第六章
第六章
翌日。
昨日の夜、結局部長から逃げた俺達は部長の事をどうするか話し合いをした。その結果、ナツキと守と美切は戦う事を推奨してきた。反対を押して三対一となった俺だったが、その意思を変える事無く、最後まで部長と戦う事を拒んだ。
ナツキは俺のいう事を理解はしてくれた。しかし、それでも、部長と戦う事は避けられない事だと言って帰ってしまった。
そして現在。賑わうはずのお昼休みで昼食の時間だが、俺とナツキの周りだけが異様に近寄りがたい空気を漂わせていた。そんな中に一人だけ健太が混じりこんでいる。
お弁当を黙々と食べているナツキと、購買のパンを黙って食べている俺の間に挟まれて、実に気まずそうだ。すでに朝から俺とナツキの様子がおかしい事に気がついていた健太だが、そろそろ限界がきているようだった。
パンを食べ続ける俺の腹を健太が肘で小突く、何かと思って健太のほうを見ると、アイ・コンタクトで外へ出るように指示してきていた。俺は仕方なくその指示に従う事にした。手洗いに行くといって席を立った俺らは教室を出た。
教室から離れて廊下の隅に向かう。すると、さっそく健太から問い詰められる事になった。
「さて、今回は一体どうしてあんな風に沢井と喧嘩する事になったのか、教えてもらおうか。あのままじゃ居心地が悪くてたまらない」
「別に、喧嘩はしてねぇよ。ただ、ちょっと意見の食い違いがあっただけだ」
「世間一般では、それを喧嘩って言うのを知っているか?」
「俺達にとってはこんな事はしょっちゅうなんだよ。いちいち気にしてたらきりがねぇよ」
「その割には、今回は二人共気にしているみたいだけど?」
その言葉に、俺は返す言葉が無くなる。確かに、今回はどうにもナツキとの意見のすれ違いが酷い。まぁ、その原因は美切達にあるんだが……。
二人だけの問題だけなら、いつもの通りにどちらかが折れれば仲直りして終わりになっていた。しかし、今回はその間に美切達も入っているから、そんな訳にもいかない。結局は、俺一人が駄々をこねているだけなのかもしれないけど。
そう考えると、また頭が痛くなってきた。昨日、ナツキが帰ってからも散々考えた結果がこれなのだが、未だに心の奥底では部長と戦うべきなのか迷っている。本当にそれが正しいことなのか、それが分からない。
「悪い、気分悪いから保健室行ってくる。午後の授業には戻るからさ」
「えっ! ちょ、早斗!」
そう言って俺は健太を置いて保健室へ向かう。頭が痛いのも確かだし、それに考え事をするには騒がしい場所では集中できない。
俺はこれが一種の現実逃避だという事を分かっていた。しかし、今の俺にはこの問題を解決する案など思いつかなかった。
*
保健室へ着くと、俺はさっそく薬を貰いベッドにもぐりこんだ。静かな場所について、やっと落ち着く事が出来た為に、大きなため息が出る。このまま、昼休みをここで過ごして以降と思っていた。しかし、そんな俺を見ていた保健医が声をかけてくる。
「どうしたの、そんなため息をついて。何か悩み事でもあるの? ああ、もしかしてそのせいで頭が痛いのかしら?」
「ええ……、そんな感じです。ちょっと問題があって」
「話せる事なら私に話してみなさい。これでもカウンセラーの資格も持っているからね。相談に乗るわよ」
そう言ってくる保健医に、俺はこの問題を相談しようと思った。何より、俺一人では問題は解決出来そうに無かったし、今は誰かにこの思いを知って欲しかった。俺は悩みの全てを話す事は出来ないが、大まかな内容を話す事にした。
「俺は剣道部員なんですけど、同じ部員とあるものを賭けて戦えって迫られているんです。他にも、俺と同じ内容で戦う事になっている部員がいるんですけど、そいつらは戦う事に問題は無いって言っていて。だけど、俺は戦いたくないし、相手のものも欲しくなんてないんです」
「戦いたくないのは、その賭けているものが無くなるのが怖いから? それとも、その部員と戦う事が嫌なの?」
「ある意味、両方です。でも、約束はもうしてしまったから逃げられないんです。戦うか、戦いから逃げきるかどちらかしかない。だけど、もう一つ問題があって……。この戦いはタッグを組んでいるんです。」
「ああ、それで君はそのタッグの相手と意見の食い違いでも悩んでいる訳なんだ。何個も悩みがあって辛いねぇ」
保健医は俺の話を聞いて内容を把握してくれたらしい。保健医はその後、考えるように顎に手をついていたが、すぐに手を放して俺に質問してきた。
「君はさぁ、賭け事ってした事あるかい? 子供の賭けじゃない、大人の賭け事ね」
「いえ……、ないですけど?」
「大人の賭けってのはね。まさに今の君の状態と同じなんだよ。一度賭けたらもう逃げられない。残る手段は賭けに出るか、賭けを放り出して全てをなくして逃げるか、このどちらかだ」
「やっぱり、そうですか……」
「でもね、この時点では賭けの選択は二つしかないけど、勝負をする事でその選択肢が増える事もあるんだよ」
