何故だ⁈ 悲劇は止められなかった
ミカロン方面へ向かおうとする個体をジンに任せ、俺は逆方向へと行く個体を追う。こっちへ行くと…コラルの方だな…と、カナリー副村長の顔が浮かぶ。
やがてヴリトラに追い付くが、コイツもでかいな…。まるで赤い新幹線に喧嘩を売っている気分だ。え〜いままよ、行くぞドクターレッド! 先ずは挨拶代わりのエボニアム・サンダー。でかい的は外し様も無い。雷撃はヴリトラの身体にまとわりつき、表面で大きくスパークしながら消えて行った。
炎そのものの奴の表皮は変化が有ったのかもはっきりしないが、ダメージが入っている実感は正直無い。だが敵対行為をされたとは認識した様で、こちらに向き直って迫って来る赤い新幹線。口からは炎が吐かれ、更に身体に纏った炎をも拡大しながらすれ違いざまに俺を直火焼きして来る。
「うおあちぃっ!」
俺は体に魔力を流して抵抗力を上げようとするが、あまりの炎の量を受け止め切れず、それなりのダメージを喰らう、体の細い部分が焼け焦げる。
ヴリトラは更に身体をうねらせて、俺の周りをぐるぐるうねうねと回り出す。蒸し焼き、と言うかオーブンレンジ状態だ。こりゃかなわん! 俺は何とかこの囲みから脱出しようとするが、向こうもそうはさせじととぐろを巻いて俺を立体的に囲んで来る。まずい、脱出の隙間が無い!
あちちちちっ、一張羅の服が燃える! 翼まで燃え始めた、飛行を維持出来ない! 小さくなって隙間から逃げるか? いや、この状態で質量が小さくなったらたちまち燃え尽きてしまうだろう…。
ならいっそ! とばかり、俺は逆に体を大きくして行く。魔力を体組織に変換、ムクムクムクッと巨大化して行く俺。たちまちヴリトラのとぐろの中いっぱいのサイズになる。奴に接触した所がジュウジュウいっているが、今はもう表面焼きレベルだ。まあ無茶苦茶熱いけど…。そしてそのまま思い切り身体を延ばす。ヴリトラの身体がブチブチ音を立てて始め、慌ててとぐろを解く邪竜だが、慌て過ぎたか絡まってしまっている。これを好機と攻撃に転じようと思う俺だが、あの炎がうざい。
そこで"あれ"をやってみようか…と思い至る。一度だけ見たことが有る強力な魔法。魔法に関しては魔大陸一の使い手と言われるビオレッタが使ったものだが、俺の目の前で使われたので、魔力の流れも制御の行程も全て頭に入っている。問題は天才と言われる彼女の魔法適正に迫れるかという事だが、そこは俺の天与の魔法器官でカバーするしか無い。
俺は頭頂部の角の根元、魔法制御器官でイメージに合わせて魔力を練ると、気合い一閃、かつてケルベロスを一瞬で氷漬けにした"絶対零度"の魔法! 2本の角の間から発射した青白い光は、荒ぶる邪竜の構成分子を強制的に静止させる。辺りの空気がピシィッと音を立てた様な感覚の後、炎の龍はただの龍になっていた。
元々の奴の火炎が強烈過ぎたせいか、俺の魔法がやはりビオレッタには及ばなかった事実の現れなのか、奴を凍り付かせるまでには至れなかったが、それでも体中に纏っていた炎を消し飛ばされ丸裸となったただの赤い龍は、先程までの凄みが微塵も無い。強烈な冷気に目をしばたかせながら、絡んだ体を解こうともがいている。
今や奴に匹敵する巨体となった俺は、ここからは肉弾戦に移行。まずは空中から急降下で飛び蹴りを喰らわす。骨の砕ける感触があったが、破壊衝動の権化である奴はそれでも怯まず、更に炎を吐こうとして来るが、出たのは小さな火がチョロチョロ、全く脅威にはならない。すると今度はその牙で攻撃しようとしてくる。とは言え、肉弾戦では今は俺の方に明らかに分が有る。迫り来る奴の鼻面にカウンターパンチを叩き込むと、ぐしゃっとひしゃげる奴の上顎。更に右頬、左頬、最後は眉間に渾身のパンチを叩き込むと、唯一光を保っていたその目も遂に輝きを失い、そのまま地面に落ちて、やがてただの灰の塊に変わっていく。奴の肉体は元々灰で出来ており、あれだけの炎を纏ってもこれ以上燃え尽きる事は無かったって訳だ。
激闘を終えて疲れ切り、シュルシュルと元の大きさに戻って行く俺。もう魔力がほぼ空っぽだ。エンジャン御殿の方ではまだ炎が上がったりしているので、未だ激闘が続いているのだろう。加勢に行くか?
