41話 優しい魔法を使う少女
また時が流れ、十歳の誕生祝宴を終えて、しばし経った頃。
時折、昼食前におこなう広く美しい庭園での散歩の途中で――見知らぬ少女を見かけた。
背の高い、百合のような白い花のそばで、淡い薄緑の長髪がそよ風に揺れる。
うるむ水色のつぶらな瞳は、しおれた花へと注がれていた。
その心配気な表情に、つい足を止める。
私と同じ年頃だろう小さな令嬢に対し、何か言葉をかけようかと束の間迷った、次の瞬間。
そろりと片手を花へと伸ばした令嬢が、魔法を発動した。
それは――しおれた花を治癒する、癒しの水魔法。
小さな水の雫が、ぽとぽとと小雨のように降り注いだ後、白い花はたしかに花弁を艶やかに開き、元気を取り戻した。
……なんて、優しい魔法だろう。
そう思うと同時に、半ば無意識に令嬢が立つ場所へと足を動かしていた。
次いで、土を踏む音に振り返った令嬢と、ぱちりと視線が交わる。
何故か跳ねた心臓をなだめながら、ついさきほど考えた事を、言葉として紡ぎ出す。
「優しい魔法を、お使いになるのですね」
ふわりと、自然に浮かんだ微笑みと共に伝えた声は、自身で思っていたよりもやわらかな声音になった。
……何故、やわらかな声になったのだろう?
脳内で、自らに対する少しの不思議さ首を傾げていると、眼前でひらりと髪色よりも淡い薄緑のドレスが揺れる。
見事な淑女の一礼をしてみせた小さな令嬢は、頭を下げたまま口を開いた。
「お、おほめにあずかり、光栄ですっ!
第二王子殿下に、はじめてお目にかかりますっ。
ノルテッツ辺境伯家の第二子、長女の――フリア・ノルテッツともうしますっ!」
そろり、と姿勢を正した令嬢の水色の瞳と、視線が合う。
意図せず、また口元が緩んだ。
不思議に思いながらも、素早く今世で学んだ知識の中から、該当の家名を引き出す。
ノルテッツと言うと……北の魔族の森から、隣接する領地を守護している、辺境伯家だ。
【特務団】の団長ロデルスの家である、南の地を守護するスールッツ辺境伯家同様、このマギロード王国において、とても重要な立場の貴族家と言えるだろう。
丁寧な挨拶に応えるため、こちらも王族としての作法で軽く礼をして、挨拶を返す。
「はじめまして、フリア・ノルテッツ辺境伯令嬢。
第二王子、セルディス・マギロードです。
ノルテッツ辺境伯家の北の地の護りに、感謝を」
「こ、光栄ですっ! 殿下っ!」
私の言葉に、慌ててまた頭を下げる令嬢に、楽にするよう伝えてから、別の感謝を言葉に乗せる。
「王城庭園の花を癒してくれて、ありがとうございます」
さきほどの癒しの水魔法に対する素朴な感謝に、フリア嬢はぱちりと水色の瞳を見開いた後――はにかむように、可愛らしく笑った。
フリア・ノルテッツ辺境伯令嬢。
姉上よりも可愛らしい声音が告げた名前を、忘れないようにと頭の中に刻みつつ、その場を後にする。
「珍しいなぁ? お前が女の子に声をかけるなんて!」
「……からかわないでください、始祖様」
昼食のため、食堂へと向かう道中で、ずっと右肩に乗ったまま静かにしていた始祖様が、唐突にそう愉快気に告げた言葉に呆れた声を返す。
まったく、いきなり一体何を言い出すのだろうか、この始祖様は。
「いやー! 可愛かったな、あの嬢ちゃん!」
「それは……同感ですが」
母上に似て、将来美しい女性になることが確定している姉上とはまた異なる、とても可愛らしい令嬢だったことを、否定する気はない。
「でぇ? あの子にするのかぁ?」
「……何の事でしょう?」
どうしてか、心底楽しそうな声音で問いかけてくる始祖様に、そこはかとなく嫌な予感をおぼえつつも、一応問い返してみる。
「そりゃお前、嫁だよ、ヨ・メ!!」
……問い返さなくてもいいたぐいの内容だった。
「えぇ!?!?」
とたんに後方の近衛騎士たちや、訓練の合間の気分転換にと散歩について来ていた、【特務団】のミミリアとナターシャから、驚愕の声が上がる。
本当に、始祖様の好奇心にも困ったものだ。
このようなお遊びは、素直で善良な者たちを巻き込まないことが、鉄則なのに。
「みんな、本気にしないでくださいね。
始祖様は、私をからかって遊んでいるだけなんですから」
「はぁ~? 俺はかなり真面目に言ってんだが??」
思わぬ返しに、つい足を止めて始祖様へと視線を向ける。
コホン、と始祖様の咳払いが廊下に響いた。
「前の時にも、いい感じの相手がいたってのに、お前結局嫁さん貰ったり、子供が出来たりはしなかったんだろ?」
反射的に口を開き――閉じる。
こればかりは、返す言葉が見つからなかった。
「だ・か・ら!!
今回やっと、運命の乙女が見つかったんじゃねぇのかって、俺は思ったんだがなぁ~?」
「……勝手に、私の運命の乙女とやらにしないであげてください」
少々憮然とした声が出たのは、きっとこの手の話題が苦手だから。
ただ……それだけのはずだ。




