35話 幕間 煙る灰色の陰
マギロード王国の西の果て。
王家の森の、さらなる奥深く。
世界の端を示すかのように切り立つ崖の、その下にある小さな洞穴の中に――ソレはいた。
外に薄暗く広がる、森の暗さよりもなお陰に包まれた洞窟で、煙るようにうごめくのは、灰色。
ソレは、魔人。
ソレは、かつての厄災。
ソレは、今また災いを振りまこうと策を練る悪意。
煙のように、本来の人間に似た姿を崩したまま、かつて灰色の魔人と呼ばれたソレは、魔力に音を乗せて呟く。
『ほんの戯れとしては……えぇ。
少しは、愉快でしたねぇ』
ソレは、己が手を出して引き起こした混乱を、酷く愉しんでいた。
例えば、つい先ほど人間たちによって終わらされた、魔物たちの暴走。
人間たちに気づかれぬよう、長らく隠して来た地下のダンジョンから、魔物を溢れさせる計略は、見事に叶ったものの……ソレの予想以上に、早く戯れは終わった。
少し前には、一体の強い魔物に、自らより弱い魔物たちを凶暴化させる力を与えて、遊んだが。
これもまた、破壊を広げる前に、予想より早く力を与えた魔物が倒されてしまった。
つらつらと、ソレにとってはつい昨日企んだ事のようなはかりごとを思い出し、煙の姿の今はもたぬ口で嗤う。
『あぁ、そう言えば……。
あの、薄い比翼をもつ子を、忌々しい城に向かわせたのは……えぇ。
あれは、とても愉快でしたねぇ!』
くつくつと、洞穴の中に嗤い声が響く。
ソレが愉しげに呟いた一件は、第二王子セルディスが三歳の頃、彼の寝室の窓に穴をあけて入って来た、コウモリ姿の魔物による――あの、襲撃事件のこと。
『産まれたばかりの王子を襲わせようと思ったのですが……なかなか、そこまでは手が届きませんでしたねぇ。
いやぁ、残念、残念……』
本当に心底残念そうに、それでも嗤い声を零し続けながら、ソレはさらに独り呟く。
『魔力色の髪の王子など……排除は早ければ早いほど、都合がよかったのですが、ねぇ』
その言葉こそが、あの襲撃事件の糸を裏で引いていた、ソレの真意。
かつて、自らを消滅の一歩手前まで追い込んだ――魔力色の髪と、紫眼を持つ人間の魔法使いの、その代わりに、と。
同じ色を持つ幼い王子を、消し去ってしまおうと、ソレは考えたのだ。
この時代に至り、ようやくかつて削られた力の多くを取り戻した灰色の魔人は、次は何を使って破壊し、遊ぼうかと思考する。
魔力の揺れがおさまり、洞穴内がシンと静まり返る中――ふいに、洞穴の外に別の魔人が姿を現した。
『おや?
これはこれは、獣の魔人ではありませんか!
ようこそ、ワタシの住処へ』
愉快気に声を弾ませた灰色の魔人に対し、新たに現れた魔人――狼の耳と尾を持つ人間に似た姿を持つ魔人は、不機嫌そうに低く喉を鳴らす。
「オマエが、一番古いヤツだときいた」
『えぇ、合っていますよ。
ワタシが、一番古い魔人です。
この土地では、ねぇ』
獣人姿の魔人の言葉に、灰色の魔人はやはり愉しげに答える。
まるで、獣人姿の魔人がここへ訪れることさえ、予想していたかのように。
また不機嫌に喉を鳴らした獣人姿の魔人は、人間の瞳に似たその赤い炯眼を、煙る灰色の魔人へ鋭く注ぎ、言葉を続ける。
「影の中がスキな、カワイイ子分たちが、たくさんやられた。
オマエのせいだ」
『おやおや、それは違いますよ?
あの子たちを消したのは――あの人間たちでしょう?』
二体の魔人たちが交わした言葉は、まさについ先ほど片が付いたばかりの一件を指していた。
灰色の魔人によって、意図的に隠された地下のダンジョンで、すくすくと育ち……やがて驚異的な存在となって、冒険者たちを襲った、闇を好む狼姿の魔物たち。
獣人姿の魔人にとって、あの魔物たちは自らが率いる同族の、その一つに含まれていた。
その魔物たちが、第二王子セルディスや強者の冒険者たちによって、ことごとく倒されたことに、今回の件に関わる灰色の魔人へと、獣人姿の魔人は怒りをあらわにする。
多くの姿を持つ魔人の中でも、動物の姿を持つ魔人たちは、一様に魔族の本能である破壊衝動を、さらに強く宿している。
ソレらが怒る様は、同じ魔人であっても、忌避する場合さえあるほどだ。
しかし……あいにく。
特に老獪な灰色の魔人にとって、獣人姿の魔人はただ本能のままに動く、単純なモノに見えていた。
灰色の煙は、また嗤う。
『それでは……また策を考えましょうか!
アナタが、あの人間たちに――報復が出来るように』
くつくつと、洞穴の中に嗤い声が響く。
不気味なほど……外に音が、漏れないままに。




