第4章
まるで世界全体が歪み始めたかのような、嫌な振動が足元を揺らしている。
放課後ダンジョンの奥深く――まるで古代遺跡のような、今にも崩れそうな空間で俺は息を呑む。
目の前にあるのは、御神楽教授の実験室跡だという不気味な施設。壁面には縦横無尽に走るひび割れと、見たこともない呪印が浮かび上がっている。
数時間前までここで、生徒会長・藤堂司と交戦する羽目になった。その戦闘余波と、ダンジョン自体の不安定化で、壁も天井も限界を迎えつつある。
「悠真君、急いで奥を調べるわよ。ここが崩れ落ちたら、もう手がかりを失うかもしれない」
隣にいるリシア先生が、細身の剣を片手に声を潜める。その瞳には焦りと決意が入り混じっているのがはっきりわかる。
生徒会の妨害を振り切ってまでここに戻ってきたのは、先生の兄――消えた兄の行方を知るためだ。
そして俺もまた、生徒会や理事長が隠す“ダンジョンの真相”に踏み込み、先生を危険から守るためにここにいる。
「わかりました。けど、さっき藤堂くんたちを退けたばかりですし、無理は禁物ですよ」
「あなたに言われなくても、自分の身ぐらい守れるつもりよ」
「はは、頼もしいですね」
軽口をたたきながらも、俺は周囲の空気の嫌な重さに気を張っている。
ここまでの通路は崩落寸前の場所が多く、上から落ちてくる瓦礫や足元の亀裂に何度もヒヤッとさせられた。
それでも、奥から何か強い魔力の気配が漂ってくるのを感じる。生徒会長との戦いで受けた傷を庇いつつ、俺は慎重に歩を進める。
少し進むと、左右の壁いっぱいにガラスケースが並んでいるエリアに出る。
ケースの中には、異界の生物の骨や、古代文字を刻んだ板切れのようなものが乱雑に詰め込まれている。
形だけ見ると研究施設というより見世物小屋だが、漂う空気は凄まじく禍々しい。
「……ここ、本当に教授の実験室? いくらなんでもオカルト色が強すぎません?」
「教授は“異世界の法則を実験する”と言っていたらしいわ。つまり、普通の研究とは全く違う領域を扱っていた可能性がある」
先生の声がいつもより低い。彼女の背筋にも緊張が走っているのが伝わる。
「兄が調べていたのも、この場所……。全部がつながっている気がしてならないわ」
通路を奥へ進むと、やがて視界が開けた大きな空間が姿を現す。
そこはまるで円形のホールのような構造で、中央に大きな円形の台座が据えられている。
台座の上には巨大な水晶か宝珠のような物が鎮座していて、弱々しい青白い光を放っている。
それを見た瞬間、心臓が冷たい手で掴まれたかのようにざわつく。
「先生、あれ……ただのオブジェじゃないですよね?」
「…………魔導核、かもしれないわ」
先生がごくりと唾を飲む音が聞こえる。昼間の資料室で見た情報によれば、異世界と学園を繋ぐ装置――それが魔導核だという。
元々は安全管理のために設置されたものらしいが、御神楽教授や理事長はこれを使って“何か”を企んでいる。
俺が近づこうと足を踏み出した瞬間、ホール全体がビリビリと震える。
まるで魔導核が覚醒を嫌がっているように、重低音の唸りが耳を塞ぎたくなるほど響き渡る。
「悠真君、危ない……!」
先生が声を張り上げたと同時に、水晶球のような核が何かの拍動に応えるかのように閃光を放つ。
視界が一瞬真っ白になり、激しい熱風が吹き荒れる。
「くっ……!」
咄嗟に腕で顔を覆い、衝撃に耐える。
ホールの床が爆発したかのように砕け、壁面には巨大な亀裂が走る。上からも瓦礫が雨のように降ってくる。
辛うじて切り抜けたが、頭がジンジンと鳴り響いて足元がおぼつかない。
「大丈夫、悠真君! 立てる?」
先生が駆け寄り、俺の腕を支えてくれる。俺は何とか踏みとどまり、腕を振って返事をする。
「ええ、なんとか。先生こそ無事でした?」
「うん、私は平気。……でも、あれは明らかに人を拒むような力ね。魔導核が勝手に防衛本能を働かせているの?」
「わからないですけど、ただ事じゃないのは確かですね」
