第5章
あの地下施設から脱出してから一夜明けても、胸の奥にはまだ妙なざわつきが残っている。
理事長が暴走させかけた魔導核を、俺が強引に制御したものの、完全に沈静化できたわけじゃない。
むしろ学園全体が揺れ始めたかのような不安定さを感じるし、同時に、あの地下のどこかにリシア先生の兄さんにまつわる手がかりがまだ眠っている――そんな予感が消えない。
朝になっても教室の空気はどこか張り詰めている。
昨日の夕方には校舎の一部が激しく揺れ、騒ぎを聞きつけた生徒たちが大混乱に陥った。
それでも、学校側の“公式見解”は「ちょっとした魔力の乱れが原因で、安全は確保されている」とかいう曖昧な説明だけだ。
実際には地下で理事長や生徒会長が何をしていたのか、ダンジョンがどこまで暴走しかけたのか、表立って報道されることはない。
生徒会からも箝口令が敷かれているらしく、俺のように動向を怪しまれている者以外には情報がほとんど回っていない。
「天城、最近何やってるんだ? まさかまた放課後ダンジョンに行く気か?」
ホームルームが終わると、クラスメイトの一人が半ば冷やかすような口調で声をかけてくる。
教室の隅に座っていた俺は、肩をすくめながら応じる。
「さあな。放課後に俺の姿がなかったら、好きに想像してくれていい」
「あーあ、せっかくここ数日は目立ってるって噂になってるのに、また変なこと企んでるんじゃないの?」
「俺、いつも変なことしかしてないでしょ?」
わざと突き放すような言い方をすると、相手はやれやれといった表情で引き下がる。
変なことしかしてない――それは自分でも認めるところだが、今は特に気が立っている。
先生の兄さんが仕掛けていた調査が、理事長の“新たな理”とどこまで繋がっているかもわからないし、昨日あれほど大乱闘を繰り広げた生徒会長・藤堂司の容態も不明のままだ。
これでは落ち着いて日常に戻るわけがない。
そんな俺の内心を見透かしたかのように、リシア先生が廊下から顔を出す。
「天城君、ちょっと職員室まで来てくれる?」
さりげない口調だが、さすがに教室内の数名は「あれ、また呼び出し?」と怪訝な顔をしている。
俺は特に言い訳もせず、教室を出て先生の後をついていく。
職員室に着くかと思いきや、先生はすれ違う教師に軽く会釈するだけでそのまま通り過ぎる。
どうやら本当に職員室に用事があるわけではなく、人目を避けた場所で話をしたいらしい。
校舎の端にある資料保管室の前まで来ると、先生は周囲を確認してドアを開ける。
「ここなら人も少ないわ。……昨日はごめんなさい。結局、理事長を止めきれなかったわね」
先生が低い声でそう切り出す。
保管室の埃っぽい空気に混じって、先生の焦りや苛立ちがビリビリと伝わってくる。
「先生のせいじゃないですよ。俺も力を振り絞ったつもりだけど、魔導核の暴走を完全に封じるには至らなかった。それに、理事長がまだどこかで動いてるかもしれないし、生徒会もどうなったのか……」
「藤堂司のことよね。彼、保健室にも姿を見せていないし、一部の生徒会メンバーと一緒に行方不明状態みたい」
行方不明――昨日の崩落に巻き込まれたか、それとも別のルートから脱出して理事長に合流したのか。
考えられる可能性はいくつもあるが、どれも厄介な未来しか見えない。
「昨日、あの場所で見つけた資料やメモは、何とか一部だけ救い出せたわ」
先生が指し示す棚には、焦げや泥のこびりついたファイルが立てかけられている。
中身は汚損が激しいが、僅かに読める箇所もある。
そこに書かれているのは“魔導核の完全制御”や“異世界との接続を恒常化する”といった恐ろしいフレーズばかりだ。
「理事長がここまで大掛かりな研究を続けられたのは、学園のシステムを掌握しているからでしょうね。裏で相当数の教師や研究員を抱え込んでいるんだと思う」
「生徒会も、その計画の一部を担わされていたのか。藤堂が学園を守るためって口にしてたのも、実際は理事長の理想を“正義”だと思い込まされていたのかもしれない」
そこまで言ったところで、先生はうつむく。兄が失踪した原因も、この計画に深く関わっているはずだ。
俺はそっとファイルを手に取ってページをめくる。
「何か新しい手がかりはありそうですか?」
「そうね……これ、見て」
