第二十二話 エランの誘い
朝食後、中年の女性の使用人が部屋にやってきた。中年の女性は小太りで栗色のふわっとした髪が印象的だった。使用人用の服を着ていたが、小奇麗である。
また、制服にワンポイントだが、菊の刺繡がしてあった。
刺繍は大きくないが凝ったもので洒落たものだった。使用人の制服なので変化は付けられない。そんな中で精一杯の自己主張のように感じた。
明るい顔で使用人はお願いしてきた。
「水着を作らせてもらうマジエだよ。下着になってくれるかい。可能な限りピッタリに仕立てたいからね」
リサはマジエの指示に従う。着ている下着は新しい品ではないが、恥ずかしがってはいられない。サイズを間違えられて泳いでいる最中に脱げたら間抜けだ。
マジエは手慣れた手つきで採寸してサイズをメモに書き込んでいく。マジエの手際が良いのでリサはマジエが元プロだったのではないかと推測した。
「どこかのお店で働いていたんですか?」
マジエは手を動かしながら愛想よく答える。
「生まれは街の仕立て屋だよ。父の仕事の縁で会った別の仕立て屋の若旦那と結婚した。結婚後も女物の服は私が縫っていたよ。服ができていく姿を見るのが好きだったのさ」
「御主人とはローズ家のお屋敷で一緒に働いているんですか?」
寂しげにマジエは笑う。
「亭主は街で借金をこさえて私を置いて逃げちまった。その後、なんだかんだでこのお屋敷の御主人に拾われて働いている」
借金の理由はリサからは聞かなかったのだが、マジエが勝手に話した。
「逃げた亭主は服を仕立てる腕の良い人だった。デザインの才能はいまいちだったけどね。真面目な仕事をする男だったんだけどねえ。真面目、過ぎたのが悪かった」
博打、女、酒、どれかにはまって店を潰したな、とリサは勘ぐった。別に珍しい話ではない。遊んでいない男が仕事で成功して金を持つ。そのまま誰かに誘われて遊びにのめり込む。
それで生活が破綻するなんてよくある話だ。
「男の人って考えているようで、考えていないところがありますからね」
「私に男を見る目がなかっただけさ」
採寸が終わったところで、水着の形を決める。タイプは十六種類あり、スケッチに起こしてあった。際どい物から、おとなし目の物まである。
スケッチのページを捲ると、他にも使用人用の衣装のスケッチがあった。
スケッチブックは厚い。これに全てデザインが描いてあるなら、大したものだ。
「素晴らしいデザインですね。華美さはないですが実用的で着易そう」
褒められたマジエは照れたのか微笑む。
「物はいいようだね。よく言えば機能的だけど、他の奴に言わせれば私のデザインは田舎っぽいんだよ」
マジエは店を続けたかった。大好きな服を作り続けたかったんだな、とリサは理解した。女性が活躍する時代になってきた。だが、進歩的な街でも女性が仕立て屋を持つのは大変だった。
店を貸す人も布を売ってくれる人も少ない。だから、マジエはお屋敷でこうして昔の夢を見ながら時折、針仕事が来るのを待っている。
「亡き奥方様の服も作られたことがありますか?」
「もちろんだよ。奥方様は快活なお方だったけど、洋服もよく作られた。年に四回は私に仕立てを頼んで来たね。街で頼めば高いっていったけど、あれは違うね」
レイアはマジエの楽しみをわかっていた。だから、季節柄洋服を作らせていた。当主の奥方の頼みとあればマジエも張りきって働ける。
マジエは昔を懐かしむ。
「あの頃は楽しかったよ。デザインを二人で考えて私が縫う。私が作った服を奥方様が着て感想をもらう。他人に褒められた時はきちんと教えてくれた」
レイアは気配りができる人だった。
リサはデザインを見ながらおとなし目のワンピースタイプの水着を選び注文した。
「色は赤でお願いします」と頼むと、マジエは快諾した。
「布はあるから大丈よ。任せておきな、リサさんの魅力が引き立つ水着を作るよ」
オーダーメイドの水着の注文にリサは心が踊った。マジエが出て行くと部屋のドアをノックする者がいた。マジエが何か聞き忘れがあって戻ってきたのかと思いドアを開ける。
ドアの向こうにはエランが立っていた。エランの顔はムッとしている。
「話がある。森を歩きながら話そう」
はっきりと言わないがレイアの墓の件だとすぐにわかった。エランとの関係はあまり良くない。嫁に選んでもらいたいリサとしては断る手はない。
