第4話(最終話):「※イツワリノアオハル Day3」
学校へ行くには、少しだけ余裕があった。
朝食をとりながら、ふとテレビに目を向けると、ニュースが流れていた。
「……半世紀以上続いた紛争が、ついに終結を迎えました」
アナウンサーの声は淡々としていたが、画面の中では国旗を振って喜ぶ人々が映っている。
異国の文字。喜びを語る国民。
画面の下には、「自由」「平和」「希望」――そんな字幕が並んでいた。
(終わるって、こういうことなんだ)
後で聞いた噂では、この学校の生徒が、何かしら関わっていたらしい。
真偽はわからないけれど――。
俺-野中 蓮-は食器を片づけ、鞄を持って、家を出た。
(でも、俺たちの”終結”は――たぶん、別の意味だ)
学校正門。
「ハムレットの奇跡」から一夜が明け、校舎の空気が、少しだけ違っていた。
「あの子、ハムレットの……」
「マジ?顔見たら惚れるわ……!」
「でも、オタク側じゃね?昨日も清掃してたし……」
すれ違う声に、少しだけ胸がざわつく。
(……まぁ、いいか)
教室に入ると、担任の先生が前に立っていた。
「今日は学祭最終日、そして後夜祭もあるから、最後まで気を抜かないように。それと――」
先生の話を聞きながら、そろそろ仕事場(雑務係)へ向かおうとした、そのとき。
「野中くん!」
振り向くと、そこに藤田が立っていた。
「藤田さん……体調、大丈夫ですか?」
「えへへ、ホントはまだ微妙だけどね~。でも、学祭逃したくないし!」
俺は少し笑った。
「野中くんのハムレット、動画で見たよ。泣いた!」
「あはは、アドリブで台無しだったけどね」
「でも、私に言わせると、神采配だった。東條くんとだったら、確実に大コケしてたと思うし!」
ふわっと笑い合ったあと、藤田は別のクラスメートに呼ばれて、手を振りながら去っていった。
「……じゃ、今日も頑張ってね!」
「うん、そっちも無理しないで」
小さく会釈をして、俺は――静かに、“仕事場”へ向かった。
(今日も、ちゃんと、やろう)
空は、昨日よりも少しだけ澄んでいた。
⸻
俺たち「雑務」組は、昨日と同じくジャージに着替え、学校周辺の清掃へ向かった。
道端のゴミを拾いながら、なんとなく昨日のことを思い出す。
(……まあ、奇跡だったんだろうな)
ハムレットの舞台。
ほんの一瞬だけ、世界が変わったあの感覚。
そんなことを考えていると、不意に後ろから声がかかった。
「……なぁ、昨日の舞台、すげーよかったぞ」
同じ「オタク組」の一人が、ぼそっと言った。
「……だな。マジで鳥肌立った」
「っつーか、野中、お前……すげぇよ」
不器用な言葉だったけど、俺にはちゃんと伝わった。
「……ありがとな」
そう返すと、みんな気まずそうに笑って、また黙々と作業に戻った。
(少しだけ……あったかいな)
そんなことを思いながら、ゴミ袋を結んだ。
⸻
今日は何も担当がなかった。
演劇も、レストランも、自分の仕事は終わっていた。
だから、オタク仲間のいつもの3人と一緒に、文化祭をただ歩いた。
展示、美術部の即売、謎解きイベント、射的、占い。
昨日の出来事もあってか、あるブースではハムカツサンドをおごられた。
美味しかった。
(ふつうに、楽しい)
それだけで充分なはずだったのに、ふと気づいた。
――誰かの視線が、時折こちらを見ている。
いつもなら、蔑むような空気や、見ないふりだったのに。
今日は、少しだけ違う。
「……昨日の舞台、観た?」
「マ?彼なん?」
ふいにすれ違った他クラスの子が、そんな声をかけてきた。
「うん。なんか……よかったよ」
「……ありがとう」
ちゃんと返事ができた自分にも、驚いた。
午後、購買の前で偶然、美鈴を見かけた。
