗い夜空が広がっている。
冷たい夜風が頬を撫でる。
そうだ。冷たい夜風だ。
自分の心拍が上がっていくのを感じる。
そうだ。鼓動が早まっている。これはトルクじゃない。
屋上のリノリウムを踏みしめて鉄の手すりを飛び越える。
屋上から見えた全ての光が線になって溶けていく。
一瞬だけ重さを感じた後に落下していく。
ガシャンと大きな音を立てて地面に激突する。
立ち上がりまた階段を駆け上がる。
鉄扉を押して床を蹴る。
手すりを飛び越えて地面に激突する。
立ち上がりまた階段を駆け上がる。
鉄扉を押して床を蹴る。
手すりを飛び越えて地面に激突する。
立ち上がりまた階段を駆け上がる。
鉄扉を押して床を蹴る。
手すりを飛び越えて地面に激突する。
ガシャンと大きな音を立てて地面に激突してから立ち上がった。
割れた肌色の外殻に風や光が入って行く。
大きく息を吸う。
おれは自動調光器の壊れた薄暗い部屋の真ん中に座っている。
壁にかかったデジタル時計は液晶が割れて虹色に輝いていた。反対側の壁際に置かれた年代物の柱時計に目を遣る。
重い腰を上げて柱時計の螺子を巻いた。時計の内部で動きが活発になった気がする。
当然それは錯覚だ。柱時計の中のムーブメントは一定でしかない。螺子を巻いた分だけ速く動いたりはしない。長く動く、それだけだ。
柱時計の隣にある椅子に座ったサヤカ(商品コードKUR17CSGB150096)の螺子も巻く。
静かな排気音とか細いトルクでサヤカの心臓が動き出す。
青白かった表皮に赤みが差していく。
サヤカを抱き起こしてキスをする。サヤカが目覚めた今を朝としよう。世界が夕方だろうと夜中だろうと構いやしない。
「おはよう、サヤカ」
「おはようございます」
「よく眠れたかい」
「はい、お蔭様でよく休めました」
「それは良かった。朝ご飯にしようか」
「私が準備しますよ」
「よろしく頼む」
キッチンの脇にある鉄扉を開けてベランダに出た。
薄くボンヤリとした光が空を包んでいる。
カートリッジを差し込んだ電子タバコを咥えて吸い込む。
その煙を七度ほど吐いた頃にサヤカが珈琲を淹れて持ってきた。
「朝なので濃いめに淹れてみました」
「ありがとう」
「お食事はテーブルの上に用意してあります」
「もう少しで行くよ」
こんなにもサヤカは美しいのにその下には白い血が流れているのだなと思うと悲しくなる。
けれど分裂出来ないおれにとっては彼女こそが人間だし、その血の白ささえ赤くなりえるのだ。まるでこの空が夕方に赤らんでいくみたいに。
白い線が放物線を描くように空を駆け抜けていく。
扉を開いて中に入った。
一面の壁に何もない白い部屋。
秒針の無い時計。
無機質な風。
白衣を着た木片が尋ねる。
「どんな夢を見ましたか?」
「幸せな夢だよ、とても光っていて、ちゃんと分裂出来る生命体だった頃の光だ」
「そうですか」
「変な夢かね、先生。おれが見る夢は」
「いえ、特に変と言うほどでもないですね」
「でも先生、おれには先生が木片に見えるんだ」
「そうですか」
「おれは狂っているのかい」
「狂ってる訳ではありませんよ」
「故障かい、先生」
「それを確認しに来たのでしょう」
「狂ってるんじゃなのかい」
「故障していると言って欲しいからここへ来たのでしょう」
「先生、おれは」
「壊れてない人などいませんよ」
白衣を着た木片が止まった。
おれは診察室を後にした。
受付の木片に金を払う。その木片から変な紙きれを貰って建物を出た。
通りを歩く木片の隙間を縫って薬局に向かう。
カウンターの中にいる木片に変な紙を手渡して変な錠剤を貰う。
これは光るのだろうか。
上空を横切る飛翔体が白い筋を描いている。
あの飛翔体から見るおれは光っているのだろうか。
遠く離れていくジェット機に手を振った。
幾つもの光が輝いている。
光が大きく瞬いた。
「準備は出来ているか」
目を開ける。
目の前におれと同じような迷彩服を着た奴がこちらを見ていた。
首を曲げて外を見ると地上の光が絶え間なく瞬いていた。
「夢を見たんだ」
「どんな夢だ」
「幸せな夢だよ、凄く光ってたんだ」
「そうか。そいつももうすぐ現実になるぜ」
目の前の迷彩服は体中に巻きつけた小さい箱を指さして笑った。
「凄く光るぜ、おれもお前も」
箱からは青と赤のコードが出ていた。
「そうだな」
派手に光りそうだと思った。
「さぁ、そろそろ目標地点だ」
「誰か見てるのか、おれたちの事を」
「地上から見てる奴が、もしかしたらいるかも知れない」
迷彩服はそういって開口部から落下すると、歩道橋から投げられて砕け散った瓶の様に無数の光へと分裂していった。
緑色には光らないんだなと笑ったが誰も聞いていなかった。
おれは体中に巻きつけた小さい箱を確認すると、先ほどの迷彩服と同じように開口部から暗い空の中に沈み込んでいった。
硬い外殻が砕けて無数の光になる事を想像して、最後に紙巻の煙草を吸っておくべきだったなと思った。
光あれ。




