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第十話 二日目の朝

 早くに目が覚めた。外は夜から朝に変わる美しい時間だった。暗がりに光が指している。もうすぐ夜が明ける。陽の光に安心を覚えた。昨日の晩は不吉なことを考えないようにしていた。


 マンサーナ島もローズ家も変わっている。考えれば不安になる。

「皆が少しおかしいのよ。ここは平和な孤島。心配し過ぎ」


 皆の中にはリサも入っていると自覚していた。貧しいリサが身分を偽って潜り込めた花嫁選びである。参加者はわけありであると覚悟してきたが、集まった嫁候補も婿候補も変わり者だった。


 その上にマンサーナ島には何かがいる気配があり、ローズ家に不審な点もある。

「夜が安全だったんだもの、悪い方に考えるのは止めよう」


 朝食にはまだ時間があった。外の空気を吸いに玄関に向かう。玄関の鍵は開いていた。夜通し開けていたとは思えないので屋敷の使用人がもう起きて仕事にとりかかっている。


「早起き後の肉体労働ってつらいのよね」


 屋敷勤めをしていたリサにも経験がある。冬のまだ暗いうちに起きてやる水汲みの辛いこと、辛いこと。だが、早朝の仕事と重労働は新人に回ってくる。


 婚姻が決まれば自分と家族のために働いてくれる使用人にリサは感謝をする。浜から老人が籠を担いでやってきた。老人の足取りは軽い。


 リサから先に挨拶をする。長幼の序を気にする老人は多い。使用人が嫁選びを左右するとは思えない。されど、どこで誰が見ているかわからない。


 裏表はある人間は嫌われる。身分と経歴を偽っての応募なので『どの口が』、と神様に苦言を言われるかもしれない。それでもリサは使用人には可能な限り裏表を作りたくなかった。


 リサから挨拶をされた老人は微笑んで話しかけてくる。

「こんにちはリサさん。使用人のジョセです。蛸はお好きですか?」


 海辺に近い村で生まれた人間は蛸を食べる。だが、都会っ子を気取る人間は蛸を食べない。国では蛸は下々の者の食べ物との認識がある。


 美味しいのであれば、尊いも卑しいもないと思うが人の考えはそれぞれだ。


 上流階級が蛸の美味さを知らないほうが良い。蛸は安い。庶民の味覚が金持ちに買い漁られて値段が上がったではたまらない。


リサは下級官吏の家に生まれた娘として花嫁候補に応募している。なので、『蛸を食べる』と答えても問題ない。


「好きですよ、蛸。アヒージョ(油煮)で食べると美味しいですよね」


 リサは肉の脂がダメだった。赤身肉ならまだなんとか大丈夫だが、霜降り肉は食べられない。


 魚の脂と植物油は問題ない。特に海老が好きで、金持ちと結婚したら大きな海老フライをお腹一杯食べるのがささやかな夢である。


 ジョセはリサの答えに喜んだ。

「浜に仕掛けた罠の中に蛸が入っておった。朝食には間に合わないが、昼にはアヒージョにしてだそう」


 今日は朝からツイていると気分が晴れ晴れとした。どこからか怒鳴り声が聞こえてきた。訛りがひどいせいか何を言っているか聞き取れない。


「朝から喧嘩なんてやめてほしい。せっかくの気持ちが良い朝なのに」


 鈍くさい使用人がヘマして、先輩が怒っているぐらいにしかリサは思わなかった。鈍くさい男と厳しい先輩はどこの屋敷にもいる。


 ジョセの顔が険しくなる。

「これは変じゃ、タダの喧嘩ではない」


 屋敷で異変が起きた。ジョセが駆け出すのでリサも従いていった。屋敷の角が見えた時に、角からベルコが出てきた。ベルコの髪は乱れ、服は破れ泥と血が付いていた。


 ベルコがリサの方向にフラフラと歩いてきた。


 リサはベルコが倒れそうだったので支えようとした。だけど、ベルコの体が重く支えられない。ベルコは地面に崩れ落ちるように座った。ベルコの顔を見れば、唇が切れており、目に青い痣がはっきりとあった。