だがその時、俺は有る異変に気付いた。エンジャン御殿と真逆の方、ヴリトラが向かっていた方面から火の手が上がっている。ん? ヴリトラは確かに仕留めた。他の2頭が向かったのもあっちじゃ無い筈…。てか、あれはコラル村の辺りじゃないのか⁈ 胸騒ぎを覚えた俺は、ボロボロの身体に鞭打って現場へと飛んだ。果たしてそこには…。
コラル村は襲われていた。ヴリトラにでは無い、もちろんエンジャンの手の者でも無い。何処かで見た事の有る装束を身に纏った魔族の兵士達、それが数十人で村を襲っているのだ。
もちろん村の方も抵抗はしている。元々ギャングを貼るだけ有って戦える者も多いし、数の上では明らかに村側の方が優位だ。しかし現実には抵抗虚しくという様相を呈している。コラル側の装備があまりに貧しいこともあるが、何より襲う側の兵士達が単純に強い。規律も統制も取れているとは言い難いが、とにかく戦闘力がレベチなのだ。
「あれは魔王軍の兵士でクエ!」
叫ぶネビルブ。な、魔王軍⁈ そう言えばあれはビリジオンで元老院本部の守りに付いていた魔王軍兵士と同じ装束だ。その事実に俺は逡巡した。目の前で行われているのは戦闘と言うよりは一方的な虐殺だ、実力差が大人と子供である。心情的には村側に加勢したい気持ちの俺だが、そもそも俺は魔王の四天王、つまり魔王は俺の上司。コラルに手を貸す事は上司と事を構えることを意味する。それってどうなんだろう? などと考えて行動を決めあぐねていたが…。
1人の魔王軍兵士が子供を3人連れて逃げ惑う母親を面白半分に襲っている場面を見て、心が決まった。親子と兵士の間に降り立ち、兵士の目の前に立ち塞がる俺。
「ガ? 何だお前は…って…ん? エボニアム…様…の、ニセモノだな⁈」
な、ニセモノ? 俺が? て…まあ、否定し切れないけど、それにしてもいきなりニセモノ呼ばわりとは…。そんな感じに早速俺を敵認定したその兵士は問答無用で切り掛かって来る、ちょっと当たってやるわけにはいかないごつい剣。防御を強化する魔力も怪しいので、とりあえず避ける。大雑把そうな見かけに似合わず鋭い剣筋で結構ギリギリだ、何度もは出来そうに無い。短期決戦を狙い速攻で懐にもぐり込み、アッパーカットをかます。兵士は短くうめいた後、何とか体制を持ち直し第2撃を見舞って来る。だがその精度はてきめんに落ちており、2撃、3撃と難無くなくかわすと、ついさっきヴリトラをも倒したワン・ツーパンチをお返しで見舞う。顔をひしゃげさせ、たまらずに昏倒する兵士、思わず取り落とした剣を俺が取り上げる。
「ぐぞ〜! ニセモノの癖にやりやがるっ、えーい殺せぇ!」
どうやら負けを認めた様子のその兵士の目の前で取り上げた剣を叩き折ると、詰め寄る俺。
「これはどういう事だ、何でお前らがダイダンの中に入り込んで村なんかを襲っている!」
「魔王様の勅命だ。」
いろいろと観念したか、素直に答える兵士。
「魔王様がこの国のある者の直訴を受けてご命じになったのだ。曰く、コラル村とコラルの魔女を退治して欲しいという要望を叶えるべしという事だ。」
やっぱりあれか。直訴、通っちゃったんだ…。
「その直訴した者はどうしたんだ?」
そこは少し興味本位で質問してみた。
「それは決まり事の通りだ。その魂は魔王様に捧げられた。」
「死んだのか⁈」
「生きてはいるな。だがもう抜け殻同然さ。」
目眩を感じる俺…。
「何をしているっ!」
突然の怒声が響く、別の兵士が駆け付けて来た様だ。
「貴様、どこの者だ⁉︎ 我々を魔王様直属の特命部隊と知っての…、んん? エボニアム…、いや、ニセモノかっ!」
又ニセモノ扱い⁈ まあ魔王直属なんだから昔のギラギラした(?)俺とも面識は有るかも知れないが…。
「直ちに虐殺を止めろ! 止めないなら俺は更に介入する!」
宣言する俺。素直に聞き入れられるとは思っていない、恐らく衝突は避けられないのだろう。
「虐殺? これは駆除だ、害獣駆除! 生産活動をしない、言う事をきかない人族など、飼っておく意味は無い。ましてや魔族に害を為すものなど、害獣でしか無い!」
やはり、根っこの考え方が相容れない。これがその魔王って奴の考えなら、もう従えない。四天王なんか返上だ!
