じゃあな
数日後、俺達は又あの馬車の中にいた。乗っているのは俺とミント、それにクリム。御者は今はガレンが務めており、周囲には、ガレンの元手下たちが騎馬で護衛に付いている。ちなみに彼等はこのクリムとミントの旅の護衛を初任務として、このままダイダン軍の独立特務部隊としての正式採用が決まっている、というか俺がジンにゴリ押しした。この事で俺に感謝感激したガレンは「一生付いて行きます!」とか言っていたがどうなんだろう。
俺の提案に以外にもノリノリだったのがクリム。農作業なんてしたことも無いだろうに大丈夫か? と心配になったが、突然出来た妹と一緒に過ごす新生活が楽しみで仕方が無いらしい。そのべったりぶりに戸惑いながらもまんざらでも無い様子のミントは「農作業かよ、たりいなぁ。」等と文句は言っているが、嫌ではなさそうだ。
ジンは猛反対した。大事な妹を他国、しかも無法地帯とまで言われるエボニアム国の、それも民間の農園で働かせるなど、過保護な彼には考えられない事だった様だ。だが本人の強い希望と周囲の者の"厄介払い"に賛同する空気に屈し、文字通り泣く泣く許したそうだ。クリムも今まで良くしてくれていた兄、ジン・レオンの元を離れるのは少なからず寂しかった様だが、兄の前に国王であるジンは最後には妹より国を取る、と言うことに気付いてしまい、おかげで兄離れが出来たとクリムが馬車の中で語っていた。
ダイダンとエボニアム国を繋ぐ街道は行き来が盛んとは言えず、どちらかと言えば物騒だ。道は悪くスピードも出せないので、魔物との遭遇率もかなり高い。だが、この数の護衛と俺がいれば特に脅威ではない。
そんな旅を更に数日間続け、持って来た保存食がそろそろ心許無くなって来た頃、我々はエボニアム国に到着する。
懐かしい…とまでは言えない我が母国、エボニアム国。他の国は高い外壁が街を囲っているのが普通だが、我が国にはそんなものは無く、町の一番外周にゴブリン・コボルト等の小鬼族の棲むエリアが有り、これが外敵の侵入を防ぐ役割を果たしている、まあ、肉の壁だ。
その内側が人間、エルフ、ドワーフ等人族の居住地が有り、国の生産部門を一手に担っている。
そして一番内側が魔族や大鬼族等の貴族の居留地。これが王城であるエボニアム砦を中央に置き、砦の正門を中心に広がっている。
ただ、以前とは少し違う景色がそこには有った。人族の居住地と小鬼族の居住地の間に一応の囲いが設置され、砦の兵士が定期的に巡回しているのだ。以前なら人族は常に貴族達の搾取を受け、小鬼供の略奪に晒され、やっとの事で生活を成り立たせているというのが現実だった。
だが今は、農場は明らかに立派になっているし、作物の実りも良い。家々もグレードアップしている様に見える。俺の代理で国家の運営を取り仕切っているジャコール副将軍の方針の賜物だろう。
俺は確信した。人族が最も幸福に暮らせる土地、それは、かつては知らないが、今は間違いなくこのエボニアム国なのだ。ザキラムにも幸福そうな人族はいたが、あそこはあくまで実力主義。魔力適性の無い大半の人族の暮らしは保護されているとは言い難いそうだ。
俺が顔を出すと、もちろん巡回の兵士は一も二も無く通してくれる。何ならそのまま砦の方に報告に走る者も。面倒臭い話になる前にとっとと用を済ませてしまおうと心に決める。
やって来たのは人族の居留地の中でもやや森林地帯の方。整然と並んだ青々とした木に、黄色の実が鈴なりになっている。そう、ババナン農園。そこで働く農夫達も割と知った顔だ。そして見付けた、農場主のブラン嬢だ。
「エボニアム様!」
俺に気付き、ババナンの木に掛けた梯子を駆け降りてやって来るブラン。実の所、彼女は俺に対しわだかまりを持っていてもおかしく無い事が有るのだが、そこは大人の対応をしてくれているので有難い。俺は早速本題を切り出す。まずはミントとクリムを紹介、そして2人をここで雇って貰いたい旨を伝えると、2人に向き直るブラン。