俺はその言葉の意味が分からなかった。賭けで勝ったらその後は報酬を貰うだけ、つまり俺で例えるなら部長を倒して、この戦いから一つの村正を消す事が出来る。それだけだ。だけど、保健医はそうではないと言う。
「賭けをしないで逃げれば、そこで待っているのは本当の負けさ。何事も逃げるって事はなるべくしない方がいいんだからね。でも、賭けを受ければ可能性が出て来るんだよ」
「可能性?」
「賭け事ってのはね。勝った方に全てを決める権利があるんだよ。例えば、昔の時代劇とかでやってる『生かすも殺すも己次第』ってやつさ。試合に勝った侍は相手を殺す事も、生かす事も自由に出来る。これがさっき言ってた可能性ってやつさ」
「えっと、つまりはどういう事ですか?」
「つまり、君の悩みの種である部員と戦う事は避けられないけど、勝てばその賭けをちゃらに出来るように交渉できるんだよ。相手のかけているものは要らないんだろ? なら、勝ったらそれを受け取らなければいい。それで、相手にもう賭けをしないように約束させればいいんだ」
俺は保健医の言う事に驚いていた。確かに、部長と戦う事は避けられない。でも、もしも部長と戦って勝てば、今後一切戦わないように約束させる事も出来ると言う事だ。
「どうだい? 少しは悩みの解決に役立ったかな?」
「はい! ありがとうございます。少しだけ、道が見えてきました」
「そうか、それは良かった。頑張りなよ! さぁ、昼休みももうそろそろ終わるよ。教室に戻りな」
「どうも、ありがとうございました!」
そう言って俺は保健室を出て行った。出て行く時に、保健医が背中を押し出してくれたのが嬉しかった。
しかし、今の俺には嬉しさに浸っている場合じゃなかった。まずは、ナツキと話をつけなければいけない。俺はそう思い、教室まで走った。教室に入ると、ナツキは席でぼんやりと考え事をしているようだったが、俺が近づくと顔を上げた。
「ナツキ、話しがあるんだ。ちょっといいか?」
「えっ? うん、いいけど……」
「俺は部長と戦う事にした」
「ええっ!」
俺の急激な意見の変化にナツキは驚きの声をあげる。ナツキだけでなく、微かに美切も驚きの声をあげていた。
「一体どうしたの? さっきまでは戦う気なんて無かったって言うのに」
「ちょっとな、思考の転機があったんだよ。それで考えたんだ。俺はこの戦いをするって決めた。だから、それはやらなきゃいけない事だったんだ」
『という事は、あいつを倒す決心がついたのだな?』
「いや、止めは刺さない。あくまで、部長を倒すんだ!」
『はぁ?』
俺の滅茶苦茶な意見に美切はとんちんかんな声を出す。確かに、俺の言っている事は支離滅裂だ。倒すといいながら倒さないのだから。
「つまりはどういう事なの?」
『はっきりして』
「つまりは、部長と戦って勝つのは確かだ。でも、この村正の戦いでの決着のつき方は、俺達契約者の封界内での生死だろ? だから、部長の事は殺さない。でも、戦えない状態にするんだ。そうすれば、後は俺達次第で部長が村正の戦いから落ちるか、残るかが決められるんだ。そうなったら、こっちから条件を持ちかけて部長の動きを封じればいい」
そう、つまりは部長との勝負に勝ちさえすれば、後は俺達に部長をどうするかの決定権が与えられるんだ。そうなれば、後はこっちの出す条件を部長に持ちかけて選択させればいい。誰も好んで死ぬほうを選択はしないだろう。
「それに、部長ならきっと俺達が勝負を持ちかけてきたらそれに乗ってくると思うんだ。そして、そんな部長が約束を破るとは思わない。もし、破るようなら今度はその時こそ、本当に倒せばいいんだからね」
「ふぁ〜、凄いね早ちゃん。そんな事思いつかなかったよ。よく思いついたね」
「まぁな、いいカウンセラーがいたもんで」
『だとしたら、この後はどうするんだ?』
「部長に勝負をこっちから申し込む。日にちは来週の月曜日の放課後。そうすれば、土日で特訓も出来るし、丁度いいと思うんだ」
この賭けは勝つ事が前提に無ければいけない。だったら、限りなく短い時間で特訓をして、ナツキの足手まといにならないくらい強くならなければいけない。でも、そんな事は絶対に封界を使ったとしても土日だけでは足りない。だからこそ、作戦を練らなきゃいけないんだ。
「部長はそんな条件飲んでくれるかな?」
「平気だよ。あの人はそういう人だ。まぁ、後は放課後になってからだな」
「うん、分かった。早ちゃんの事、信じてるからね」
「ああ、任せとけ!」
その時、丁度チャイムが鳴った。俺は席に座って次の授業の教科書を取り出す。俺の中にもう迷いは無かった。やっぱり、俺は俺の主義を通す。ただ単に戦うんじゃない。戦いに意味を持たせなければいけないんだ。
教室に先生が入ってくる。授業が始まり、先生が喋り始めて黒板に板書をしていくが、俺にはそんなものは目に入っていなかった。
部長と戦う為の戦略、条件。今の俺の頭には、部長との戦い方を考える事以外の思考はなくなっていた。それほどに、あれほど嫌だった部長との戦いが逆になり、戦いたくなっていたのだった。