先生が指先で示したのは、“門の試作”という文言が並ぶ一節だ。
見れば「異世界側から強大な存在を呼び寄せる」「ダンジョン内部を改変し、生徒たちの魔力量を測定する」など、明らかに危険な単語が多い。
しかも、その試作段階で既に“放課後ダンジョン”としての歪んだ構造が出来上がっていたらしい。
つまり、最初から夜の迷宮は“予定された実験場”だったというわけだ。
「先生、これを書いたのは……御神楽教授?」
「たぶんそう。筆跡の特徴が、兄が残したメモの一部と一致している。兄はこの教授の足跡を追って、彼の研究が辿り着いた結末を確かめようとしていたんだと思う」
「それで放課後ダンジョンに潜った結果、行方不明に……」
思わず拳を握りしめる。
御神楽教授が作りかけたゲート、理事長がそれを利用して“新たな理”を打ち立てようとしている――ならば、同じ事件が再び起きてもおかしくはない。
学園の生徒が、先生の兄さんのように犠牲になるかもしれない。
「先生、俺たちでこの計画を完全に止める手段を探しましょう。魔導核がある限り、夜のダンジョンは消えないし、理事長がまだ裏で動いてるなら放っておくのは危険すぎる」
「そうね。学園側は“放課後ダンジョンの安全管理を強化する”とか言い出してるけど、本質的な問題はそこじゃない。……とにかく、一つでも多く情報を集める必要があるわ」
先生が軽くノートにメモを書き込み、それを鞄に仕舞う。
記録が漏れないように何重にもカバーされているのは、彼女がこれまで「兄の手がかり」を必死に守ってきた証だろう。
「次に動くのは放課後、ですよね? 先生、残業禁止って言いましたけど、仕方ない……今回は俺も全力で同行します」
「あなた、なんだかんだで毎回ついて来るじゃない」
「それはもちろん。先生が勝手に危険な場所へ行くと、俺が困るんで」
「……もう、好きにしなさい。どうせ止めてもあなたは動くでしょうし」
少しだけ呆れ顔の先生だが、その奥底には明らかに俺を信頼してくれている感覚がある。
この数日の共闘で、危険な場面を何度も乗り越えてきたからこそ、今は多少なりとも頼られている気がする。
◇
放課後。
昨日の大騒ぎの影響で、校内には警戒の目が増えている。教師や生徒会のパトロールが強化されていて、正面から地下へ向かうのは難しそうだ。
先生と待ち合わせたのは中庭に面した小さな倉庫の裏手。ここからなら、人気のない通用口へうまく回り込める。
「まったく、ここまでやらないとダンジョンに近づけないとはね」
先生が倉庫の影に隠れながら、周囲の気配をうかがう。
生徒会のメンバーらしき姿がちらほらと巡回しているが、何とか死角を突けそうだ。
しかし、先生は微かに眉をひそめる。
「……妙ね。警備の人数が増えている一方で、指揮系統が乱れている感じがするわ。バラバラに動いていて、連携が取れていない」
「藤堂くんがいないからでしょうか。生徒会長不在で、現場の指示が統一されてないんじゃ?」
「かもしれないわね。でも、そう簡単に崩れるほど、生徒会の組織は脆弱じゃない。理事長が別の指示を出している可能性もあるわ」
俺も辺りを見回す。確かに巡回している生徒たちは落ち着きを欠いていて、こちらの気配に気づきそうで気づかない。
まるで“隠された真実”を探し回っているというよりは、訳も分からず警戒しているだけという印象を受ける。
「この隙に地下へ行きましょう。昨日の崩落でメイン通路が破壊されてたから、別の経路を探す必要があるけど」
「ええ。私の兄のノートに、地下の旧研究区域に繋がる裏ルートのメモがあったはず。そっちを当たってみましょうか」
廊下を抜け、階段を下りる前に何度かパトロールをやり過ごす。
夕焼けの光が校舎の窓を染めていて、昼間とは違う長い影が伸びる時間帯。
それでも、うまくタイミングを合わせて踊り場へ駆け込み、さらに地下へ潜り込む。
やがて、使用されなくなった旧研究室の前に出る。扉には「立ち入り禁止」の貼り紙がベタベタ貼られているが、それほど強固な施錠はされていない。
先生が鍵束を取り出し、いくつか試すと、錆びついた錠前がゴリッと音を立てて開く。
「教師が持ってるマスターキーみたいなものですか?」
「厳密には違うけど、使えるものは使わせてもらうわ」
