コラル・ギャングとの邂逅
食事の後は、各夫人共公務に当たるということだ。内勤の事務仕事の無い時は視察や挨拶回りに出るのだという。そしてミントには2件の視察が割り振られた。
1件目は、"コラル村"の視察だ。俺達は自分等が乗って来た馬車に乗り込み現地へ出掛ける。輿入れの時の飾り付けを外せばやや上等な普通の馬車だ。メンバーもほぼ同じ、ミントと俺と、お付きのシトラ。馬車と共に最初から居る御者と、案内として、元この地方の野盗の頭で今は俺の弟分、ガレンだ。ただカラス型魔法生物のネビルブだけは他の夫人達の様子を出来るだけ探る様に指示したので別行動だ。「アタシ最近突っ込み役をミントに取られて影が薄いでクエね…。」と、別行動続きにちょっと不満気なネビルブであった。
実は御者と共に馬車の準備をしてくれていたガレンに行き先をコラル村と告げたところ、あからさまに眉根をひそめられてしまった。
「コラル村? 女1人で碌な共も連れずにあそこの視察に行けってか? その指示、殺る気マンマンじゃねえですかい。」
そうなの? まあ、意外では無いけど。
「そんな危険な場所なのかい、コラル村ってのは。」
「あそこはねえ、スラム街の中のスラム街、暗黒街でさあ。アンタッチャブルってやつで、あそこに手を出すんなら軍隊を連れて行けって言われてる場所ですぜ。とてもじゃないが若奥さんが1人で視察とか、"死んで来い"と命じられた様なもんでやすぜ。」
そう断ずるガレン、こりゃ嫌がらせにしても度が過ぎている、そんな印象を持たずにはおれなかった。
ガレンの言う通り、目的地に近付けば近付く程街中でまだ綺麗な辺りからはどんどん外れていき、貧民街へと入り、更に治安の悪そうな界隈に侵入して行く事になる。ちょっと立派な俺達の馬車はどう見ても浮いている、ていうか、四方八方からギラギラとした視線を感じる。ガレンは敢えて変装を解き、御者の隣で左右を睨み付けながら警戒している。
「なるほど。この辺りじゃガレンの正体を誇示した方がかえって安全って事か。」
「いや、一歩街を出れば結構俺の顔も効くだろうとは思いますがね、この街中の暗黒街を牛耳るギャング共は系統が別でして、正直気休めにもなるかどうか…。」
そう言いながらガレンはずっと警戒を崩さない。
「此処はもうコラルギャングの縄張りですぜ。」
そう言われ窓の外を見ると、既に弓矢が幾つかこっちに狙いを付けている。そして武器を構えた数人の人相の良く無い男達が前に立ち塞がっているのが見える。馬車を停める様指示するガレン。
「や〜あ、そこに居るのはマホガンの団長のガレンさんかい?、随分似合わない馬車にお乗りの様だが、今日はこんな貧しい村なんかにどんなご用で?」
馬車の前に立ち塞がっていた男達の1人、やや年かさに見える背の低い腹の出た男がそう呼び掛けながら近寄って来る。ニコニコとしてはいるが、目は全く笑っていないし、右手はポケットに忍ばせたままだ。
「よう、今の俺はこのマゼンティア領の領主であるエンジャン様の子飼いの子飼いでね。今日はこの度新たにエンジャン様の第六夫人となられたクリム様がこの村の視察にいらしたのだ。俺は付き添いさ。」
「ほう、視察、第六夫人? あなたがその付き添い? 何処からが冗談で何処までがギャグですかな?」
まだ笑ってはいるが明らかに警戒は強めたその男。何一つ信用出来ませんってか。まあ、確かにそもそもおかしい話なんだが。
「残念ながら全て大マジでね。悪いが村長か、その代理の方でもいいんで、会える席を設けちゃくれねえか。ちょっと話して、一筆サインでも貰えれば、とっとと帰るからよ。」
