第十四話 表向きの平穏
リサが玄関扉を潜るとカインが立っていた。カインの表情は厳しく怒りの色が滲んでいる。リサが物置に入ったことをカインは怒っていると察知した。どうやら、物置に誰かが侵入したら知らせが行く仕組みがあるのだろう。
そこまで厳重に管理しなければいけない種なのかしら? もし、そうなら種の正体は単なる園芸品や農作物の種とは違う。リサはカインの怒りに気付かない振りをする。
「こんにちはカインさん、朝は大変でしたね。私もビックリしました。また、何か手伝える仕事があったらなんなりと申しつけください。喜んでお手伝いします。それでは」
何事もなかったかのように芝居を打ってリサは立ち去ろうとした。予想通りにカインが呼び止めた。
「一つ答えていただきたい。なぜ、頼まれもしないのに物置に入ったんです」
完全な詰問調であり、言葉にはタダでは許さないの意気込みがあった。物置の種は部外者の目によほど触れてほしくない物だったと見える。
涼しい顔をしてリサは言い返す。
「頼まれましたよ。ロッソさんに」
ロッソの名前を出すとカインは露骨に驚いていた。ロッソからのお願いがあった、とはまるで予想しなかったようだ。リサは微笑んで続ける。
「物置の中の農具を運び出すのを手伝って欲しいとお願いされたんです。ロッソさん独りでは大変そうだったので喜んでお手伝いさせていただきました」
「本当ですか?」とカインは疑った。
「お疑いならロッソさんご本人に確認してください。きっと、そうだ、と証言してくれるでしょう」
カインは言葉を失って面食らっていた。本当はあれこれと小言を言いたかったのだろう。最悪、花嫁候補から外して島を追い出す覚悟もあったかもしれない。だが、自分の弟が頼んでやらせたのでは、処分もなにもあったものではない。
カインは困っていた。
「ロッソの奴にも困ったものだな。悪戯が過ぎるぞ」
カインの反応からして、ロッソがきついお咎めを受けることはないと確信した。ロッソもローズ家の一員であり、母違いの弟ながらにもきちんと受け入れられている。カインはロッソを不出来な弟として愛おしく思いながらも、手を焼いている。
「可愛い弟なら頭ごなしに叱れないのね」とリサはローズ家の内情を垣間見た。
「それでは失礼いたします」としおらしい態度でリサは頭を下げる。カインは黙ってリサを見送るしかなかった。何かわからないが、危険なことに足を踏み込んだが、知らない間に切り抜けた。
カインの印象が悪くなったとはリサは考えない。カインの怒りはリサが起こした迂闊な行動に対してだった。だが、原因がリサの迂闊さではなく、弟の軽薄さにあったのならリサに対して怒るのは矛先が違う。
もちろん、ロッソがリサを庇っている可能性には気付く。ロッソとリサが仲良くなったことに対してはカインとロッソの関係次第で変わる。感触としてはロッソとカインの関係は悪くない。とすれば、リサを見る目も悪い方向にいかない。
ロッソはちょっと謎多い男の子だが印象は良い。初めて会ったリサに対して言い方はあれだが、危険があれば仄めかす。また、困りそうな事態に発展しそうなら手を差し伸べてくれた。
行き過ぎたお人好しはお断り。されど、困っている人に適当な範囲で手を差し伸べる男性でないと人間性の面で冷たすぎる。人間的に冷たい夫の矛先が自分に向くのならまだ我慢できるが、子供に向いたらたまったものではない。
リサはロッソが花嫁を探していたら、とちょっとばかし考える。リサは結婚相手の髪の色や肌の色は気にしない。自分も大した生まれではないので、血筋も気にしない。
もし、ロッソがリサと同い年か一つか二つ上で花嫁を探していたとする。その場合は当然ロッソに狙いを絞っても良かった。気が利く男は好きだし、出世もしやすい。敵も作りにくい。家が金持ちなら、安定した生活が望める。
「残念だけどロッソは花嫁を探していないのよね」
ベルコといい、ロッソといい、好感が持てる人が夫を探していないのが残念だ。カインについては、明日にでも動いて関係を改善させよう。少なくとも、レシアとカインのカップルが成立するかどうかの目算は立てておいたほうがよい。
