エンジャン御殿崩壊の日
この後のジンの行動は早かった。実にこの日からたった2日後、エンジャン御殿に押し寄せるダイダン正規軍の大軍団。マゼンティア分隊は一応御殿の守りを固めるべく囲いの内側に籠城している、だがその戦力たるや、質・量、共に正規軍の足元にも及ばず、士気は落ち放題だ。そんな中、しれっと馬車ごと御殿を抜け出して、ジンの本陣に身を寄せていた俺達である。
「これは戦いにすらならんな。最初に降伏勧告をすれば終わってしまうだろう。」
気の抜けた展開を有り難がるより、むしろ物足りないような顔でそんな風にこぼすジン。
「例のエンジャンの隠し玉ってやつはどうなんだろうな」
「まぁそんなものがあるのなら見せて貰うまでだ。」
俺の懸念の言葉を歯牙にも掛けず、既に勝利を確信しているジンは、やおら陣頭まで進み出ると、御殿に向かい声を上げる。
「我はダイダン王、ジン・レオンである! 融和を願いこちらが発した歩み寄りの提案を聞き入れる事なく、この度こちらの最大限の誠意として我が実の妹を融和の施設の意味を込めて嫁に出したにも関わらず、それを無にする不当且つ非道な扱いがされたと聞く。ここに至り、そちらには融和の意思なしと最終判断をし、相応の処分を下す事とした。当マゼンティア領は本国に完全併合、領主であるエンジャン卿の身分剥奪の上、エンジャン家は取り潰しとする! 今より一刻程の猶予を与えよう。その間に降伏の意思が有れば御旗を下ろして示すといい。兵士や家人の投降も受け入れよう!」
高らかにそう宣言するジン。するとやや間を置いて、正門が開け放たれ、一気に吐き出される群衆。兵士も家人も入り混じり、我先にとこちらの本陣に保護を求めて駆け込んで来る。それを静止する怒号が響き、投降者を武器で脅して留めようとする者もいるが、流れは止まらない。そんな群衆に後ろから矢を射掛ける者もいて…。
「あっ!」
俺はサッと空を滑り、群衆の元に駆け付けると、射掛けられた矢を翼で弾き飛ばす。
「すまん、恩に着る!」
「一宿一飯の恩って奴だ!」
俺に庇われたあの料理長の感謝の言葉にそう答える俺。矢を射た者をギロリと睨み付けると、慌てて中へ引っ込む射手
「その程度の気概なのに何で投降者を攻撃したりした⁈ そんな凶行に及んでおいて、今更しれっと投降者に混じる事も出来ないぞ!」
俺はそう一喝する、彼らは今取り返しのつかない人生最悪の選択をした。自ら退路を絶ってしまったのだ。
その後も転んだ人を起こしたり、老人や子供を補助したり。30分足らずの喧騒の後、一旦落ち着いたかの正門前。エンジャン家の旗は掲げられたままだ。
「こんなものかな。」と、ジンが突入指示を出そうかという頃になって、閉じようとしていた門から最後にパタパタと飛び出して来る者が2人? いや、3人? あれは確か…、第3と第5夫人だ。第3夫人は乳飲み子を抱えている。子供、居たんだ…。彼女等が本陣に辿り着くのを待って、ジンが号令、御殿への突入が開始される。
夫人達は俺やミントの顔を見て「どうか私達をお助け下さい!」とすがって来た。するともう単なる掃討戦と思ってか自身は突入に参加しなかったジンが、夫人達に話を聞こうとこちらにやって来る。
「どうした、何が有った、何であんた達だけ出て来たんだ? 他の夫人達は、エンジャンはどうした?」
俺が尋ねる。
「旦那様と、先輩方は…、地下へ。」
息を切らせながら答える第5夫人。
「地下? この屋敷、地下なんてねえだろ?」
と、ミント。俺達は1階全てを掃除して回ったのだ。地下への入り口なんて何処にも無かった。
「3階に有るエンジャン様の私室、そこから直接地下へ下りられる通路が有るんです。」
「エンジャン様がお前達だけは助けてやるからって、カーマ様と、バーマリオン様と、カレット様だけお連れになって、私達だけは駄目だって追い出されたんです。一番若い妻って事で、ここ最近は一番ご寵愛を受けてたと思ってたのに…。」
代わる代わるいきさつを話す夫人達、悔しそうに涙しながら。
「地下に何が有るというのだ、脱出用の隠し通路か⁈」
詰め寄るジン。
「いえ、何かを隠してある部屋が有るとか、"切り札"とか何とか…」
「隠し玉か⁈」
第3夫人の説明を聞いて、俺はそう思った。ジンはまさかという顔で御殿を凝視する。その時!
