意志
そう思ったのも束の間、山の中から武器を持った数人の人影が歩いてくるのが見える。先頭を歩いている男に見覚えがあると思ったら、例の金貨三十一枚の男だった。従えているのは似たような者たちである。大方、普段は普通に村で畑を耕しているような男たちが急遽武器を手に取ったのだろう。
「まさか君がこいつの護衛をしているとはな」
「こいつがどんな悪徳商人でも、あなたがやったのはれっきとした犯罪だから」
私は剣の柄に手をかける。が、男は何かに憑かれたかのように話し始める。その表情はこの前見た鬼気迫るものと比べると憑き物が落ちたようだ。
「気づいたんだ。こいつのやり方だと実の値段はどんどん上がり、俺たち皆が損をする。だから逆に俺たち皆が手を組めばいいと。そこで俺はアレク村の村長に手を回した。村長が毒を手配し、俺が襲う。完璧だろう? そうすればこれ以上実の値段が上がることはない。君もそんなやつに付き合うことはない」
男は自分の作戦がほとんど完全に決まったからか、得意げに語る。
ふと、オズワルドから強奪した実はどうするんだろう、と思ったけどそれを聞いても仕方がない。
「残念だけど、私は彼の護衛を引き受けた。だから彼を守るし、第一私はどんな事情があろうと強盗殺人なんて許せない」
「そうか? こいつが実を売らずに俺の妹が死んだらそれは殺人と言えるんじゃないか? だとしたら俺の行動は正当防衛だろう!」
男は声を荒げる。
「その理屈だと私がオズワルドを守らなかったら私も殺人になるんだけど」
こいつの言っていることは出発点は正しくとも結論が滅茶苦茶だ。男たちは私が意志を変えないと見て、武器を構えたままじりじりと近づいて来る。
「問題ない。そいつらは毒で死ぬからお前にはどうしようもないさ。ていうか何でお前は立ってるんだ」
男は話している間に私に毒が回ることでも期待していたのだろうか、かすかに焦りが見える。私一人相手に油断しないところとか周到に策を巡らせてくるところとか、見所がなくはない人物だけど。
「それはたまたまだけど。数人で私に勝てると思う?」
私は剣を抜くと男に向かって構える。男は少し険しい表情になる。
「うるせえ! ここまで来た以上やるしかないだろうが! やれ!」
男たちが剣や槍を振り回してこちらに向かってくる。
しかし実戦経験があるとはいえシルアに比べれば全く大したことはない。私は軽く足を踏み出すと斬りかかってきた男のうちの一人の懐に入る。
「本当はこんなことしたくないのに!」
額をつんと指でつつくと男はそのまま後ろに倒れる。
そこへ他の男の剣が迫る。
今度は軽く跳び上がると剣は私の下で空を切る。
私は下にいる男の顔面に峰を打ちおろす。先ほどの男との差が激しいが、私の指はそんなに長くないのだから仕方ない。男は悲鳴を上げて崩れ落ちる。
さらに着地した私は慌てて剣を構えようとする男に足を突き出す。足を蹴られてバランスを崩した男は無残にも転ぶ。
瞬く間に三人の男が倒れる。
あいつもこれで実力差を分かってくれるといいけど。
「私は本気出してないけどまだやる? やるんなら今度は本気で斬るから」
出来れば普通の人間を斬りたくはない。だからこそ私は本気で斬ることも辞さない、という視線で男を睨みつける。それを見て私の意志の強さが伝わったのか、男の表情が変わる。
「くそ、逃げるぞ!」
男はさすがに勝てないと悟ったらしい。顔を真っ赤にして走り出した。
私は敵が全員が逃亡に走ったのを見るとすぐにオズワルドの元へ駆け寄る。
「大丈夫ですかオズワルドさん!」
私は必死で呼びかけるがオズワルドは弱々しく首を振る。すでに顔は青白く、生気は失われていて今にも死にそうな状態だ。私は何とかオズワルドの体をさすったり手を握ったりしてみるが、次第に体温が下がっていくような感覚を覚える。
「私はもうだめだ……」
「すみません、護衛を引き受けておきながら! シルア!」
私はシルアに呼びかける。
「薬は飲ませました」
珍しく消沈しているシルアの表情からは「飲ませましたがどうなるかは分かりません」と言っているように聞こえる。元々オズワルドをよく思っていなかったシルアも手は尽くしてくれたらしい。
が、そんな私たちにオズワルドはかすれた声で言う。
「いや、私が皆さんに毒を盛る形になってしまったので。心残りはこの後賊に財産と実をとられるかもしれないことです」
「……」
生命の実! それを聞いて私はごくりと唾を飲み込む。
「私はこのまま死ぬかもしれない……どうせ私には身寄りもいません。どこかにはいるだろうが、こんなことをしていたら絶縁されてしまいましたので。もし死んだら、賊に渡すぐらいなら一応護衛してくれた縁で君に渡しますよ」
ちなみにオズワルドの護衛や供の者たちは全員半死半生といった感じだ。ここで一行が全滅すれば戻って来た男たちによって荷物は全部とられてしまうかもしれない。
確かにオズワルドのために一番奮闘したのは私だろう。そう考えれば私に実を手に入れる権利があると言っても過言ではないかもしれない。
それに、実を手に入れれば私は病気を治して現代に帰ることが出来る。真っ当な方法で買うには金貨三十枚以上が必要で、それを稼ぐのはとても大変だと言うことも分かった。
だが、私は彼を守るという仕事を引き受けてそれを果たすことが出来なかった。