残っていた授業が全て終わり、部活の時間が来た。俺達は揃って練習場の前に立ち止まっていた。きっと、俺の予想通りなら部長は必ず、俺達を待ち受けているだろう。だけど、その方が好都合だ。
俺達は練習場の扉を開けた。すると、練習場の入り口に待ち構えるように立っている部長の姿があった。その顔は笑っていていつも通りの部長だった。
「よく来たな。俺の事を避けて来ないかと思ってたんだけどな」
「まさか、冗談でしょう? 俺達は逃げたりなんかしませんよ。昨日のはちょっとパニくっただけです」
「んじゃ、俺と戦う事を決めたんだな?」
そういう部長の手には竹刀袋が握られていた。きっと中には舞風さんが入っているのだろう。部長はその竹刀袋を見せつけるように目の前に差し出していた。
「ええ、部長とは戦います。でも、それは今日じゃありません」
「あ? どういう事だ?」
「分かりやすく言いますよ、部長」
そう言うと、俺は部長に美切を向けて宣言した。
「部長! 来週の月曜、部活後に俺達と戦ってください! これは俺からの宣戦布告です!」
俺が声高らかにそう言うと、部長は目を丸くして呆けていた。しばらくの間、そうしていた部長だったが、次第にその表情は崩れ始めて盛大に笑い始めたのだった。
「あははははっ! 最高だよ、早斗。お前は本当に面白いな」
「これでも一応、真剣なんですけどね?」
部長は腹を抱えて笑っていたが、笑いを静めると俺を見てこう言ってきた。その目は、昨日見せた真剣に戦う時の部長の目だった。
「いいぜ。その勝負、受けてやるよ。昔ながらの決戦って感じでいいな!」
「それは良かった。部長なら受けてくれると思ってましたよ」
さて、これで最初の条件は成立だ。後は、俺達の頑張り次第になる。となれば、真っ先にしなきゃいけない事がある。
「じゃあ、部長。俺らは今日、部活を休ませてもらいますね。これから秘密の特訓をしなきゃいけないんで」
「ったく、しかたねぇな。その代わり、今度の練習の時にしめてやるからな」
「了解です」
そう言って俺達は、練習場から立去ろうとした。しかし、その前に部長から声が掛かった。
「ああ、そうそう。お前らの剣道具だけど、そこにあるから持って行けな」
指を指された先には昨日、置いていった剣道具があった。俺達は指示通り、剣道具を持つと今度こそ練習場から放れていった。
練習場から離れて、校門に着いた時。今まで一言も喋らなかったナツキが、ようやく口を開いて話しかけてきた。
「早ちゃん、あれで良かったの?」
「ああ、あれでいいんだよ。あくまで、部長と関わるのは宣戦布告って言う時間稼ぎの為なんだから」
「じゃあ、これから帰って特訓するの?」
「ああ、さっそくな。そこでなんだけど、ナツキと守に手伝って欲しい事があるんだけど、いいか」
俺の問いかけにナツキは首をかしげていた。しかし、ナツキはその後に二つ返事で俺の願いを聞いてくれた。これからやる特訓にはナツキが必要だ、断られなくて良かった。
「うん、勿論! 早ちゃんの役に立つなら何でもするよ」
「そっか、サンキュ。それじゃ、家に帰って準備が出来たら俺の家に来てくれ。そこから部長特対策の特訓開始だ!」
*
家に帰った俺はいつもの運動着に着替えていた。その間に美切は人の姿になっていて俺に話しかけてきていた。
「今回の戦い。勝算はあるのか?」
美切は意気揚々としている俺の態度に不安があるようで、そんな質問をして来た。確かに昨日のあの様子を見せられた後に、こんなに自信満々に戦いを挑むなんておかしいとしか言いようがない。
それでも、俺には考えがあった。それはまだ、仮説でしかないし本当に部長に勝てるかどうかも分からない。それでもやるだけの価値がある事なのだ。
「まだ分からない。でも、この三日間でやれるだけの事はやる。少しでも勝率を上げる為にな」
「ふん。まぁ、頑張ってくれ。お前は私の契約者なんだからな!」
「分かってるよ。美切もよろしくな」
準備が出来た俺は境内へ出る。すると、すでにナツキと守は待っていたようで準備運動をしていた。俺は近寄り、声をかける。
「悪いな、待たせたか?」
「ううん。準備運動をしてたから平気だよ。それよりも、早ちゃんは準備運動しなくていいの?」
「ん? ああ、軽くからだを捻る程度で準備運動はいいんだよ。これも美切との特訓のおかげでな」
そう言いながら俺は体を横に捻ったりする。ちょっとばかり固まった筋肉をほぐせば、その後は自然に体が運動を出来るように調整をしてくれる。これは、俺ならではの特性だ。
ある程度、体が暖まって準備が出来る頃には、ナツキも準備運動を終えていた。俺はそれを確認すると、いつもの神木の前にナツキを呼んだ。
「それじゃ、封界を展開するぞ」
「うん。いいよ」
ナツキの了承を受けると、俺は意識を集中して封界をイメージする。自分を中心に円を書くように封界の範囲を決定する。そして、範囲が決まったところでそれを実行に移す。
「封界!」
俺の言葉と共に、封界が展開される。境内の色が鋼色に染まり、時間が停止する。封界を展開したのでこれで準備は万全だ。
「それじゃ、さっそく始めようか」
