第十五話 カインとロッソ
三日目の朝は遅く起きた。食堂に行くと誰もいない。パン、チーズ、アサリの塩スープで空腹を満たす。腹ごしらえが終わると、メイドにカインの部屋を尋ねた。
メイドに付き従い歩いて行くと、通路でカインとばったり会った。
メイドがカインに頭をさげて立ち去る。カインにはリサから軽く会釈をして挨拶をした。
「昨日は生意気な口を利いて申し訳ありませんでした」
本心では申し訳ないなど、とはこれっぽっちも思ってはいない、関係修復のために来たので下手に出た。
カインは微笑み挨拶を返す。
「昨日の件についてロッソに確認したところ、そうだ、と認めました。こちらこそ、疑って申し訳ない」
わだかまりは消えた。ロッソには借りができた。
「それは良かったです。ところで、ロッソさんのお部屋はどちらでしょう?」
自然な体を装ってロッソの部屋の見当たらない疑問を解消しようとした。
カインの顔がちょっと曇る。
「ロッソは少々多感なところがありましてね。屋敷の外の離れで生活しています」
「まあ、そうですの」と答えるが、カインの言葉を馬鹿正直に信じはしない。やはりロッソは訳ありだ。痩せこけておらず、服も汚れていないので、おおっぴらに屋敷で虐められてはいない。
だが、心理的な虐待をされている可能性はある。
「私にもできることがあればいいのですが」と役立つことを匂わせてみる。これで、どう答えてくるかによって、カインとロッソの関係性は見える。
ローズ家に入るのなら、ロッソとどう付き合えばいいのか、距離感もわかる。ロッソに悪い気はしないのでローズ家の中で疎まれていれば手を差し伸べるつもりでいる。
だが、ローズ家に嫁入りするとなれば、表立ってはできない可能性もある。
困った表情でカインが教えてくれた。
「ロッソはエラン兄さんとあまり上手くいっていないんですよ。それで、私と父上にも気を使っている。そんな必要はないのに。私は家族皆で仲良くしたい」
わからんではない。肌の色と髪の色からエランとロッソの母親は違う。エランが母親を強く想えばこそロッソが憎いとなる心情もあろう。ここら辺は良い悪いと一概に判断できないので難しい。
エランを狙うならロッソとは距離を置いたほうがよい。だが、カインを狙うならロッソを気に掛けてあげたほうがいいのね。
「私もカインさんと同意見です。では、私もロッソさんに心を開いてもらえるように努力します」
「そうしていただけると、ありがたい」
カインの顔には安堵があった。カインは家族が仲良くして欲しいと本当に思っている。ならば、カインの前ではロッソを遠ざける必要はない。本心に反して悪く言う必要もない。
廊下を侍従が歩いてきてカインに声をかける。
「カイン様、ちょっとこちらへ」
「わかった、すぐに行く」とカインはリサの前を去った。離島の金持ちだからといって暇なわけではないらしい。
天気が良かったので島を散歩しようと決めた。森の中がどうなっているかが気にかかる。森の中には入るなと命じられてはいない。
熊、狼、毒蛇、蜂などの危険な生物はいないと見ていい。いるのならとっくに注意されている。
汗を掻いてもいいようにタオルを持つ。水分補給用に水筒に水を入れた。ちょっとした探検気取りで外に出た。森に入ると、空から陽が差し込む。
また、草は茂っているが伸び放題ではない。人の手が定期的に入っている。
少し進んだ先が明るくなっていた。行ってみると畑と家があった。畑の広さは一つが四千㎡で四つある。野菜が植えられているので、家庭菜園にしては広いが、農家としてやっていくには狭い。
おおかた、屋敷で使う新鮮な野菜を育てていると見ていい。
「魚は海で獲れる。野菜や芋は畑で収穫する。マンサーナ島は半自給自足の島なのね」
野菜は近くの村から運ばせることもできる。だが、野菜は土から抜くと鮮度は下がっていく。島で栽培が可能なら作るに限る。家畜小屋がないか見渡すが家畜小屋はない。
「残念ね、鶏でも飼っていれば産みたて卵や美味しい肉が手に入ったのに」