「そんな!? そもそも私が護りきれていれば……」
「実は荷馬車の荷物の中の青い箱に入っています。が、そこには七つの実が入っていて、そのうち、緑の実が生命の実です……。残りは毒」
そんなカモフラージュがされていたとは。
シルアに唆されてこいつを襲撃しなくて本当に良かった。とはいえ、聞いたからには早く確保しないといけない。
「分かりました!」
私は馬車の中へ駆け込むと青い箱を探す。野菜や麦などが詰まっている箱は一抱えもありそうな大箱だが、青い箱だけ小ぶりな箱で、すぐに分かった。
箱を開けると確かに色とりどりの七色の実が円形に入っている。実はそれぞれ拳ぐらいの大きさだが、色以外の違いは見当たらない。私は迷うことなく緑色の実を掴むと、オズワルドの元へ走る。
「オズワルドさん、まだ生きてますか!?」
「う……」
オズワルドの意識は混濁していて、すでにただ唸っているだけの状況である。私は実を取り出すと少しだけ躊躇する。ここで実を私が食べれば私は戻ることが出来る。こんなところで油を売っている場合ではない。
だけど、私が護衛を引き受けた人を見捨てて私だけ生き残ることは許されるのだろうか。確かにオズワルドは自発的に私に実をくれると言っていた。でも、私は本来オズワルドを守らなければならなかったのに、それに失敗している。
「ちょっと沖田さん?」
シルアが私の行動に雲行きの怪しさを感じたのか、口をはさんでくる。
「知ってるシルア? 護衛っていうのは依頼主の命を守るのが仕事なの」
「沖田さん、仕事っていうのは自分の命よりも大事なことなんですか!? まあ、失敗したら評判が悪くなるとかはありますが、それだって命よりはどうでもいいはずです」
シルアは至極まともなことを言った。
「そうだけど、生き方は変えられないから」
「そんな……死んだら生き方も何もないのに」
シルアは絶句する。が、すぐに諦めたような感心したような何とも言えない表情で私の行動を見守ることにしたらしく、口をつぐんだ。
さて、意を決した私はオズワルドの口を開けると生命の実を押し込む。押し込んでから、もっと細かくしてから食べさせた方が良かったなと思ったが仕方がない。強引に顎を掴んで咀嚼させると私は自分が持ってきた水筒の水を流し込む。オズワルドはむせていたがやがて実を全て飲み干したようだ。私はオズワルドの容態を固唾をのんで見守る。
するとオズワルドはみるみるうちに血色が良くなっていき、手には体温が戻ってくる。そして瞼が持ち上がる。
「……は!? 何で生き返った?」
オズワルドはがばっと上半身を起こすと困惑の表情になる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だが……一体なぜ。まさか……」
オズワルドは驚愕の表情でこちらを見る。
「護衛対象を護る手段があるなら全力を尽くします。ただ、金貨数十枚分の財産を失わせてしまったことは申し訳ないですが」
「いや……所詮金貨なんて命に比べればどうでもいいものだ。しかしあなたも実が欲しいと言っていたのに、良かったのか。この状況で実を持ち帰っても誰も咎めないと思いますが」
確かに周りの兵士たちは皆倒れているし、戻ってきた賊が持っていったと思うだろう。仮に私たちが持っていったとばれたとしてもオズワルドの遺言があったと言えば問題はおそらくない。
「そういう問題じゃないから」
「そうですか……。私のような悪逆非道な者もいるというのに、世の中には奇特な方もいるものです」
「でしたら生き方を改めてみてはいかがでしょうか?」
私の言葉にオズワルドは苦笑する。
「確かに今回ばかりはそう思います。そうでなければあなたに救われたという事実に顔向けできません。何にせよ、命を救ってもらった以上お礼をしなければ。命に比べればはした金ですがこれをどうぞ」
オズワルドは馬車の中から革袋を持ってくる。私は手の中にずっしりと沈む貨幣の感覚に私は緊張する。
一瞬、護衛に生命の実を使ってしまったから、とお金を返そうと思ったがすぐに自分にはお金を稼ぐ手段がないことを思い出す。命を救った以上、その分の特別料金をもらったと考えて受け取ろう。
「ありがとうございます。ところで一つ聞いていいですか? なぜあの時私に対して実を食べさせるよう私に命じなかったのですか?」
「人というのは利で動くものです。私がこの状況で実の場所を教えられたら黙って持って帰ります。私が毒で死なない場合でも、止めを刺されかねません。だとしたら実は持って行ってもらって、生き延びた場合に備えて恩を売っておく方が賢明と思ったからです」
「なるほど」
シルアはうんうんと熱心に聞き入っていたが、私は住んでいる世界が違うんだな、という以外に感想はなかった。こいつはかなり他人に悪辣なことをして生きてきた。だから常に他人からはいい感情を持たれていないという前提で選択肢を選んでいるのだろう。急に私たちを金貨二枚で雇ったのもそう考えるとうなずける。
その後私たちは伸びているシルアと護衛たちが起き上がるのを待って旅を再開した。もちろん怪しい気配はもう消えていたし、残りの旅はあっさりしたものとなった。
ちなみにシルアは神妙な表情をしていたが、「山分けだから」ともらった金貨を半分渡したら急に上機嫌になった。全く、現金なものだ。