「うん。でも、一体何をどうするの?」
「ああ、そういえば作戦を伝えていなかったな、悪い。えっとな、部長との戦いは役割を分担して戦おうと思うんだ」
「役割を分担?」
そう、それがまずは作戦の一つ。部長の戦闘スタイルに合わせて主に戦う相手を変える方法だ。部長は正眼の構えと、上段の構えを使ってくる。それに対応して、俺とナツキでどちらかを受け持つように戦うんだ。
「ナツキは上段に対して、どのくらい対抗できる? 後は、上段に対しての対策を知っているか?」
「えっと、そんなに女子で上段を使ってくる子はいないから分かんないよ。上段のメリットは振り下ろしが早い事、面が入りやすい事。逆のデメリットは胴が空く事、それと、面を警戒される事。他にもいろいろ歩けど大体こんな感じでしょ?」
「やっぱりそんな感じか、じゃあもし部長が上段の構えできたら俺とすぐに変わってくれ。俺なら今のナツキよりは上段に対抗できる。その代わり、正眼の構えの時はナツキに任せたい」
俺の申し出にうなずくナツキだが、実際にはまだかなりの問題がある。何しろ、俺の対上段用の対抗策はまだ未完成だ。これでは俺がやられてしまう。まぁ、それはこれから特訓して強くなるんだが。
「それと、もう一つは美切達の能力についてだ」
「そういえば舞風さんが言ってたよね。村正には能力があるって」
「ああ、だからその能力を発見するんだ」
そう言って俺は美切と守を見る。しかし、二人共バツが悪そうに目を背けてしまった。まぁ、確かに同じ村正として、そんな能力がある事を知らなかったのは屈辱的だったんだと思う。でも、いつまでもそのままではいけない。
「まずはどんな些細な事でもいいから記憶を思い返してくれ。あるいは感覚で自分の能力を発見してくれ」
「お前は結構な無茶を言っているのが分かっているのか……?」
「そう簡単にいく訳がない」
「そう言わないで頑張ってくれよ。頼むからさ」
二人にそう言うと、俺はさっそく特訓を始める事にした。美切に木刀を渡して手合わせを始める。しかし、そんな俺達を横で見つめるナツキ達がいた。一体どうしたのだろうか。
「えっと、何で特訓始めないんだ? 俺達の特訓を見てても上達しないだろ」
「だって、早ちゃんが相手してくれなきゃどうやって練習するの?」
「どうやってって、守とやればいいだろ?」
「守ちゃんは刀じゃ戦えないから相手にならないよ」
俺はその事を初めて聞いた。俺は美切と特訓をする事が当たり前になっていたが、どうやらナツキはそうではないようだ。ナツキの話だと、守は人の姿で刀を扱えないようだ。しかし、そこで疑問が浮かんだ。では何故、美切は人の姿で刀が扱えるのかだ。
さらに、前の特訓の時に美切が言っていた言葉を思い出した。『今の私の教えている剣術も昔、私を使っていた者の流派だろうしな』という言葉だ。俺はそこから一つの結論に達した。
「もしかして、美切の能力って『摸倣』じゃないのか?」
「模倣?」
「そうだ。前に言ってたよな、お前が使っている剣術は前の持ち主のものだって。だとしたら、守にも同じように前に使っていた人がいたはずだろ? なのに、守はその人の剣術を使えない。それはおかしくないか?」
今まで三人の村正を見てきたが、共通している事は『人の姿になれる』、『手刀で戦える』と二つがあげられる。それと別に共通していない事は『経験の違い』、『自分達についての事』、『村まさの気配を消せる』。そして、美切の『前の持ち主の剣術を使える』だ。
前者の二つは刀の状態によって違いがあるみたいだが、後者の二つは明らかに二人だけの個別なものだ。美切の方は舞風さんが出来るかどうか分からない為、確実とは言えないけどその可能性が高いだろう。
「でも、具体的にどんな能力になるんだ? もしこれが私の能力だとしたらだが」
「それは試してみないと分からない。でも、もし考えている事が確かならこの勝負の勝率は格段に上がるはずだ」
「ほぅ、それは面白い!」
「まぁ、これからの練習によってだな!」
俺と美切は能力になりうる可能性の発見に盛り上がっていたが、その横でナツキがどんどん落ち込んで言っているのに気がついた。俺は慌てて、ナツキにも守の能力についても助言をする。
「ナツキもさ、他の村正と守で違う部分があるのを見つければいいんだよ。そうすれば能力が分かるかもしれないからさ!」
「うん、そうしてみるけど……」
「頑張ってみる」
そう言うとナツキ達は離れていき、神木に寄りかかるように座り込んでいた。ナツキから繰り出される質問に守が答えていくという感じになっていたが、あれで能力が見つかるとは悪いけど思えなかった。
しかし、ナツキの事も大事だが、俺の方はもっと大変だ。腕もない、能力もないでは役に多々なすぎる。せめてどちらかだけでも手に入れなくてはいけない。まずは、確実に分かった訳ではない能力は置いておいて上段対策を極める事にしよう。
俺はその事を美切に伝える。すると、さっそく美切は上段に構えてきた。俺は今までに習った。上段への対処の仕方を頭の中で反復する。そして、俺は最善の手であると思われる手で美切へと斬りかかっていった。
