幼馴染みの苦悩
騎士団長令息
「……げ、ミシェル」
「幼馴染みに、それは酷いのではありませんか? ニコライ様」
鍛錬を終え、王宮の中庭に面した通路を歩いていた赤い髪の青年――騎士団長子息ニコライは、ばったりとミシェルに会ってしまったことに内心で頭を抱えた。
王宮にミシェルが来ると聞いて、ディラン王子の側近で護衛役であるはずのニコライは、役目を放って鍛錬に逃げていたのだ。
「そう言えばお久しぶりですね。お忙しいの?」
「そ、そうだ。俺は鍛錬があるんだ」
たおやかな繊手を頬に当て、寂しげに微笑むミシェルに動揺しながらも、ニコライはなんとか威厳を取り繕って頷いてみせた。
鍛錬をしていたのは本当だ。ニコライは騎士団長の嫡子として強くあらねばならないのは確かだが、王太子の護衛をサボっていい理由ではない。
ここ数年のニコライは、ミシェルが近くにいるのかと考えると落ち着かない気分になり、そんな心のモヤモヤを晴らすように、打ち込みの案山子が破壊されるまで一心不乱に剣を振り続けた鍛錬は、周囲の騎士たちに取り押さえられることで終了した。
そのせいで鍛錬が早めに終わってしまったが、それでもミシェルはまだ婚約者であるディランと歓談をしているはずだった。
まさか、そのディランが妄想の果てに錯乱していたとは思わなかったが、ミシェルはだらだらと汗を流すニコライが、鍛錬を終えたばかりなのかと思い……
「まあ、汗だくですのね」
傍らの侍女から受け取ったミシェルから、ハンカチを額に当てられたニコライは、目を見開いて跳び下がる。
「だ、大丈夫だっ、大丈夫だから!」
「そうですの?」
挙動不審なニコライに、ミシェルはきょとんとした顔をする。
そんな可愛らしい姿も、本当に美少女にしか見えない。しかもミシェルはその容姿だけでなく、慎ましい性格も、愛らしい仕草も、鈴のような声も、高貴な立ち振る舞いもすべて、貴族男性が求める理想の女性そのものであった。
ニコライがミシェルと出逢ったのは十数年も前になる。
歳が同じディラン王子の遊び相手として呼ばれ、ディランの親戚だという公爵家でミシェルとカイルを紹介された。
ミシェルは病弱だと聞いていたが、熱が出るとか寝込むようなものではないらしく、当時もやんちゃだったニコライは、外で遊ぶことを求め、土で汚れた子どもたちは纏めてメイドたちに丸洗いされることになった。
そのときのカイルは確かにミシェルを〝男〟だと認識していた。そうでなければ、いくら幼いとはいっても、綺麗な女の子と一緒に沐浴することなど、恥ずかしくて拒絶していたはずだ。
だが、何度か王子の遊び相手として何度か関わるうちに、何故かミシェルはディランの婚約者となっていた。
思い出せば、最初から男か女か分からないような格好をしていたような気もする。そして気が付けば、いつの間にかミシェルはドレスを着ていて、とんでもない美少女になっていた。
男友達四人の幼馴染みだったはずが、突然一人が女の子になっていたという事実は、少年期であったニコライの性癖を大きく歪めた。
子どもの頃はまだマシだった。貴族の中には倒錯した趣味を持つ者もいて、少年に少女の服を着せたり、少女に男装させたりしてハァハァ言っている貴婦人もいるからだ。
だがそれも、ニコライが思春期に入ると状況が変わる。
子ども時代から成長したミシェルは、ニコライが出会ったどの令嬢よりも美しく、愛らしくなり、正にニコライの好みの弩ストライクだったからだ。
いや、ないだろ? あり得ない。ニコライの認識ではいまだにミシェルは男友達であるし、婚約の実情を知る騎士団長の父も男だと認識していた。
だが、ミシェルが十五になった今でもディランとの婚約は継続している。そろそろヤバいのではないかとニコライも思うが、ミシェルは十五となっても声は太くならず、厳つくなることもなく、可憐なつぼみから大輪の花へと咲き誇る片鱗を見せつつあった。
記憶を呼び起こせば、沐浴の際に見えたのは、自分を含めて小さな象さんだけであったが、それが三つか四つかニコライの記憶も定かではなく、ちゃんと全員分握ってでも確認しておけば良かったと、これほど後悔したことはない。
「どうしましたの?」
「いや……」
今、ニコライの前に美しく成長したミシェルがいる。
まだ男女の区別もなかった幼い頃とはいえ、一度は沐浴という一糸纏わぬ姿を目にしている。思い起こせば沐浴する幼馴染みたちの中に、やけに艶やかな白い背中とぷりんとした桃があったようなないようなあるような気がした。
「……?」
目の前で妖精のような愛らしさで首を傾げるミシェルの、その纏うドレスの下にも成長してさらにきめ細やかになった白い肌があるはずで、十六歳の若者であるニコライが鍛えに鍛え抜いた妄想力によって、そのドレスを透視するように白い肌と瑞々しい果実を……
ガンッ!