山羊、羊は鳴き声がしないのでいないと見ていい。牛車があったので、牛はいる。だが、労働に使われる牛の肉は固いので食用には向かない。
雌牛がいれば搾乳ができるが、牛を数頭飼いしている気配は屋敷になかった。
「クルウクルウ」と動物の鳴き声がした。鳥の鳴き声にも聞こえるし、鹿のようにも聞こえた。島に動物がまったくいない訳ではなさそうだ。
「動物にしたら人間以外の外敵がいないなら楽園かもね」
「どうでしょうね」と背後から声がした。
振り返ればロッソがいた。相変わらず幽霊のように突然現れる。気配なく現れるロッソには慣れてきたので驚きも薄れていた。
「ここはロッソさんが管理している畑なの?」
「私とジョセさんで管理しています。畑仕事はジョセさんの楽しみでもあるので、できるだけ手を出さないようにしていますけどね」
魚釣りに畑仕事とは実益を兼ねた趣味でもある。このような何もない島ではそれくらいの楽しみしかないのかもしれない。
リサはロッソに確認する。
「率直に聞くわ、エランさんのことをどう思っているの」
できるなら家族仲良くがリサの理想。だが、理想を押し付けはしない。もうロッソとエランの仲が修復不能なら諦める。
ローズ家にリサが入った時は考慮する。必要に応じてロッソが成人した暁に外に出る手助けをしてあげよう。険悪なままずっと狭い島で一緒ではロッソにもエランにも精神的に良くない。
ロッソは呆れた。
「他人の家の内情に頭を突っ込むのは賢いとは言えませんよ」
「私はここに嫁入りするんです。ロッソさんは他人ではありません」
「こんな面倒くさい家に嫁入りなんてやめたほうが良いと思いますけどね」
家族間で問題を抱えている状況には気が付いている。だが、そもそも問題がない家なんて存在するのだろうか? あるとは思えない。違いは外から見えるか、見えないかの違いだ。
「私がどこに嫁入りするかは私が決めます。男の貴方にはわからないかもしれません。私に決定権があるってこれは恵まれたことなんですよ」
誰と結婚する以外はあまり選択肢がないほどにリサは貧しい。だが、ないものを欲しがるより、あるものを活かしたほうが利口だ。
あっさりとロッソは認めた。
「エラン兄さんは私を嫌っている。でも、それは仕方のないことです。私も無理に好かれようとしていません」
お互いに無理をして裏で憎しみ合うより、互いに距離をとって傷付け合わないようにする。人間関係の知恵でもあるが、寂しくもある。
「嫌われる理由がわかっているんですか?」
「ええ、まあ」とロッソは言い淀んだ。言いたくないならこの場では聞かない。でも、ローズ家の人間になった時は別だ。できるだけ聞き出して最善を探る気にリサはなっていた。
「カインさんもエランさんとロッソさんの関係が良くなることを望んでいましたよ」
これは確認だった。カインが実は外面がいいだけの人間の可能性は捨てない。それでも結婚を望む態度に変更はないが、相手のマイナス面も把握しての結婚でありたい。
ロッソの表情は渋かった。
「カイン兄さんは人が良すぎる。人の負の側面に疎いんですよ。それだけ、父様やエラン兄さんからも愛されてきたからでしょうね」
リサはロッソの言葉に違和感を持った。ロッソはリサよりも若いはず、だが思考が大人びている。これは子供が背伸びしているものではなく年齢を得たものに感じた。
ロッソは空を見上げた。
「一雨、きそうですね。リサさんは屋敷に戻ったほうがいいですよ」
リサが空を見上げると、空は晴れていた。
「雲一つないんですけど、本当に降りますかね?」
空から視線を戻した時にはロッソはいなかった。ただ、家のドアが閉じるところが見えたので家の中に入ったらしい。
人と話している最中なのに失礼な、と思ったところで。雨がサーっと降って来た。
「やだ、本当に降ってきた」
雨の勢いは弱いものではないので、走って屋敷に帰った。だが、屋敷に着いた時にはずぶ濡れだった。