*
日曜日の夜。
境内で封界を展開して特訓をしていた最中、昼間のうちに特訓を切り上げたナツキがやって来た。ナツキの手には簡単につまめるような、おにぎりが入っているタッパーがあった。俺は一旦、手を止めて休憩する事にした。
美切も人の姿になり、俺達と共に神木に寄りかかるように座る。ナツキから受け取ったおにぎりを食べていると、ナツキから話しかけてきた。
「どう、調子は? 私達の方はもう大分出来るようになってきたけど、そっちはいい感じ?」
「ああ、まぁまぁだな。でも、これなら実戦でも使えるレベルだぜ」
俺がそう言うと、ナツキは安堵するように笑った。俺も、ナツキの準備が出来た事が分かってほっとする。
俺達はこの二日間で大きく成長した。俺は基礎的な剣術も上がったし、村正の能力も手に入れた。守も何とか能力を発見して使いこなせるようになった。これでとりあえず、やる事は全てやっただろう。
後は、実戦で何処までこのちからを発揮できるかにかかっている。
「とうとう、明日だね。勝てるのかな?」
「さぁな、でも戦いから逃げる事はしない。それだけは確かだ。正々堂々と正面からぶつかって勝つ。そして、もう部長とはこの戦いをしないと約束させるんだ」
「でも、本当に約束してくれるかな? 話を聞いた私でも結構半信半疑なんだけど……」
「大丈夫だよ。絶対にそういう方法もあるんだ。そうじゃなきゃ説明がつかないんだよ」
俺が自信満々に話す反面、ナツキは心配そうな顔をしていた。俺はそんな表情をしているナツキを見てこの心配を取ってやらないといけないと思った。
俺は立ち上がり、ナツキの目の前に立った。急に立った俺を、ナツキは何をするかと見つめていた。俺はそんなナツキに手を差し伸べた。そして、満面の笑みを浮かべながらこう言った。
「大丈夫だ。俺についてくれば心配なんていらねーよ! 俺と一緒にいこうぜ!」
「早ちゃん……」
俺の行動に驚いていたナツキだったが、その表情はだんだんと明るいものになっていった。ナツキは差し出した俺の手を取ると立ち上がり、同じく笑って返事をしてくれた。
「うん! 一緒に頑張ろう、早ちゃん!」
「勿論、美切と守もな!」
「当たり前だ。私がいなければ何も出来ないやつに言われたくない!」
「あんなやつに負けたりなんかしない。絶対に勝つ」
俺の言葉と共に一丸となった俺達は、いい感じに意気込みが感じられた。勝負は明日の放課後。部活が終わって誰もいなくなった学校での勝負だ。絶対に勝つ。そんな事を思いながら、俺達は解散して言った。
*
放課後の部活中。俺はかかり稽古で丁度、部長と当たっていた。お互いに本気を出さずにただ単調に打ち合うだけ。しかし、そんな中でも会話だけは進んでいた。
「特訓はどうだったんだ? 上手くいったのか?」
「上々ですよ、油断してると部長の方が負けちゃいますからね」
「はっ、ずいぶんと強気なもんだ。あんまり強気でいると泣きを見るぞ」
お互いに言葉で牽制をしながら戦っているのは奇妙な感覚だった。まるで、ただの部活の先輩と後輩のようだと思えた。しかし、この後にこの人と戦うという事だけは、自分の中にしっかりとイメージがあった。
笛の音がなって練習相手が変わる。相手は部長と同じく、三年生だ。三年の中でも結構強い先輩なのだが、今の俺は負ける気がしなかった。
練習開始の笛の音がなる。先輩は、どうやら先手を取って攻め込んでくるつもりだったらしい。しかし、そんな先輩の面よりも俺の放った胴の方が先に入っていた。面を前傾姿勢で潜り抜けて入れた胴は練習場に一層大きい音を響かせていた。
*
部活が終わり、他の部員は次々と帰っていった。荷物を持って先に更衣室から出た俺と部長は練習場の片隅で座り込んでいた。
無言で座っている部長はいつも通り、笑っているような真顔のような表情で練習場を見渡していた。しかし、そんな部長に俺は質問したい事があった。
「部長は、何で村正と契約したんですか?」
「何でって、そりゃ〜力を手に入れる為だよ」
「力って、あの契約内容に入っている『勝ち残った村正の所持者は最強の強さを手に入れる事が出来る』ってあれですか?」
俺の言葉に部長はうなずいた。部長は俺の方を見ずにそのまま話し続ける。しかし、その顔には部長の真剣な思いが伝わっていた。
「俺はさ、警察の息子だ。将来、就職をするなら安定もしているし、公務員の警察になった方が効率いいだろ。その為には、強さが必要だと思ったんだ。どんな犯人にも勝てるような力がさ」
「今でも十分強いじゃないですか?」
「確かに強いさ、自分で言うのもなんだけど。一応、県大会にも出たしな。でも、それ以外にも理由はあるさ」
そう言うと部長は立ち上がった。そして、少しだけ前に進んでいくと振り返り、言ってきた。
「舞風と約束したからな!」
「約束……」
その一言が俺の胸に響いた。先輩は自分の為だけでなく、舞風さんの為にも頑張ってこの戦いに挑んだのだ。その意志の強さは俺には無いものだった。何となく勢いに流され契約し、戦う事になった俺とは全然違う。その事が、少しだけうらやましかった。
