第三十九章:二人の親友の処方箋
私のか細い問いが、静まり返ったリビングに重く響く。
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはオリヴィアだった。彼女は鋭いアナリストの目で、私に事実確認を突きつけた。
「キスを受け入れたのね? あなたからではない。でも最終的には同意した。そう解釈していいのかしら」
感情を排した、あまりに的確な言葉。私は小さく頷くことしかできなかった。
「ハリー、マジで最低じゃん!」
マヤが隣で怒りを爆発させる。「自分の家庭が上手くいってないからって元カノに泣きつくとか、ダサすぎ! 既婚者のくせに何やってんのよ!」
そのストレートな怒りが、ほんの少しだけ私の罪悪感を薄くしてくれる。
だが、オリヴィアは容赦しなかった。腕を組んだまま、これまでで一番冷たく、厳しい声で告げる。
「エマ。甘ったれるのも大概にしなさい」
その言葉に、私はハッとして顔を上げた。
「あなたは被害者じゃない。キスを受け入れた時点で、共犯者よ。まずはその事実を認めなさい。
ハリーはずるい男。自分の結婚生活から逃げたいだけ。あなたは彼の都合のいい逃げ場所になってはいけない。
クロエの幸せを素直に喜べないのは当然。あなたは今、自分自身にがっかりしてるの。そんな状態で他人を祝えるわけがない」
そして、彼女は結論を突きつけた。
「答えはひとつ。ハリーとの関係を、あなた自身の手で完全に断ち切るの。連絡先もSNSも、全部ブロック。それが彼の奥さんに対して、そして何よりあなた自身への最低限の誠意よ」
冷たく、厳しく、それでもすべてが真実だった。私は言い返せず、ただ俯く。
マヤがオリヴィアをなだめるように言った。
「まあまあ、オリヴィア。正論パンチはそのくらいにしときなよ。エマだって頭では全部わかってるんだから」
彼女はぐっと体を寄せ、私の肩を抱きしめる。
「わかるよ、エマ。昔死ぬほど好きだった男に弱み見せられて優しくされたら、揺れるに決まってる。人間だもん。当たり前。だから自分を責めすぎないで」
その太陽みたいな温もりに、私の涙腺がまた緩む。
「でもさ」と、マヤは私の顔を覗き込み、真剣に尋ねた。
「そのキス、正直どうだった? ときめいた? それともなんか違った?」
理屈じゃない。心と体の、本当の反応。
私は考える。あの唇の感触。懐かしい。でも――どこか違った。
その時、オリヴィアが静かに核心を突く。
「……その時、フィリップの顔は浮かばなかった?」
雷に打たれたように顔を上げた。
そうだった。キスの最中も、罪悪感とともにタクシーに乗り込んだ瞬間も、私の頭に浮かんでいたのは――フィリップの冷たいグレーの瞳だった。
私は二人を見つめ返し、小さく、それでもはっきりと頷く。
オリヴィアとマヤは顔を見合わせた。もう、答えは出ていた。
私は涙を手の甲で拭い、顔を上げた。
「……わかってる。オリヴィアの言う通り。私は甘えてた。ハリーとの関係は、今、この瞬間に終わらせる」
そしてマヤに向かって続ける。
「それに、マヤの言う通り、あのキスは私が求めてたものじゃなかった。ときめきより、罪悪感のほうがずっと大きかった」
私の瞳に決意の光が戻ったのを見て、オリヴィアがわずかに口元を緩めた。
「……わかればいいのよ」
「よし!」マヤが勢いよく声を上げる。
「じゃあ決行! 今すぐブロック!」と言い、私のiPhoneを奪おうとする。
「待って! 自分でやるから!」
私は少し笑いながら、スマホを握りしめた。親友二人に見守られながら、連絡先のリストから『Harry』を探し出す。
そして震える指で、「この発信者を着信拒否」を押した。
一つの過去が、確かに終わった。
けれどその先には、フィリップという、もっと大きく厄介な未来が待っている。
私はまだ、その向き合い方を知らなかった。




