第十一章 星空の下で
治療班C-6の面々がダンに駆け寄った時には、すでに彼は、意識の半ばを失いかけていた。
私、アンナ・スミスは医療技術者として、急いでダンさんの治療にあたる。
「止血剤、包帯、すぐに!」
私は医療キットから必要な道具を取り出す。でも、見るからに重傷だ。腹部の傷は深く、内臓にまで達している。
「ダメ……島の設備じゃ、この傷は治せない……」
私は唇を噛む。ここではこれが限界。もっと設備の整った病院なら助けられるかもしれないのに。
俺の名前はトニー・ブラック。C-6チームの看護兵だ。
アンナ隊長の表情を見れば分かる。ダンさんは助からない。
「隊長……」
俺は小声でアンナに呟く。
「分かってる」
アンナ隊長が震える声で答える。
今ここで、俺たちにできるのは、せめて最期を楽にしてやることだけだ。
止血用の薬剤と包帯が迅速に施される。しかし、この島の環境と設備では致命傷を治せる術はなく、隊員たちの表情が言葉より先に結末を告げていた。
俺、カイル・レオンハルトがその手を握ると、ダンはわずかに目を開き、荒い息の合間に声を絞り出す。もう長くはない。
「……この斧、お前に託す。娘の……二人を頼む……」
俺は愛用の斧をカイルに託す。この斧は親父から受け継いだものだ。今度はカイルが受け継いでくれ。
二人の娘、エミリーとソフィアの顔が浮かぶ。まだ幼い二人を残していくのは辛い。
でも、カイルなら大丈夫だ。きっと娘たちを守ってくれる。
その瞳は、父としての強さと、人としての儚さを同時に湛えていた。
しばし沈黙が落ち、彼は次の言葉を振り絞る。
アイシャ……愛する妻よ。
「……妻には……俺がいなくても……心から笑い合える人を……見つけてくれ、と……」
俺がいなくても、君には幸せになってほしい。君が心から笑えるような、そんな人を見つけてほしい。
みんな、俺の分まで、幸せに生きてくれ。
「カイル……頼んだぞ……」
俺は最後の力を振り絞って、カイルの手を握る。
その瞬間、俺の胸の奥で何かが静かに崩れ落ちる音を、確かに聞いた気がした。
やがて、ダンの手から力が抜け、静寂が訪れる。
亡骸のそばには、ひとり風に揺れる黄色いチューリップ。花弁は陽光を受け、柔らかく輝きながらも、どこか悲しげに揺れていた。
その場にいた者たちの表情から、言葉は消え、ただ悲しみだけが漂った。
俺、カルドはダンの死を見届けて、涙が止まらない。
「ダン……」
俺は呟く。あいつは最後まで、家族と仲間のことを考えていた。立派な男だった。俺もあんな父親になりたい。
私、ヴィス・トゥレインもダンの最期を見て、胸が張り裂けそうになる。
「お疲れ様、ダン………」
私は小さく呟いて、手を合わせる。
彼の意志は、きっとカイルが受け継いでくれるだろう。
夕刻。大型ブレード・ラプター討伐を祝して祝宴が催された。
焚き火の明かりと笑い声が夜空を満たし、肉とギルドから提供された酒の香りが漂う。だが俺の胸には、昼間の光景が色濃く残り、杯を重ねても心は晴れなかった。
大型ブレード・ラプターを倒し、みんな喜んでいる。でも、ダンはもういない。
俺は人々の輪から少し離れて、静かに杯を傾けていた。
そのとき、シエナの姉、レイナ・クロスが俺に近づいてきた。
私は、妹が死んでから、ずっと心の整理がついていない。でも、今日、大型ブレード・ラプターを倒して、やっと決心がついた。
「……墓まで案内してくれる?」
私はカイルに頼む。
一人では、まだ妹の墓を訪れる勇気がない。
短く頷き、俺たち二人は焚き火の輪を離れ、夜の静けさの中を歩く。
やがて、墓前にたどり着くと、レイナはしばし無言で立ち尽くした。
ダン、シエナ、アレン、ユリオ。四つの墓標が静かに並んでいる。
次の瞬間、レイナは押し殺していた感情が溢れ出すように泣き崩れた。
「シエナ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
私は墓前で膝をついて泣き崩れる。
妹を守れなかった。姉として、隊長として、私は失格だ。