しかし、今は違う。俺にもこの戦いでの目標がある。だから、負ける訳にはいかない。それはこの戦いをする事になった全員の為にも。
女子更衣室から最後の団体が出てきた。その中にはナツキも混じっており、鍵を閉めているようだった。他の女子部員が帰っていく中、ナツキは俺と部長の方へ向かってきた。男子はすでに全員が帰っている。これで、すべての準備が出来た。
三人しかいなくなった練習場にピリピリとした空気が張り詰める。しかし、そんな感覚が今の闘争心の高ぶった俺達には心地よいものだった。
「さて、準備もいいようだし。気が早いけど始めるか」
そう言って部長が封界を展開しようとする。しかし、それを俺は制止させる。
「待ってください。封界は俺が張りますよ。安心してください、今回は逃げたりなんかしませんから」
そう言うと、部長は大人しく封界を展開するのを俺に任せてくれた。しかし、これも作戦の中に入っているんだ。俺が封界を展開する、これも重要なキーなのだ。
「封界!」
俺は練習場を包むように封界を展開する。練習場はこの間と同じように鋼色に染まる。封界の展開が終われば戦闘の準備は完了だ。少しずつ近づいてくる戦いの感覚に胸の鼓動が高くなる。俺達は一斉に竹刀袋から刀を取り出す。腰のベルトに鞘を固定して準備を整える。
「さぁ、それじゃあ、始めようか。戦いを!」
そう言った部長は抜刀をする。構えは正眼の構え。まずはナツキと守の出番だ。作戦通りにナツキが部長の前へと出て行く。しかし、ナツキはそのまま抜刀せずに刀身を鞘に収めたままだった。
「へぇ、抜刀術か?」
「よろしくお願いします、部長」
そう言った二人は、間合いを取り始める。鞘に手を添え、鯉口を軽く斬った状態で柄を握ったナツキはジリジリと小さく動き、正眼に構えた部長は大きく円を描くように歩いていた。二人が間合いの取り合いをしている時に、俺は抜刀をした。
しかし、それが合図になった。部長は一瞬で間合いを詰めてきてナツキに斬りかかる。袈裟切りを仕掛けてくる部長に対し、ナツキは即座に抜刀する。鞘走りを使って加速した剣速はすでに振り下ろしを始めていた部長の剣速と同等だった。
振り下ろされる刃と振り上げる刃が勢い良くぶつかり合う。強い衝撃音が鳴り響き、二人は鍔迫り合いをする事無く、距離を取る事になる。しかし、態勢はナツキの方が不利だった。守を弾かれたナツキは、次に構えるのには隙ができるような状態だった。
部長もそれを見逃さず、さらに追撃を仕掛けようとしてくる。しかし、ここからがナツキの本気だった。
「やあああぁぁっ!」
部長が横薙ぎに舞風さんを振るってくるのに対し、ナツキは体を回転させて遠心力をつけながら守を振って対抗した。不利な態勢から放った振り方だったが、そんな事も気にせずに部長の横薙ぎを簡単に防ぎきっていた。
その出来事に部長は驚いた表情を見せたが、すぐにその表情は笑みへと変わった。すると、部長は大きくナツキから離れていった。何をしてくるのかと思っていたが、すぐにそれは分かった。部長は構えを上段にしてきたのだ。それを見て俺達は緊張する。
「手を抜ける状態じゃないな。これからは本気で行くぜ、これで終わりだ」
そう言ってくる部長の気迫が強くなった。その様子に俺はナツキに声をかける。
「ナツキ、どうする、変わるか?」
「ううん、平気。あれを使うから!」
その言葉に俺は一応安心する。俺はナツキの言葉を信用し、そのまま待機する事にした。
「おいおい、あれってなんだよ?」
「秘密です。今から分かりますよ」
そう言ってナツキが、構えを変える。正眼の構えではなく、脇構えだ。本来、剣道では昇段審査の時にしか使わない構えだが、今のナツキにとってはこれが最適の構えらしい。その構えに対して、部長は表情を険しくしていた。
「いくよ、守ちゃん!」
「うん、いつでもいいよ」
脇構えは相手の刀が見えにくくなる。その為、剣筋が見えなくなるので相手の攻撃に対して、対抗がしにくくなるのだ。
ナツキが大きく息を吸い込む。その反応を見た部長は即座に斬りかかった。
「はああぁぁっ!」
刀を振る時は息を同時に吐くものだ。それはどんな動きにも通じる事である。部長はそれを見逃さず、ナツキの出鼻を挫くように斬りかかったのだ。本来の、剣道ならこの瞬間に面を入れられて終わりだろう。しかし、俺はナツキが負けないと分かっていた。
部長の舞風さんが振り下ろされ、ナツキの体の寸前まで刃が届く。見ている俺は心臓がドキドキしていた。部長の舞風さんが当たらないと分かっていても。
次の瞬間、ナツキに当たるはずだった部長の舞風さんは、空を斬っていた。その出来事に部長は、驚いて固まる。だが、そのすぐ直後に舞風さんが声を上げた。
『怜也! 後ろだ!』
「なにっ!」
部長が後ろを振り向くと、すでにそこには守を斬り上げているナツキの姿があった。部長はその攻撃を避けようとするが、微かに間に合わず、左足に斬撃が入る。
「くっ!」
