23話 人間らしくなったから
冒険者登録をおこない、ついでに昇級試験を合格して、無事に銅級冒険者の証である銅板のカードを手にすることが出来た。
「殿下ならいつでも歓迎ですぜ!!」
「ありがとうございます、ギルド長」
豪快な笑い声を上げる、ギルド長ドレイクに感謝を告げ、石造りの建物から外へ。
眩い橙色に周囲を見回すと、帰り道である大通りはすっかり、夕陽に染まっていた。
その、鮮やかな夕陽に照らされて――ほんのりと色付いた長い茶色の髪が、風に揺れる姿に。
ハッと、息をのんだ。
それは、前方で仲間たちと談笑しながら歩む、見慣れない冒険者の後ろ姿が、見えただけのこと。
そう、ただそれだけの光景だった。
……それなのに、何故か。
息を詰めるほど、鮮やかに。
かつての時に親しくしていた、冒険者たちの顔が。
苦楽を共にした、戦友たちの顔が――頭を、過ぎってしまった。
「セルディス殿下?」
【特務団】副団長ユシルが、不思議そうにかけた声に、ひっそりと深呼吸をする。
「……何でもありません。
帰りましょう」
「は、はい」
つとめて落ち着き払った声で、伝えたつもりだったが。
ユシルからの返答にも、近衛騎士二人の表情にも、戸惑いと心配が含まれていた。
馬車に揺られて王城へと帰る道中も、気遣うような視線が注がれている事は、分かっていたのだが……。
問題ない、と彼らを安心させる言葉を、伝えることは出来なかった。
今は、胸で渦巻く感情を、抑えることに集中する必要があったから。
王城へと帰還し、自室へと戻り、そこでようやく口を開く。
「――少しだけ、一人にしてください」
「……承知いたしました」
部屋の中に入ったとたんに、はじめて聞く内容の指示を受け、執事や侍女たちはさぞ戸惑ったことだろう。
しかしそれでも、彼や彼女たちは、すぐさま隣の部屋や廊下へと移動して行き、私をこの部屋で一人きりの状況にしてくれた。
窓辺に一人立ち、つと息を詰める。
夕暮れに染まる城下を見下ろして、思い浮かぶのは。
――前世での、冒険者ギルドの光景や、戦友たちとの冒険の、日々。
かつて、一番長い時間を過ごした場所。
かつて、一番関わりが深かった人たち。
同じ建物の中に満ちた喧騒は……しかし、どうあっても新しく。
ようやく……本当に、今さら。
――もう二度と、見慣れたあの人たちに会うことは出来ないのだと、痛感した。
胸が、苦しい。
寂しさとは、こうも……胸を締め付けるものだっただろうか。
にじんだ視界があふれ、涙が頬を伝う。
反射的に左手で眼鏡を外して、右手で目元を隠す。
息を、なんとか吸い込み、吐く。
涙を流すほど、感情があらわになることなど、前世ではなかったのに。
……そもそも、前世では八十年も生きた身として、親しい人たちを見送ってきた側だったのだ。
だからこそ、どれほど懐かしく思っても、再会することは叶わない、と。
「分かり切っていた、はずでしょう……」
思わず、そう小さな呟きを零すと――ふいに、両頬をそよ風が撫でた。
ハッと顔を上げると、いつの間にか目の前に、風の君が浮いている。
……おそらく、私の現状を察知して、なぐさめにきてくれたのだろう。
風の君はいつも、人間の事など分からないと言いながら、それでもずっと優しく私に寄りそってくれていたから。
つい先ほど、両頬にそえようとしてくれていたのだろう手が、今度は片手だけ伸ばされ、優しく頭を撫でられる。
「お寂しいのですね? 我が君」
――さみしい。
あぁ、その通りだ、と素直にうなずくと、風の君はそよ風のように笑った。
「人間らしく、なりましたね」
「――え。
風の君には私が、人間ではないものに見えていたのですか?」
青天の霹靂とは、まさにこのことか。
あまりにも予想外の言葉の衝撃に、涙も引っ込んだ。
「いえいえ!
ただ、こう……上や後ろから、いつもご自身を観ていらっしゃいましたから。
今は、ご自身の中から見ているところが、人間らしいな、と」
そこまで言われて、ようやく納得する。
「あぁ……たしかに、前世では客観的に物事を見ていましたが、今世では自分事として感じることが多いですね」
次いで、気づいた。
今世では本当によく、自分事として感情が動いている。
だからこそ、今回の涙に繋がったのだろう、と。
「なるほど――人間らしく、なりましたか」
ストン、と胸に収まった深い納得に、もう一度うなずく。
眼前で、ぱっと涙のなごりを風で飛ばしてくれた風の君も、笑顔で口を開いた。
「えぇ! ところで、それはそれとしまして。
我が君にはわたしも、それに……おおいに不服ではありますが、彼もいるのです。
今回の我が君でも、問題なくあの魔導書を開くことが出来るでしょうから、お寂しいのでしたら、彼を目覚めさせればよろしいかと。
……わたしは、不本意ですが」
「……あの方を?」
不服さを表しながらも、そう伝えてくれた風の君の提案に、思わず紫の瞳をまたたく。
同時に、そうか、と呟きが零れた。
せっかく、人間らしくなったのだから。
素直に、寂しいから一緒にいて欲しいと――そう、始祖様を叩き起こして、今世に巻き込んでしまえばいいのか。




