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子供の練習帳  作者: 皿日八目
1/22

1:投げっぱなしのゴールライン

 やがて街に魔王が襲来するそのときまで、オーエンが勇者だと気づく者は誰ひとりとしてなかった。


 オーエンは街外れの小さな小屋に住んでいた。その目の前には小さな畑があり、彼の育てた作物の葉がいつでも風にたなびいていた。


 親はなく、ぜいたくなことは何ひとつできなかったけれど、彼は自分の生活に満足していた。彼は今のところ「農民」であり、それはステータスの職業欄を見てもわかることだった。


 いつからともなく、彼は一冊の本を持っていた。『記憶のページ』と表紙に記されたその本は、しかしそのタイトル以外、何一つ彼に意味を明かさなかった。


 どのページを開いてみても、一面に暗号のような、または子供の落書きのような線がのたくっていた。いつかその意味を明かそうと、彼は夜ごとページをめくるのだった。


 【解読】のスキルを成長させる条件はそんなことではないのだが、彼はそのことを、『記憶のページ』の謎をとうとう明かさんとするその日まで、ついぞ知ることはないのだった。


 ある日、彼が街路を歩いていると、前方から言い争う声が聞こえてきた。見ると、魔法使い風の少女ふたり組がその音源のようだった。


 ひとりの少女は赤いローブを、もうひとりの少女は緑のローブを身にまとっていた。それは魔術の学派を示すものであったかもしれないが、ただの好みであるかもしれなかった。


 赤の少女。


「あんたが悪いんだ!」


 緑の少女。


「いいえ、あなたよ!」


 なにを争っているのか、オーエンにはわからなかったが、とにかく不穏なものが感じられた。今にもふたりは呪文を戦わせそうだったし、それは実現した。

 

「`*'#"$#"&$('#$"##"$('&#!=○!!!!!」


 ふたりの詠唱が混じり合い、たちまち(ちまた)は火球や氷柱が飛び交う地獄絵図。口論を奇異の目で見ていた町人たちも、我先にと逃げ出した。


 オーエンもそうしようとしたが、次の瞬間目にしたもののため、その行為は中断された。代わって採択されたアクションは、【ダッシュ】というものだった。


 まだあどけなさが顔にある少女が、恐慌する人の勢いに押され、街路に転倒していた。あのままでは少女たちが繰り出す魔法に直撃してしまうかもしれなかった。


 魔法攻撃は物理攻撃とちがい、必中である……という誤解がしばしば見られる。これは間違いだった。ただ、魔法の回避率に関わる能力値が、一般に回避率に関わるとされている【すばやさ】ではないために、その誤解は広まったのだった。


 魔法を回避するためには、こちらも相手と同じく【魔力】を高める必要があったのだ。


 とはいえ、そのどちらも能力値も、いま転倒しているこの少女にはまったく欠けていることが明らかだったから、もちろんオーエンはそれを知らないけれど、それを知ったところで、やはり懸命なダッシュは選択されたであろうことは必至だった。


「大丈夫かい?」


「う、うん……」


「しっかりつかまるんだ」


 そうしてオーエンが少女を背負ったとたん、どちらの魔法使いが放ったものか、いや両方が放ちそれが合成されたものかもしれないが、とにかく尋常でない魔力をオーラとして周囲にまとわせた、巨大な光球が頭上、頭上に!


 オーエンはそれを見た。思ったより大きいな、と思った。さらにまた、これをなんとかしなければ、自分はともかく、背中の少女を無傷で済ませることはできないだろうな、とも。また、その白さ、巨大さから、彼は自宅の畑で育てている燐光キャベツのことを連想した。あれの食べごろはいつだったか……


 光球が炸裂するまでのタイム・ラグ、だいたい数フレームのその最中に、これら一切の思考はなされた。結局、これをなんとかしてしまうのが一番良いだろうと彼には思われ、そうした。


