1話 襲撃と記憶
あぁ、これは夢だな、と思った。
同時に、かつての記憶――前世の記憶だ、とも。
夢の中の視界に広がるのは、青と銀を基調に、地下とは思えないほど整えられた、気品ただよう一室。
かつて、頭上から落ちてきた本の角が、額に直撃した瞬間からはじまりを告げた日々の、その最初のワンページを彩った場所だ。
その室内でたたずむかつての私は、丁寧に両の掌で持った、古い本を見つめている。
それは幼い頃の私の額を強打した、数多の魔法を刻んだ魔導書で、この世に二つとない貴重なもの。
かつての私はその魔導書を、執務机などと呼んでいた、磨かれた机の上にそっと置くと、濃い藍色に美しい銀糸の装飾をあしらった、ビロードのような手触りの表紙を撫でた。
文字通り、この王国にとって国宝級である、大切な私の一番の宝物を。
あまり男らしさのない細い指先で、優しく、感謝の気持ちを込めて。
それから、口を開いて、最後に言葉を――。
――バリィンッ!!
耳をつんざくような破壊音に、一息に夢の中から現実へと、意識が覚める。
反射的に向けた視線の先には、粉々に砕け散り、穴を空けた窓。
そしてその破片が落ちた場所で身を起こす、人間の幼子ほどの大きさをした、巨大なコウモリ姿の魔物が、一体。
いやに鮮やかな赤色の炯眼が、素早くこちらを見た瞬間――思わず小さな右手を魔物に向け、光魔法を発動する。
刹那、夜の暗さに満ちた部屋を一瞬だけ眩く染め、小さな白雷が黒々としたコウモリを射抜いた。
突然の魔物の侵入から、キ――ッ! と今まさに上がった甲高い悲鳴が、広々とした部屋の中に響くまでの時間は、ほんの数秒間。
直後、この寝室に繋がる扉を勢いよく開き、二人の近衛騎士が部屋に飛び込んできた。
「殿下っ!!」
「おのれ魔物めッ!!」
一人は素早く、ベッドで寝ていた幼い私を抱きかかえ、もう一人はさきほど私が一撃を与えた魔物へと、剣を振るう。
コウモリ姿の魔物の腕が剣と交差し、拮抗状態になる光景を、流れる視界の中で確認しつつ、三歳になったばかりのこの身を抱え上げた近衛騎士の腕に抱かれたまま、開け放たれていた扉へと向かう。
と、次いでもう一人の人物が真横を駆け抜けた。
「引け!」
「はッ!!」
凛と響いた威厳を宿す声に従い、魔物と交戦していた近衛騎士がサッと後ろに飛び退る。
次の瞬間、涼やかな音と共に、魔物が氷の像となった。
実に見事な氷魔法を使った人物は、パッと振り向き、隣の部屋へと退避していた私と近衛騎士を紫の瞳に映して、焦った表情で口を開く。
「セルディスは無事か!?」
「はい、陛下。お怪我は見受けられません」
「そうか……。
セルディス、父上はまだ少し用事が残っているから、先に母上のところに行って、兄上や姉上とすごしていておくれ。いいな?」
「はい、ちちうえ」
セルディスは、今世の私の名前。
そして陛下と呼ばれた、目の前に立つ銀の髪に紫の瞳を持つ精悍な青年は、今世の私の父だ。
近衛騎士との短いやり取りの後、私へと向けられた心配の眼差しと優しい言葉に、舌足らずながらも、安心してもらえるようにと父上に言葉を返す。
それにひと時微笑みをうかべた父上は、しかしすぐに再び魔物へと向き直った。
視線だけで、私を抱きかかえる近衛騎士に指示を送った父上の姿を、素早く身をひるがえして再び走り出した近衛騎士の肩越しに、かろうじて見る。
次いで、すでに離れていても明確に感じた清らかな魔法の気配に、父上が光魔法によって魔物を消滅させたのだと分かった。
長い廊下を、王城騎士や王城魔法使いたちとすれ違いながら進む間、静かに思考を巡らせる。
完全に眠気が飛んでいるとは言え、まだわずか三歳の身で、これほどまでしっかりとした思考力があるこの感覚には……おぼえがあった。
これはいわゆる――記憶持ち、と呼ばれる現象。
この世界において【創世神の愛し子】と呼ばれる、珍しい恩恵を授かった者の証だ。
前世でも、同じ状況だったため、間違いないだろう。
魔物の襲撃により目覚める前に見た、あの夢の場面は、その前世でも特に思い入れのある出来事だった。
完全に取り戻したその記憶を、近衛騎士の腕の中で思い出していく。
前世の私は、王家の血を引く公爵家の、分家であった伯爵家、その当主の落とし子として生まれた。
幼い頃に貧民街に捨てられ、とある特別な出逢いを経て冒険者となり。
王家の瞳を持つことが知られた後は、王家の養子となって保護され、のちに魔導公爵の地位を得た。
大魔法使いであり、冒険者としては最上位の天級であったその前世でも、前世の記憶を持つ【創世神の愛し子】だったのだが……。
残念ながら、そのもっとも古き記憶は、ずいぶんとおぼろげなもので。
それは、三度目の人生という認識である、今回も変わらず。
ただ……おそらくは、魔法とは異なる技術が発展した異世界の地で、成人になるまでは生きていた、と言うていどだった。
「殿下、もうすぐお母君とご兄姉がいらっしゃるお部屋に着きますよ」
ふいにそう、頭上からかけられた近衛騎士の声に、意識を今この時に戻しつつ、そう言えばと、幼さゆえにつたない記憶の中から思い出す。
今世はどうやら、前世の母国でもあった、この世界における六大古国の一つ。
――マギロード王国の、第二王子として生まれたらしい、と。