第4話 獣人と地味バイトⅡ
「待ってください!」
思わず声が出ていた。
青年が振り返る。その瞳に、消えかけた希望の光がまだ残っていた。
「代金は、いりません。でも……これを、持っていってください」
俺はガラクタ棚の最奥から、埃をかぶった古い箱を引っ張り出した。
中から取り出したのは、ぼこぼこした陶器の壺。木のスプーン付き。
蓋には古代文字で刻まれた文字——
『果実を入れるべからず』
「……なんだ、それは」
青年が眉を寄せる。当然の反応だった。
「《グルメ・クラフト》。古代の魔道具です」
「グルメ?」
「魔力を吸収して、ジャムを作ります」
青年の表情が、困惑から呆れに変わった。
「……は?」
「必要な魔力は、魔導士10人が一昼夜で注ぎ込む量。それで大さじ1杯のジャムができます」
「……馬鹿にしてるのか」
当然の反応だった。だが、俺は続ける。
「でも、考えてみてください。なぜ『果実を入れるべからず』と書かれているのか」
青年の表情が、僅かに変わった。
「果実には、天然の糖分が含まれています。それがあると、魔力の糖化変換が正常に働かない。つまり——」
「つまり?」
「この壺は、純粋な魔力だけを対象にしている。魔力を、緩やかに、自然に吸収する装置なんです」
青年の瞳が、鋭く光った。
「もし、妹さんの体内で暴走している魔力を、薬で無理に抑え込むのではなく、自然に排出できるとしたら?」
「……それは」
「副作用は、美味しいジャムができるだけです。味は……」
俺は微笑んだ。
「きっと、妹さんの好みに合わせて、自動的に決まりますよ」
しばらくの沈黙。
青年は、おもむろに手を伸ばし——壺を、そっと受け取った。
「……これで、ダメだったら?」
「そのときは、また一緒に考えましょう。今度は、もっと良い方法を」
青年の瞳に、確かな光が宿った。
「……ありがとう。俺はラウル」
「フィンです」
ラウルは壺を胸に抱え、店をあとにした。
その足音が遠ざかっていく中、壺から「ぷるぷる」という小さな音が聞こえた。
それは、希望が動き出す音だった。
◆
山を越え、谷を越え、ようやく戻ったフェンリスの村。
雪は解けかけ、空気は冷たいのに、どこか温かく感じられた。
家に入ると、ルカは眠っていた。
頬は赤く、呼吸は浅い。でも、まだ——まだ、間に合う。
俺は荷袋から壺を取り出した。
あの地味な男——フィンが託してくれた、希望の入れ物。
「果実を入れるべからず」
不思議と、この文字が頼もしく見えた。
静かに枕元に置く。
すると、空気がかすかに震えた。魔力が動いている。
——三日後の朝。
壺の底に、琥珀色の何かが現れていた。
とろりとしたジャム。
花の蜜のような、やさしい香りが部屋に満ちる。
「ルカ」
声をかけると、彼女はゆっくりと目を開けた。久しぶりに見る、澄んだ瞳だった。
「お兄ちゃん……」
「起きられるか?」
こくり、と小さくうなずく。頬の赤みが、もうほとんど消えていた。
俺は木のスプーンでジャムをすくい、ルカの唇に運んだ。
一口食べて——
ルカは、微笑んだ。
「……あったかい」
小さな声で、でもはっきりと。
「甘くて、安心する味。……これ、なに?」
「王都で、もらった」
「誰に?」
「フィンって男だ。……すごい奴だった」
何と言えばいいだろう。俺の薬草を一舐めしただけで全成分を当て、妹の病気の正体まで見抜いた男。
「俺の薬を見て、"買えない"って断られた。でも、代わりに……この壺をくれた。お前のために」
ルカは壺を見つめた。そして、もう一口、ジャムを味わう。
「……私の味なんだ、これ」
「味は好みで決まるらしい」
「ふふ……じゃあ、お兄ちゃんが食べたら、どんな味になるのかな」
俺も一口食べてみた。
少し苦味のある、でも後から甘さが広がる味。大人の味だった。
「違うね」ルカが嬉しそうに笑う。「面白い壺」
しばらくして、ルカがぽつりと呟いた。
「ねえ、その人に会ってみたい」
「なぜ?」
「ありがとうって、言いたいの。……それに」
ルカは少し頬を染めた。
「お兄ちゃんのこと、そんなに詳しく分かる人って、どんな人なんだろうって」
その笑顔を見て、俺は心の中で呟いた。
(フィン。お前が渡したのは、ただのジャムじゃない)
(これは希望だ。だから俺たちは、また会いに行く)
(今度は、ちゃんと礼を言うために)
窓の外で、フェンリスの山に初夏の風が吹いていた。
◆
【観察報告:対象No.6】
記録者:白鴉
今日、私は戦慄した。
獣人ラウルへの対応——あれは、もはや「観察」のレベルを超えている。
薬草を一舐めしただけで全成分を特定。
指先の湿り気から心理状態を分析。
被毛の状態から出身地と移動期間を算出。
そして、薬草の配合比率から病気の正体まで——
魔力暴走による発熱。
フェンリス高地では治療不可能な症状。
それを、数分の観察で看破した。
だが、それ以上に恐ろしいのは——
《グルメ・クラフト》を、躊躇なく差し出したこと。
あの魔道具の真価を知る者は、王都でも数えるほどしかいない。
「ジャムを作る」という説明は事実だが、その本質は精密な魔力制御装置。
古代の技術の結晶。現在では再現不可能な逸品。
それを——
「副作用は美味しいジャムができるだけです」
この男の優しさは、あまりにも的確すぎる。
相手が最も必要としているものを、最も受け入れやすい形で提示する。
そして、希望を与える。
私は暗殺者だ。人の心を読み、弱点を突き、破壊する専門家。
だが、この男の前では——
自分の存在意義が、揺らいでしまう。
人を壊すのではなく、救うために技術を使う。
観察するのは、相手を陥れるためではなく、助けるため。
同じ技術。正反対の目的。
危険だ。
この男は、私にとって最も危険な存在だ。
なぜなら——
私に、別の生き方があることを示してしまうから。
※対象フィン、引き続き要観察
※ただし、観察を続けるほど、私自身が変わってしまう可能性を考慮すべき
※現在、暗殺指令を実行する意思に、明らかな迷いが生じている
私は、初めて「人を救う」ことの意味を理解したのかも知れない。
でも、私のことは――いや、何でもない。
というわけで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
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