第十七章:地獄の七日間戦争
第一会議室に集まった私のチームのメンバーたちは、私のただならぬオーラを察して、緊張した面持ちで私を見つめていた。
トム、ジェシカ、そしてデザイナーの二人。これから彼らに、無茶苦茶な要求を突きつけなければならない。
私は、「女優エマ・ウォーカー苦笑」として、完璧なポーカーフェイスで口火を切った。
「たった今、新規クライアント、『オリオン・キャピタル』とのミーティングを終えたわ。これは、我が社の今後を左右する、極めて重要なプロジェクトになる」
一呼吸置いて、私は爆弾を投下した。
「クライアントは、極度のスピード感を重視している。先方の、非常に、非常に強いご要望により、初期提案のプレゼンテーションは、来週の月曜日に行うことが決定した」
「……え?」
「来週の、月曜!?」
「一週間しかないってことですか!? 無茶ですよ、エマさん!」
部下たちが、案の定、騒然となる。無理もない。
誰もが、最低でも三週間は必要だとわかっているのだから。
私はその動揺を、冷たい一瞥で制圧した。
「無理かどうかを決めるのは、私たちじゃない。クライアントよ。そして、私たちの仕事は、クライアントの期待を超える結果を出すこと。不可能を可能にするのが、プロフェッショナルでしょう? 異論は認めないわ」
私が自分で自分の首を絞めたことなど、おくびにも出さない。
これは、フィリップ・スターリングという、とんでもなく厄介なクライアントからの挑戦なのだと、チーム全員に信じ込ませる必要があった。
(正直なところ、悪いことをしている自覚はあったが、こないだの件もあるし、仕返しのような気持ちもあった)
私の鬼気迫る表情に、誰もそれ以上何も言えなかった。
こうして、私たちの地獄の七日間戦争は、静かに、しかし確実に始まった。
月曜・夜
オフィスは、さながら作戦司令室と化した。ホワイトボードは、殴り書きのキーワードと、色とりどりの付箋で瞬く間に埋め尽くされる。
深夜まで続くブレインストーミングで、私たちは『オリオン・キャピタル』という巨大な敵を分析し、あらゆる角度から攻略法を探った。
火曜日
マーケットリサーチと競合分析の日。
トムは膨大なデータの海で溺れそうになりながら、私が要求する数値を必死で弾き出していた。
ジェシカは過去の成功事例を数百件洗い出し、その瞳からは光が消えかけている。
オフィスには、エナジードリンクの空き缶が、小さな墓標のように積み上がっていった。
水曜日
クリエイティブの方向性を固める、最も過酷な一日。
仮眠も取らずに全てのコンセプト案に目を通し、フィードバックを返す私の目は、血走っていたかもしれない。
疲れがピークに達した深夜、私はトイレの個室に駆け込み、スマホを取り出した。
『The Fab Four』のチャット画面を開き、短いメッセージを送る。
エマ: 『マジで死にそう』
エマ: 『鬼クライアントのせいで、一週間でプレゼンする羽目になった』
すぐに、三つのポップアップが連続して現れた。
クロエ: 『エマー!? 大丈夫なの!? ちゃんと寝てる!?』
マヤ: 『はぁ!? どこのどいつだそのクライアント! 今すぐ乗り込んで、私のスペシャルレッスンで再起不能にしてやろうか!?』
オリヴィア: 『……まさかとは思うけど、その鬼クライアント、フィリップ・スターリングじゃないでしょうね?』
オリヴィアの的確すぎる指摘に、私の指は一瞬、固まった。
エマ: 『☠️』
ドクロの絵文字一つで、全てを察してくれたらしい。
親友たちとのこの数秒のやり取りだけが、今の私の、唯一の正気を保つための支えだった。
木曜日・金曜日
プレゼン資料の作成と、リハーサルの繰り返し。
私は構成からグラフのデザイン、一言一句の言い回しに至るまで、完璧を求めた。
私のOKが出ない限り、スライドは一枚も完成しない。
チームの雰囲気は、日に日に険悪になっていく。
金曜の夜には、プレッシャーに耐えきれなくなったトムが、トイレで静かに泣いていたことを、私は知らないふりをした。
土曜日
当然、週末など存在しなかった。
オフィスには、私を含め、チーム全員がいた。窓の外では、カップルや家族連れが、楽しそうにロンドンの週末を謳歌している。
その平和な光景が、私たちの神経を逆なでした。
私はほとんど家に帰らず、オフィスのソファで数時間、泥のように眠るだけだった。
そして、運命の日曜の夜。
プレゼン資料は、ついに完成した。
それは、誰が見ても、たった一週間で作ったとは思えない、完璧な出来栄えだった。
データ、ロジック、クリエイティビティ。その全てが、高いレベルで融合している。
疲れ果ててデスクに突っ伏す部下たちを横目に、私は一人、完成した資料の最終ページを、静かに見つめていた。
窓の外が、白み始めている。決戦の朝が、もうすぐそこまで来ていた。
(これで、もし負けたら……)
不吉な考えが、疲労困憊の脳をよぎる。私はすぐに、かぶりを振った。 (いいえ) (絶対に、勝つわ)
私の瞳には、地獄を生き抜いた戦士だけが宿すことのできる、鋭く、そして狂気じみた光が宿っていた。
これは、私のプライドを賭けた、リベンジなのだから。