第四話 策謀のマリア
モジリアニに向かって屈託ない笑顔を浮かべて女性は挨拶する。
「私はマリア、ここには結婚のためにきたよ。おじさんはこの館の当主?」
下町なら問題のない挨拶だが、これは減点だとリサは判定していた。
「マリアさん、初対面でいきなりのその挨拶では失礼ではないですか?」
注意はマリアを思っての対応ではない。モジリアニに対するアピールだ。
「私は当主様を敬っています」と言葉で言っても人は信じない。さり気なく気遣っているのを相手に気付かせてこそ気分をよくさせる。
マリアと花嫁の座を巡って争うなら、マリアを貶めつつ点数を稼ぐのが上策。汚いとは言うまい。マンサーナ島のお見合いとは戦いであり、これは戦術である。
モジリアニはマリアの無礼な挨拶にも笑顔で応える。
「マリアさんお噂通りの元気な方ですね。私は当主のモジリアニ・ローズです。遠い所から息子たちのために来ていただき感謝しております」
マリアの挨拶をモジリアニは気にした様子はない。気にした様子がないが、モジリアニの顔と言葉が本心とは限らない。金持ちや上流階級は態度を偽ることに慣れている。
騙し合い、貶しあいがある世界では当然の処世術。
リサは気付かない振りをしてマリアの出方を見る。敵の実力を見誤れば花嫁の座は危うい。
あっけらかんとした態度でマリアは告げる。
「私を花嫁に選んでよ。私は器用だからなんでもできるよ。男を喜ばせる技術だって凄いよ。こんな立派な花嫁はちょっといないよ」
軽く眉を顰めて嫌悪の表情をリサは作る。リサが育った下町ならやはりこの手の冗談交じりの会話は問題ない。だが。こういう場所での下ネタはマイナスにしかならない。
それがわからないマリアではない。本当に花嫁の座を射止めたいのならおかしい。マリアの手の内が読めない。
マリアの言葉を聞いてもモジリアニは怒らなかった。たしなめもしない。
「まだ会ったばかりですからね。すぐには決められませんよ。それに結婚相手を決めるのは息子たちですからね。まずは息子たちのことを知ってほしい」
モジリアニはマリアの不謹慎な言葉を軽く流した。すると、マリアは笑顔のまま言葉を続ける。
「ならローズ家のことを教えて。この家の財産って、どれくらいあるの?」
「こいつマジか?」とリサは心の中で突っ込んだ。ローズ家が金持ちなのは知っている。だが、それは噂であり具体的な数字は知らない。知りたいが、普通の神経ならこの場で聞けない。
小首を傾げてちょいと考える仕草をモジリアニはする。
「世間ではどう思っているかはわかりませんが、そんなにはありませんよ。財産はこの島とあと金庫の中の金。年間収入は近くの魚村の徴税代行料。御先祖様のレシピ権利料ですかな」
マリアの顔が瞬間的に真剣になる。
「年間収入は金貨にして三千枚。館の維持費、使用人の給与、交際費、プレゼント代、生活費、いざという時の積み立て金を考えると、年間の利益が金貨三百枚くらいか」
貴族の生活が思ったより金のかかるものだと知った。それでも、年間に金貨三百枚も増えていくなら羨ましい限りだ。
モジリアニはサラリと認めた。
「そんなところですね。銀行に預けている預金とか国債とかもあります。ですけど、銀行は破綻する可能性があるし、国債も王家の財政難の絡みがある。戦争に負けると預金は没収で国債は紙切れだから価値は計算していませんね」
軽い調子でマリアは相槌を入れた。
「賢明だね。今の銀行は貸し出しを増やし過ぎだよ。どこかが貸し倒れを起こしたら連鎖倒産があるね。それに王家は国債を乱発しすぎだよ。あれじゃ国債が紙切れになる日がきっとくるよ」
マリアの言葉はリサに衝撃だった。リサのいた街では銀行家は羽振りが良い。豪奢な王家が財政難で潰れるとも思えなかった。だが、もし国の財政が行き詰まったら大増税がくる。
そうなれば、リサのような生い立ちでは、路上ですら生きてはいけない。
マリアの言葉を冗談に思いたかったが、モジリアニの顔が否定している。金持ちの間では懸念事項なんだと知った。
これお見合いが失敗したら、私は野垂れ死になんだろうか? 花嫁候補選びに負ける気はないが、自分がいかに危険な場所にいるか初めて知った気がした。
リサがショックを受けているとマリアの言葉が続く。
「ところで奥方様はいないの?」
屋敷でローズ家夫人を見てはいない。まだ会っていないだけかと思っていた。
「妻なら十二年前に亡くなっていますよ」
不謹慎だが義母による嫁いびりはないと知りリサは安堵した。リサは悲し気な表情を繕う。そっと寄り添いの言葉をモジリアニに掛けた。
「男手一つで息子さんたちを育てられたんですね。さぞや大変でしたでしょう」
リサは順当な言葉でいたわったのに対し、マリアがしれっとした顔で話す。
「人はいつか死ぬからね。嘆いてもしょうがない。そんで、モジリアニさんはいま独り身なの? 愛人とかいないの」
マリアの言葉にリサはびっくりした。
「こいつ、なにぶっこんでんだ」と心の中で喚いた。さすがに、モジリアニは注意するかと思ったが違った。
「そうだね。いま、独り身だね」
「なら、後妻を迎えるのもありだね」
マリアは独りで納得すると、荷物を持って屋敷の中に入っていった。
ローズ家の人間なら空いた口が塞がらない。だが、リサはここで第三の選択肢を見た。花嫁を探しているのは二人。だが、実質の結婚枠は三人だ。モジリアニとは結婚するには年が離れすぎている。
でも、年齢さえ我慢すればリサの望む家庭が手に入るかもしれない。打算的に見れば息子が二人いるなら家を継ぐのはどちらか一人。確率二分の一で家から追い出される未来もある。
だが、ここで『当主の後妻』の地位に就けば、追い出されない。
金持ちや上流階級は体面を気にする。可哀想な後妻を演じれば追い出されはしない。温かい家庭からは外れるが、国が破綻してからの野垂れ死にコースは免れる。
「マリアの狙いは後妻コースかしら?」と気になった。
マリアは結婚相手の年齢は気にしないのかもしれない。もし、マリアが後妻の座を射止める気なら、完全敵対はお見合いの最終局面において危険だ。モジリアニがマリアに骨抜きにされれば息子の結婚に関与してくる。
息子の花嫁狙いなら強力な対立候補になる。敵対するのがいいのか、味方にしておくのがいいのか判断に迷った。
「打算に塗れた考えにリサは嫌気が差さないの」とリサの心の声がした。
「差さない。中流や下層の上の人間なら理想の結婚を追ったらいいわ。だけど。何もない私にはこれしかないのよ」と言い訳する。惨めかもしれないが、持たざる者の生き方だ。