夕食の前には屋敷は落ち着いた。昨日と同じ体制に戻り表向きには平静を取り戻した。カインの目もあるので今日は大人していようと屋敷の中で過ごした。
屋敷の中には立ち入りを禁止する札が掛かっている通路があった。『この先工房のため侵入禁止』と『この先研究室のため侵入禁止』の二つだ。札は新しいので花嫁候補が入れないよう注意するために設置された。。
工房の主はカイン、研究室の主はエランだろう。焼き物の釉薬や絵の具の材料には危険なものもあると聞く。下手に触られて問題を起こすと困るからだ。また、死霊術も危ない品がありそうなので素人を入れたくないのだろう。
どちらも嫁選びには関係ないので入るつもりはなかった。ただ、歩いていて気になったことがあった。
モジリアニの部屋、エランの部屋、カインの部屋の目星は付いた。部屋の扉を開けていないが、扉の装飾が高価なので当たりだろう。また、亡くなったと思われる奥方の部屋もだいたい見当が付いた。
「変ねえ、屋敷の中にはロッソのと思わしき部屋がないわ」
見落としはないとすると、ロッソは普通の質素な部屋を宛がわれている。カインとエランの母親とロッソの母親は違う。ロッソの母の部屋もないので、ロッソは長男や次男と待遇に差を付けられいる。
家庭環境がちとわからないが、先ほどのカインの反応からしてロッソは嫌われていない。後妻の子として虐められていないのはいいが、なんか気に懸かる。
食堂から良い匂いがしたのでふらふらと寄ると夕食の準備ができていた。ベルコが先に着いて食事をしていた。朝にはフラフラだったがもう食堂に来て食事を摂れるほどにはよくなった。さすがはベルコだ。
「リサ様の分も今お持ちします」と食堂にいた給仕係がリサに申し出る。色々あった日なので全員が集まってとはいかない。エランもカインもいないのでは、女四人で一緒に食事をする必要もない。
リサがベルコの隣に座る。ベルコを本心から労った。
「今日は大変だったわね。でも、ベルコがいてくれて助かったわ。ベルコがいなかったら誰か犠牲者が出たかもしれない」
穏やかな顔に知性を滲ませてベルコは答える。
「どうだかな、私がいなくても犠牲者は出なかったかもしれない」
謙遜は美徳であるが、こういう時は誇ってもいいとリサは思っていた。正当な功績を手柄を上げたものが主張する。これは自慢ではない。また、しっかり主張しないと認められない事態もある。
「復讐に燃える海賊の襲撃ですよ。不意を突かれたら女は犯されて男は殺されていたかもしれませんよ」
澄ました顔でベルコは示唆した。
「今朝の奴らだが、あいつらは海賊の残党じゃない。恰好は海賊を装っていたが違うな。武器の手入れや、戦い方が海賊とは違う。あれは正規の訓練を受けた人間のものだ」
ベルコが言うと正しく思えるが、そんなことあるだろうか?
リサは疑問をぶつけた。
「海兵崩れが海賊になった可能性だってあるでしょう」
「もちろんある。だが、六人が六人揃って海兵出身とは考え辛い。やつらの言葉を盗み聞きしたが、隣国の訛りが微かにあった」
なんだか話が怪しくなってきた。ベルコの見立ては予想の域を出ないが、外れている気がなぜかしない。リサは思わず声を潜めて尋ねた。
「ローズ家の秘密を隣の国が盗みに来たの?」
「そこはわからない。薬酒や美容液の作り方を知りたければライセンス交渉をすればいい。わざわざ海賊に偽装した軍人を派遣する必要はない」
ライセンスが独占契約でなければ交渉でレシピは教えてもらえる。軍人を送って強硬手段に出るよりよっぽど安全で確実だ。となると、狙いは別にあった。
「つまりローズ家には何か秘密があるの?」
優しい顔でベルコがやんわりと忠告した。
「少々しゃべり過ぎた。お前は良い奴だよ、リサ。余計な厄介事に首を突っ込まないほうがいい。花嫁選びにのみ専念すべきだ。そのほうが幸せだよ」
ベルコなりの優しさかもしれないが、ローズ家の握る秘密次第ではリサの今後にも影響する。リサがまだ聞きたかったが、給仕がやってくる足音がする。ベルコはさっと立ち上がって食堂を後にした。