ボゴオオーーーンッ‼︎
轟音と共に御殿から突如炎が噴き出す。悲鳴や破壊音に続き、何かが空へと立ち昇って行く。
「な…、あれは⁈」
ジンを始め、この場にいる全ての者が戦慄する。炎が龍の姿を成して行く…それも3頭。
「ドラゴン…と言うより龍か、炎の龍!」
叫ぶ俺に対し、
「邪竜ヴリトラだ。この地方の伝承にはよく出て来る魔物だが、現存していたとは…。」
そう語って唸るジン。3頭の邪竜は手近な御殿周りを蹂躙し始める。御殿の中は阿鼻叫喚だ。突入して行ったジンの軍の者達が慌てて退却して来るが、中に残った者達は全滅だろう。と、外壁のおかしなところが開いたかと思うと、炎に巻かれながらまろび出て来る人影。エンジャンだ! 直ぐに取り囲まれ、炎は消されるが、もう手遅れなのは見て取れる。
「あれがお前が常々匂わせていた"切り札"か。」
ジンがエンジャンに近付いて詰問する。
「…そ…うだとも。」
弱々しく、しかし言ってやりたくて仕方ないという感じで答えるエンジャン。
「あんな化け物を、どうやって制御しているのだ⁈」
「制御? それが出来ればわたしはこんな有様では無い…さ。」
「なっ!…、何と、出したが最後敵も味方も無差別に破壊して回るだけだという事か⁈」
色めき立つジン。俺も呆れた、ただの死なば諸共の最後っ屁かよ。切り札でも何でも無い。そういうのは秘匿するんじゃ無くて有るよ有るよとしつこく喧伝して抑止力に使わなきゃ意味無いじゃん! それと…、
「3人の奥さん達はどうしたんだ⁈」
"3"という数字に不安を感じながら、俺もエンジャンに問い掛ける。
「ヴリトラはね、呼び出すのに犠牲が必要なんだよ。正規軍と戦う為に一頭…、ジン・レオン王のお相手に一頭…、そして…国を破壊するのに更に一頭で、3頭は欲しかったんでね…。」
「外道がっ!」
ちょっとキレているジン。俺も殴ってやりたい衝動に駆られるが、相手は既に死にかけだ。
「はは…はは、ヴリトラが破壊し尽くした国を…、どうぞよろしくお治め下さい、王よ、はは…は……」
事切れるエンジャン、顔は満足気だ。そして彼の期待通り、3頭の龍がエンジャン御殿の破壊を済ませ、こちらの本陣に向かって来る。
「邪竜は破壊衝動とかの負の感情が生物の体を成した魔物と言われているでクエ。生きた災害クエ。ドラゴンに準ずる強さですクワら、1頭で1軍団に匹敵しますクエ!」
さすがのネビルブも焦りの色を隠せない。
「全員迎え打つ用意だ! 相手は邪竜ヴリトラ、強敵だ。先頭の個体に総力で掛かれ、後ろのは私が引き受ける!」
だが、後続の2頭がそれぞれ別方向へと別れて行こうとしているのを見て、焦り出すジン。
「しまった!」
どちらへ向かうべきか逡巡するジンが、俺の方をチラ見。はいはい、分かりましたよ、片方引き受けようじゃないか!