第十一話 芋の皮
暴漢の侵入によりローズ家の中はバタバタと慌ただしくなる。だが、使用人に怯えや不安の色はなかった。パニックを起こされても困るが、こうも冷静に対処しているのも気に掛かった。
「まるで侵入者が来るのがわかっていたみたい」
このような異常時にはお客さんなら部屋でじっとしているほうがよい。されど、嫁候補となれば完全なお客さんではない。
「何かできることはないですか?」とメイドや使用人に尋ねる。
「お客様は部屋で休んでいてください」と素っ気なく言われた。これは言葉通りの意味ではない。
「こっちは忙しいんだ。いらんことはするな」の意味を含んでいる。
「はい、そうします」ではいけない。ここで動かねば他の候補者と差がつかない。黙って水汲みなり、芋の皮剥きなりをこなして、気の利く女をアピールしたほうがよい。
勘と臭いを頼りに厨房に行く。厨房の隅で芋の皮を剥くレシアがいた。リサと同じ考えに至った人間がいたことには驚かない。だが、レシアがやっていたとなると少々意外である。
レシアの近くには洗った芋の入った籠がある。芋はまだ多く残っている。リサは厨房にある椅子をレシアの向かいに置く。使われていない包丁も拝借して、レシアの向かいで芋を剥き始めた。
レシアの手元を見ると刃物を扱い慣れていた。芋の皮は薄く綺麗に剝かれていく。熟練の主婦並みに手際がよい。芋を手に取ると、芋の泥は綺麗に落とされていた。これも主婦級の腕前だ。
とても料理した経験がない上流階級の女の仕事ではない。レシアの顔にはローズ家が襲撃されたことに対する動揺がない。リサが向かいで芋の皮を剥き始めるとレシアが話し掛けて来た。
「私がここで芋の皮を剥いているなんて意外かしら? 部屋で震えているとでも思った?」
口を動かしているレシアだが手もきちんと動いている。間違いない、これは慣れた人間の動きだ。リサも芋の皮を剥きながら答える。
「正直にいえばそうです。平気でいられると思いませんでした」
ふふっとレシアは笑う。
「クロフォード家は代々軍人の家系なのよ。夫がいない時に村が攻められた時の事態を想定して、料理、裁縫、掃除、馬の世話、武具の手入れ、簡単な大工作業は花嫁修業の一環でやるのよ」
納得の理由だ。政治に特化した貴族ならいざ知らず、軍人の娘が有事に飯の準備も碌にできないのを、ご先祖様は許せなかったと見える。
手際よく芋の皮を剥きながら、レシアの言葉は続く。
「クロフォード家において家を守ることは文字通りの意味なのよ。館に籠城して指揮を執る。そのまま味方の救援が来るまで待ち続ける。そこまでが求められるわ」
「中々、ハードな決まりですね」
「煮えたぎった油の利用法。狼煙の上げ方。火攻めからの対処法も習うわ。もちろん、レディに相応しい振る舞いとして礼儀作法やダンスも習う。小さい時は男に生まれたほうが楽だったと兄を見て羨んだわ」
教育熱心な親はどこにでもる。クロフォード家も伝統に倣ってできるかぎりの教育をレシアに施した。貧しい生まれのリサにはない苦労だなと同情した。
話がピタリと止む。レシアは催促していないが、次はリサの番だと促している。
馬鹿正直に答えると、花嫁選びに負ける。かといってここで何も語らないでは、今後レシアと交渉が生じた時に相手にされない。まだ、二日目なので敵は作らないに越したことはない。
「私の家は下級官吏でした。姉がいましたが、父と会わずに出て行きました。母親は他界。父は何も言わないですが、私には早く結婚してほしいのだと思います」
嘘は言っていない。父は下級官吏『でした』は本当だ。ただ、昇進試験に落ちて腐ったあげく、汚職に手をだした。汚職の露見後は公職を追放となった。
