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第6章


 ざあっと吹き抜ける冷たい風が、闇に沈む通路を切り裂くように流れていく。

 息をするたびに湿った土と古い鉄の臭いが鼻をつき、指先には汗がにじむ。放課後ダンジョンに潜るのはもう何度目か――それでも、この不気味さには慣れきれない。

 それでも俺は歩みを止めない。並んで進むリシア先生の横顔を見ると、彼女もまた必死に平静を保とうとしているのが伝わる。

 昨日までの調査でわかった“二重構造”というキーワード。学園の地下には、まだ隠された空間があるはずだ。そこに、暴走しかけた魔導核の核心が眠っている――そして、消えた先生の兄さんの手がかりすらも。


「先生、もし奥に理事長や生徒会のメンバーがいても、突っ込むしかないですよね?」

 俺がそう尋ねると、先生は緊張にふるえる声で返事をする。

「そうね。彼らが何を企んでいようと、魔導核の暴走だけは止めなきゃいけない。学園がまるごと異世界に呑まれたら、それこそもう……」


 言葉を詰まらせる先生の目に、わずかに宿る不安。

 それも当然だ。先日の崩落寸前の大混乱で、理事長・神崎徹は姿を消し、生徒会長・藤堂司も行方不明のまま。何が起きてもおかしくない状況にある。

 そして、俺たちが向かっているこの通路こそが、より危険な“裏”のダンジョンへ繋がる道らしい。


 階段をさらに降りるたび、空気の密度が増していくのを感じる。肌にまとわりつく異世界の気配。

 ライトで照らす先には、古い石柱が並ぶホールのような広間が見えてきた。

 いや、ここは以前に見た研究施設跡とも違う。まるで自然洞窟と人工物が入り混じり、歪んだ光がゆらめく奇妙な空間だ。


「……やっぱり、二重構造ってこういうことだったんでしょうか」

 まるで別の次元に入り込んだように、足元にうっすらと漂う霧。薄青い紋様が壁を這うように広がっている。

 先生は一歩、俺のそばに寄ってくる。

「今までは、学園の管理されたダンジョンの“裏”としか思わなかったけど……ここは完全に違う空間に繋がっている感じがするわ」


 互いに周囲を警戒して進んでいると、遠くからかすかな叫び声――いや、咆哮に近い音が響いた気がした。

 地面がどん、と低く震える。

「先生、何か近づいてきます……」

「わかってる。でも逃げ場がなさそうよ」


 不意に壁が揺らぎ、一角がぱっくりと裂けるように開き、そこから巨大な獣のようなシルエットが飛び出してくる。

 毛むくじゃらの脚と鋭い爪、蛇のような尻尾がうねり、胴体には無数の目がぎょろぎょろと蠢いている――見るからに異界の化け物だ。

 昼の授業ダンジョンでは絶対にお目にかかれない化物が、唸り声を上げながらこちらを威圧するように睨んでいる。


「くそっ、こんなのがうろついてるのか……」

 俺は武器代わりの魔力を両手に集中させるが、視界の端で先生が剣を構えて立ち塞がる。

「私が前衛を受け持つ。あなたは隙を見て弱点を狙って」

「了解っす。先生、あんまり無理しないでくださいよ」


 返事と同時に、獣のような何かが咆哮を上げて突っ込んでくる。

 その速さと圧迫感に、一瞬息が詰まる。地面を引き裂きそうな爪が俺たちめがけて振り下ろされる――

 しかし、先生が素早く回避しつつ斬撃魔法を浴びせかける。僅かに皮膚が焼け焦げるような煙が上がり、化け物が痛みによろめく。


「今がチャンス!」

 俺はその隙を逃さず、全力の一撃を叩き込む。

 魔力を固めた拳をあえて横っ腹に叩きつけ、内側から震動をぶつけるイメージ。

 獣の体が大きく揺らぎ、数メートルほど吹き飛ばされる。


