第三十話 花嫁
ロッソの家のドアをノックするが返事がない。ドアノブに手を掛けると鍵はかかっていなかった。
ドアを開けると、家の中には家具がなかった。服もなければ、靴もない。逃げ出すために前から準備をしていて、逃げた後のようだった。
「無理もないわね。戦争が始まるのなら、逃げ出したくもなるわ」
諦めて屋敷に戻ろうと振り返ると、ロッソがいた。ロッソは長旅の支度を済ませた恰好でいた。慣れたのでロッソがいきなり出て来ても驚かない。
「間一髪で間に合ったわね。ロッソ、私はどうすればいいと思う?」
「好きにされたらいいと思いますよ。ここは危険なので私はこれで失礼します」
素っ気なくロッソは告げる。ロッソはさっさと去ろうとしたので止める。
「ケチなこと言わないでよ。困っている乙女を助けてよ」
胡散臭い人間でも見るかのような顔でロッソは酷評する。
「乙女が聞いたら怒りそうなセリフですね」
こうしてロッソとやりとりできなくなるのは寂しくもある。短い間だがローズ家で一番好意を持てた男性はロッソだ。
今となっては意味がないが、もしロッソが嫁を探していたのならロッソに決めたかった。
眉をひそめてロッソが釘を刺す。
「私を連れて逃げて、とか言わないでくださいね。私はリサさんを連れていきませんよ。行き先は遠い所なので」
本当にロッソはこっちの考えを理解してくれる。
「餞別代わりに一つ教えて、エランさんが急に私を選ぼうとしている理由はなんなの」
呆れた顔でロッソは言い返す。
「餞別ってこの場合はリサさんが旅立つ私にくれるものでしょう」
「一生のお願い、教えて。教えてくれたら抱かれてもいいわ」と手を合わせてリサはロッソを拝んだ。ロッソにしてみれば「そんな時間ないんですけど」と言いたいのだろう。
ベルコの声がした。
「教えてやるよ、リサ。エランは母親の魂をお前に憑依させて蘇らせるつもりなのさ」
びっくりしてリサが振り返ると返り血を浴びたベルコが険しい顔が立っていた。ベルコの手には剣が握られていた、剣は血に染まっている。ベルコは誰かを斬ってここに来た。
驚きのエランの意図を知りリサはロッソを見る。ロッソはベルコを見ても恐れも驚きもしない。
「ベルコさんの言葉は正解ですね」とリサに軽い口調でロッソは教えた。
ベルコは片手を差し出す。
「リサが残った場合の話だ。ローズ家の人間には母親のレイアの代わりとして大事にされる。だが、それがリサの幸せなのか? 人形のような一生で満足か? ここにいてもリサは幸せになれない」
ベルコの言葉に確証はない。でも、嘘とは思えなかった。リサの心に迷いが生じるとベルコが優しい微笑みを浮かべる。
「リサ、私と一緒に来い。迎えの船がもうじき来る。一緒に島を出よう」
思ってもいないベルコの言葉にリサは激しく動揺した。思わずベルコの手を取りたい衝動を感じたが、一歩が踏み出せない。
リサが迷っていると、ロッソが促す。
「重要な決断ですよ。何を選んでもいい。決断に相応しい結果が付いてきます。ただ、考える時間はあまりないですよ」
マンサーナ島の人間がベルコに殺された事実を血塗られた剣が教えている島で何かが起きれば、ローズ家の人間にはすぐにわかる。追手が来るのなら迷う時間はない。
エランがリサを選ぶ理由は母親代わりの人形にするため。リサの意識がどの程度、残るかは不明。それなら、まだ空腹を抱えたほうがいい。人として生きていける。
リサが決断をしようとした時に、もう一人のリサが冷静に囁く。
「ベルコがリサを選ぶ理由を考えて。召喚石の指輪を持っているからよ。ベルコは人間のリサをほっしてはいないわ。兵器としての指輪がほしいだけよ」
改めて血に染まったベルコを見る。怖い、と思った。ベルコの手は今も昔も血に染まっている。きっとこれからも染まり続ける。
ベルコが人間としてリサを傍においても、戦いから逃げるベルコではない。
戦いの連鎖に生きるベルコの手をリサは取れなかった。
「ごめんなさい。私はベルコとは行けないわ」
ベルコが怒鳴った。
「お前はそれでいいのか! ここからは一人で逃げられると思っているのか」
「逃げられないと思う。でも逃げられない理由でベルコの手は取れない」
諦めたのかベルコはふっと息を吐く。
「残念だよ。リサ、お前を手にかけたくなかった」
心が苦しいが正直に告白する。
「私も残念よ。ベルコとは仲良くしたかった」
ベルコの顔に殺意がたぎる。怖くないといえば嘘になる。だが、リサはベルコの顔から眼を離さなかった。
ロッソが空を見上げる。
「タイムリミットです」
激しい爆音がした。顔に泥の塊が飛んでくる。耳が痛い。目を開けると、ベルコが立っていた場所の地面がえぐれていた。後には折れた剣だけが残っていた。
「マンサーナ島が敵艦の長距離砲の射程に入りました」
リサは最後にベルコへの別れの言葉を口にする。
「さようなら、ベルコ。優しい人」
ロッソが歩き出そうとしたので、リサはロッソの手をしっかりと握る。
「お願い、私を連れて逃げて」
「だから、私は貴女を連れていけないんですよ」
リサは目に力を込めてはロッソを見据える。
「私は貴方を愛しています。私の生涯を貴方に捧げます。フェアリーサークルの向こうに私を連れてって!」
ロッソはリサの言葉にびっくりした。
「なんでその言葉を知っているんですか?」
「魔法の言葉です。ここが使い時です」
初めてロッソが怒りを露わにした。ロッソの顔が真っ赤になる。それでも、リサはロッソを見つめた。諦めたのかロッソは俯きがっくりと肩を落とした。
「レイア、酷いよ。僕を息子にしたいって言った時は愛おしいからと言っていたのに。あれはこの時のためだったのかい。息子の嫁は家族だけど、これはないよ」
ロッソは人間ではなかった。驚きはしない。言われれば「そうね」と納得できる。ロッソの正体はローズ家に出入りする妖精だ。
レイアに家族を守るように命令されていたロッソには逆らう術はないらしい。
嫌々なのかもしれないがロッソがリサの手を引く。
「さあ僕のお嫁さん、フェアリーサークルを通って逃げるよ」
「逃げるってどこへ?」
「君が幸せになれる場所さ。いや、ローズ家の家族が幸せになれる場所だよ」
迷っている時間はない。次に砲撃を受ければリサは生きてはいない。どこに向かうかは知らないが、走ろうと決めた。全ては未来のためだ。
走りながらリサは思う。結婚が決まると慌ただしいっていうけど、本当なのね。
【了】
©2024 Gin Kanekure
初めて書いた恋愛ファンタジーでしたが、結果は散々でした。また、機会があったらこんなのを読みたいと思う方は感想をください。別にもういいや、と思うのならそっとしておいてください。
それではまた別の作品でお会いしましょう。