何とか落とし所を探るガレン。だが男の態度が軟化することは無かった。
「我々に自ら中央の使者と交渉の場を設けろと? 支配階級と繋ぎを取れと? 最後には訳の分からん文書に村長自ら署名しろと?」
「ちょちょ…、そう悪く取るなって。挨拶さ、ただの形式的なな。」
「その形式こそが罠でしょうに! こんな如何にも襲って下さいってな馬車で、碌な共も連れずに、来たのは若妻1人? そんなもの、最初から繋ぎが取れればラッキー程度の捨て駒でしょう。だとしても我々にはエンジャンと繋がる事に何のメリットも有りませんし、此処まで来てしまった使節を黙って返す訳にももう行かんのです。」
そこまで言い終わって、さすがに男からは笑みが消えている。
「な…何でもかんでも突っぱねず、今後も話し合って歩み寄ればいいじゃねえか。」
「歩み寄る? 有り得ませんね。あんた方魔族は、我々人間を同じ人だとさえ思っていないでしょう。そちらがこちらに歩み寄る気が無いのは百も承知ですよ!」
男のその言葉を聞いて気付いた。いまこの馬車を取り囲んでいる連中は全て人族。人間か、エルフか、ドワーフだけの様だ。腹の出たその男はよく見れば髭を剃ったドワーフだ。コラル村は即ち人族の村なのだろう。つまりこれは政府と市民の問題というより魔族と被差別民族である人族の対立の構図なのだ。
「今日は本当にご挨拶に来たんですー。村長さんにお会いしてよろしくって言いたいだけなんですー。急に押しかけたのは許して下さーい。…そのぅ…、わたしもビミョーな立場なんですー。」
そう言いながら馬車から降りて姿を見せるミント。俺も慌てて後ろに付き従う。何か攻撃が来たら即対応出来る様に…。
「な…、あんた、人間とのハーフなのか⁈」
ドワーフの男がミントを見て、驚き、呆れ、思案にくれ出す。だが場に蔓延していた敵意が明らかに薄まった様にも感じた。
「やはり、情報通りだったのか。」
突然後方から声を上げる者が有る。やはり人間の、それなりに高齢だろう男である。魔法使い風のやはり高齢そうな女性を連れている。
「村長! 副村長まで。なぜそんな簡単に矢面に出て来ちまいますかね?」
困った様な顔を作って抗議するドワーフだが…、
「やかましい! お前の勇み足を止めに来ざるを得なくなったからだろうがっ!」
"村長"と呼ばれた人間の男がドスの効いた声で一喝する。そこまで強そうにも見えないが、何か本能的に目上の人から怒られたという気持ちになって縮み上がる俺。ドワーフの男は慣れているのか平静な顔だが、それ以上の反論もしなかった、そして2人で話し始める。
「その第六夫人な、ただの奥さんじゃねえ。ジン・レオン王の妹なのだ。」
「な…」
「情報ではジン王の妹は王から溺愛されてはいるんだが、人間とのハーフなのだと聞いた。王の妹が"人混じり"ってのも俄かには信じられなかったが、今こうして自分の目で情報通りのハーフの嫁さんを見ちまっちゃあ信じざるを得ないわな。」
そう重々しく語る村長は、笑うところなんて想像も出来ない強面で、顔面の大きな2本の傷跡が更に凄みを増している。
「…て、事は、この嫁さんに危害なんぞ加えたら…」
「ジン・レオンが出て来る。エンジャンなんぞ怖くは無いが、さすがにダイダン正規軍が出て来たらタダでは済まん。」
「うひっ、危ねえ危ねえ…。」
密談する村長とドワーフ。と言っても丸聞こえだ。
「まあ、あんたを害する訳に行かんのは間違い無いが、歓迎も出来んぞ。サインぐらいはしてやる、そうしたらとっとと帰ってくれ。」
