シスコン兄貴の来襲
何ともやるせない気持ちになっての帰り道、そろそろエンジャンの屋敷が見えて来た頃、俺達の馬車がこっちへ走って来るのが見える。ん、お迎えのつもりか? て言ったってどう考えても1頭立ての馬車よりこっちの方が速い。何か有ったか? 少し訝しみながらも馬車と合流する俺達。中には普通にミントとシトラが乗っている。
「どうされましたクリム様、わざわざ俺達をお迎えにいらっしゃるなんて…。」
俺の問い掛けにミントは怪訝な顔をする。
「は? 何言って…おっしゃってますの、馬車で屋敷の外に出てそこで落ち合う手筈なんじゃありませんの?」
はて、何か話が行き違ってるのか? 等と思いながら馬車に乗り込む俺とガレン。すると馬車は何やら道を外れ林の入り口へ。そしてそこには既に待つ者がいた。
「クリムーっ!!」
「げっ」
それは、ジン・レオン、クリムの兄にして、ここダイダンの国王、その人であった。何とこのシスコン国王、妹の嫁ぎ先まで直接様子を見に来やがった、しかも輿入れしてから未だ2日目だぞ。
早速乗り込んで来ようとする国王を、御者の男が分かってましたという体で迎え入れている。こいつが夜な夜なジンと連絡を取り合っていたのには気付いていたが…。ていうか、やばい。
「あっ! な…何で貴様が此処に居る⁈」
俺を見るなり叫ぶジン。ははは…そりゃそうだ。こりゃ割と面倒くさい事になるかもな。
「貴様、また俺のクリムを攫う気か⁈ クリム、こっちへ!」
自分の後ろに庇うべく妹の腕を掴んで引き寄せようとするジン、そこではたと動きが止まる。
「ん、クリム…か?」
さすが実の兄、すぐ違和感に気付いたらしい。まあ、セレブな姫の腕とは違うだろう。変な筋肉の付き方もしているだろうし。
「違うっ、お前、クリムじゃ無い⁈」
「あらそんなー。ちょっと慣れない環境で疲れてるだけですー。クリムですよぉー。」
誤魔化そうとするミントだが、それ…違うと思うぞ。
「断じて違う。クリムはそんなクネクネしながら喋ったりするものか!」
完全にバレた。まあそれも当然か。シトラと御者、ガレンも状況に付いて行けないという顔だ。
「ち、しゃーねえな。実の兄を騙すのは無理だとは思ってたさ、いくらそっくりでもな。」
腹を括って素に戻るミント。シトラと御者が口あんぐりだ。
「クリムは…本物の妹は何処へやった⁈」
興奮状態のジンが声を荒げる。
「クリムなら首都の方で匿って貰ってるぜ。言っとくがあたいはクリム本人から頼まれて替玉をやってるんだ。どうしてもこの結婚がイヤだって言うんでな。」
「な…んと。」
少し冷や水を浴びせられた様になるジン。ミントが畳み掛ける。
「それよりもアンタとボニーが知り合いだったなんて聞いてないぜ。どういう関係なんだよ!」
「…何を言ってる。知ってるも何も、こいつはエボニアムじゃないか! 魔王軍時代の元私の同僚で、今は同じ四天王の1人だ。」
ジンがきっぱりとそう言い放つと、ミントはもちろん、クリムが替玉だった事にショックを受けたばかりのシトラや御者も改めて腰を浮かせて狼狽えており、その横でガレンも飛び出しそうな目玉で俺を凝視している。そのまま暫くの沈黙の後、
「いやいやいや…、コイツがエボニアム? 無い無い無い。噂に聞くエボニアム様と言やぁ一般人は恐ろしくて近付く事も出来ないとか、触っただけでも斬り殺されるとか、機嫌を損ねたら町ごと消し飛ばされるとか言われる様な、歩く災害かよってレベルの強烈な悪意の塊って話じゃねえか。」
「…ああ、概ね正しい。」
ミントの語る都市伝説みたいな俺の噂をあっさり肯定するジン。そんな認識なんだ…。
「だけどコイツは、何なら全く逆。側にいて不快感なんか無いし、ちょろいってくらいお人好しだし、弱…くは無いかも知れないけど乱暴にしてるのも見た事無いし…」