そう呟いた矢先、頭上からさらに強い振動が降ってくる。上を見上げると、天井がゆっくりと歪み、亀裂から異界の光が差し込むのが見える。
ここだけじゃなく、学園のさらに上部――もしかすると校舎全体が揺れているのかもしれない。
まるで証明するように、突如として上の方から何かが落下してきた。
それは――人の姿。少し遅れて、ぬるりと広がる闇のような魔力。
「理事長……!」
先生が低く叫ぶと、舞い上がる埃の中から神崎 徹が姿を現す。
「なるほど、ここまでたどり着くとは……しぶといな、リシア・クレメンタイン。そして天城 悠真」
理事長はさほど埃をかぶった様子もなく、まるでこの状況すら想定内だというような冷静さで俺たちを見下ろしている。
「理事長、一体何を……?」
先生が剣を構えながら問いかける。
しかし、理事長は嘲るように微笑むだけだ。
「先ほどの振動は学園全体を巻き込んでいるだろう。魔導核が暴走しかけているのは確かだ。だが、これは我々にとって新たな可能性でもある。……“新たな理”を築くための扉が開くのだよ」
“新たな理”――その言葉に嫌な胸騒ぎを覚える。
御神楽教授が異世界の法則を操る実験をしていたことは知っているが、理事長までそれを利用しようとしているのか。
「あなたは学園を守る立場でしょう? こんな危険な実験を放置して、何が新たな理よ!」
先生が怒りを剥き出しにして理事長を睨むが、理事長は薄く笑ったまま動じない。
「守る? いや、私はむしろこの学園を“進化”させたいのだよ。異世界と完全に融合し、新たな秩序を得るために……」
「ふざけるな! そのせいでどれだけの生徒が危険な目に遭うと思ってるんですか! 先生のお兄さんも、その犠牲になった可能性があるんですよ?」
俺は感情を抑えられず、理事長を睨み据える。
理事長は目を細め、まるで虫けらでも見るような表情を浮かべる。
「誰もが受け入れるわけではないだろうな。しかし、私は人類が次のステージへ進むために、この学園が持つ異世界の力を最大限に活用する必要があると信じている。……御神楽教授も、同じ考えだったよ」
名前を出された御神楽教授はすでに行方不明だ。それは事故なのか、あるいは理事長たちによって抹殺されたのか。
どちらにしても、このままでは学園はおろか、世界の在り方さえ歪められかねない。
「つまり、あなたは今の学園を壊してでも、自分の理想を実現しようとしているんですね」
俺が低く言い放つと、理事長はただ頷く。
「壊すというより、生まれ変わらせるのだ。今この瞬間も、魔導核は暴走と安定の狭間を行き来している。きちんと制御できれば、学園は新たな世界への扉となるだろう」
呆れを通り越して怒りがこみ上げる。
そこに、さらに大きな衝撃がホールを襲う。壁の一部が崩れ落ち、激しい音とともに土煙があがる。
そして、その瓦礫を蹴散らすようにして姿を現したのは――生徒会長・藤堂司だ。
彼の背後には数名の生徒会メンバーらしき人影が控えている。
「理事長、ダンジョンの奥はほぼ制圧しました。しかし……この揺れ、もはや止められません。どうしますか?」
藤堂は魔眼の奥に冷徹な光を宿しながら、理事長に問いかける。
理事長は口元に笑みを浮かべて言う。
「よくやった。あとは私が魔導核を制御する。藤堂、お前は不要な邪魔者を排除しろ」
「了解です。……天城悠真、リシア先生、もはやここで終わりにしていただきます」
藤堂が無表情で宣告する。その瞳には最初に戦ったとき以上の殺気が宿っているのがはっきりわかる。
生徒会長として学園を守るという建前はどうしたのか――いや、それも“理事長の理想を実現する”という目的に利用されていたのだろう。
「先生、ここは一度退いたほうが……」
床が抜け落ちそうなくらい揺れが激しくなっている。魔導核も先ほどより不穏な光を増しているようだ。
このままバトルになれば、足場を失って全滅しかねない。
「逃がしませんよ、天城悠真」