「はあ、はあ……意外と効きましたね」

「あと少し……」


 そう呟いた先生が駆け寄り、ダメ押しの剣を振り下ろす。

 斬撃と衝撃が重なった一撃で、獣の身体は瓦礫の上に崩れ落ちる。かすかな唸り声を残して、やがて動かなくなった。

 薄暗い洞窟に戻る静寂。自分の鼓動がやけに騒がしい。


「先生、怪我は?」

「大丈夫よ。あなたこそ平気?」

「まあ、ちょっとヒヤッとしましたけど、なんとかなりました」


 軽く安堵しながら獣の残骸を避けて通り過ぎる。

 血と硫黄のような嫌な匂いが鼻にまとわりつき、気持ち悪くなりそうだ。

 それでも、この先へ進まなければならない。先生と一緒に、真実を暴くために。



 それからしばらく、血生臭い獣や昆虫型のモンスターを相手にしながら洞窟を奥へ奥へと進む。

 時折、通路の壁に貼りついた魔法陣や、朽ちた書物の切れ端などを見かけるが、じっくり調べる余裕はない。

 空間がまるで生き物のように脈打ち、通路の形状が絶えず変化していく。これは放課後ダンジョンと呼ぶにはあまりに異質だ。


 やがて、広い空洞の中央にぽっかりと空いた穴が見えてきた。

 そこから白く濁った光が差し込んでいる。まるで地下深くに“空”があるような、不思議な景色。

 そして、その穴の縁には、見覚えのある“紋章”が刻まれた石碑が立っている。


「これ……御神楽教授の実験施設で見た紋章と同じ」

 先生の声が震える。かつて消えた天才教授が“異世界の理”を証明するために使ったという魔法陣。

 教授はもういない。だが、その残留意識や研究成果が、この最深部に息づいているのかもしれない。


 光の満ちる穴を覗き込むと、下のほうには渦巻くような魔力の奔流が見える。

 まるで水面のように揺らいだ空間が、底なしの闇と融合しているのがはっきりわかる。

 ――どう見ても、まともに降りたら帰って来られない場所だ。


「行くしかないでしょうか……先生はここで待っててください、なんて言っても無駄ですよね?」

「当然でしょ。あなた一人で飛び込んで、万が一戻れなかったらどうするの」

「はは、先生に泣かれるのは見たくないんで、一緒に行きましょうか」


 そう言い合う間にも、まるで呼び寄せられるかのように足元が吸い込まれそうな感覚がする。

 先生と互いに背中合わせのようにして、そっと穴の縁に膝をつく。

 ――行くしかない。もしここが魔導核の真の中枢や、御神楽教授の残留思念に繋がる場所なら、避けては通れない。


「せーの、で飛び込むわよ」

「了解。先生、手だけ離さないで」

「なっ……馬鹿なこと言わないで! ……でも、まあ、落ちてどこかにぶつかったら困るしね」


 先生が小さく頬を染めて右手を差し出し、俺は躊躇なくそれを握る。

 数瞬だけ、心臓が高鳴る音が自分でもはっきりわかる。

 そして、思い切って足を踏み外すように宙へ飛ぶ。


 暗闇が視界を呑み込み、耳元を強い風が駆け抜ける。先生の手の温もりだけが、いま唯一の支えだ。

 光の奔流が目の前を白く塗り潰し、意識がどこか遠のいていく――



 気がつくと、足元はぼんやりと輝く水面のような床だ。

 奥行きも上下もわからない白い空間に、まるで無重力で漂っているかのような浮遊感がある。

 隣には先生がうずくまって、眩しそうに目を細めている。


「ここは……どこですか?」

 喉が渇いたように声が出にくい。先生も荒い息をつきながら立ち上がろうとするが、足元がふらついてうまく力が入らない。

 何より、周囲に壁も天井も見当たらない。空間の上下さえ曖昧に感じる。


 ――そのとき、不意に視界の端に人影が映る。