「お2人共、魔族とのハーフでいらっしゃるのかしら?」
質問され、身構えるミント達。
「そう…だけど、駄目か?」
「いいえ大歓迎よ! 実際手は足りてないの。中々人が集まらなくて、私の人徳の無さ故かしら…。」
そう言いながら頭に巻いた作業帽を外すブラン。中途半端に長い耳が現れる。
「あっ」
「うふふ、私もね、ハーフなの。ハーフエルフ。あなた達がして来たであろう苦労は想像がつくわ。」
そう言って2人に歩み寄り、その手を取るブラン。
「2人共よろしくね、但し、仕事はキツイわよ。こんなキレイな手で務まるかしら?」
「だ…大丈夫です!」
と、強がってみせるクリム。
「あ、あとこいつもな。力仕事でも護衛でも、好きに使ってやってくれ。何なら馬車も付けるぞ。」
と、俺はガレンを指し示す。
「な、ちょ、兄貴、オレはアンタと一緒に行きますぜ!」
泣きそうな顔で抗議するガレン。
「言ったろ、俺が兄貴分ならその上司のミントが大姐御だ。大姐御のサポートをするのは当然だろ?」
「そりゃそうでしょうが…、だったら何で兄貴は大姐御と一緒にいないんですかい!」
「俺は大姐御の手下は廃業だ。他にする事が出来ちまったんだ。…と言う訳で、コイツの事も頼むな、ブラン。」
「…いいですけど…、この人達堅気の方ですよね?」
ブランの疑問を笑って誤魔化し、未だすがり付くガレンを振り切り、空へと飛び上がる。
「せめて、ジャコール様には会って行って下さいねー!」
そんなブランの声が最後に聞こえる。う〜ん、さすがにスルーって訳には行かないか。
副将軍の執務室にいきなり窓から飛び込みジャコールを呆れさせた俺。連絡無しの長期の不在を咎められはしたが、恐らく実質的にあまり困ってもいないだろう、ここに俺の役割は無い。ただ…。
「なあジャコール、俺がもし、偽のエボニアムだとしたらどうする?」
唐突な俺の質問にやや戸惑うジャコールだが…。
「人が変わった様だと皆も言ってますが、偽物なのですか?」
割と落ち着いてそう聞き返して来る。
「そうだとも、違うとも言える、そこは俺にも説明のしようが無い、としか言えない。ただここへ来て、本物のエボニアムを名乗る者が現れたのだ。」
「それは…、初めて聞く話です。その者は"本物"では無いのですよね。」
その言葉のニュアンスから、ジャコールが"人が変わった"後の俺の方を本物と思いたがっているのだと思えた。卑怯な気もしたが、乗っからせて貰う事にする。
「ある意味本物だ。見てくれは似ても似つかないが、ものの考え方が"変わる前"の俺とそっくりなのだ。だからお前の政策とは多分相容れない。」
「…そう…でしょうね。以前の貴方だったら、私のやり方はぬる過ぎて不快ですら有るかも。実際総務大臣時代に私のビジョンを伝えた際には舌打ちで返されました。」
「だが奴の方は魔王の信用を得てしまっている。何かここにもちょっかいが及ぶかも知れない。警戒してくれ。」
「ま…魔王様が…ですか?」
さすがにジャコールの顔に緊張が走る。
「人族は搾取の対象、家畜と同然であって、保護や優遇など一切必要無い、それが魔王自身の考え方の様だ。あっちのエボニアムはその代行者なのだ。」
「しかし…魔王様と事を構える訳にも…、どうするべきでしょうか?」
余り物事に迷うイメージの無いジャコールが珍しく助言を求めて来る。
「俺はこれから魔王様に直接交渉をしてみたいと思っている。お前はとにかくこのやり方が国の発展にとって賢いやり方なんだという事を実績で証明してやって欲しい。見る限りその芽は出かけている様に見える。それ迄は…、のらりくらりだ。」
「のらりくらり…ですか?」
