レーリアⅡ
まずすっと右手を上げると私の首筋に剣を突き付けている男の手首を掴む。私がレーリアと平和的に交渉する様子を見せていたため男は油断していたのだろうか。私は男の手をひねって剣をそらすと左手で男が腰に確保していた愛刀の柄を握る。いくら丸腰の相手を大勢で囲んでいるからって油断は禁物だ。
「とても申し訳ないんだけど、私余命いくばくもないんだ。だから私も自分が生きるために他人に構ってられないんだよね。それにあなたの理屈だと、自分が生きるためなら何をしてもいいんだよね?」
「レーリア様!」
男は焦って私の手を振りほどくが、その時にはすでに私の左手には愛刀が握られている。私はそのまま男の後ろで何かを詠唱し始めた女を突く。
「ぐわっ!」
確かな感触とともに悲鳴が上がる。
左手は逆手だけど、暇なときに何かの役に立つかもと、桜ちゃんに左手の剣術をみてもらったこともあった。女は剣よりも魔法が得意な者だったのだろう、左手の突きでも難なく当てることが出来た。
この前桜ちゃんの偽物を倒したことと緊迫した状況も重なって、次第に私は人を斬ることに対する抵抗が薄れていくのを感じた。生きていくには都合がいいけど、そんな自分が少し怖くもある。もしやカイラの祖母はそこも含めて私を「悪鬼」と呼んだのだろうか。
男は振りほどいた手で私を斬ろうとするが、私は素早く身をかわして懐に入る。そして剣を右手に持ち替えて男の胸を突く。
「ぐはっ!」
男は身をひねって避けようとしたものの私の一撃を脇腹に受けて悲鳴を上げる。私は倒れている二人に剣を向けつつレーリアの方を見る。レーリアは目の前で起きた事件に対しても表情を変えなかった。表情に乏しいのか、仲間の命をどうとも思っていないのか。
「さて、二人の命を助けて欲しかったら生命の実を渡して欲しい」
「それは不可能です」
レーリアには躊躇というものが全くないようだった。
「仲間なのに随分薄情なんだ」
「王国と敵対することを決めた時からたくさんの者を死に追いやることは分かっていたので」
まあ、先ほどまでの会話からあんまり期待はしていなかったけど。少し話しただけだが、レーリアは自分の命のために生命の実を惜しんでいるようには思えない。実は彼らの計画においてかなり重要な部分を占めているのではないか。
「私より実をとったこと、後悔させてあげる」
が、私がレーリアに斬りかかるよりも早く先ほどの五人の残りの三人が駆け込んでくる。
「何ということを!」
「レーリア様、ご無事ですか?」
慌てふためく三人とは対照的にレーリアは落ち着いていた。
「私は大丈夫です。誰か二人を運び出して手当を」
「はい!」
レーリアの命で一人が倒れている二人の体を担いでいく。怪力だ。
「やれるならどうぞ」
レーリアは懐から扇子のようなものを取り出すと一あおぎして呪文を唱える。
「風の精霊よ、鋭利なかまいたちとなりて斬り裂け」
不意に私に向けて一陣の風が吹く。今レーリアがあおいで作ったそよ風とは全く別のものだ。レーリアが何をしたのかは分からないが、私は本能的に危機を感じて体をひねる。
「うぐっ」
次の瞬間私の左肩を何か鋭いものが斬りつけた。もちろん、斬った物は見えない。これが魔法というものなのか。とはいえ呆然とする間もない。
「覚悟!」
私の負傷を見て、後から駆け付けた男が私に斬りかかってくる。
「遅い!」
男の剣が振り下ろされる前に滑るように男の懐に飛び込む。直後私のいた場所の後ろの壁を何かが切り裂いていった。男の腹に肘をたたきこむと男はうっとくぐもった悲鳴を上げて倒れる。見える相手であれば負ける気はしない。
「剣技は冴えてるようですね。ならこれはどうでしょうか」
レーリアは近くにあった観葉植物の鉢植えから土をひとつまみとる。
「土の精霊よ、彼女の足元の土をどかせ」
詠唱が終わるか終わらないかのうちに私の足元に穴が空く。
私は思わず左手で男の足を、右手で部屋にあったテーブルの足を掴む。穴は半径一メートルほどに広がり、私は男ごと落下する。
「や、やめろ離せ!」
男は恐怖で悲鳴を上げるが、レーリアはそれを見て薄く笑うと無情にもテーブルを足で蹴った。下には無限に続く暗闇が広がっている。私はテーブルとこの男を掴んだまま無限に落下していくのだろうか。思わず死を覚悟する。この世界で死んだ場合元の世界の私はどうなるのだろうか。そのまま冷たくなって死ぬのだろうか。それとも消滅するのだろうか。
が、すぐに私の落下が止まる。テーブルの蹴り方が甘かったのか、テーブルの脚が穴の淵に引っかかっていた。見るとレーリアは足を抑えて顔をしかめていた。虚弱体質とはいえまさかそこまでとは。
だが、これで首の皮一枚つながった。私は渾身の力を振り絞って左手で掴んだ男の体を投げつける。助けるためというよりは彼しか投げる物がなかったからである。先ほどの傷に痛みが走り、腕が千切れるかと思ったが、その甲斐あって男の体は何とかレーリアの方へ飛んでいく。
レーリアはそれに対し慌てて何かを唱え、男の体はレーリアに当たることなく吹き飛ばされていく。普通ならば体を捻って避けるだけで済む攻撃も彼女はいちいち魔法で防がなければならないようだ。
