第十四章:現実的なツッコミと、平穏を願う夜
呆然と雑誌の表紙を見つめる私に、オリヴィアが現実的な、そして非常に鋭い質問を投げかけてきた。
「で? あんた、その超大物に、ちゃんとお詫びはしたわけ? クリーニング代とか、迷惑料とか、そういう話は」
「それが……」
私は力なく首を振った。
「『もう捨てた。気にするな』って。とにかく早く出ていってほしいみたいで、すぐに追い出されちゃったの。何も受け取ってもらえなかった」
その答えを聞いて、オリヴィアは大きなため息の後に、苦笑いを浮かべた。
「まあ、そりゃそうでしょうね。ゲロ吐かれて罵倒された相手から、お金なんて気味悪くて受け取れないでしょ。関わりたくない一心よ、きっと」
その言葉が、事実として私の胸にグサリと突き刺さる。そうよね。私が彼の立場でも、一刻も早く縁を切りたいと思うに違いない。
あまりに衝撃的な事実が続いたせいで、私たちはすっかり疲れてしまい、近くのカフェに入り直すことにした。
今度は、先ほどのような賑やかな店ではなく、紅茶の美味しい、静かなティールームだ。
温かいアールグレイの香りが、ささくれ立った心を少しだけ癒してくれる。
「まあ、でも」
とオリヴィアがカップを置きながら言った。
「もう二度と会うこともないんだから、忘れるのが一番よ。高い勉強代になったじゃない、『酒は飲んでも飲まれるな』っていう、人生の教訓のね」
彼女なりの、不器用だけど的確な励ましだった。 私たちはその後、仕事の愚痴や次の休暇の計画など、当たり障りのない話を少しだけして、夕暮れの街で別れた。
一人で自宅のアパートに帰り着くと、どっと疲れが押し寄せてきた。
部屋の隅に置かれた、ハロッズの買い物袋の山が、やけに虚しく見える。
私は自分を癒すために、バスタブにお湯を張り、お気に入りのラベンダーの香りのバスボムを投げ込んだ。
シュワシュワと泡が立ち上り、バスルームが良い香りに満たされる。その贅沢な泡の中に、疲れた体を深く沈めた。
(はぁ……今週は、本当に散々だったわ……)
ハリーとの再会に始まり、フィリップという名の悪夢。
そして、そのショックを打ち消すための、常軌を逸した大散財。
今月のカードの請求額を思うと、お風呂のお湯がぬるくなるような気がした。
高揚感が過ぎ去った後にやってくるのは、いつだって現実的な後悔だ。
お風呂から上がり、いつものナイトルーティーンを、いつもより丁寧にこなしていく。
化粧水をたっぷり肌に含ませ、奮発して買った高級美容液をゆっくりと馴染ませる。
シルクのパジャマに袖を通し、髪を優しくブラッシングする。
一つ一つの丁寧な所作が、コントロールを失っていた自分自身を、少しずつ取り戻させてくれるようだった。
ベッドに入り、サイドテーブルに置いた、昨日買ったばかりのコーラルピンクのリップに目が留まる。
明日は月曜日。会社につけていくには、少し可愛すぎるかもしれない。
でも、週末くらいは、好きな自分でいてもいいじゃないか。
そう思うと、ほんの少しだけ、前向きな気持ちが湧いてきた。
しかし、目を閉じると、フィリップのあの氷のようなグレーの瞳が、不意に脳裏をよぎる。
雲の上の、住む世界の違う人。もう二度と会うことはない。そう、ないはずだ。
「来週こそは、何事もなく、平穏な一週間でありますように」
私は心から、切実に、そう願った。
もう、ドラマはこりごり。刺激も、運命の出会い(最悪だったけど)も、もういらない。
ただ、静かで、穏やかで、波風の立たない毎日がほしい。
私はその願いを胸に、深く、深く、眠りの底へと落ちていった。
この時の私は、もちろん知る由もなかった。
私のそのささやかな願いが、神様には全く届いていなかったということを。
そして、来週、私のオフィスに、人生最大の嵐が吹き荒れることになるなんて。