暗い室内に入ると、古い書類や機材が雑然と放置されている。
かつてはここがダンジョン研究の拠点だったのだろう。今のメイン施設が整備される前の名残だ。
先生が兄のノートをめくりながら部屋を見渡す。
「この奥に隠し通路があるかも……ええと、床のタイルが一部だけ違うって書いてあるわね」
俺は懐中ライトを照らしながら床を探る。
すると、隅の方のタイルだけ微妙に色が異なり、僅かに段差がある。
「ここだ、先生。何か仕掛けがあるかもしれません」
タイルを押してみると、ガコンと鈍い音がして床がわずかに沈む。
同時に壁の一角がゆっくりと開き、狭い下り階段が姿を現す。
「まさか本当に隠し扉が……兄さん、こんなところまで調べていたのね」
薄暗い通路を覗き込むと、湿った空気とカビ臭い匂いが鼻を刺す。
まるで長い間、人目に触れず閉ざされていた地下迷路――そこが放課後ダンジョンへ続く“裏ルート”なのだろうか。
「行きましょう、先生。ここを抜けたら、きっと放課後ダンジョンの深部に繋がるはずです」
「ええ。覚悟はいい?」
「いつでも」
先生と並んで階段を降りる。石の壁には苔のようなものが生え、足元は泥でぐちょぐちょだ。
けれど、そんな不快感よりも、胸の高鳴りが勝っている。ここを進めば、今まで見えなかった“学園の裏”により深く踏み込めるかもしれない――そんな期待がある。
階段をしばらく降りると、やがて空間が広がり、暗がりの中に複数の石柱が並ぶ空洞が見える。
まるで古代の神殿を思わせるような造りだが、どこか見覚えもある。
――そうだ、昨日見た御神楽教授の実験室の跡と似た雰囲気。人為的に造られた迷宮だ。
「気をつけて、何かいるかもしれない」
先生が低い声で警告した瞬間、通路の奥からゴリゴリと甲殻を擦るような音が響く。
昼間のダンジョン授業ではまず見かけない、異質な気配。夜の迷宮にしか出現しないタイプのモンスターだ。
闇の中から、巨大なカニのような甲羅を背負った生物が三体、ぎらぎらした複眼を動かしてこちらを睨んでいる。
「一気に片付けます」
俺は先に飛び出し、先生が後ろから援護してくれる形をとる。
硬い甲羅を打ち砕くには魔力の集中が必要だが、複数相手で囲まれればやっかいだ。
――けれど、俺たちは何度も夜の迷宮を駆けてきたコンビだ。
先生がすかさず側面から斬撃魔法を飛ばし、甲羅を攻撃する。わずかにひびが入ったところに俺が踏み込み、魔力の拳で内側から衝撃を与える。
「狙いは関節部分ですね!」
「わかったわ!」
先生の攻撃が一体を怯ませた隙に、俺は狙いを定めて殴り込む。
巨体が床に崩れ落ち、同時に残る二体が後退したところを先生が華麗に剣を振り下ろす。
鋭い閃光が夜闇を裂き、モンスターの抵抗を一瞬で砕く。
「はあ、はあ……。先生、無事?」
「ええ、少し疲れたけど、なんとかね。あなたこそ大丈夫?」
「もちろん。こんなの慣れっこですよ」
そう答えながら、甲殻の残骸を踏み越える。
闇の通路に立ちこめる湿った生温い空気が、やけに生々しい。
モンスターがいたということは、やはりここは夜の迷宮と繋がっている証拠だ。
しかも、学園の“管理区域”を迂回する形で深部へ直通しているなら、理事長や生徒会の目をかいくぐるには最適だろう。
同時に、この通路を敵勢力が使っている可能性だってある。
「先生、奥へ進んだ先に何があるかわかりませんけど、危なくなったら即撤収してくださいね」
「あなたも勝手に先走らないこと。それでお互いさまね」
互いに小さく笑いあい、慎重に足を進める。
複雑に入り組んだ通路の先からは、何ともいえない不安定な魔力の匂いが漂っている。
崩落の危険があるのか、あるいはもっと別の“研究の痕跡”が残されているのか。
やがて、奥のほうから微かな光が見えてくる。
暗黒の通路の先に、揺らめく青白い照明のようなものがまたたいているのだ。
近づくにつれ、ざわりと肌を撫でるような寒気が増してきて、呼吸が荒くなる。
「この感じ、昨日の魔導核暴走に近い気配がするわね」
先生が剣を握り直しながら身構える。
「もし理事長か生徒会が、ここで魔導核の残骸を使って何かしてるなら、厄介ですね」
警戒を強めながら通路を抜け、視界が開けた場所に足を踏み入れる。
そこには朽ちかけた装置群と、中央に残る円形の台座のようなもの。
