悪魔
気が付くと真っ暗な不思議な空間にいた。例えるなら星のない宇宙のど真ん中のような感じだろうか。
それも驚いたのだが、私はここ数か月ずっと自分をさいなんでいためまいや頭痛がなくなっていることに驚いた。ついで、自分がどこだか分からない世界にいることに驚いた。もしかしてこれが死後の世界か? だとしたらそれは困る。贅沢は言わないから、せめて大会の日までは生きていたい。
困惑していると、目の前に見たこともない生き物が現れた。
いや、そもそも生き物と言っていいのだろうか。一番似ているのはトランプの「ジョーカー」に書かれている死神のイラストだろうか。全身は真っ黒でけばけばしい色合いの服を着ており、顔からは尖った突起のようなものが数本突き出し、手には鎌のようなものを持っている。そして顔にはニタニタとした得体のしれない笑みを浮かべていた。
「ようこそ沖田霞」
謎の存在はきぃきぃとした不快な声でしゃべる。
「誰?」
ふと私は自分の隣に愛用の竹刀が落ちているのに気づいたので咄嗟にそれを構える。
が、それに対してもそいつは肩をすくめるだけだった。私のことなど毛ほども恐れてないけどその振りをしている。そんな感情がありありと伝わってくる。
「物騒だな。私は悪魔。と言っても君はよく知らないだろうけど」
「物語とかに出てくる、人間を悪辣な手段で騙して魂を奪ったりする存在だっけ」
私はうろ覚えの知識を口にする。
すると悪魔は心外な、とばかりに肩をすくめてみせる。
「おいおい、さっき私のことを呼んだ割には随分うろ覚えだね。というか君はそんな自分でも邪悪だと思っているような存在に懇願したのかい?」
さっき呼んだ? そこで私は「神でも悪魔でも」と口走ったことを思い出す。
正直意識を失う直前のうわごとのようなものだったからそこまで考えてはなかったけど、仏様は人間の願いを叶えてくれる存在ではないことは知っている。
だからよく知りもしない神とか悪魔に願ったのかもしれない。とはいえ、本当に悪魔が答えてくれるとは思わなかったけど。
「それくらい死にたくないってことだよ」
「そのようだね、君は体が弱いせいか、生への執念は常人離れしている」
そんなものか。でも確かに日頃健康に生きている人はわざわざ「死にたくない」とか考えない気もする。少なくとも友達と死生観の話をしたことはない。
「ていうか私は今生きてるの?」
「生きている。ちなみにここは夢みたいな空間だと思ってくれ」
そうか、それで私は元気なのか。死んでなかったことに安堵するような、治った訳ではなかったことに落胆するような。
別に悪魔の存在を信じる訳ではないし、これは病気で倒れた私が見ている夢というのが一番妥当な解釈だけど夢だったならそれでもいい。
「ちなみに君は自覚してなかったけど、今君は重病にかかっていて大会に出るどころか余命幾ばくもない」
「…………」
本来ならもっと驚いた方がいいところだったのかもしれないが、目の前に死神のようないでたちの悪魔がいるせいで、死期が近いと言われても不思議と納得感があった。
いや、この状況に対して私はある種の期待のようなものがあったのだろう。
早速私は悪魔に頼んでみることにする。
「それで、私は何を差し出したら身体を治してもらえるの?」
「おいおい、私はそういうタイプの悪魔じゃない。私はどっちかっていうと人から何かを奪いとるよりも、人が惑い苦しむのを見て楽しむタイプの悪魔なんだ」
そう言って悪魔は耳障りな声で笑ってみせる。
悪魔にも色々いるんだな。知らなかった。どちらにしても嫌な存在であることには変わりないが。
「……悪趣味だね。それなら私のことなんて放っておけば苦しんでるのに」
「うーん、そういうタイプの苦しみじゃないんだよ。それに死んだら苦しまないし」
悪魔は大仰に肩をすくめてみせる。
「……その冗談は今は笑えないかな」
「事実を言ったまでだよ」
普段ならとても苛々するタイプだが、相手が悪魔だからか思ったより自分は落ち着いていた。
それに私の体は今、とても楽になっている。この悪魔なら私を治してくれるんじゃないか。多少胡散臭い相手の方が期待を抱いてしまう、というのはよくあることだ。
「それではルールをお伝えしよう。今から君を異世界に案内する」
ルールとか異世界とか、まるでゲームかマンガの中のような話だ。それを言ったらそもそも悪魔自体がそういう存在だけど。
そう思った私は黙って続きを聞くことにする。
「そこには生命の実というものがいくつかある。その実を食べると君の病はたちどころに治る。病が癒えた後の君の寿命が何年かは知らないけどね。それを一つ手に入れて戻ってこればいい。異世界での一日はこっちでの一日にも相当するけど、代わりに好きな時にこちらに戻ってきていい」
そこで悪魔が言葉を切ったので私は質問をしてみることにする。
「そもそも異世界って何?」
「長い夢を見ているみたいなものだと思ってくれればいい」
「要するに、夢の中で満足するまで実を集めて来いってこと?」
それだけ聞くとこの上なくいい話だった。もちろん、実際には実を集めるのには障害があるとか、色々あるんだろうけど。
「そうだよ。まあ、せいぜい面白い姿を見せてくれたまえ」
「いつでも醒めれる?」
「君がそう願えば戻してあげよう。戻ったときこっちでも多少は時間が経過しているけどね。多分向こうの一週間で一日ぐらいじゃないかな」
いつまででも実を集めてもいいけど、大会までに戻れなければせっかく寿命を手に入れても意味がない。もしこれがゲームだとするならタイムリミットまでにどのくらいの実を集められるのか、ということになるのだろうか。
悪魔の言っていることはよく分からなさ過ぎて真偽の判断のしようがない。でも、このまま病気で死ぬのとよく分からない提案を受け入れるのとであれば後者を選ぶしかない。
「よく分からないけどそれなら私にとって今より悪いことは何もないよね。それなら決まってる」
「あ、そうそう、異世界は日本とは全然違うところだから。せいぜい楽しんでね」
「え、ちょっと待って! 異世界って何!?」
悪魔の言葉が言い終わるか終わらないかのうちに、再び私の体は黒い光に包まれる。そしてそのまま意識が遠くなっていた。