その隙に私はテーブルを両手で掴み、懸垂の要領で穴から這い出る。テーブルが丈夫でよかった。私が出たところで穴は消滅した。私は近くに落ちていた剣を拾い、構え直す。
「ふう、この世界来てから一番死を覚悟した」
「あなたの実力を見誤っていたわ。もし条件が実ではなかったらあの二人よりあなたを選んだところですが。こちらも本気でいかないといけませんね」
そう言ってレーリアは私に向かって唾を吐きかける。突然の侮辱的行為に戸惑うが、私はレーリアに向かって跳躍する。唾が私の左手の甲に付着するが、気にしない。魔法についての知識がない以上、レーリアが次の一手を打つ前に斬り伏せるしかない。
「水の精霊よ、彼女の体液を全て浄化せよ」
不意に私は背筋が凍り付くようなおぞましい気配を感じ、レーリアに向けて振り降ろす予定だった剣を左手の甲に向ける。皮膚が切り裂かれる痛みとともに私は何か別の物を切り裂いた感覚を覚える。手の甲から飛び散った液体は赤色の中に透明が混ざっていて私は肝を冷やす。
まさか今の唾は私に水の魔法をかけるためのものだったのか。
が、必殺と思われた一撃を生き延びたことでレーリアの表情にも動揺が走る。慌てて扇子で手元を扇ぐ。
「風の精霊よ、斬り裂け」
「分かった」
私は自分に吹き付ける風に向けて剣を振るう。すると剣は確かに何かを斬りさき、私は切り裂かれなかった。
「なるほど、これが精霊ね」
精霊の姿は見えないが、ゆかりある物質から発生するのであれば場所はある程度分かる。そのうえ斬ることが出来るのであれば怖くはなかった。それを見たレーリアは蒼白な表情で鉢植えを掴む。
「き、木の精霊よ、私を護れ!」
すると鉢植えの植物がむくむくと成長し、レーリアの前に防壁のようにそびえたつ。レーリアと私は緑色の防壁により遮られた。私は容赦なく植物を斬りつけるが、壁は厚く全てを斬るには至らない。
「こんなところでぽっと出の旅人に我が計画を狂わされるとは……おのれ……」
レーリアの表情には憎悪の色がむき出しになる。何があっても動じなかった彼女の表情がここまで歪むとは。端整な顔が台無しであったが、それは彼女の手が尽きたことを意味していた。
そこでレーリアは美しい銀髪につけていた宝石のついた髪留めをとる。彼女が宝石に触れると中から緑色の実が姿を現す。まさかそんなところに隠し持っていたとは。
「かくなる上は……異界に棲む七つ首の大蛇よ、我とこの実を対価に王都へ降臨せよ!」
突如レーリアの上に幾何学模様の光が現れ、そこから彼女に向けて光が降り注ぐ。レーリアはその光に捧げるように実をかざす。
まずい、これでは魔法の対価に実が失われてしまう!
「させない!」
私は剣を振るって植物を斬りさく。しかしレーリアの体は虚空から注がれる光に照らされる。植物がなくなったところで実を捧げるようなレーリアの右手を斬り落とそうとする。
が、私の剣はなぜか空をきった。
まるでレーリアの存在が薄くなってしまったかのように。
そして次の瞬間、レーリアは捧げ持った実ごと光の中で消滅した。まるで最初からレーリアという人物など存在しなかったかのように。カラン、と音を立てて彼女の足元に転がった髪留めだけが彼女が本当に存在していたことを裏付けているようだった。
「こ、これは」
「レーリア様……」
後ろで見ていた者たちはその光景に呆然とする。
私は思わず先ほどまで剣を交えていた相手に尋ねてしまう。
「ど、どういうこと!?」
「レーリア様は王都を滅ぼすため、異界の魔物を顕現させることと引き換えに身を捧げられたのです!」
男は興奮した口調でまくしたてる。
「何!?」
そんなことある訳ない、と言おうとして私は思い出す。例の闇神官のことを。
レーリアが頑なに実を手放そうとしなかった理由はこれだったのか。本当にこの世界の人々は自分の命を粗末にしがちだ。
「かくなる上は準備が整っていようといまいと計画を決行する他ない!」
そう言って男は走り去っていった。
想像するにレーリアはどこかで魔物を王都へ召喚し、その混乱に乗じて挙兵しようとしていたのだろう。だが私に斬られては魔物を召喚出来なくなるため慌てて魔物を召喚。計画は狂ってしまったということだろう。
レーリアは王国を滅ぼした後のことは考えていないと言った。それはそうだ。
自らは対価として消滅し、王都は魔物により蹂躙される。その後がどうにかなる訳がない。
無責任な、という気持ちもあったが同時にそれは私にも言えることだった。もし私が介入しなければレーリアが魔物を召喚しない道も絶対になかったとは言い切れない。そして魔物召喚と引き換えに死んでいくレーリアと、目的を果たしたらこの世界からいなくなる私は似たような存在だ。
確かな事実は二つ。実を得られなかった私はまだこの世界にいなければならないということ、そして闇の十字架は追手どころではなくなり、カイラとシルアはおそらく助かったということである。
安心したら、傷を負っていた右肩と手の甲が急速に痛み出した。