 髪を振り乱した男の輪郭。片手に何かの書物を抱え、ゆらゆらと揺れるように歩んでいる。

「まさか……御神楽教授……?」

 先生がかすれ声でそう呟いた瞬間、影がこちらを振り返る。


 輪郭ははっきりとしないが、狂気と嘲笑を含んだ声が響く。

「フフフ……来たか。いや、俺を追ってきたというよりは“ここ”が呼び寄せたのかもしれないな」

 低く、どこか狂気じみたその口調は、噂に聞く“天才教授”のイメージに妙に合致する。


 俺は先生の手を少し強く握り、絞り出すように声を上げる。

「あなたが……御神楽教授? 本当にまだ生きているんですか……」

 影は薄ら笑いを浮かべているように見える。

「生きている、とは少し違うかな。俺はもう、この世界には存在しない。ただ、実験は未完のままでは終われなかったのでね」


「あなたの研究が、理事長を暴走させたんですよ。学園を異世界と融合させるような危険な計画のせいで、どれだけの生徒が苦しんでいるか――」

 そう怒りを込めて叫ぶ先生を見て、影はひどく愉快そうに肩を震わせる。

「ふはは……理事長か。あんな小物が何をしようと、俺の実験のスケールには及ばん。まあ、お前たちにとっては恐ろしいかもしれないがね」


 言葉のひとつひとつに底知れない狂気が混じっている。

 が、同時に理事長の“新たな理”など教授にとっては取るに足らないものだということもわかる。

 つまり、この空間そのものが教授の“本当の狙い”や“研究成果”を示しているのだろうか。


「……あなたがダンジョンの歪みを作り出したせいで、先生の兄さんも行方不明なんです! いい加減、目を覚ましてください!」

 俺が叫ぶと、影は静かに首を振る。

「俺は目覚めているよ。むしろ、世界の理を壊す方法を見出したのさ。お前たちはたまたまここへ来たが、覚悟はあるか?」


 視界が急にぐにゃりと歪む。

 足元の白い床が波打つように撓み、下から異様な熱気が吹き上がってくる。

「ちょっと、ヤバいですね……!」

 先生が身を硬くする。まるで空間が崩れ出す前触れにも思える。


 影――御神楽教授の残留意識がゆっくりとこちらへ歩み寄る。

「お前たちは、まだ理を壊す覚悟を持っていない。だが、俺の実験を止めたければ、ここの“核”を砕くしかない。……つまり、学園ごと世界を揺るがす真の魔導核を」


「魔導核は……すでに俺たちが止めようと……」

「はは、あれはまだ外郭にすぎない。俺が組んだ仕掛けはもっと深い。理事長のような小者には完全には理解できんのだよ」


 教授の言葉に、じわりと嫌な汗が浮かぶ。

 “二重構造”の真相は、さらにこの最奥に存在する“本当の魔導核”――あるいはそれに等しいエネルギー体か。

 それを破壊しない限り、学園は異世界に呑まれるままだ。


 俺と先生は無言のまま視線を交わす。相手の言葉を完全に鵜呑みにする気はないが、他に道がないのも事実。

 教授は「ついて来い」と言わんばかりに背を向け、ゆらゆらと光の狭間へ消えていく。


「先生……行きましょう」

「ええ……。たとえ罠でも、ここで立ち止まるわけにはいかないもの」


 そうして、白く歪んだ空間を抜けると、一気に視界が暗転する。

 今度は、天井や壁がはっきりした円形の大ホールにいる。見渡すと、先ほどの教授の姿はもうない。

 だが、中央に鎮座しているのは、巨大な水晶のようなコア――見た目は魔導核に酷似しているが、あれよりはるかに凄まじい魔力が渦巻いている。

 足元に広がる紋様から、ビリビリと空間を震わすほどの力が肌を刺す。


「悠真君、あれを……壊すの?」

 先生がごくりと唾を飲む。

「わかりません。壊したら空間ごと崩壊しそうです。でも、残しておけば学園が異世界に呑まれる」