 リサはベルコが乱暴されたと知った。小さな島で当主が花嫁候補として呼んだ女性が乱暴されるとは想像できなかった。だが、ベルコの姿は普通ではない。


 ジョセが声を潜めてリサに声をかける。

「何か大変な事が起きておる。儂は旦那様に知らせると共に男衆を呼んでくる。お前さんはどこかに隠れていなさい」


 ジョセはリサの返事を待たずに駆け出した。リサは一人にしてほしくなかったが、助けが必要なのは事実だ。下卑た暴漢はまだ近くにいるかもしれない。逃げ出したいと怯えた。


 でも、ここで逃げればベルコを見捨てることになる。


 ベルコを乱暴できるのだからリサなら見つかったら容易く餌食になる。でも、ベルコを見捨てて自分だけ隠れる判断はしたくない。


「ジョセさん、早く助けを呼んできて」と切に願った。ベルコが苦しげな顔で指を差す。方角はベルコが出て来た場所。リサはさらに悪い事態を予測した。


 犠牲者は一人ではない。マリアやレシアがいまこうしている間に襲われているかもしれない。


 乱暴された女性が花嫁に選ばれる可能性は低くなる。人の不幸に付け込んで花嫁の座を射止めたくはない。


 策を巡らす。駆け引きもする。だが、人の不幸を利用してローズ家夫人の座を得ても幸せな結婚はこない。リサには越えられない一線があった。


「やるしかないわ。女をみせる時よ」リサは覚悟を決めた。ベルコが戦っても勝てない相手にリサは勝てない。


 どうにか気を引いて時間稼ぎができるかもしれない。助けが間に合うかどうか未知数だが、やるしかないと決めた。


 卑怯な男の好きにはさせない。体が震えそうになるのを抑えてリサは角の向こうに跳び出した。角の向こうでは大柄な悪漢たちが六人いた。地面には男たちが所有していたと思われる武器が落ちている。


 男たちは全員地面に仰向けに倒れていた。リサはそこで間違いに気付いた。

「勝ったのはベルコだったのね」


 男たちはベルコに襲い掛かったが、返り討ちにあった。ただ、武器を持った男が八人も相手だったので、ベルコでも苦戦した。結果、ギリギリの勝利となった。


「思えば、ベルコは助けを求めなかったわね」


 リサの体から力が抜けそうになる。気合で抑えてベルコの元に戻る。ベルコはここでやっと口を開いた。


「六人なら行けると思ったんだが、体がなまっちまったかな。最後の一人があんなにしぶといとは思わなかった」


「いやいや、充分に立派ですよ。普通は男でも無理です」と称賛したかったが、男扱いは失礼なので止めた。代わりに別の言葉を掛ける。


「どうして無茶をするんですか。もっと楽に勝てると思ったんですか? だとしたら、思い上がりですよ」


 我ながら嫌味な小言だと思うが、ベルコの身を案じて口から出た。


 ベルコはふっと笑った。

「別に勝てるとは思わなかったよ。死ぬかもしれないとも思った」


 勝算なく戦ったベルコの気持ちがリサに理解できなかった。そんなの無謀ではないか、と腹立たしくもあった。


 ベルコがリサの顔を見る。ベルコの目はとても澄んでいた。リサの考えを見透かしたのかベルコは教えてくれた。


「世の中には剣を握れない、というだけで、虐げられる者がいる。そいつらの代わりに剣を取って戦うために私は生きている。これは私の決めた生き方だ。もちろん、タダではないがな」


 ベルコの表情がとても素敵に見えた。凛々しい顔とはまさに今のベルコの顔だ。ベルコの言葉にリサの心がキュンと反応した。ベルコのセリフをヒョロヒョロの男が言ったなら、恰好だけと馬鹿にし、軽蔑した。


 ベルコは違う。信念を通すために体を鍛え、技術を磨いた。それでいて勝てないかもしれない戦いに臨み、傷付いても勝利した。


 自分の言葉を体現したベルコはそこら辺の優しいだけの男よりよっぽど魅力的だった。ベルコがローズ家の男でないのが口惜しかった。ベルコが男で嫁を探していたら、ベルコに絞って猛アタックしたかった。


 ベルコの顔にドキドキしていると足音が聞こえてきた。モジリアニが剣を持ち先頭を走って来る。次いで、武器になりそうな物を持った八人の使用人と共に駆け付けてきた。


 使用人の中には女性もいた。ベルコが襲われた事態にも驚いた。だが、使用人でしかも、女性でも家の一大事に武器を持って駆け付けたので、二度びっくりした。


 単なる雇われでは命まで懸けない。命を懸けても良いと思えるほどモジリアニに普段からよくしてもらってる現れだ。


 休息のおかげで幾分か回復したベルコが立ち上がる。

「家に武器を持って押し入ろうとした輩がいる。角の向こうで眠っているから後始末を頼む」


 モジリアニが使用人に目くばせする。使用人の一団はすぐに角を曲がっていった。モジリアニはベルコに謝った。


「まさか当家の管理する島でこのような不始末が起きるとはお許しください」


「いいってことさ。ここに見合いに来ているんだ。結婚が決まれば、この家の人間は私の家族だ。戦いが男だけの仕事とは思わない。夫や父を守るために血を流す女がいたっていいだろう」


「申し訳ない」とモジリアニは深々と頭を下げた。お礼や更なる謝罪をモジリアニはしなかった。ベルコの心意気に応えるためだ。


「傷の手当てをしましょう」とリサは申し出ると、ベルコは断った。


「これくらいは戦場じゃ掠り傷と変わらない。それにリサは私のライバルだ。気遣いは無用だ。慣れ合いはしたくない」


 ベルコは私を認めてくれている。嬉しくもあり、同時にベルコは手強い相手だと思い知った。それでも、リサは負ける気はなかった。


 ベルコ相手に姑息な手を使っても、卑怯な手は使わないと決めた。貧しくても通さなければいけない仁義はある。

次回の更新は1月11日(木)予定です。

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