第9話 宿屋
あの地下遺跡の死闘から数日が過ぎた。
俺たちは、少女——リーナの暮らしていた村へと戻っていた。
魔王軍の襲撃を受け、村は瓦礫と灰のような廃墟と化していた。
村人たちは村の再建を行っていた。年寄りが土を掘り起こし、若者たちが倒れた木々を運んでいる。
焼け残った小屋の骨組みに、新しい板を打ちつける音が響く。
リーナは、少し離れた場所で幼い子どもたちと一緒に地面をならしていた。泥にまみれながらも、その顔は明るかった。
「あっ、お兄ちゃん」
リーナが近寄ってくる。
「よかった。お兄ちゃん無事だったんだね」
「リーナも無事でよかった。すまない。全部を守れなくて」
俺は申し訳なさそうに言うと、リーナは首を振った。
「ううん、お兄ちゃんのおかげで生きていられるんだもん。なくなっちゃた物もあるけど、こうやってまた皆で建て直せばやり直せるよ」
リーナは笑顔で答えた。
【リリィ】「よかったね……あの子たち、ちゃんと前を向いてる」
【パンツ(♀)】「ふふ……♡ タクミさんの“英雄的行動”のおかげですわね♡」
【ブーツ】「英雄ってのは、地味なとこで汗かいてるもんや。ほんまにようやったで、タクミ」
照れくさい言葉を浴びながらも、俺はただ頷いた。
この村を守れたわけじゃない。救えなかった命もあった。けど——
「……全部を守れなくても、もう一度立ち上がる手伝いくらいは、できるかもしれない」
そう思った。
俺たちは数日間ここに留まり、再建の手伝いをした。
倒れた井戸の補修、仮設の炊き出し小屋の設営、夜間の見回り。
装備たちも文句を言いながら付き合ってくれた。意外とパンツ(♀)は、裁縫が得意らしい。
【パンツ(♀)】「もう、タクミさんったら♡ お裁縫を甘く見てはいけませんわ♡」
リーナが感謝の花をくれた。
俺たちは村人に別れを告げ、次なる街へ向けて歩き出した。
* * *
夕刻。
小高い丘を越えると、やがて石造りの城壁と瓦屋根の家々が並ぶ小都市が見えてきた。
街の名は《リュミエール》。交易と水路の交差点として栄えた、港町のような雰囲気を持つ街だった。
街門を抜け、喧騒と香辛料の匂いの混じる大通りを抜けた先——
「……ここだな。宿屋《銀の雫亭》」
木製の看板が軋むように揺れている。
【ブーツ】「ほな、さっさと休もうや。足が棒やわ……もう何人ぶんも働いた気がする」
【リリィ】「タクミくん、部屋はちゃんと個室あるか聞いてみてね! 一緒に寝たいとか言われても困るから!」
【パンツ(♀)】「私は一緒に寝てもいいですわよ♡ もちろん♡ 添い寝だけとは限りませんが……♡」
「お前らなぁ……」
俺は苦笑しながら扉を開いた。
カランコロン、と柔らかな音が鳴る。
中から出てきたのは、可愛い女性だった。髪を後ろにまとめ、清潔なエプロン姿でこちらを見て、にこりと笑う。
「いらっしゃいませ。《銀の雫亭》へようこそ。旅のお客様かしら?」
「ああ、部屋を一つ。夕飯も頼みたい」
「はいはい。ちょうど今、魚のスープが煮えてるところよ。体にしみるわよ〜」
なんとも懐かしい、家庭的な響きのある声をしている。
【ブーツ】「魚のスープやって!? やったー! 食べもんの匂いだけで生き返るわ……」
【リリィ】「私は個室希望よ、タクミくんと一緒の部屋とかじゃないからねっ!」
【パンツ(♀)】「あら♡ わたくしはもちろん、同室大歓迎ですわよ♡」
あーだ、こーだと文句を言う。防具たち。
「じゃ、部屋を二つ頼めるかな」
「部屋二つですか?」
不思議がる受付嬢。
受付嬢には話声が聞えないらしい。
「頼む」
「かしこまりました。食事と部屋を合わせて合計で銀貨一枚になります」
ぐっ、た、高い。とても今の手持ちで払える額じゃない。