 一番厄介なのは、どうやって安全に止めるかだ。もし暴走を加速させてしまったら、逃げる間もなく俺たちまで消し飛ぶかもしれない。


 そんな思考が頭を巡る中、不意にホール全体が震え出す。

「まずい……もう崩壊が始まってる!」

 先生が慌てて魔力のバリアを張るが、足元の亀裂から噴き出す濁流のようなエネルギーがそれを突破してくる。

「くっ……悠真君、ここをどうにかしないと本当に手遅れになるわ!」


 思い切り歯を食いしばり、俺は魔導核に向かって駆け出す。

 制御か破壊か、その判断をする時間もない。だったら――どちらもやってしまおう。

 かつての“表”の魔導核で試みたように、一瞬だけでも制御権を奪ってから、最小限のエネルギーで破壊する。

 そんな離れ業が通じるかはわからない。けれど、やらなきゃ学園は確実に滅ぶ。


「先生、フォローお願いします! 俺がこの核をつかんだ瞬間、空間が乱れるはずです。そしたら先生は、俺を失わないように――」

「当たり前でしょ!」

 先生が一喝する。その声に、妙に心が鼓舞される。


 次の瞬間、魔導核がギラリと紫色に光を放った。

 激しい衝撃波が生まれ、俺は吹き飛ばされかけるが、何とか踏ん張って核の正面へ飛び込む。

 両手を核の表面に当て、頭の中で“賢者の書”に刻まれた呪文を思い描く。

 異世界の理と現実の理が交錯する場所で、俺はその両方を繋ぎとめる鍵を持っているはず――


「くっ……! これ、やっぱりヤバい……!」

 強烈な魔力が身体に雪崩れ込んでくる。血管が裂けるような痛みと、脳が焼けるような錯覚。

 全身から汗が噴き出し、視界が真っ白になる。

 それでも、先生や学園を守るためだと思えば、この苦痛くらい耐えられる――はずだ。


「悠真君……ッ!」

 先生が叫んでいるのが聞こえる。まるで耳鳴りのように遠い。

 それでも、これが最期かもしれないという恐怖を振り払うように、俺は核の内部に意識を押し込んでいく。


 そこには、黒い霧のようなものが渦を巻いている。御神楽教授のものか、それとも理事長の思念か、あるいはもっと原初的な“異世界の意志”なのか――

 とにかく、それらを全て押さえ込み、一瞬だけでも制御を奪う。

 俺の中で湧き起こる“ダンジョン適性”が悲鳴を上げるように疼く。


 ――やがて、核がヒビを刻む音がした。その衝撃が俺の身体にも伝わってきて、全身の感覚が薄れていく。

「は、はは……やっちまったかも。これ、全部ぶっ壊すしか……ない……か……」


 ぐにゃりと視界が歪み、足元が崩れていく。

 核を破壊した衝撃で空間がぐらりと傾き、俺は意識ごと吹き飛ばされているかのような感覚に襲われる。


 ――そのとき、不意に背中に柔らかなものが当たり、力強い腕が俺を抱きとめる。

 鼻先をくすぐるのは、かすかな花のような香り。先生の髪から漂う匂いだ。


「悠真君! しっかりして……!」

 先生が涙声で呼びかける。

「ごめん、先生……俺、ちょっと限界かもしれないっす……」

 この空間が急激に暗闇へ呑まれていくのがわかる。核が砕けた結果、暴走のエネルギーが制御不能になったのか。


「やだ……あなたは絶対に消えたりしないで! 私、あなたがいないと……!」

 先生の声が震えている。でも、その腕の力は必死に俺を繋ぎとめようとしているのが伝わる。


 けれど、俺自身の感覚がすでにぼろぼろだ。魔導核を壊した代償か、身体が霧散していくような感覚に苛まれている。

「ああ、先生……やっぱり、先に地上で待っていて欲しかったかも。こんな姿……見せたくないな」

「ふざけないで……何が“先生のため”よ! 私のこと守るなら、最後まで勝手にいなくなるな……!」