「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「ニコライ様っ!?」
突然、石の柱を殴りつけたニコライにミシェルが声をあげた。
「……いや、すまない。虫がいた」
「そ、そうですの……?」
引きながらも一応納得するミシェルに、ニコライが安堵の息を漏らしたそのとき。
「ニコライ様っ」
そう言って現れたのは金髪の美少女であった。彼女は小走りに近づいてくると、彼の陰で見えなかったミシェルに気付いて、慌てて淑女の礼を取る。
「ミシェルお姉様も、ごきげんよう」
「ごきげんよう、カミーユ様。でも、廊下を走ってはいけませんよ?」
「はぁい。ごめんなさい、お姉様」
少女はディランの妹で、カミーユという十二歳の少女だ。
カミーユは憧れである〝お姉様〟に注意されて、しゅんとしながらも、愛らしく頬を膨らませてニコライを軽く睨む。
「だって、ニコライ様が鍛錬をなさると聞いて、会いに行ったのですが、もう居られなかったのですよ」
「も、申し訳ありません、殿下……」
純粋に幼い好意を向けてくるカミーユに、ニコライも申し訳なさげに頭を下げる。
これほど愛らしい姫君に好意を向けられるのは素直に嬉しいことなのだが、この場にミシェルもいるので微妙な気分になる。
「捜してしまったので、少し汗をかいてしまいましたわ。あっ、ミシェルお姉様、よろしければ、わたくしと一緒に沐浴をなさいませんか?」
「はぁっ!?」
請うたカミーユでも請われたミシェルでもなく、声を張り上げたニコライに二人が驚きの表情を浮かべた。
「ニコライ様、どうなさったの?」
「もしかしてニコライ様、お姉様の沐浴をご想像なさいましたの?」
「ち、違う……」
違う。そうではない。違わないこともないが、そうではない。
悪戯っ子めいた顔で揶揄するカミーユにニコライは慌てて弁明するが、少し拗ねた顔をしたカミーユはそのままミシェルと腕を組む。
「そんなニコライ様なんて知りませんっ。お姉様、ご一緒してくださるでしょ?」
「はい、カミーユ様。ですが、恥ずかしいので侍女を連れずに、こちらも見ないでいただきたいのですが……」
「お姉様と二人きりですね、嬉しいっ。大丈夫です。わたくしまだお湯を被るとき、目を開けられないのです」
「それなら、わたくしがカミーユ様の身体もお拭きしますわ」
二人は互いを見つめて恥ずかしそうにクスクスと笑い、腕を組んで歩き出す。
「ああ……」
とんでもないことが始まり、止めなくてはいけないのだが、それでも止める手段もなく、消えていく二人の背に手を伸ばしたまま固まっていたニコライは、二人が入浴する姿を妄想して――
「ぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
再びリビドーが暴走し、再び石の柱を殴り始めた。
「騎士団を呼べ!」
「ニコライ様、ご乱心!」
すぐに駆けつけた騎士団に取り押さえられたニコライは、柱を砕いた拳の治療を受けながら、真面目な顔で城の侍医に訊ねた。
「……性転換する薬とか持っていないか?」
「酒でも呑んでもう寝なさい」
大変です(すっとぼけ)
次はミシェルの実弟のお話。
明日もまた同じ時間です。