村長の言葉を受け、ミントが答える。
「そうしていただけると有り難いですー。兄はわたしが大好きなんでー。わたしに何か有ったらこんな村すぐに滅ぼしちゃうかもですー。」
「ば…!」
何言ってんだこいつはー! 折角話がまとまりかけたのに、何挑発してやがる! 一瞬でピリ付くその場の空気。ほら見ろ、周りの連中が明らかに殺気立ってるじゃん。
「お前一言多いよ。折角いい感じに終わるとこだったのに。」
耳打ちでそう抗議する俺だったが…、
「お前こそ、目的忘れてんじゃねえのか? いい感じに終わってどうすんだよ。」
と、ミントの返答。…そうか、俺たちゃクリムの結婚話をぶっ壊す為に波風を立てに来たんだった。その為に適度に角を立てとこうって魂胆か。…しかし命知らずだなコイツは。周りの連中武器を構え直してるぞ。
村長もこれ以降は一言も発する事無くシトラがおずおずと差し出した紙片に署名を殴り書くと、それを隣の副村長(?)の女性に渡してとっとと帰って行ってしまう。うへぇ、怒ってるぞあれ。渡された女性、推定副村長は、自らも紙片に署名すると、それをミントに手渡して来る。
「さあ、これで満足だろ。とっととこれ持って帰んな。」
ミントが紙片を受け取るとすぐ、やや強めにそう言い放つ副村長。黒いローブを纏った魔法使い然とした女性、険しい顔でミントの顔を凝視している。最初高齢の女性と思ったが、深く刻まれた顔の皺と出立ちがそう見せているだけで、実は元の俺の母親と同年代ぐらいなのかも知れない。だが俺はその点を除いても幾つかの違和感を彼女に感じていた。この女性、殺気が無いのだ。まあ剣豪でも達人でも無いパンピーな俺が"殺気"なんてそもそも感じ取れるのかと言われれば自信は無い、上手く隠されているだけかも。ただ、この女性がミントに対して敵意が無い様に見えるのにはもう一つの違和感が関係していて…。
「こっちの気が変わらん内にとっとと帰りやがれ!」
血気にはやった若い戦士が弓矢でこっちを狙いながら叫ぶ。
「おいおい早まるなよ。ジンが来るぞジンが。」
ガレンがヘラ付きながら言う。馬鹿、何調子に乗ってんだよ!
「…何も、ジンの妹だけ生かして帰せばいいんだろ? お付きの連中なんざ殺して構わねえよな。」
「そうだな。ちったあ痛い目見て貰おうじゃねえか。」
取り囲み連中が聞こえよがしにそんな事を話している。
「お…おい、じょ…」
ガレンが焦り出すのと同時に矢が2本程飛んで来る。1本は俺、1本はガレンに向かって。慌てて避けるガレン、俺は避けもせず胸板で弾き返す。すると堰を切った様に飛んで来る矢、手裏剣、投げナイフ。俺は大きく翼を展開し、3人を後ろに庇い、そして矢もナイフも全て弾き返す。慌てて馬車に乗り込んだミントとシトラ、そしてガレン。それを確認して一気に馬車をスタートさせる御者。俺だけがその場に留まり追っ手の行く道を塞ぐ。そこへ数人の者が剣を構えて向かって来る。
「お止めっ‼︎」
そう叫んだのは副村長。途端に向かって来た男達の足元が盛り上がったり引っ込んだり、バタバタひっくり返る男達。更に攻撃に加わろうとしていた者達にも石つぶてがぺちぺちとぶち当たる。
「おわわっ…」
「わわ…分かった姐さん!」
どうやら副村長の、恐らく土系の魔法が炸裂した様だ。その発動スピードといいコントロールの的確さといい中々の腕前なのだろうと想像出来た。あの血気にはやった男共が一発で大人しくなった。それを確認した俺は、回れ右して馬車の方へと飛び去って行く。
正直色々と気になる点は残ったが、今日出来る事はもう無いだろう…。