エランとの関係ではベルコがリードしているが、巻き返せないほどではない。
「支度をしますので玄関で待っていてください」
リサは玄関でエランと落ち合う。エランは当然のように森の中に向かって行く。やはりな、とリサは思ったが黙って一緒に行く。
「風も穏やかで、良い天気ですね」
我ながら白々しい挨拶だとは思う。だが、男とは面倒臭い生き物できっかけをこちらから作ってやらねば頼み事一つできない奴もいる。
森を歩きながらエランは尋ねる。
「森の中に母上の墓があるだろう? どこにある」
「私もレイアさんの墓に行けたのは一度きりです。もう一度、行こうとしたのですが無理でした」
エランが立ち止まり、キッとリサを睨みつける。
「嘘ではないだろうな?」
「嘘を言ってどうするんですか、私はエランさんと選ばれようとお見合いにきているんですよ」
正直な気持ちを告白したのだったが、エランは別の意味にとった。
「教えて欲しければ、結婚しろというのか?」
「完全に母への思いを拗らせているわ」とげんなりした。マザコン男に良い印象はない。しかも、頭に血が上ると周りが見えなくなる人間ならなお悪い。
こういう男は上手く行っている時はいいが、上手く行かなくなると暴力夫に豹変しかねない。
金がなければ、さようならしたい。だが、エランは金持ちの家の長男だ。それもリサが血を吐く思いをしても一生稼げない額を持つ金持ちである。
『主導権と子供を渡さなければ良いだけ。言葉が通じるだけ猛獣よりはまし。この世には貧困より恐ろしく忌むべきものない』と、リサは腹を決めた。
「脅して結婚するような真似はしたくありません」とキッパリとリサは告げる。もちろん、嘘だ。何が何でも結婚したい。
ただ、馬鹿正直になる必要はない。自分を良く見せて高く売り込むのも駆け引きだ。
「なぜ、レイアさんの墓が二つあるのか理由を教えてください。教えてくだされば、お墓を探します。クランさんとも話を付けます」
エランが険しい視線を向ける。リサも負けじと睨み返す。ここで下手に折れると、結婚後に主導権を握るなんて無理だ。獣同士が戦う前の睨み合いの様相になる。
「根性よ!」と気合を入れてリサは気張った。先に視線を逸らしたのはエランだった。エランはリサの右後方を見ていた。
エランは逃げたのではなく、何かに気が付いたとリサは悟った。
思わず、リサも振り向くとロッソが苦い顔をして立っていた。
「エラン兄さん、もう止めたほうがいいよ」
エランはロッソに怒鳴った。
「何をやめろっていうんだ、家族の問題に口をだすな。この汚れた存在め」
この一言はエランの本心だとリサは悟った。エランはロッソを嫌っている。同じ父を持つ者であるが、母が違うロッソをエランは認めていない。
理由はなんとなくわかる。エランは良く思えば母思い、悪く言えば執着し過ぎだ。
エランになじられたロッソだが慣れているのか悲しみはしない。
「ならもっとはっきり言うよ。レイア母さんに執着するのを止めるか、自分の罪から背を向けるのを止めるか。どちらかを選ぶべきだ。そうしないと、カイン兄さんまで傷つける」
エランの罪とはまた気懸かりな言葉を言う。
リサはそこでエランの罪にピンときた。
「もしかしてエランさんは死霊術でレイアさんを甦らそうとしたのですか?」
証拠は何もない。だが、エランならやりそうな気がした。エランが死霊術で母親を蘇らせたなら海辺の墓にレイアの遺体はないのも理解できる。
また、エランがなぜ死霊術のようなマイナーな魔術に手を出したのかも説明が付く。
リサが指摘するとエランの顔が急に青くなった。まるで忌まわしい者と遭遇した顔だった。リサの勘は当たってはいないのかもしれないが、かなり近い事実に当たった予感がした。
エランが急に駆けだした。リサは追いかけてはいけない気がした。下手に追い詰めるとエランは危険だ。
ロッソに真実を確認しようとエランの背から目を離す。視線をロッソに戻した時にはロッソはいなくなっていた。
エランが問題を抱えている内情は把握した。エランの問題を解決すればエランとの婚約は近づく。カインにも感謝される。けど、どうもエランは好きになれない。
かといって、理想の金持ち相手が別のところからやってくる未来を待つほど馬鹿ではない。




