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第6話 受付嬢と、香りの扉Ⅰ

 王都でいちばん胃が重くなる扉ランキング、堂々の第一位。


 白石の外壁に金の扉。月桂樹のレリーフが左右に刻まれ、開閉のたびに上品な香りが漂う。扉の奥には鏡のように磨き上げられた床、金糸のカーテン、魔導式の照明に照らされたガラス棚。どこを見ても、きらびやかで、完璧で――そして場違いな自分が映り込んでいる。


《ベルティエ香水本店》。王都最大の香水専門店にして、王族御用達の"格が違う"店。


 そして俺は、その香水棚の裏側で働く、ただの雑貨屋バイト。しかも派遣の。


(ここには……床にコーヒー豆が挟まってることも、魔道具の取っ手が取れてることもないんだよなあ)


 さすがは高級店。俺が普段いる場所とは、空気の密度からして違う。


 ムーア商店でしか仕入れられない香水の運搬と雑用を仰せつかって、ここに向かったのが二十分前。ちなみにムーア商店からここまで、急ぎ足でも三十分はかかる距離だ。


「四分二十八秒遅刻ですわね」


 声が氷点下まで下がった。


「まあ、五分以内ですから許容範囲として差し上げましょう」


 チーフのレイヴィスさんが、今日も絶好調で塩対応してくれる。


 銀髪に灰色の瞳、無駄のない立ち居振る舞いに完璧な制服姿。冷静で、ときどき刺してくる言葉に毒があるけれど、それが不思議と似合う美人さんだ。まるで香水瓶そのもののように、近寄りがたくて美しい。


「本日もよろしくお願いします、レイヴィスさん。フィンです」


「ええ。存じております」


 知ってるなら名乗らなくてもよかったのでは。


「今日も香水棚の整理をお願いします。調香室には――」


 カラン。


 高級感のある鈴の音が、レイヴィスさんの言葉を遮った。ムーア商店の錆びついた鈴とは大違いだ。これが格差社会か。


 扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。


 濡れ羽色の長い髪を後ろで束ね、銀のブローチがあしらわれた深緑のワンピース。肌は陶器のように白く、瞳は翡翠めいた深い緑。整った顔立ちに完璧な笑顔を浮かべながら――店内の香水棚を、まるで地雷原のように避けて歩いている。


(この歩き方……)


 癖のない接客訓練型。姿勢、目線、所作。高圧対応に慣れている。接客職、それも受付系――そして、胸元には冒険者ギルドの徽章。


 なるほど。ギルド受付嬢か。


「セリナ・リースさん」


 レイヴィスさんの声音が、さらに一段階冷えた。


「ずいぶんと懐かしい香りがしますわね」


 その一言で、俺の観察結果が確定した。セリナ・リース。名前だけなら聞いたことがある。王都ギルドの受付で"顔"と呼ばれている人だ。


 そんなセリナさんが、なぜこの店に?


 表情の奥にある微かな強張り。香水棚に近づいた瞬間のわずかな呼吸の乱れ。そして、入店からずっと一言も発していない沈黙。


(ああ、この人……"来たくなかった"んだ)


 本来なら絶対に来るはずのない店。けれど、どうしようもなくて、来ざるを得なかった。そんな切羽詰まった理由が、立ち姿のそこかしこからにじみ出ている。


「香水をお願いしたくて」


 セリナさんの声は、かすかに震えていた。


「すこし……相談も兼ねて」


「まあ」


 レイヴィスさんの唇が、氷のような微笑みを形作った。


「まさか、貴女が"私の香水"を頼みに来るとは思いませんでしたわ。あの卒業試験で、私の調香に酔って倒れた方が」


「っ……!」


 セリナさんの顔が青ざめた。


「あれは事故だったって、何度も言ってるでしょ……!」


(香水で倒れた? 調香実技で?)


「今でも忘れられませんわ」


 レイヴィスさんは、棚の香水瓶をひとつ、指先で回しながら続けた。


「"対人応対学科の貴女"が、"調香技能学科の私"にあれほど見事に沈められた日のことを」


 うわ、何だか凄い上から目線。この人、普通のお客さんにはこんな対応しないのに。


「レイヴィスさん……!」


 マウントを取られているセリナさんが、悔しげに唇を噛みしめる。どう考えても、過去の因縁持ちだ、この二人。


「フィンさん、ご存じかしら?」


 レイヴィスさんが振り返る。


「私たち、エーデルリヒ王都専門学院の同期なんですのよ」


「っ……勝ち誇った顔、変わってないわね。昔から」


(エーデルリヒ……なるほど)


 それで納得した。香水で倒れるとか、感情むき出しの口喧嘩とか。


 エーデルリヒ王都専門学院。貴族や上級市民の子女が集う、王都屈指の実務系高等教育機関。調香、魔導、対人応対、事務管理、政治補佐――あらゆる専門職の予備軍がひしめき合い、学生同士の競争も容赦がない。


 つまり、気品と実力とプライドが高濃度で詰まった"性格に難のある優等生"が量産される場所。そんな場所の出身者が、香水をめぐってマウント合戦するのは――まあ、納得しかなかった。


(うちの店じゃまず見ない"地雷属性エリート"だもんな)


 レイヴィスさんは、まるで退屈な香りを前にしたときのように、気だるげで冷たい笑みを浮かべた。


「では、フィンさん。この方のお話を聞いてあげてくださいね」


 そして、何でもないように俺に投げてきた。


「わたくし、多忙なので」


「えっ、俺ですか」


「この方を応接室にご案内してください。香りに耐えられなくなって倒れられても困りますもの」


 セリナさんは、睨みつけるような目でレイヴィスさんを見た。しかし帰ろうとしないのは、相応の理由があるのだろう。


 押しつけるように背中を押されて、俺は半ば強制的に"厄介な客"の担当になった。


「それじゃ、こちらへどうぞ」


 まただ。また、変な客が来た。




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