守で斬られた痛みに部長が苦痛の声を上げる。部長の左足からは、制服に少しだけ滲み出る程度の血が出ていた。部長は足の痛みに堪えながら、そのまま構えを上段に戻した。
『怜也、平気かい?』
「大丈夫だ、これくらいは問題ない」
舞風さんの心配する声に答えながら、部長はナツキの方を見ていた。ナツキは先ほどとは違い、息を切らせながら、さっきと同じ腰構えでいた。そんな中、部長はナツキに質問をしてきた。
「それが沢井の。いや、君の村正の能力か?」
「ええ、そうです」
ナツキは一撃を入れた事に喜んでいるのか、若干余裕を見せていた。そんなナツキを見ていた部長だったが、少し間が空くと何故かいつも通りの軽い笑みに表情が戻っていた。
「なるほど、これは戦闘向けの能力だな。俺もこんな能力が欲しかったよ」
『あ、酷い。それじゃあ、僕が役立たずみたいじゃないか!』
「はは、悪いな。でも、俺にはお前の能力の方が合ってるよ。あの能力は反動がきつそうだ」
その言葉に、ナツキの表情が強張る。それは俺も同じだった。俺の予測が正しければ、恐らく部長はすでにナツキの能力を理解してしまったのだろう。
「なぁ、沢井。ずいぶんと一撃に体力を使ったようだな? それとも、移動のほうに使ったのかな?」
部長は笑いながらナツキに質問を振りかけてくる。しかも、その答えを分かっていながらだ。
「あと何回くらい使えるんだい? その――高速移動」
高速移動という事場にナツキは驚きの表情を見せる。少しだけ、悔しそうな顔をすると部長に対して返事をした。
「さすが、部長ですね。一回見ただけで、そこまで分かっちゃいますか……」
「まぁね、それにしてもいい能力だ。反動だけを除いたらね」
俺は驚いていた。まさか、守の能力である『高速移動』がたった一回使っただけで見破られるなんて思ってもいなかった。
守の能力はその言葉の通り、高速移動だ。瞬間的に身体能力を限界まで引き上げ、人間離れした動きが出来る。しかし、その反面に体力を大量に使うのが難点だ。今のナツキの体力だと、一回の戦いで最大五回が限度である。
実際に俺が見せられた時は、何も分からなかったというのに。部長の観察眼に俺は予想以上に予定を狂わされた。部長の事だ。恐らく、もう大方能力の全容を解明しただろう。そうなれば、自然と対抗手段が出来てくる。
部長は上段の構えから、正眼の構えになる。攻撃よりも、今は防御に徹したほうがいいと考えたのだろう。さすがに思考の切り替えが早いな。
ナツキがまたしても大きく息を吸う、二回目の高速移動だ。部長はそれを確認すると、素早く、後ろに下がっていった。向かった先は、練習場の壁だ。
その行動に、ナツキは高速移動を使わないで立ち止まるしかなかった。そして、その行動を見た部長は、さらにニヤニヤと笑っていた。
「やっぱり、その能力はいろいろと問題があるね。例えば、今みたいに背後に回れない時は、何か問題があるんだね。そうだな……、壁側ギリギリに止まる調整が出来ないとか、そんな感じかな?」
それは的確な指摘だった。部長の言う通り、この高速移動には弱点がまだいくつかある。そのうちの一つが思い通りの場所に止まれないという事だ。身体能力が強化されて高速で移動できるようにはなるが、思考能力は上がらない。その為、目で動きが見えていたとしても、その場所に止まるという行動がどうしても遅れるのだ。
だけど、壁際に寄ったとしてもまだナツキには手が残っているはずだ。その証拠に、ナツキは未だに闘争心をたぎらせていた。
「そうですね、でも。この能力はそれくらいでは防げませんよ!」
そう言った瞬間、ナツキの姿が消える。ナツキの姿を見失ったのは部長も同じだった。しかし、美切と舞風さんには見えていたようで声が掛かった。
『上だ!』
その言葉に、上を見上げると真っ逆さまに落ちてくるナツキの姿があった。ナツキによる全体重と落下、振り下ろしの全ての力が加わった一撃が部長に降りかかる。しかし、その攻撃は部長には意味が無かった。
「その選択は無意味だよ、沢井」
刃と刃がぶつかった瞬間、部長は水平に構えた舞風さんを上手く使い、刃を滑らせるように受け流した。俺も良く使われた流し受けだ。
全力の一撃を避けられたナツキは、その場にしゃがみ込むように落下の衝撃を受け流している。しかし、そんな状況を部長が逃すはずが無かった。
しゃがみ込んだナツキに対して、今度は部長が全力の一撃を繰り出す。落下の衝撃で動けないナツキは、それを受けるしかなかった。しかし、そんな瞬間、またしてもナツキの姿は舞風さんの振り下ろされた場所にはいなかった。
それはナツキの全力の回避行動であり、全力の攻撃だった。無茶な状態からの高速移動である。ナツキはすでに壁際から離れた部長の背後に回りこんでいた。そして、下段から守を振り上げていた。
その刃は、今度はさっきとは逆の足。右足を斬り裂いていた。完璧に一撃を食らった部長は、激痛に表情をゆがめるが、その動きは止まらなかった。その場にしゃがみ込み、舞風さんを裏拳のように横薙ぎに振るってきたのだ。