「まあいい、村への制裁はもう充分かも知れん。」
案外矛を収めてはくれそうな気配に少し安堵するが、その兵士がチラリと見た先に動かなくなった村長の亡骸を見付けて愕然とする。そもそも駆け付けたのが遅かったらしい。
「もう一つの目的ももう間も無く達せられるだろう。」
更に発せられた兵士の言葉にハッとなる俺。コラルの魔女、クリムの母親! それでさっきから聞こえている爆発音が魔法戦闘の音で有る事に気付いた俺は、慌てて飛び上がり、音のする方へ猛ダッシュする。
いた、カナリーさん! 何者かと魔法の撃ち合いをしている様だが…、明らかに辛そうだ。逆に相手は…、ここから顔は見えないが、多分遊んでやがる。カナリーさんが必死に抵抗しているのを楽しんでやがるんだ。だがいよいよ飽きたのか、何かの魔法の準備を始めている。止めなきゃ、くそ、翼が損傷していてスピードが出ない! …て言うか、あの敵のすぐ側に居るの、ジンじゃ無いか! いつの間にこっちへ来てたんだ? まあいい、頼む、そいつを止めてくれーっ!
俺の願いは虚しく、ジンが動く気配が無いまま、敵の魔法戦士は悠々と魔法を繰り出す。一瞬何がされたのか分からなかったが、突然ズタズタになって、ばったり倒れるカナリー副村長。かまいたち的な魔法か⁈ チキショウゥッ! 破れかぶれのサンダーをそいつにぶつける。が、そいつは魔法障壁を作り、あっさりとこれを弾く。向こうも魔法攻撃への対応は心得たものか! 小柄だが、何となく既視感が有る出立ちの魔法戦士がこちらを振り返り、始めて顔が見える。えっ…、あ…れ…は…⁈
「エボニアム様、お気を付け下さい、あなたのおっしゃっていた、ニセエボニアムです!」
俺を追って来た先程の兵士が後ろから叫ぶ。呼び掛けた相手はその魔法戦士。な…! コイツがエボニアム? 奴らの言う"本物"の? すっかり混乱状態の俺。コイツがエボニアムと言われている事も驚きだが、それより何よりコイツの顔! あれは…、俺! この世界に転生する前の俺じゃ無いか!
「なるほど、ここで会うとは。いずれ決着は付けねばならんが、今はもう魔力が心許ない。この体、落ちていたのを拾ったものだが、魔力適性が並以下なのだ。次に会った時にはそれは返して貰うぞ!」
そう語り、踵を返す魔法戦士。言葉からすると、多分あれは本物のエボニアムの中身なのだろう、そしてあの体は"元の俺"の体なのだ! 随分と体つきや四肢の形が変わり、角や翼まで生えているし、何より身に纏うオーラが凶悪そのものだ。だがあれは俺だ。俺の体が奴の魔力の影響で変貌しているのだ。目の前の事実の衝撃で俺が出方を決めあぐねている間に、本物のエボニアムは魔王軍兵士達を率いて去って行く、用は済んだとばかりに…。
ハッとして俺はカナリーさんの元へ。既に虫の息の副村長は俺の顔を見て蚊の鳴くような声で話す。
「あんたは…、ミントと一緒にいた…。」
「ああ、そう…ん? ミント? あれはクリム、あんたの娘だ! て言うか、なぜミントの名を?」
「母親の私には分かる、あれはミント…、双子の妹のミントの方だ。姉のクリムはジン王の元で可愛がられているのは分かっていたが、ずっと行方不明だったミントなんだ…。」
色々と衝撃の連続に言葉も無い俺。
「独自に探したりもしてたけど…、何の手掛かりも無くて…、正直諦めてた。でも…、生きていてくれた。元気な顔も見られた…。もう、思い残す事もない…。」
「おい、弱気な事言うな! ミントは肉親の情も知らずに来たんだぞ。それに今度クリムにだって合わせてやる。」
彼女を元気付けようとそんな風に呼び掛ける俺。それしか出来なかった。
「お願いだ、ミントの事、宜しく頼む…よ、あの子を…見守って…お願い…しま……」
俺の腕の中、それきり動かなくなるミント達の母親。俺はその目を閉じ、その場に横たえる。そして少し離れた所からここまでを無言で見守っていた男に猛然と詰め寄る。