クラスメイトに囲まれていて、忙しそうだった。
でも、その中で、一瞬だけ目が合って、
彼女は、ほんの少しだけ笑ってくれた。
(……見てくれてたんだ)
それだけで、なんだか胸がいっぱいになった。
そのあとオタク友達と一緒に学校祭を楽しんだ。
⸻
夕方、校舎の外へ出たとき、空は少し赤くなっていた。
学校のチャイムが鳴り、事務的なアナウンスが流れた。
「本日をもちまして、学校祭を終了します。生徒の皆さんは、後夜祭へご参加ください。」
かすかに漂う笑い声、軽音部の最終リハーサルの音、焼きそばの匂い。
祭りの終わりは、やけに綺麗で、やけに寂しい。
⸻
「おつかれ、蓮」
ふいに、背中から声がかかった。
振り返ると、そこにいたのは東條玲央だった。
「……東條さん」
「そーかしこまらなって。中学からのダチだろ?」
俺は乾いた声で笑った。
「舞台、よかったよ。マジ神ってたわ」
「結衣のヤツ、ガチ泣きしちゃってさ、俺ももらえそうだったわー」
精一杯褒め称えたつもりだろう。
でも俺にはわかる。嘘だってことを。
玲央が一呼吸をして、放った。
「まさか、あんたがやるとは思わなかったけど」
笑っていた。でもその目は、さっきとは違って、笑っていなかった。
「……ありがとうございます」
「ま、悪くなかった。……でもな…俺の(計画)、よくも壊してくれたな……!」
戸惑うこと以外、何もできなかった。
俺は、藤田のことを問いただす。
「じゃぁ、藤田さんを抜擢したのも……」
「計画のうちだ。病欠気味の藤田も『オタク』だからな。
落ちるタイミングも把握してるから逆算しただけ。」
最悪だ――人として、クラスメートとして。
美鈴たちが所属しているレストラン班は、学校の顔ということもあり、「イケメン」を中心とした人員配置だった。
一方藤田さんが所属した演劇班は「オタク」を中心にしており、さらに俺やオタク友達には不完全なシナリオ等を渡し、当日大失敗に持ち込む。
翌週はそれが原因で「イケメン」だけが残る。という計画だ。
特にオタク側の人間の警戒を和らがせるため幾人かの「イケメン」側の人間(玲央、リーダー他)を送り込んだ。
これがクラスの…いや、この学校の「偽りの青春」の全体像。
親の為、先生達の為、学校地域周辺のため、そして入学希望者の為。
いい生徒、いい学校であり続ける為に、オタクを踏み台にしてでも、手段を選ばない。
俺たち(オタク)が「雑務」に追い込んだのも、彼らなりの「温情」ともいえる。
だが俺がそれを知らずに「イケメン」側に首を突っ込んだせいで、事態が逆転。
玲央の計画が崩壊に至った。
そのとき、玲央は蓮の耳元に顔を寄せて、低く囁いた。
「...明日から身の程、わきまえろよ」
空気が、すっと冷たくなった気がした。
蓮は何も返さず、呆然と立ち尽くしたまま、
玲央が軽い足取りで会場に向かっていくのを見送った。
後夜祭の会場は、グラウンド横の屋外ステージだった。
ランタンの灯り、控えめな音楽、笑い声、そして――距離。
俺たちの場所は、少し離れたベンチだった。
まるで、魔法が解けたあとの灰かぶりみたいに。
「……地位協定、再起動ってやつかな」
友人のひとりがぽつりと言った。
誰も何も言わなかった。
⸻
そのときだった。
ステージ上、軽音部のバンドメンバーがマイクを握りしめた。
「みんなー盛り上がってるかー!」
「おー!」
「学祭、楽しめたかー!」
「おー!」
「十分、アオハルってるかー!」
「おーーーー!」
「でも聞いてくれ、青春はいつか終わる。
けど一つだけ終わらないものがある。」
「キミ達の心の中にある『ホシ』――。
それを強く輝かせる人もいれば、被せる人もいる。捨てる人もいる。」