「ち、ちなみに一室だといくらくらいですか?」
「銅貨一枚になります」
今後の事を考えると今は節約したい。
「じゃ、それでお願いします」
受付嬢が部屋を案内してくれる。
【リリィ】「私は本当は、タクミくんと一緒の部屋とかじゃ嫌なんだからね!」
リリィは部屋に着くまで文句を言っていたが、よく見ると熱くなってる気がした。
部屋は木造でこぢんまりとしていたが、シーツも清潔で、窓からは町の石畳が見下ろせる。何より——ベッドがある。
俺は荷物を下ろし、そのまま背中からベッドに沈んだ。
「……ふぅー……生きてるって、こういうことだな……」
枕の柔らかさが、俺に普段の日常の感覚を思い出させてくれた。
* * *
夕飯の時間になり、食堂に降りていくと、木のテーブルには湯気が立っているスープが置かれていた。
白身魚とハーブの香りが食欲をそそり、野菜は柔らかく煮込まれている。
「うまっ……!」
一口目で、胃が勝手に歓喜の声をあげた。
染みる。骨の髄まで、染みわたる。
【リリィ】「うん……! なにこれ、すっごく優しい味……」
【パンツ(♀)】「タクミさんの隣で食べるから、なおのこと美味しく感じますわ♡」
【ブーツ】「魚、もっとくれへん? これ五杯はいけるやつやろ?」
食事の最中は、誰も戦いのことを口に出さなかった。
ただ静かに、そして穏やかに、皿の音だけが響いた。
戦いの合間に訪れた、わずかな平穏。
それを、俺たちはしっかりと噛みしめていた。
食後、デザートに焼きリンゴとミルクティーが出されたとき、パンツ(♀)が「んふふ♡」と奇妙な笑みを浮かべていたのは、たぶん気のせいじゃない。
「……さて、腹も満たしたし風呂にでも入って寝るか」
風呂付きの宿に当たったのは、正直運がよかった。
受付でもらった鍵を片手に、俺はタオルと着替えを持って浴場へ向かう。
宿の廊下には石造りの灯がぽつぽつと灯り、温かな蒸気がすでにほのかに漂っていた。
脱衣所に入り、着ていた服を脱ぎながらふと気づく。
「……あれ、パンツが……脱げない?」
ズボンはすんなり脱げた。なのに、その下にあるはずの布が、ぴたりと肌に張りついたまま拒んでいるように、動かない。
「お、おい……どういうことだよ、これ……!」
【パンツ(♀)】「あぁん♡ せっかく二人きりの空間ですのに、そんなに急いで脱がせるなんて♡」
「いやいやいや! 今は風呂に入りたいだけだっての!」
【パンツ(♀)】「でも……わたくし、タクミさんと離れるなんて、寂しくて……♡
それに、裸になったタクミさんを見るのは、わたくしの義務であり、喜びであり、至福であり……♡」
「……風呂入れないって、そういう問題じゃないからな!? このままじゃタオル巻いて入るしかないぞ……!」
脱衣所で一人、もはや滑稽とすら言えるやり取りをしていると、背後の戸がすっと開いた。
【リリィ】「……何してるの、タクミくん?」
「うわっ!? リリィ!? いや違うんだこれは、その、服がだな、パンツが……ッ!」
【リリィ】「……パンツが?」
リリィの目がすっと細くなる。
【パンツ(♀)】「リリィさん、邪魔はしないでくださる? これはわたくしとタクミさんの“ふれあい”タイムなのです♡」
【リリィ】「……変態下着……」
その場の空気が一瞬で凍った。
「も、もういい! お前、今日は脱げ! 強制解除だッ!」
【パンツ(♀)】「ふあああん♡ タクミさんの強引なところ、嫌いじゃありませんわぁ♡」
ようやくパンツを脱ぎ捨て、俺はそのまま浴場へと逃げ込むように飛び込んだ。
湯に浸かると、あの地下ダンジョンの泥と血と魔力の名残が、じわじわと溶けていく。
疲労がほどけて、肩からすべてが抜けていくような心地だ。
窓の外には星が瞬き、静かに夜が更けていった。