昨日ほど大規模ではないが、微弱な魔導核の欠片が埋め込まれているのか、青白い光を放っている。
「こんな場所があったのか……」
先生がため息混じりにつぶやく。
台座の上にはガラクタのような書物や儀式道具が転がっていて、いずれも大量の埃とカビに侵されている。
しかし、中には比較的新しい足跡が残る箇所もあるようだ。誰かが最近ここを使った形跡がある。
「理事長の仲間か、あるいは別の研究者か……。先生の兄さんの手がかり、ここにあるでしょうか」
「探してみましょう」
俺と先生は手分けをして周囲を調べる。
石のテーブルの上に開かれたノート、扉のようなものが外れかけた棚、そこかしこに積まれた魔道具の残骸。
一見すると廃墟だが、人の気配がないわけではない。不気味な余韻を感じる。
やがて、先生が一冊の古いファイルを持ち上げる。
「これ、見て。兄の筆跡……たぶん、そうだと思う」
そこには「御神楽教授の理論検証」というタイトルが手書きで書かれている。中身はメモ書きや図解が雑多に貼り付けられていて、かなり専門的な考察がびっしりだ。
「兄さん、こんな場所まで調べていたなんて……。やっぱり最後まで教授の理論を追っていたのね」
先生がページをめくるたび、その手がわずかに震えているのがわかる。
紙面は水濡れや破れがあちこちに見られるが、要所に太字で強調されたキーワードが目に留まる。
“魔導核の二重構造”
“空間改変の代償”
“世界の理を覆す力――”
「二重構造……? まさか、夜の迷宮がもう一つ別のダンジョンを内包しているとか?」
「確か、兄が残したメモにも『二重構造のダンジョン』ってフレーズがあったわ。でも、それが具体的にどういう意味なのかは書かれていなかった」
一息つき、先生は少しだけ眉をしかめる。
「……学園が隠している“真のダンジョン”が、さらに別の異世界への扉になっている可能性がある。昨日の暴走で、理事長がそれをこじ開けようとしたんじゃないかしら」
「なるほど。となると、この場所は入り口にすぎない。もっと深い部分があるってことか」
俺は視線を巡らせる。青白い光を放つ台座の周囲には、複雑な魔法陣が描かれているが、一部は途切れていて未完成のようにも見える。
もしかすると、こここそが本来の“裏ダンジョン”へのゲートだったのかもしれない。
「先生、どうします? ここでさらに深部を探すか、それとも一度戻って情報を整理するか」
「このまま突き進みたいところだけど……昨日の負傷も完治していないし、あなたも万全じゃないでしょう? あまり無茶はしたくないわね」
言いながらも、先生の瞳には強い意志が宿っている。兄を探すための手がかりを、これ以上逃したくない気持ちがひしひしと伝わる。
だが、今ここで無理をしてしまえば、かえって取り返しのつかない事態になりかねない。
しかも、生徒会や理事長の配下がいつ現れてもおかしくない状況だ。
「なら、最低限の調査だけして、深追いは控えましょう。回収できそうな資料だけ持って戻って、先生と一緒に作戦を練り直す」
「そうね。私もそう思う。今回の件で確信したわ。兄はこの“裏ダンジョン”の奥にある謎に近づいていた。それが理事長にとって不都合で……だから消された可能性が高い」
「でも、兄さんが完全に消えたと決まったわけじゃない。昨夜の崩落で理事長が姿を消したように、何らかの形で生き延びているかもしれません」
「……そうよね。私はそう信じてる」
先生の横顔がわずかにほころぶ。
兄が生きているかどうか、それは確かな証拠があるわけじゃない。けれど、先生が捜し続ける理由はそこにあるのだ。
俺はその肩に手を触れ、優しく言葉をかける。
「焦らなくていいですよ。先生を支えるのが俺の役目ですから」
「あなた、前はただの問題児だったはずなのに……なんでそんなに頼りがいがあるのよ」
「それ、褒め言葉として受け取りますね」
淡く照れる先生を横目に、俺はファイルや散乱するメモをいくつかまとめて鞄に詰める。
そして最後に、台座に刻まれた魔法陣をスマホで撮影しておく。危険性はあるが、後で分析すれば何か手がかりが得られるかもしれない。
「じゃあ、いったん引き上げましょうか」
「ええ。戻り道も警戒しないといけないけど、今ならまだ何とか抜け出せるはず」