藤堂がこちらに魔眼を向ける。まるで空間ごと引き裂くかのような圧力を感じ、頭が痛む。
同時に、理事長が台座の側へ歩み寄り、その手を魔導核に翳す。
「くっ……!」
真っ黒なオーラが理事長を中心に広がり、台座が軋んだ音を立てる。
魔導核の淡い光が徐々に濁り、さらに狂暴な震動を生み出そうとしている。
まるで、異世界とこの空間を無理やり繋ぎ直そうとしているかのようだ。
「リシア先生! 止めましょう! 今すぐ理事長を――」
言いかけたところで、藤堂が間に割って入る。彼の指先から膨大な魔力の奔流が放たれ、床や壁を削りながら俺たちを襲う。
先生が即座に防御の結界を張ってくれるが、衝撃で体が大きく揺さぶられる。
「先生、大丈夫ですか?」
「平気……! でも、この威力……明らかに前より強くなってるわ」
「ちょっとトレーニングでもしてきたんですかね、藤堂くん」
無理に軽口を叩こうとするが、内心は冷や汗が止まらない。
再び藤堂が魔眼をこちらへ向ける。視線が絡んだ瞬間、まるで思考が乱されるような感覚に襲われる。
「それが“支配の魔眼”……か」
生徒会長の秘術――相手の魔力や動きを制限する力だと聞いたことがあるが、これほどとは。
「悠真君、正面からは危険すぎるわ!」
先生の声で一瞬意識がはっきりするが、立て続けに藤堂の広範囲魔法が降り注ぐ。
爆音と粉塵に包まれる中、何とか回避行動を取ろうとするが、足元が崩れて踏み込みが鈍る。
「ちっ……!」
走り寄るつもりが、傾いた床で滑りかけ、逆にダメージを受けそうになる。
そのとき、先生が鋭い判断で俺の手を掴み、体勢を立て直してくれる。
「あなた、呑気に突っ込むんじゃないわよ! まだ奥の手を隠してるんでしょ?」
「先生、俺が奥の手見せたら、もっと心配するんじゃないですか?」
「心配してる暇なんてないわ。とにかく今は藤堂を突破しなきゃ、理事長の暴走を止められない!」
先生の瞳が俺に真剣な意志を伝えてくる。
守られる側だと思っていた先生が、今は俺の戦いを後押ししてくれている。
――ならば遠慮は要らない。
この崩れかけた場所で、最短で決着をつけるしかない。
俺は意識の奥底に眠る“ダンジョン適性”をこじ開けるように呼び起こす。
「藤堂、支配の魔眼、そう簡単には効かせねぇよ!」
そう叫んで突進しようとした瞬間、彼の瞳が怪しい光を放つ。
視界がぐにゃりと歪み、足に鉛のような重さを感じる。魔力がねじ曲げられるような独特の圧迫感。
「くっ……これが……!」
必死に踏ん張るものの、身体が反応を鈍らされ、思うように魔法を繰り出せない。
「悠真君!」
先生がカバーしようとするが、藤堂はそれも見越していたようで、複数の結界を次々に展開して先生の動きを封じようとする。
「ここで終わってもらう。理事長の理想を邪魔するわけにはいかない!」
藤堂の攻撃が、今度は的確に俺の心臓を狙う速度で迫ってくる。
間に合わない――そう思った刹那、耳元で先生の声が響く。
「あなたばかり無茶をするんじゃないわよ! 私にできることだってあるの!」
先生が放った魔力の弾丸が藤堂の結界の一角を砕く。
その一瞬だけ支配の魔眼の効力が乱れ、俺の足にかかっていた重圧が僅かに緩む。
「先生、ナイスアシストです!」
解放された一瞬の隙を逃さず、俺は懐に隠していた小型の魔力符を投げつける。
藤堂はすぐに警戒して結界を展開しようとするが、細工済みの符には“結界撹乱”の呪文を仕込んでいる。
結界と結界がぶつかり合ったその瞬間、空間が反発し合い、藤堂の動きが鈍る。
「今だ……!」
俺は一気に加速し、藤堂の懐へ踊り込む。彼が驚くように目を見開いたのがわかる。
「甘いですよ、生徒会長!」
一撃。
渾身の拳を藤堂の鳩尾へ叩き込む。魔眼の支配をギリギリまで耐え抜いた分の怒りを、その一撃に乗せる。
藤堂の身体が吹き飛ばされ、背後の壁に叩きつけられる。
「がはっ……!」
血を吐き、意識が途切れそうになりながら、彼はそれでも睨み続ける。