「確かに、俺の手下、1人も死ななかったんだよな…」
ガレンが横からボソッと口を出す。そう言えば最初にコイツが野盗共を引き連れて襲って来たのを返り討ちにしたけど、死なない程度に叩きのめすを心掛けたんだった。そんなミントの疑念、ガレンの援護射撃にも、しかしジンは納得しない。
「正直短い付き合いでは無かったが、親しいとは言えない間柄だった。と言うかこいつは魔王様以外誰とも歩み寄ろうとはしなかった。私とビオレッタが多少馬が合うくらいで、ガリーンは愛想は良いが全く信用出来なかったし、四天王は仲良しグループでは無かった。だがこいつとは共に前線で戦った戦友だ、見間違える事は無い!」
ジンはそう断言しながら、しかしこう続ける。
「外身は違和感無くエボニアムだ。だが…、今聞いたやる事なす事が違和感だらけだ。言うに事欠いてこいつが"お人好し"? 一体何がここまでこいつを変えた?」
「おいカラス!」
「クワ⁈」
いきなりミントに呼び掛けられたネビルブがパタパタと窓から入って来る。屋根の上で話は聞いていた事だろう。
「お前はあたいと会う前からコイツと一緒だ。何か知ってるんだろ⁈」
ミントに問い詰められ、思わず俺の顔色を伺うネビルブ。俺が頷いてみせると、ポツポツ話し出す。
「ボニー様は、エボニアム様で間違い無いでクエ。我々はエボニアム国のエボニアム砦からやって来たクエ。」
ざわつく一同。シトラと御者がジリジリ後ずさっている。
「で…、エボニアムが"お人好し"に成り果てたきっかけは何なんだ?」
更に詰め寄るジン。
「エボニアム国は人間の大陸から一番近い位置にあるクエ。それで度々人間達の軍の襲撃を受けるんですグワ、その都度エボニアム様自ら手勢を率いて返り討ちにしておりました。ところがある時"勇者パーティー"とか言う連中が数人だけで乗り込んで来たんでクエ。少人数にも関わらず沿岸警備の砦を1日で落としたそいつらに俄然やる気になったエボニアム様は単身これを迎え撃ったんですグワ、この時にどうやら一度勇者パーティーに倒されてしまった様なんですな、それも跡形も無く吹き飛ばされたと言うくらいの完全完璧な倒されっぷりだった様でクエ。まぁ、この方も、その直後に即行で再生、何事も無かったかの様に復活して、魔力も体力もすっからかんになった勇者パーティーに逆襲して撃退したという、こちらも大概化け物なんですグワね。」
「勇者パーティーの噂は聞いた事が有るな。エボニアムが1度は倒されるほどやばい奴らだったのだな。しかしその後噂を聞かなくなっところを見ると撃退したと言うのは確かなのだろう。」
ジンの憶測混じりの感想を挟み、ネビルブが続ける。
「ただこの戦いから帰った時、エボニアム様はほとんど全ての記憶を無くしてしまわれていたでクエ。頭まで吹き飛ばされた影響だとは思いますグワ、それ以来、随分と雰囲気が変わってしまわれたんでクエ。」
「なるほど、脳髄まで全て作り直しになったせいで、性格も全てがリセットされてしまったと言うことか。俄かには信じられんが理屈としては理解した。」
納得はしきれていない様だが、それ以上の追求はしてこないジン。とりあえず彼やクリムに悪意が有って此処で活動している訳では無いとは思ってくれた様だ。
「それで…、今はそのお人好しのエボニアムは我が妹の頼みを聞いてこの結婚話をぶち壊しに来ている…という事で合ってるか?」
「…そう言う事になる。逆に聞くがジン・レオン、お前はこんな結婚に本気で前向きなのか、それとも何か別の目的が有るのか? クリムが幸福になる未来は全く見えないんだがな。何だよ第六夫人って!」
「うむ。現実は聞いていた以上の酷さだったな、報告は受けている。」
俺の逆質問に答えるジンはもう落ち着いたものだ、それが少し癇に障る。