こうして、俺たちはまた黙々と来た道を戻る。
カニ型の甲殻モンスターはもういなくなっているらしく、途中で新たな敵に遭遇することはない。
その代わり、崩れかけた壁からじわじわと冷たい水が染み出していて、いつ再度の崩落が起きてもおかしくない雰囲気だ。
放課後ダンジョンがさらに不安定化しているのかもしれない。
奥底に潜む“大きな何か”――それを見つけ出し、理事長の暴走を完全に止める日は、そう遠くないだろう。
けれど、今の俺たちではまだ力不足を痛感する面もある。特に、昨日のような規模の激突が起きれば、再び学園全体を巻き込むような惨事が起きかねない。
だからこそ、今は一度準備を整え、情報を整理してから改めて作戦を立てることが大事だ。
「先生、暗いところから明るいところへ出るときは足元に気をつけて」
最後の階段を上りながら声をかけると、先生は「わかってるわよ」と返事をして苦笑する。
そして、重たい扉を開けると、再び旧研究室の埃臭い空気が鼻を突く。
「あとは鍵を掛けて痕跡を消しておきましょう」
「そうね。まさか隠し通路があるなんて、誰も気づかないと思うけど、念には念を入れておく」
再び扉を閉め、貼り紙を元通りにしておく。
こうしておけば、生徒会や警備の教師が見回っても、すぐに入ってくることはないだろう。
無事に階段を上がり、地上へ帰還したときには、すでに校舎の窓からオレンジ色の夕日が差し込んでいる。
「ふう……何とか今日の放課後ダンジョン探索はこれで終わりですね」
「大きな収穫があったわ。兄の筆跡のファイル、あれを解読すればさらに踏み込んだ内容がわかるかもしれない」
「でも、先生が調べ込んでることがバレたら、理事長側は黙っていないでしょう。特に、行方不明の生徒会長や他のメンバーがどう動くか……」
「そこよね。迂闊に行動を起こせば、周囲の生徒を巻き込む恐れもある。あなただけならまだしも、私は教師の立場だし、慎重にしなきゃ」
先生の言葉に頷く。
互いの立場や、学園に通う大勢の生徒たちを考えれば、一か八かの大博打はできない。
だが、放っておけば理事長がいずれ“新たな理”を手に入れるため、さらなる闇の手を伸ばしてくるだろう。
理事長と生徒会長――いや、その背後にいる御神楽教授の亡霊のような理論も含めて、まだたくさんの謎が残っている。
先生の兄さんは生きているのか、すでに理事長によって葬られてしまったのか。
そして、俺の“ダンジョン適性”の本当の意味。魔導核が持つ二重構造の正体。
どれも答えにはほど遠い。
けれど、先生と歩んできたこの数日で、学園が持つ闇の深さと危険性を痛いほど実感している。
あと一歩でも踏み違えれば、世界そのものが理事長の思い通りになってしまうかもしれない――そんな背筋の凍る未来が本当にすぐそこまで来ているんだ。
「先生、今日のところは一旦解散にしましょう。無理すると体が持ちません」
「そうね。あなたが珍しく正論を言うわね。……じゃあ、校門付近は生徒会の巡回が多いから、少し回り道して帰るわ」
「俺はこっちから出ます。……あ、先生、また明日」
言いながら、俺は“また夜に会いましょう”という意味を込めて小さく手を振る。
先生は目を伏せて、小さく頷く。
「ええ……。残業は、禁止とは言ってるけど」
その言葉に、俺は笑みを浮かべて別れる。
夕日が校舎の壁を真っ赤に染める中、先生の背中が小さくなるまで見送りながら、胸に誓う。
“次こそ、放課後ダンジョンに潜む全ての謎を暴いてやる。そして先生を、そして学園を守り抜くんだ”
問題児だとか、危険人物だとか、そんなレッテルはもうどうでもいい。
――この歪んだ学園で、俺が唯一信じたいのは、先生との約束と、俺自身の決意だけだ。
魔導核の暴走が再び起こる前に、理事長や生徒会を止めなくてはならない。
そして先生の兄さんが辿り着こうとした真実を、俺がこの手で掴み取る。
どこかから吹き付ける夜風が、夏の終わりを思わせるように肌を冷やしていく。
今日が終われば、また明日の放課後がやって来る。
またあの危険な迷宮が、俺たちを飲み込もうと待ち構えているだろう。
面白い/続きが読みたい、と感じて頂けましたら、
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