「でも、ここにいるお前らは――もっと輝かせるはずだ!!」
歓声とスマホのライトの海。
「これからは、俺たちの時代だーーーーっ!!」
バンドの音が爆発した。
その瞬間、俺の胸に、朝のニュースがよみがえった。
(あれが「終結」なら――これは、「再開」なんだ)
あのニュースに映った「紛争」という現実は終わった。
でも、俺たちの「現実」という紛争は……また、始まる。
俺はただ、空を見上げた。
遠くのランタンが揺れていた。
それが、少しだけ泣きそうな光に見えた。
後夜祭が終わり、下駄箱へ向かう途中。
廊下に、ひとりの生徒がやってきた。
提供者だ。
誰なのかは、もうとっくに知っていた。
でも、名前を呼ぶことはなかった。
俺たちは近づき、二人が重なったとき、
目を合わせ、ニカっと笑う。
「…」
「…」
お互い、振り向かずに去る。
言葉などは要らない。
その笑顔こそが、「成功」の証だった。
学校の近くに、小さな公園がある。
滑り台と、古びたブランコと、ベンチだけの、ささやかな場所。
文化祭の熱が、少しだけ残る空気の中で、
俺は、ひとりでベンチに座っていた。
鞄も持たず、制服のまま。
ただ、じっと、オレンジ色に染まった空を見上げている。
その背中が、どうしようもなく、寂しかった。
⸻
美鈴は、公園の入り口で立ち止まった。
しばらく迷ったあと、意を決して、そっと近づいた。
ベンチの隣。
数歩、距離をあけたまま、立ち止まる。
「……おつかれさま」
風に消えそうな、小さな声だったけれど――
ちゃんと、届いた。
俺は、ゆっくりと顔を向けた。
「……ああ。西村さんも」
それだけ。
でも、それだけで、胸がいっぱいになる。
「舞台……見てたよ」
「うん」
短い返事。
でも、その目は、
ちゃんと、美鈴を見てくれていた。
「すごかった」
「……そっか」
俺は、空を見上げたまま、
少しだけ、息を吐いた。
「……もう、全部終わったな」
「……うん」
沈黙。
だけど、苦しくない沈黙だった。
夕陽が、少しずつ傾いていく。
「……また、学校、あるけどね」
美鈴が、冗談めかして言うと、
俺は、ふっと笑った。
「そっか……また、か」
その笑顔を見たとき、
美鈴は思った。
(ああ、きっと、これでいいんだ)
今はまだ、何もいらない。
ただ、こうして、
同じ空気を吸えたことだけで、十分だった。
美鈴は、小さく会釈をして、
「またね」と言い残して、歩き出した。
俺は、その背中に向かって、
声には出さず、そっと呟いた。
(……ありがとう)
黄昏の中、
ふたりの影は、静かに伸びていった。
翌日。
ゲートは消えていた。
昨日までの熱狂も、奇跡も。
何もなかったかのように、
学校は、静かにそこにあった。
変わらない廊下。
変わらない教室。
変わらない空気。
古典の授業。
教師が黒板にチョークを走らせる音が、
カリカリと耳に響く。
どこか別の教室から、
かすかにピアノの旋律が聞こえた。
ショパン。
昨日、公園で聴いた、あの旋律。
ノクターン第9番 第2曲(変イ長調)―。
眠りかけた教室。
窓の外では、雲が静かに流れていく。
変わらない日々。
だけど、ほんの少しだけ、確かに違っていた。
蓮のスマホ。
ロック画面に映るのは、
昨日、MVPを勝ち取ったクラスのみんなの写真。
ぎこちない笑顔もある。
泣きはらした顔もある。
手を叩きあう者、
ピースサインをする者。
バラバラだったはずの彼らが、
たった一枚だけ、同じフレームに収まっている。
それが、
この秋の、たったひとつの証だった。
俺は、小さく、微笑んだ。
そして、また、
眠ったふりをしながら、窓の外を見上げた。
空は、今日も青かった。
――でも、
昨日の青とは、少しだけ違っていた。
(本編第7話へ続く)