「言っとくが、予定通り嫁入りしてたらお前の妹、今回2度は死んでたんだぞ!」
「見通しが甘かった事は否定しない。特に初っぱなに護衛が職務放棄してさっさと逃げ出したのは予定外だった。今は全員を投獄してある。コラル・ギャングとの接触が直ぐその翌日だったというのもちょっと想定外だった。慌てて私自身がすっ飛んて来た訳だ。」
「…コラル・ギャングとの接触自体は予定の内だったってのか?」
俺が更に問う。すると多少言い淀む様子を見せた後、突然俺の心に直接ジンの言葉が聴こえて来た。
(…そうだ。それこそがクリムをここへ嫁に出した一番の理由だとも言える。あそこには…、クリムを産んだ母親が居る筈なのだ。)
どうやら魔法でテレパシーみたいなものを送って来ているらしい。そしてそれを聞いた瞬間、俺の中に有った幾つかの疑問や違和感が1つに繋がっていった。副村長だ! そう確信したのだ。あまりにも似ているミントとクリムを見ているので確信が持てないでいたが、副村長はクリムと似ている。雰囲気は違うが、目端、口元、その端々に面影が有ったのだ。署名を貰った時の副村長の微妙な表情の理由も今なら説明がつく気がする。
(クリムの母親、カナリーはその優れた魔法適性を見出されてザキラムへ留学、帰国後魔法技術の技官として登用された人だった。人間の若い女性だったが腕は確かだったと聞く。だがやがて私の父親、先代のイエレン王と許されぬ関係になってしまった。そしてクリムが生まれたって訳だ。)
何かとんでもない話がジンの口から次々に飛び出す。周囲の者達は怪訝そうな表情なので今は俺にしか話していないのだろう。それにしても、聞いちゃって良いのかなこれ?
(私の母がそりゃあ荒れてな、カナリーさんにはずいぶんと辛く当たっていた記憶がある。そして最後にはクリムを彼女から取り上げて、国外へ追い出してしまったのだ。母親と引き離されて毎日泣き暮らす幼い妹が可哀想に思えて、私が結構彼女を可愛がるようになったのだが、母にはそれも大いに気に入らない様だった。だがそれも父がマゼンティアとの戦いで戦死したことにより状況が変わった。魔王様の後ろ盾も有って、私の発言権が国内で一気に大きくなったのだ。早々に母には表舞台から引退の上別邸に御隠居願った。それでも私生児で人間とのハーフと言う生まれながらのハンデを持った妹を迫害する空気は、母の隠居後も、病気で崩御された後でさえ根強く残った。それを私は精一杯フォローしたつもりだ。)
ジンのテレパシーは続く。
(一方自分の娘と立場と居場所を奪われたクリムの母カナリーはその後行方が分からなくなっていたが、最近マゼンティアの人間街で強力な魔法を使う女性がリーダーの1人として台頭して来たという噂が有り、もしやとは思っていたが、昨日お前らが視察に行った顛末の報告と、そこで受け取った署名が"カナリー"となっていたと聞いて確信した。)
つまりあの時は、副村長、カナリーさん?にとって、引き離された娘との十何年ぶりかの再会だった訳だ。どんな気持ちだったんだろう、ひょっとしたら替玉である事にも気付いていたのかも…。
「お前らさっきからコソコソ何やってんだよ!」
しびれを切らしたミントがキレて叫ぶ。おいおい、一国の王様捕まえて"お前ら"呼ばわりって…。
「ああ、すまない、考え事をしていたんだ。なぜクリムを嫁に出したかだったかな。」
「ああ…。まあいいや。そうだぜ! 何だよこのクソみたいな縁談はよ! あのエンジャンって野郎も、その奧さん共も、ろくでもねえクソ貴族共じゃねえかよ! まるっきり自分等の事しか考えちゃいねえ、住民が悲惨過ぎるぜ。あんな奴の元で幸福になれるものなんていやしない。ぶっ潰しちまえよ。こんな領!」
