第十二章:月一ランチ会と、打ち明けられなかった秘密
翌日。私は、昨日ハロッズで衝動買いした、パステルブルーのレースのワンピースに袖を通した。
そして、唇には少しだけ気恥ずかしい気持ちで、あのコーラルピンクのリップを引く。
鏡に映るのは、いつもの「鉄の女」とは似ても似つかない、自分でも少し照れてしまうほど、フェミニンな私だった。 (大丈夫。これは、新しい私なんだから)
そう自分に言い聞かせ、私は軽やかな足取りで家を出た。
今日のランチ会のお店は、コヴェント・ガーデンの石畳の路地裏に佇む、隠れ家のようなビストロだった。
もちろん、セレクトしたのは、おしゃれ番長のクロエだ。
「来月号のVOGUEで特集される前に、絶対行くべきお店なの!」と、グループチャットで力説していた。
蔦の絡まるレンガの外壁に、ミントグリーンの可愛らしいドア。
まさに、雑誌から抜け出してきたような素敵なお店だ。
ドアを開けると、すでに三人は揃っていた。太陽の光が降り注ぐテラス席で、シャンパンを片手に談笑している。
私の姿を認めた瞬間、三人の会話がピタリと止まった。
「エマーーー!!」
一番に叫んだのは、クロエだった。
彼女は目をまん丸にして、私の足元から頭の先までを舐めるように見た。
「なにそのワンピース! すっごく可愛い! いつもと感じが違って、めちゃくちゃ似合ってるじゃない!」
「お、どうした鉄の女」
とニヤリと笑ったのはマヤだ。
「なんか雰囲気違うじゃん。いいじゃん、そっちの方が100倍イイ女に見えるよ。今日の獲物はあんたに譲ってやる」
そして、オリヴィアは腕を組んで私をじろじろと観察した後、ふいっと視線をそらし、シャンパンを一口飲んでから、ぽつりと言った。
「……悪くないじゃない。たまには、そういう格好もしなさいよ」
三者三様の、しかし紛れもない称賛の言葉に、私の頬がカッと熱くなる。でも、素直に、すごく嬉しかった。
「ありがとう。ちょっと、気分転換してみたの」
そう言って席に着くと、私たちの月一ランチ会は、いつものように賑やかに始まった。
出てくる料理はどれも絶品で、クロエが撮る写真はどれもインスタ映え完璧。
私たちは、仕事の愚痴、最近ハマっているNetflixのドラマ、クロエの犬系彼氏の可愛すぎるエピソード、マヤがジムで見つけた「彫刻のような大胸筋を持つ男」の話で、心ゆくまで盛り上がった。
美味しいワインに饒舌になった私は、ぽろりと、一昨日の夜の出来事を打ち明けた。
「そういえば、この間、ハリーに会ったのよ」
「「「はぁぁぁ!?」」」
三人の声が、綺麗にハモった。
私は、いかに自分が冷静沈着に、完璧な大人の女として振る舞ったかを、少しだけ脚色しながら語って聞かせた。
「本当に、ばったり道で会っただけ。『あら久しぶり、元気そうね』って笑顔で言って、颯爽と立ち去ってやったわ。もう、完璧な退場だったんだから」
「よくやった、エマ!」
「あんた、成長したじゃない!」
三人は私の勝利を讃えながらも、やはり心配そうな顔で私を見た。
「でも、本当に大丈夫なの? ショックじゃなかった?」
「全然。もう何とも思わないわ。完全に過去の人だもの」
私はシャンパンの泡に視線を落としながら、嘘ではないけれど、完全な本心でもない言葉を口にした。
もちろん、あの氷の男、フィリップのマンションで下着姿で目覚めた話など、できるはずもなかった。
あれは、私の人生における、誰にも知られてはならないトップシークレット。
この先、何があっても、この胸の内だけにしまっておくのだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、ランチ会はお開きの時間を迎えた。
「ごめん、私この後、彼と約束があるの!」
とクロエが言い、マヤも
「夕方から新しいクラスの準備があるから、そろそろ行くわ!」
と席を立つ。
二人が去った後、テーブルには私とオリヴィアが残された。
「私はこの後、特に予定はないけど」
オリヴィアが、手持ち無沙汰にカプチーノをかき混ぜながら言う。
新しいワンピースとリップのおかげで、私の気分はまだ高揚したままだった。
このまま一人で家に帰るのは、なんだかもったいない。
「ねえ、オリヴィア。もしよかったら、この後もう少し付き合わない? ウィンドウショッピングでもして、どこかでお茶でも」
思い切って誘うと、オリヴィアは少し考えるふりをしてから、口の端を上げて笑った。
「まあ、いいけど。衝動買いに、延々と付き合わされるのはごめんよ」
いつもの憎まれ口が、今は心地いい。
私たちはクロエとマヤに手を振ると、二人でビストロを出た。
ロンドンの午後は、まだ始まったばかりだ。
「で、どこへ行くの?」
と聞くオリヴィアに、私は
「そうねぇ……」
と、心から楽しげに答えていた。
こんなに軽やかな気分は、本当に久しぶりだった。