 熱い雫が頬に落ちる。先生の涙だと気づくのに、少し時間がかかる。

 心臓が痛い。自分がこのまま消えてしまったら、先生はどんな気持ちになるだろう。


「先生、泣かないでくださいよ。俺、先生を守りたかっただけなんで……」

「守られてばかりで、どうしようもないわね……でも、あなたがいなくなったら、私は……!」


 先生の声が苦しげに掠れる。

 その瞬間、ドクン、と心の奥で何かが弾けるように脈打つ。

 ――まだ、終わりたくない。先生を置いて消えるなんて絶対に嫌だ。


「先生……ちょっとだけ、力借ります」

「え……?」


 握りしめた先生の手から、微かな魔力の流れを感じる。

 俺は最後の力を振り絞り、その魔力に自分の残りカスのような存在を重ね合わせる。

 これは……賢者の書の制御術とは違う、“異世界と現実を繋ぐ”感覚。先生との繋がりそのものが、俺をここに引き戻す手がかりになる――


「離れないで、先生……!」

「離れないわ! 絶対に……!」


 先生の腕の中で、ぼろぼろになりかけた意識を繋ぎ留め、俺は空間の崩壊に逆らうように立ち上がる。

 核を破壊した事実は変えられない。なら、この暴走の余波を逆手にとって“出口”を作るしかない。

 俺は先生と魔力を重ね合わせるイメージを持ちながら、崩れゆく床に向けて跳躍する。


 ――白い閃光が辺りを包む。

 一瞬、呼吸が止まりそうなほど眩しくて、意識が弾け飛んだかと思う。



 次に気づいたとき、俺は硬い床の上で横たわっていた。

 濃い土の匂いと冷たい風が、ここが現実の学園地下だと教えてくれる。

 うっすらと瞼を開けると、先生が必死に俺の身体を抱えているのが見える。


「はあ……はあ……戻って……これた……?」

 俺が弱々しくそう言うと、先生は泣き笑いのような顔で強く抱きしめてくる。

「あたりまえでしょ……! あなたが“帰る”って言ったんだから……!」


 周囲を見ると、崩壊しかかった地下空間は静かに鎮まりつつある。

 大規模な揺れも感じない。どうやら真の魔導核を破壊したことで、“異世界との接続”が一旦断たれたのかもしれない。

 学園を歪めていた最大の原因が消えたからか、放課後ダンジョン特有の薄暗い霧さえも薄れ始めているようだ。


 先生に支えられながらゆっくりと起き上がる。腕や足がまだ震えているけれど、生きていることを実感して少し安堵する。

「先生、俺……消えないで済んだんですかね」

「私が消させないって言ったでしょう……。もう、勝手にいなくなろうとしないでよ……」

 先生の目尻にはまだ涙の痕が残っている。そのせいか、顔がほんのり赤くて、どこか幼く見える。


「ありがとう、先生」

 正直、これほどまでに自分の存在が危うくなったことはない。まるで自分の身体が泡のように溶けていくような感覚が、今も微かに残っている。

 けれど、それでも先生が俺を引き留めてくれた。魔導核を砕き、異世界化の流れを断ち切った結果、俺もこの世界に踏みとどまることができた。


 大きく息をついて、辺りを見回す。

 崩落した瓦礫や、見覚えのある実験装置の残骸が散乱している。

 それでも、一歩ずつ歩ける地面があるだけで奇跡みたいなものだ。


「学園は……どうなったんでしょう」

「まだ完全に安全とは言えないわ。でも、先ほどみたいな異世界の侵食は、かなり抑えられているはず」


 そして、何よりも気になるのは理事長や生徒会がどうなったかだ。

 彼らは別のルートで逃れたのか、それともこの崩壊に巻き込まれてしまったのか。

 教授の残留思念がどうなったのかもわからない。