「ジンっ!」
今や俺の目を真っ直ぐ見る事も出来ないクリム達の兄。
「貴様、何であの時止めなかったっ!」
「…出来ない。彼等は魔王様の勅命で動いていた。邪魔をする事は…、許されない。」
そのジンの言い草に、余計に腹が立つ俺。
「彼女は、カナリーさんは、貴様の愛するクリムの実の母親なんじゃないのかっ、クリムとお母さんを合わせてやるつもりじゃ無かったのかっ、カナリーさんの事が気になって此処まで駆け付けたんじゃ無いのかよっ⁈ 」
「それは…その通りだ。だが、魔王様は魔族を手に掛けた人族をお許しにはならない。この粛清は、仕方が無い事だったんだ…。」
「こぉの、バッカヤロウがっ!」
俺は思わずジンをぶん殴る。ジンは避けもせずそれを喰らい、ひっくり返る。
「確信したぜ。お前はお前の妹達…聞いてたんだろ? お前の妹は双子だった。あのニセクリムもお前の妹だったんだ。その妹達を、これまでどっちも幸せにはして来れなかった。そして、今後もお前の元ではあの2人は幸せにはなれない!」
上体を起こし、しゃがんだ姿勢のままうなだれるジン、絞り出す様に言葉を返す。
「お前なら、幸せにしてやれると言うのか…。」
「ああしてやるとも、少なくとも、お前よりはな!」
そう答える俺だが、確証が有る訳では無い、多分に売り言葉に買い言葉だ。
「それよりお前は一体何なんだ? 目配せ一つで邪竜を一頭引き受けてくれたり、クリム…達の母上殿の身を案じてくれたり。本当にただのお人好しじゃ無いか、私の知っているエボニアムじゃあ無い。だからと言ってさっきの小僧みたいな男を本物だと言われても俄かには納得など出来ない。確かに性格や言動は向こうの方が近いのかも知れないが…。」
今度は俺が返答に窮する。短くポイントを押さえて説明する自信が無い。
「自分でももう余り良く分からないが、魔王様が派遣して来てる方が本物、なんじゃないのか?」
少し皮肉も込めてそう言い捨てると、俺はその場を後にし、元エンジャン御殿へと飛ぶ。副村長の弔いを村の生き残りに任せて…。
上手い事逃げていた様で被害は軽微だった俺達の馬車は、今は未だ燻っている元エンジャン御殿跡の側に停まっている。そこで待つミント達の元へと降り立つ俺。
「よ、無事だったじゃねえか。ご苦労さん。」
と、ミントが迎えてくれる。
今俺の中で、ミントに対する感情は前と少し違っている。姉のクリムと違い、生まれてからこの方天涯孤独で生きて来たミント、そして、その肉親である母親をついさっき完全に失った事をこいつは未だ知らない、知らせるつもりも無い。元々無い物と理解して母の事など諦めていたミントに、今更実は生きてましたでもさっき死にましたなどと知らせて何になるというのか。
「ミカロンへ帰ろう。クリムが気にしているだろうし、確かめなくちゃいけない事も有る。」
「?…まぁそうだな。此処にもう用はねえな。」
帰る事には異論は無い様子のミント。元々馬車は準備OKなので、すぐに出発しようという事になる。
「私達は、一体どうすればいいんだろう…。」
近くにいたエンジャンの第五夫人が、わざとこっちに聞こえる様にそう言って嘆く。いや、さすがにあなたたちの面倒までは見切れないよ。こっちをチラチラと見て来る第三夫人と第五夫人だが、同情する気持ちはあまり湧いて来ない。
「あなた達が今こうして生きてるのはね、エンジャンがあなた達だけには生きていて欲しいと願ったからだよ。最も若い奥さんと子供のいる奥さんだけはヴリトラの供物から除外したんだ。なのに、あんた方はそんなに簡単にこのマゼンティアに見切りをつけて政敵におもねろうと言うのか、まだ此処で出来る事が有るんじゃないのかい⁈」
突き放すように言うと、うなだれる2夫人を残して踵を返し、俺はもう二度と振り返らなかった。