「もっと早く助けに行けばよかった……もっと強くなればよかった……力があれば……。」
嗚咽が止まらない。今まで押し殺していた感情が、一気に溢れ出してくる。
嗚咽が夜気を震わせ、俺はその背を見つめながらも、どうすることもできず、そっとその場を後にした。
俺にかけられる言葉はない。レイナの悲しみは、彼女自身が乗り越えなければならないものだ。
四つの墓標から宴の輪に戻っても、俺は人混みから距離を置き、ひとり酒を手に夜空を仰いだ。無数の星が瞬き、空は静謐に広がっている。
ダンの言葉が頭から離れない。「娘の二人を頼む」「妻には心から笑い合える人を見つけてくれ」俺に、そんな責任を果たすことができるだろうか。
そこへ、軽い足取りでリオ・アルデンが現れる。
俺は、カイルが一人で悩んでいるのを見つけた。
「おいおい、今日一番の功労者がこんなところで黄昏てるとはねぇ。似合わないじゃないか。」
俺はわざと軽い調子で話しかける。実は俺、基本的にはお調子者なんだ。知恵者っぽく振る舞うこともあるけど、本性はこっちの方が近い。
それに、カイルの警戒を解くには、こういうアプローチが、今は必要だ。
彼の声音はどこか茶化すようで、それでいて、不思議と胸の緊張を解く力があった。
「リオか。宴には参加しないのか?」
俺は彼を見上げる。
「まあ、そう硬くなるなって。俺も星空を見てたんだよ」
リオは俺の横に腰を下ろす。
「ダンのことを考えてるんだろ?」
俺は核心を突く。
「あいつ、最期まで立派だったな。仲間のことを最優先に考えて」
カイルの表情が少し緩む。やっぱり、そのことで悩んでいたんだ。
「でもさ、そんなに重く考えることはないと思うぜ」
俺は続ける。
「ダンはお前を信頼したから、娘たちのことを頼んだんだ。お前なら大丈夫だって、確信していたからこそだよ。きっと!」
冗談を交えながら、リオは俺の横に腰を下ろし、いつの間にか会話は愚痴や本音へと移っていく。
「正直、俺にそんな重い責任を負えるかどうか分からない」
俺は本音を漏らす。
「ダンの妻と娘たちを支えるなんて、俺にできるんだろうか」
「そんなに肩に力を入れるなよ」
リオが笑う。
「お前は完璧である必要はない。ただ、誠実でいればいいんだよ」
カイルの心の壁が少しずつ溶けていくのが分かる。
「実はさ、俺も似たような経験があるんだ」
俺は自分の過去を話す。
「昔、友達を失ったことがあるんだ。その時、俺は自分を責めまくった。でも、死んだ仲間は俺に責任を求めていたわけじゃない。ただ、前に進んでほしかっただけなんだ」
カイルが俺を見る。
「ダンも俺の友達と同じだ。彼は重荷を背負わせたかったわけじゃない。お前に託したかったんだ。信頼の証として」
気づけば、俺たち二人の間に流れる空気は焚き火の温もりにも似て、夜の冷気を和らげていた。
「ありがとう、リオ。少し楽になった」
俺はカイルに向かって素直にお礼を言う。
「どういたしまして。これからも頼むぜ、相棒君。」
リオが笑顔で答える。
やがて、星々が南の空へ傾く頃、静かな眠気が訪れる。
俺はカイルとリオの様子を遠くから見ていた。
カイルの表情が少し明るくなったみたいで良かった。リオのやつ、案外面倒見がいいんだな。
「ヴィス、見ろよ。カイルの顔、少し楽になったみたいだぞ」
私もカルドと一緒に二人の様子を見ていた。
「リオさんは、本当は優しい人なんですね。」
私はカルドに呟く。
「普段はお調子者だけど、仲間思いなのがよく分かります」
翌朝、ギルドの観測艇が上空に現れ、「最後の日」を告げる信号を放った。
――《観測艇より通達。本日をもって試験終了。各チームは南の砂浜に集合せよ――》
俺たちは、その指示に従い、大船が待つ南の砂浜へと歩みを進めた。
ダンの斧を背負い、俺は仲間たちと共に歩く。
(ダン、見ててくれ。俺は約束を守る)
俺は心の中で呟く。
こうして、長い戦いと別れの夜は、静かに幕を閉じ始めた。
でも、これは終わりじゃない。俺たちの本当の冒険は、これからだ。