「先生、急いで上に戻りましょう。まだどうなるかわからないし……それに、先生も疲れてるでしょう」

「あなたに言われるまでもないわよ。ほら、立てる?」

 先生が手を差し伸べてくれる。俺は苦笑しながらも、その手を握ってゆっくりと立ち上がる。


 膝がまだ震えているが、先生の肩を借りれば歩けそうだ。

 寄り添う先生のぬくもりが、この暗い地下空間の中で唯一の光のように感じる。

 わずかに鼻先をくすぐるシャンプーの香りが、昨夜の不安定な記憶を洗い流してくれるみたいだ。


「先生、本当にすみませんでした。俺のせいで心配かけて」

「いいのよ。あなたが命をかけて学園と私を守ろうとしたのはわかってるから」

 その言葉に、胸がいっぱいになる。汗と埃まみれだけど、先生の隣に立てることがこんなにも嬉しい。


 足元を確かめながら、崩れかけた通路をゆっくりと抜けていく。

 遠くから、一筋の光が差し込んでいるのが見えた。そこが地上への出口だろうか。

 残業禁止の時間をとっくに超えて、夜を通り越してしまっているかもしれない。

 それでも、この迷路から抜け出せば、朝焼けが差し込む学園の姿が見られるかもしれない。


「先生、世界を“壊す”なんて言葉を簡単に口にする連中に負けるわけにはいきませんよね」

「ええ。私も同じよ。あなたがここにいてくれるなら、どんな危機が来ても乗り越えられる気がするわ」


 まだ安堵するには早いだろう。理事長の企みが完全に潰えたかはわからないし、学園には新たな波乱が待ち受けているのかもしれない。

 でも、今だけは、先生とこうして帰還できることを喜びたい。


「先生、あと一つだけいいですか?」

「何?」

「助けてくれて、ありがとうございました。そして、もう一つ……」

「……?」


 先生の大きな瞳がこちらを見つめる。

 俺は少しだけ照れながら、精一杯の感謝と決意を込めて言葉を放つ。


「やっぱり俺、先生のことが――」

「あー! ストップ! それはまた別の機会にして!」

「え、なんでですか?」

「今そんなこと言われたら……私、泣いてぐしゃぐしゃになっちゃうじゃない!」


 怒ったような照れ隠しのような、不思議な表情で顔を赤らめる先生。

 俺は頬を掻きながら、「まあ、ここは危険だし後にしましょうか」と笑う。


 お互いに言葉以上の想いを抱えつつ、一歩ずつ通路を進む。

 崩れた岩のすき間から射し込む光が、次第に明るさを増してきた気がする。

 朝日はまだかもしれない。でも、俺たちは“帰る”道をこうして歩けている。

 それだけで、胸がじんわりと熱い。


 こうして、魔導核の“本当の”暴走は止めた。

 学園が完全に元の姿に戻るには、まだ時間がかかるだろう。理事長や生徒会の動向も、御神楽教授の影も、残されている課題は多い。

 だけど、今は先生の手のぬくもりと、俺たちが一緒に生きて帰れるという事実を噛みしめたい。


 階段を一歩、また一歩と踏み締め、俺たちは地上への出口を目指す。

 消えそうになった俺の存在も、今はしっかりと先生と繋がっている。

 この歪んだ学園を守るため、俺はまだ立ち止まれない。

 でもその前に、先生の涙を止められて、本当によかったと思う。


 ――そう、あの狂気のダンジョンから帰ってこられた今、俺たちの戦いはきっと新たな段階に進む。

 そしていつの日か、先生の兄さんとも再会できるかもしれない。

 学園の日常を取り戻すためにも、俺たちはこの手で世界の崩壊を食い止める。


 だから、次に迎える朝日はきっと、これまで以上に眩しく、そして優しい光を注いでくれるはずだ。

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