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The Girl in the Blue Dress  作者: Ginger
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第十三章:キングリーコートの午後と、雑誌の表紙の男

 私とオリヴィアは、コヴェント・ガーデンからカーナビーストリートの裏手にある、おしゃれな中庭『キングリーコート』へと向かった。


 三階建てのオープンエアな空間には、個性的なショップやレストラン、カフェがひしめき合い、いつだって活気に満ちている。


 私たちはその一角にあるカフェのテラス席に陣取り、ランチ会の延長戦を始めることにした。


「で、本当のところ、どうなのよ」


 カプチーノの泡をスプーンですくいながら、オリヴィアが切り出した。

 その真っ直ぐな瞳は、誤魔化しを許さない。


「ハリーに会って、本当に何ともなかったわけ?」


 私は一瞬ためらったけれど、彼女の前では、鉄の女の仮面はあまり役に立たないことを知っている。

 ふぅ、と息を吐き、本音を漏らした。


「……平気なわけ、ないじゃない。悔しいけど、めちゃくちゃ動揺したわよ。今日の私、変じゃない? 昔より老けて見えない? とか、頭の中、そればっかり。心臓も、破裂するかと思った」


「まあ、そうでしょうね」


「でもね」と私は続けた。

「昔とは、何かが違ったの。世界の終わり、みたいには感じなかった。ただ、『ああ、この人はもう、本当に私の人生には関係ない人なんだな』って、どこかすごく冷静に、客観的に思えたのよ。それだけは、本当」


 私の言葉を、オリヴィアは黙って聞いていた。そして、カプチーノを一口飲むと、


「そう。なら、いいわ」とだけ、短く言った。

 多くを語らない、彼女なりの優しさだった。


 お茶を終えた後、私たちはキングリーコートの周りをぶらぶらとウィンドウショッピングして歩いた。

 新しいワンピースのおかげで、いつもは見ないような可愛らしい雑貨店にも、自然と足が向く。


 しばらく歩いていると、オリヴィアが


「ごめん、ちょっと寄りたい本屋があるの」と言った。


 金融アナリストの彼女が、最新の専門書でも探しに来たのだろう。

 オリヴィアがビジネス書の棚に向かうのを横目に、私は手持ち無沙汰に雑誌のコーナーを眺めていた。

 VOGUE、ELLE、TATLER…華やかな表紙が並ぶ。

 その隣にあった、いかにも堅そうなビジネス雑誌の棚に、ふと目をやった、その瞬間だった。

 私の時間が、止まった。


『UK FINANCIAL TIMES』という、重厚なタイトルの金融雑誌。

 その表紙を飾っていたのは、見覚えのある、彫刻のように整った顔だった。

 ダークブラウンのカールヘア、憂いを帯びたグレーの瞳。 間違いない。フィリップだ。


 私は何かに憑かれたように、その雑誌を手に取った。写真の中の彼は、私が会った時と同じ、氷のような冷たい瞳で、まっすぐ前を見据えている。表紙には、こんな見出しが躍っていた。

『シティの新たな支配者 ― フィリップ・スターリング "オリオン・キャピタル"CEO、その野望に迫る』


 スターリング……? それが、彼の苗字……? 呆然と立ち尽くす私の背後から、不意に声がかかった。


「何見てるの?」

オリヴィアだった。


 私はビクッとして、思わず雑誌を胸に抱えて隠そうとしたが、もう遅い。彼女の鋭い視線が、表紙のフィリップに注がれていた。


「ああ、フィリップ・スターリングね。今、シティで一番ホットな男よ。彼がどうかしたの?」


 観念した。私は、この信頼できる唯一の親友に、胸にしまっておくと誓ったはずの、人生で最も屈辱的な一夜の出来事を、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


 バーで意識を失ったこと。見知らぬマンションで、下着姿で目覚めたこと。

 そして、目の前に現れた、氷のように美しくて冷たい男が、このフィリップだった、ということを。


 私の話が進むにつれて、オリヴィアの眉間のしわは、どんどん深くなっていく。私が、彼に嘔吐し、挙句の果てに「家に連れてけ」と罵倒したくだりに至っては、彼女はこめかみを押さえて天を仰いだ。


 全てを聞き終えたオリヴィアは、これまで聞いたこともないような、巨大なため息をついた。


「エマ……あんた、本当に、ありえない……」


 そして、心底呆れ果てた顔で、私にフィリップの情報を叩きつけた。


「フィリップ・スターリング。スタンフォード大学を首席で卒業後、20代で投資ファンド『オリオン・キャピタル』を設立した、正真正銘の天才よ。彼の会社が関わる案件は、絶対に失敗しないって言われてる。プライベートは完全に謎に包まれてるけど、ロンドンに住む40歳以下の独身富裕層ランキングでは、常にトップ10入り。噂では、王室とも繋がりがあるとかないとか」


 華麗すぎる経歴。圧倒的なステータス。

 私は、自分がしでかしたことの重大さに、改めて目眩がした。

 私がゲロをひっかけた相手は、そんな、雲の上の、さらにその上の存在だったのだ。


「……そう。やっぱり、私とは住む世界が違いすぎる人なのね」


  私は、雑誌の表紙で冷たく微笑むフィリップを見つめながら、力なく呟いた。

  彼と私との接点なんて、あの悪夢のような一夜以外、あるはずがない。

 そう、自分に強く、強く言い聞かせるしかなかった。

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