落ちぶれた父は母親と知り合い姉が生まれた。姉は子供のうちに父親に売られた。姉を売った父は金を持って失踪した。
そのとき母親のお腹にはリサがいた。母親はリサを産んで育てた。だが、リサが八歳の時に目を悪くして働けなくなる。リサが生活を支えるが、母とは十一歳で死別した。
リサは自分の境遇をついていないと思うが、悲惨だとは思えない。リサの住んでいた故郷に似たような話が山とある。
レシアがどこまでリサの話を信じたかわからないが、沈んだ顔で発言する。
「理想の家庭ってなかなか作るのが難しいものよね」
レシアの言葉はリサにいったものではない気がした。リサは相槌を打つ。
「結婚が幸せのゴールではないですからね」
「本当に」とレシアがしみじみとした顔で短く答えたので、リサはレシアについてある推測を立てる。レシアは結婚に一度失敗して夫の家を追い出された。
再婚を望んだために年齢が高くなった。再婚者なのでローズ家のようにちょっと怪しい噂のある見合いに臨んだとしたら。
「これなら説明が付くわ」とリサは心の中で結論を得た。
国の男共の間では初婚を有難がる風潮がある。上流階級では再婚者が初婚の時よりよい条件の男性と結ばれる確率は極めて低い。男性は再婚でも問題ないのでリサは不平等だと思うが、憤りはしない。リサが生きている場所は天国ではないのだ。
「自分とレシアはどちらが有利か?」と心の中で問う。人の主観が入るだろうが、まだレシアのほうが条件は良い。
モジリアニは名声を求めていない。婚姻により家の格を上げようと画策したならクロフォードの名声では大きくプラスにはならない。ローズ家は金持ちであるので持参金に目が眩むこともない。
となれば、純粋な嫁としての価値だけをみてくる。
それでもリサはまだレシアに劣ると結論付ける。だが、ひっくり返せないほどの差ではない。
戦略的な視点を隠しリサは尋ねる。あたかも、作業をしながらの世間話を装って話す。
「エランさんとカインさんなら、レシアさんはどちらに選ばれたいですか?」
「どちらに選ばれたいか、とは思わないですね。ただ、私が選ぶならカインさんかな」
妙なプライドがあるわね。これは想定内。レシアは自分もまた選ぶ側だと思っている。つまり、どうにかしてでも妻の座を射止めたいわけではない。
「接戦時には意思の強さが勝敗を決める。勝ちに貪欲にならない奴は最後に負ける」
故郷のギャンブラーの信念だった。精神論を否定する人間はいる。だが、リサはギャンブラーの言葉は当たっていると信じていた。
狡賢い狐のようなリサは尋ねる。
「カインさんに惹かれた理由は優しさですか?」
レシアの表情が和らぐ。
「女性に優しいのは当然よ。カインさんは独自の美的世界を持っているわ。カインさんの求める美はまだ私には理解できないけど、あの自分のやりたいことに打ち込む姿勢は好きです」
「それは私にしたらダメ男なんですけど」がリサの本心だった。結婚相手には現実を見てほしい。嫁と子供を大事にしろと声を大にして主張したい。
喧嘩したくないのでリサは同意する。
「何かを追い求める男って素敵ですねよ」
「そうでしょ。ふふふ」とレシアが微笑む。
夢の欠片も見せない現実的な男性との結婚をレシアはした。結果、夫の過度の合理主義でレシアの心は幻滅してすり減ったのではないか、とリサは疑った。
冷静にリサは評価を下した。気を付けるべきは、ふわっとしたカインの感性とほんわかしたレシアの感性が共鳴するかどうか。スピリチュアル系同士が意気投合したら割って入るのは容易ではない。
【読者の皆様へ】
検討しました。途中打ち切りではなく区切りのいいところまで書いて【了】とします。
読者の皆様に納得いただけるかどうかわかりませんが、きちんと終わります。