「<アンドゥー>……」


 彼の詠唱の声は非常に小さかったため、魔法使い二人組はもちろん、背中にいる少女の耳にすら届かなかった。まあ、その少女はいま眼前に迫った死のとりことなっていたから、たとえ耳元で絶叫されたとて気づかなかったろうが。


 光球は消失した。ついでに背中の少女の意識も消失した。ただ、こちらの方はすぐ取り戻された。


 いま()()()の命を奪いかけたことにも気がいたらない様子で、二人組は目をぱちくりとさせていた。「な……」まるで初めて声を出す人のような発声のしかたに、オーエンはなんらかの反省をともなった調子を見出し、期待したけれども、それは裏切られることとなる。


「なんなのよあんた!」


「農民ふぜいが!(彼の服は土だらけだった)」


「調子に乗らないでよ! あんたなんか指先で殺せるんだから!」


「ごきぶりに変えちゃうんだから!」


「このバカ!」


「でしゃばり!」


「」


 真っ赤になって喋りたてるふたりに、しかしオーエンは怒らなかった。嫉妬やねたみが原動力のふるまいであることが明らかだったからだ。ただ、いま背中の少女が気を取り戻したらまずいなあとは思っていた。


 このふたりはおそらく【冒険者】の面々なのだろうとオーエンには思われた。そういう職業、またそれをサポートするギルドの存在を、世事に疎い彼であるけれども耳にして知ってはいた。


 口を極めて悪罵するふたりの周囲に徐々に回復しつつある人波を見ると、みな一様に気分を害した様子。無理もないなあ、とオーエンは思う。


 ただ、怒りの矛先は自分に向けられているようなのだし、他の人がそこまで顔を赤くすることもないんじゃないかとも考えた。


 群衆の怒りが臨界点をぽーんと越え、この()()行儀がよろしくない少女たちへの暴力に発展することを、オーエンは恐れた。そこまで獣じみた人はいないだろうとは思いつつも……


 とにかく、この場をおさめようと、オーエンはできうる限り穏やかな声に努めつつ(それは極めて容易だった)、語り始めた。


 あなたたちは冒険者さんでしょ。いつもお世話になってます。あなた方のおかげで助かる人は大勢いるんです。この街だってそうです。あなた方が危険な場所に赴いて採取する希少なアイテムや、凶暴なモンスターの駆除……これらすべてが、ぼくたちに安心な暮らしを提供してくれるんです。冒険者最高。冒険者を崇めよ。我は冒険者の賛美者ならんことを欲す。


 以上のようなことを、彼は終始穏やかな調子で言った。これにはこの二人組と言えども、流石に反省の表情が見て取れた。それで満足し、彼はくるりと後ろを向いた。


「<アルカナム>!」


「<サドンデス>!」


 ふたりの声が後ろから響いた。目に見えるかと思われるほど殺意に満ちた詠唱だった。しかし、オーエンは振り返らなかった。


 <アルカナム>も<サドンデス>も、対象を即死させるための呪文であることがわかっていたからだった。彼は昔から、そのたぐいの呪文に対しては完全耐性を持っていた。


 それはなぜなのか。オーエンははそれを、ついに街へ魔王が襲来し、魔王自らが語って聞かせるまで、とうとう知る機会はなかった。勇者の資質を持つものは生まれつき、七十種の耐性を備えていて、それ以下でもそれ以上でもダメ。勇者とは認められないのだった。


 卑劣な手段を講じてもまったく勝ち目がないことを悟った二人組は、ひどくプライドを傷つけられ、翌日、街中央に流れる川に入って死のうとしたが、通りがかったオーエンに止められた。


「なんであんたがここにいんのよ!」


 ふたりの問いに、オーエンは答えた。


「散歩のコースなんだよ」


 二人は怒って街を出ていったが、だいぶ後になってから再び戻ってきて、見違えるような態度でもってオーエンに求婚することとなる。

 

 またひとり、後にオーエンを慕うこととなる少女がひとりいた。名前はメレンディラというこの少女は、つい先程、オーエンに窮地を救われたその人だった。

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