「……お前……一体……何者だ……」
「ただの問題児ですよ。先生のためなら、何だってやります」
その言葉に藤堂は苦痛と混乱の入り混じった表情を浮かべるが、やがて力が抜けて気絶する。
俺は膝に手をついて息を整える。激しい揺れがなおも続く中、先生が駆け寄ってくる。
「大丈夫!? あなた、ちょっと顔色が悪いわよ」
「まあ、少しだけ魔眼がキツかったです。でも、先生が援護してくれたから助かりました」
そう言って微笑むと、先生は緊張の糸が切れたようにへたり込みそうになる。
しかし、まだ気を緩めるわけにはいかない。理事長が魔導核をどうにかする前に、ここで止めなきゃならない。
「リシア先生、あとは理事長に集中しましょう」
「ええ……行きましょう」
崩落寸前の床を踏み締め、魔導核のある台座へ向かって走る。
理事長は魔導核に片手を当て、何やら呪文のような呟きを繰り返している。
青白く輝いていた核は、今や濁った紫色のオーラを放ち、バチバチと稲妻のような魔力を帯びている。
「理事長! 今すぐそれをやめろ!」
俺が叫んでも、彼は振り返ろうとしない。
むしろ楽しげに笑い声をあげる。
「見ろ、天城悠真。この核が完全に暴走すれば、学園は異世界と一つになる。いや、世界そのものが書き換えられるかもしれない。……御神楽教授も、この境地を求めていたのだよ」
「何が境地だ……そんなことをしたら、取り返しのつかない惨事になるだけだろうが!」
「本当にそうかな? もしかすると、人類はさらなる飛躍を遂げられるかもしれないぞ? もちろん、生き残れる者は限られるが……そこに価値があるのだ」
狂気とも信念ともつかない理事長の声。まともな交渉ができる相手じゃない。
先生が激怒に駆られ、剣を振りかざして理事長の方へ突撃する。
だが、核から放たれる魔力の斥力に阻まれ、数メートル手前で弾き返されてしまう。
「くっ……! まるで結界があるみたい」
先生が痛む腕を押さえて顔を歪める。
理事長はゆっくりと振り返り、薄い笑みを浮かべる。
「この核は私と同調を始めている。生半可な攻撃は通じんよ」
「先生、一旦下がりましょう。直接攻撃しても返り討ちになる」
「でも、どうやって止めるの……?」
俺はちらりと足元を見る。そこには無数の魔法陣が重なっていて、それぞれが干渉し合いながら核を守っているようだ。
以前に得た知識によれば、“核を制御する”には相当高度な魔術理論が必要で、下手に力任せに壊せば空間そのものが崩壊しかねない。
――だけど、俺には“賢者の書”の知識と、異世界因子を持つ特殊なダンジョン適性がある。
これを上手く使えば、一瞬だけ理事長の干渉を断ち切る隙を作れるかもしれない。
「先生、どうにかして理事長の足止めをしてください。ほんの数秒でいい」
「え、何をする気?」
「俺がこの核を制御します。……上手くいくかはわかりませんが」
先生は目を見開き、戸惑いと不安の表情を浮かべる。
でも、ここで立ち止まれば学園が飲み込まれる。リシア先生だって、本当は誰よりも危険を承知しているはずだ。
「……わかったわ。絶対に死なないでよ」
「もちろん。先生を置いて勝手に死ぬわけないでしょう」
俺が口元に軽く笑みを浮かべると、先生は一瞬だけ目を伏せて息を整え、そして理事長に向かって突進する。
狂気に支配された彼の意識を引き付けるためだ。
「理事長、あなたのやり方は間違ってる……!」
歪んだオーラをまとった理事長と、魔法剣を手にした先生が激突する。
――今しかない。
俺は魔導核の周囲に描かれた複雑な陣を凝視し、頭の中で“賢者の書”にあった制御術式を呼び起こす。
異世界のルールと現実のルール――この空間に流れる魔力の流れを一度に感じ取り、干渉点を探す。
何本もの川が合流する地点のように、いくつものルーンがぶつかり合っている場所がある。その接点を叩けば、ある程度強引に制御権を取り戻せるかもしれない。