半ギレのミントの言葉にちょっと引いた感じのジン。
「まあそうなんだが…、頼むからその顔であまり汚い言葉を吐くのは遠慮して欲しいんだがな…。話を戻すが、クリムを嫁に出したのは武力によるマゼンティア併合を躊躇する穏健派の貴族達を説得する材料作りの為でもあるのだ。王の妹を嫁に出す程の歩み寄りをしたにも関わらず、その妹に危害を加えるような暴挙が為されるのなら、遠慮なく攻め滅ぼしてしまえと言う論調が巻き起こるのを狙っての事だ。そこに関しては、もう充分なネタが揃ったと思っている。」
「そうか。こういう流れになるのが分かっていたから、不運にも到着出来なかったんだから仕方ないだろうという事にしたくて、俺達に輿入れ馬車を襲わせるように仕向けたって訳か、俺達ゃそんな事に利用されたのか。」
ジンの説明の合間にガレンが苦々し気に呟くのが聞こえた。
「実はそれ以外にも調査しておきたい事は有った。エンジャン…というかこのマゼンティアには何か脅威となるものが秘匿されているという言い伝えの様なものが有った。その真偽を確かめる事は出来ていないが、それらしき気配も無い、多分はったりだったのだろう。とにかく方針は決まった。私の妹を護衛も付けずにギャング集団の元に送り込んだ時点でこちらの誠意は無にされたと言える。統治自体も到底国を発展させるものでは無いし、住民や周辺の地方領主の支持を受けている様子も無い。エンジャン卿は更迭、マゼンティアは併合する!」
宣言するジンに対し、俺は言う。
「いっそコラルギャングと手を組んでしまったらどうだ?」
「いやそれは出来ない。」
カナリーさんの件も有って持ちかけた俺の提案は壁に跳ね返る様な勢いで即却下された。
「にべも無いな…。」
「これは政治の根幹に関わる問題だ、責任有る我等魔族で片付ける必要が有る。人族に介入させるのは国是に反する。魔王様の方針とも相容れない。」
そうなのだ、これがこの魔大陸の考え方なのだ。人族と魔族は平等では無い。それが常識であり、疑問を持つ者すらほとんどいないのが現実なのだ。魔王の支配する魔の大陸、そんな中にあっても人々が一定の幸福を得て生活出来ている…、そんな状態を、おぼろげではあるが理想として考えていた。だがそれにはこの人族に対する考え方がとにかく相容れない。魔王その人の考えの様だが、それを何とかする事など出来るのだろうか。どういう人なんだ、魔王って…。
「お前達はどうする? なんならもうこのままミカロンに引き上げてしまっても構わんぞ。」
ジンが提案して来る。
「…一応、顛末を見届けたいんでもう少し残るよ。」
やや思案した後そう答えるミント。危険は有るだろうが、元諜報部員の血が騒いだのかも知れない。俺も心残りが結構有るので同意見だ。
「そうか、好きにするといい。私は事態を動かす。」
そう言い残すと、馬車を出て木々の中へと消えて行くジン。クリムでないと分かったらあっさりしたもんだ。
ジンが消えた林の中から唐突に飛竜が飛び出して行く、そしてその背にはジン。舞い上がると同時にフッと空中に姿を消す。
「ちぇ、隠密行動用のいい魔道具を使ってやがるな、羨ましい。」
「うん、ありゃいいな。」
「お前は何に使う気だよ。まさかこっそり女風呂にでも…とと、いけねえ。あんた、エボニアム様だったんだよな。知らなかったんだ。今後は口のきき方に少し気を付けるよ…。」
「少しかよ! …今まで通りでいいよ、お行儀のいいお前なんて気持ち悪いや。呼び方もボニーでいい。」
軽口混じりにそんな事をミントに要求する俺。実際本気でそうして欲しいと願っていたりする。
「気持ち悪いって何だよ! てか今まで通りの突っ込みが欲しいってか? ドMかよ!」
うん、そうそう、その調子。何だか心底嬉しいな。周りの連中はドン引きしてるけど…。