「そう。はっきりと返事せず、具体的な約束をせず、相手の言う事を肯定も否定もせず。芽が大きくなって花を咲かせるのを待つ、それまで引き延ばすんだ。合言葉は"前向きに善処します"だ。」
「なる…ほど。」
納得したのかしてないのか微妙な反応のジャコール。まあ苦手だったんだろうな、そういうの。でも政治家なら必要なスキルだと思うぞ。
やはり窓からこっそり砦を出た俺。セキュリティ面はちょっと心配だなうちの国。最後にババナン農園の上空を飛んで見る。
夕暮れ時でもう外で作業している者は居なかったが、宿舎の側に停めてあった俺達の乗って来た馬車の後ろに腰掛けた人影が一つ。と、俺にすぐ気づいた様で指先で手招きして来る。あれは絶対文句を言いたい顔だな…と思って気付かぬ振りをしようかとも思ったが、まあこれでもう会えないかもとも思ったのでその側に静かに舞い降りる。
「よ、何だ、仲間入りに失敗したかミント?」
「そんなんじゃねえよ。皆んな良くしてくれる。今晩は3人の歓迎会を開いてくれるらしいしな。」
「そうか、なら良かった。お前、潜入任務なんかもこなして来ただろうに、相手のコミュニティに溶け込むスキル低いもんな。」
「なぁっ⁈ エンジャンのとこでの話か? あんときゃそもそも溶け込もうとなんてして無かったんだ!」
心外そうなミント。俺がそう思ったのはもっと前の話だけどな。
「ちょっとこの辺りの景色を眺めてただけさ。それよりお前ってこの国の王様なんだろ、なのに何で他所の国でフラフラしてるんだ? ずっと此処に居て威張ってりゃいいじゃん。で、たまに此処に顔出したりよ…。」
「…ははは、そう言うの、合わないんだ。」
そう答える俺。更に言えば俺はこの国に懐かしさや愛着を感じる程長く居た訳でも無い。此処は俺の故郷では無いのだ。
「で、やっぱりまた行っちまうってのか?」
「そのつもりだ。今回は明確に用が出来たんでね。何だ、寂しいとか思ってくれてるのか?」
「ばっかがっ、そんな訳ねえだろ! ただ、お前と一緒に旅を続けるのもいいかな…とも、ちょっと、ほんの少ーし思っただけさ。」
「俺が次に行く所では多分楽しい事にはならない。それにお前にはもうクリムがいるだろ。」
「…ち、そうだな。あたしにゃもう姉さんがいる! いいさ、お前なんてとっとと何処へでも行っちまいな。せいせいすらあっ!」
そう言ったきり俺に背を向けてしまうミント。
「何だい、そんなに嫌わなくてもいいだろ、結構付き合いも長いってのに。少し寂しいと思ったの、俺だけか…。分かった、行くよ。じゃあな。」
そうミントの背中に向けていうと、サッと空へ舞い上がる俺。
「ボニーのバッカヤロオーーっ‼︎」
今度はそんな俺の背中に向かってミントの怒鳴り声。うひゃ、こりゃ本格的に嫌われてるかな。チラッと振り返って見た時にはもうミントはまたこちらに背中を向けていた。声に驚いたクリムやガレンなんかが宿舎から出て来る、その後はクリムがミントをなだめている様に見える。姉妹仲良くな、元気でな! その後は俺はもう振り返りはしなかった。
ふと、思い出した様に隣を飛んでいるネビルブに聞いてみたくなった。
「お前は、どう思ってるんだ、ネビルブ?」
「クワ?」
「お前が付き従っているこの俺は、実はエボニアムのニセモノかも知れないんだ。それがこれから魔王様に逆らって、本物のエボニアムと決着を付けようとか考えて向かってるんだぞ。」
「…アタシのお仕えしている相手は最初からボニー様でクエよ。本物とか偽物とか割とどうでもいいでクエ。ボニー様が魔王と相対すると言うなら付いて行くまでクエ。」
「…そうか。」
むしろあっさりした感じでそう答えるネビルブ。なにやら鼻の頭が熱くなる。
この大陸の何処からでも見えた大きな山、そろそろ夜の闇に呑まれそうな黒い山、ミドナ火山。それが俺が次に目指す場所、魔王領の目印だ。
ーーーー第八話 終了ーーーー