「ふっ……こんなバグステージ、二度とやりたくないですね」
舌打ちしながら、俺は膝を曲げ、一気に魔力を解放する。
周囲の大気が震え、髪が逆立つほどの圧力が走る。
その瞬間、台座の下から青紫色の雷光が飛び出し、俺を襲おうとするが、寸前で回避しつつ干渉点へ手を叩き込む。
「うおおお……!」
まるで空間そのものと格闘しているような感覚。
内側から軋むような痛みが身体を駆け巡り、意識が飛びそうになる。
それでも、死ぬ気で耐えるしかない。先生のためにも、学園のためにも。
「くっ、何を……っ!」
理事長が先生を振り切ってこちらに視線を向けるのが見える。
次の瞬間、理事長が核に伸ばした手が震え、俺との繋がりが干渉を引き起こす。
光と闇が入り混じる激しい閃光がホールを覆い、理事長が苦痛の声を上げる。
「貴様……何をしている……! 魔導核の制御権を……奪うつもりか……!」
「そんな大層なもんじゃないですよ。俺はただ、先生や学園を守るために……!」
歯を食いしばり、魔力を一気に逆流させる。
バチバチという放電音とともに、理事長の手が弾かれ、魔導核から一瞬だけ離れる。その隙を狙って先生が横合いから突進し、理事長を吹き飛ばす。
「先生、ナイスです……!」
「はあ、はあ……理事長! いい加減諦めなさい!」
理事長は床に倒れ込んで苦しげに息をしている。俺もまた膝をつき、目がくらむような疲労に襲われる。
核の振動は弱まった――いや、まだ完全には止まっていないが、暴走のピークをやや抑えたように見える。
「あなたたち……愚かだ……この力を生かせば……世界は変わるのに……」
理事長が呪詛のような言葉を吐く。
見れば、ホールのあちこちが崩壊し始めていて、この場所自体がもう長くはもたなそうだ。
それでも、魔導核が完全に壊れていない以上、学園自体もなんとか踏みとどまっているはず。
「理事長、俺たちは世界を壊したいわけじゃない。先生を……学園のみんなを守りたいだけです」
強がり半分、本音半分でそう言うと、理事長は悔しそうに目を伏せる。
そして、崩落する瓦礫の隙間から、さらに複数の生徒会メンバーらしき影が駆け込んでくる。
「理事長! ご無事ですか!? ……くっ、天城とリシア先生が……」
彼らの眼には恐怖や動揺が見て取れる。
もはや、この空間はいつ崩れ落ちてもおかしくない。そうなれば生徒会のメンバーだろうが誰だろうが関係なく危険だ。
「先生、もうここは危険すぎます。魔導核の暴走はひとまず抑えましたし、離脱しましょう」
「ええ……でも、理事長は……」
先生が理事長に視線を送る。俺も視線を合わせるが、彼は悔しげにうつむいたまま動こうとしない。
「……もう放っておけ。ここは私が始めた研究の終着点……誰にも邪魔はさせん……」
「理事長、こんな状態で学園が守れると思ってるんですか!?」
「新たな理を創るには……破壊は必要なのだ……」
理事長の目は完全に狂気に染まっているように見える。
震えながらも魔導核へ再び手を伸ばそうとするその姿に、俺は強い怒りと哀れみを感じる。
やがて、上空から轟音とともに瓦礫が降り注ぎ、理事長の姿は粉塵の奥に隠されていく。
生徒会のメンバーが焦って駆け寄るが、床が崩れて足場が消えてしまい、どうにも近づけない。
――このままでは俺たちまで巻き込まれかねない。
「先生、急ぎましょう。これ以上は本当に無理です」
「……わかったわ」
先生もその決断を拒めないらしい。やるべきことはやった。今は生き延びることが最優先だ。
大きく傾いた床を踏みしめながら、俺と先生は崩れる壁の隙間を縫って一気に外へ駆け出す。
その背後で生徒会メンバーの叫びや理事長の嗤い声が入り混じるけれど、振り返っている余裕はない。
ホールの天井が完全に落下し、魔導核の光が混沌の中に呑み込まれていく。
やがて暗い通路を抜けてダンジョンの入り口付近へたどり着くと、急に冷たい風が吹き込んでくる。
上を見上げれば、校舎から繋がるはずの通路がぐちゃぐちゃに歪んでいて、まるで異世界と化している。それでも崩落の中心は先ほどのホール付近だ。何とか脱出できそうだと胸を撫で下ろす。
「先生、怪我は……?」
「大丈夫。あなたは? ずいぶん無茶したみたいだけど……」
「まあ、全身バッキバキですけど、先生が一緒にいてくれたおかげで何とか。ありがとうございます」
そう言うと、先生は苦い顔をしながらも、ほっとしたように小さく息をつく。
だが、学園の異変が完全に収まったわけではない。
天井から差し込む不気味な光は、まだどこかでダンジョンが拡大し、学園を飲み込もうとしている証拠だ。
理事長はどうなったのか、藤堂司はどうしているのか、わからないことだらけだ。
けれど今は、一歩ずつでも地上へ戻るしかない。
後ろを振り返ると、崩壊の中心に沈み込んでいく通路の奥で、魔導核の光がかすかに揺らめいているのが見える。
「先生、ひとまず学園に戻りましょう。まだ終わりじゃないけど、ここで倒れたら元も子もない」
「そうね……。兄の手がかりも、結局はっきりしなかったけど」
先生の横顔には悔しさがにじんでいる。でも、今は生き延びることが先決だ。
「あの理事長と生徒会をどうにかしないと、また同じことが起きるかもしれない。先生、放課後ダンジョンがどうなってるか確かめましょう」
「ええ、そうね。私は、あなたと一緒なら――」
そこまで言いかけて、先生は言葉を飲み込み、そっぽを向いてしまう。
けれど、その頬がわずかに赤く染まっているのを見逃さない。
「先生、今、何か言おうとしました?」
「べ、別に大したことじゃないわよ! さっさと地上へ戻るわよ!」
「はは。まあ、急ぎましょう」
彼女の背中を守るように後ろをついていきながら、俺はぎゅっと拳を握る。
理事長の狂気、崩れゆく実験施設、そして暴走しかけた魔導核――学園の闇は想像以上に深かった。
だけど、こんなところでくじけるわけにはいかない。先生を守って、学園を守って、そして世界の理をどうにかしようって決めたんだから。
大きく息を吸い込み、目の前の瓦礫を踏み越えて進む。
崩壊寸前の地下から続く階段をひたすら駆け上がり、地上へ出た先には、赤い夕陽が差し込んでいる。
風の匂いが、ほんの少しだけ懐かしい。
まだダンジョンは完全には消えていない。むしろ、これからが本当の勝負なのかもしれない。
けれど、先生が隣にいてくれるなら、俺はどんな危機が来ようとも決して折れはしない。
こんな危険が潜む放課後ダンジョンも、学園の歪みも、全部ひっくるめて――絶対にぶち壊してやる。
「先生、こうなったらもう遠慮しませんからね。理事長が何を企もうと、俺たちで止めましょう」
「あなた、最初はただの問題児だと思ってたけど……本当に、とんでもない生徒に目をかけちゃったわね」
「それ、褒め言葉ですよね? 先生が俺に期待してくれてるなら、もっと頑張れますよ」
「……バカ」
呆れたような口調で先生は笑う。ぎくしゃくした足取りでも、確かな意思を持った背中が頼もしい。
そして俺も、その隣を並んで歩く。
魔導核の暴走という大きな脅威を前に、俺たちはまだ生き延びている。
先生と二人、この放課後ダンジョンを抜け出した先に、どんな景色が広がっているのか――それはわからない。
だが、迷いや恐怖よりも、強い決意が胸を満たしている。
「先生、残業は禁止ですよね? でも、俺たちにはやらなきゃいけないことがある。それまで、俺は絶対にあきらめませんから」
足元の崩れかけた階段を踏みしめ、熱い風が吹き抜ける校舎の中へと走り出す。
学園の真実を守るため、先生の兄の行方を探すため、そして俺自身の“秘密”を明らかにするために。
全身に痛みを覚えながらも、俺はこの放課後ダンジョンが生み出した闇を、必ず打ち砕くと誓う。
面白い/続きが読みたい、と感じて頂けましたら、
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