ナツキは何とかその一撃を受けきる事が出来たが、その反動で床に倒れこんでしまった。高速移動を使ったナツキは疲れきっており、動く事が出来ずにいた。そのナツキに部長がじりじりと寄っていく。
しかし、ナツキをやらせる訳にはいかない。そして、ここからは俺の出番だった。俺は部長に近寄り、声をかける。
「部長、今度は俺が相手です。背後なんか見せたら、襲い掛かっちゃいますよ」
「お前に俺の相手が務まるのか? 沢井が動けなくなった時点でお前達の負けだろう?」
「果たして、そうですかね?」
そう言った俺は、八相の構えを取る。その構えを見た部長は正眼に刀を構えてきた。部長は両足を潰されている。その為に、動く事はほとんど出来ないはずだ。そう、これも作戦のうち、明らかな戦力差を埋める為のナツキがしてくれた大切な工程だ。
「いくぞ、美切!」
『ああ、思いっきりいくぞ!』
ここから先は、俺が残りの作戦を全てやらなくちゃいけない。頑張ってくれたナツキと守の為にも必ず成功させるんだ。
「だあああぁぁっ!」
俺は全力で部長へと斬りかかっていった。八相の構えから、袈裟切りを放つ。しかし、俺の攻撃は簡単に受け止められてしまった。だけど、俺の攻撃はこれで終わりじゃない。ここからが本当の目的だ。
俺はそのまま鍔迫り合いに持ち込もうとする。しかし、部長はそれを拒み、体を引いて避けようとした。だけど、それは俺にとって好都合だった。俺は体の中心線をガードするように美切を構え、そのまま部長に体当たりを仕掛けた。
足を怪我している部長は、それに気付いて何とか避けようとする。
「くっ!」
しかし、俺の体当たりは何とか部長に当たった。体を半身ずらされて威力は弱まったが、隙を作るには十分なものだった。
俺は態勢を崩した部長に斬りかかる。部長はよろけた態勢でいて、とても俺の一撃を受けきれる状態ではなかった。俺はこのチャンスを逃さないように全力で攻撃する事にした。
「りゃあああぁぁっ!」
八相の構えから大きく振りかぶり、部長を狙う。美切を振り上げ、全力で振り下ろした。しかし、俺はここでミスを犯した事に気がついた。上段からの全力の振り下ろし、それは部長のもっとも受けるのが得意な攻撃だったのだと。
だが、振り下ろした美切はそう簡単には止まらない。部長は即座に舞風さんを頭上に構える。そして、ぶつかった美切は、舞風さんの刃を滑り落ちるように受け流されてしまった。
「まずっ!」
俺は即座に緊急回避を取ろうとする。しかし、それ以上に部長の剣速は速かった。
「遅い!」
地面を蹴り、後ろに下がる。しかし、その目の前では俺に襲い掛かる刃が横薙ぎに振るわれていた。そして――その刃は俺の横腹を斬り裂いた。
「ぐっ! あああぁぁっ!」
俺はその痛みで床へ倒れこむ、横腹からは熱い血が流れ出し、激痛が走っていた。こんな激痛は味わった事が無かった。しかし、俺はその痛みにもがきながらも部長の姿だけは見逃さなかった。
部長は片膝をつきながら、荒い息をしていた。ナツキに斬られた両足が辛いのだろう、その痛みは今なら分かる。そう考えると、あの傷を負った状態で俺とまともに戦えていたのは、とてつもない精神力だと思える。そして、その腕前もだ。
「早ちゃん! 大丈夫!」
ナツキが声を上げるが、俺は返事をする事が出来なかった。横腹に走る激痛は何よりも、俺の呼吸を乱す原因になっていた。このままでは、出血多量で死んでしまう。だから、俺は最終手段を使う事にした。
気合を入れて立ち上がる。力を入れる度に傷口が傷むが、それでも俺は美切を支えに立ち上がった。その姿に、ナツキは笑顔を見せ、部長は苦笑していた。
「よく、その傷で立ち上がるな。普通だったら起き上がれないような重傷なんだけど」
「部長こそ……、両足がもうやばいんじゃないですか……?」
「お前に比べたら、まだまだいけるさ」
そう言った部長は立ち上がる。そうして、これで終わらせると言わんばかりに上段の構えをしてきた。
「これで終わりだ、早斗。お前じゃ、俺の上段には勝てない。例え、三日間どれだけ特訓をしてもだ」
そういう部長は、じりじりと俺の方へ寄ってくる。部長の間合いに入ったら、即座に斬りかかって来るだろう。しかし、俺はその場に立ち尽くし、ある準備をしていた。それこそ、俺の最終手段だ。
俺は徐々に心を無心にしていく。部長が近寄ってくるという恐怖感に襲われながらも、横腹の傷がどんなに痛くても、精神を集中させる事は止めなかった。そして、ついに部長が間合いの中に入り込んだ。
「はあああぁぁっ!」
とうとう部長の舞風さんが振り下ろされた。上段からの振り下ろしだが、今の俺にはどんな斬り方が来るのかは分からない。振り下げられる舞風さんの刃が鈍く光る。そんな光景がスローモーションで見えた。そして、その刃が俺に当たりそうになった時――俺の手は動いていた。
刃と刃のぶつかる音がした。それは間違いなく、俺が部長の攻撃を受けきった証拠だった。部長の攻撃は逆胴だった。本来、鞘がある為に斬りにくく、狙わない場所。しかし、そんな場所を狙われたにもかかわらず、俺はその一撃を完璧に受けきっていた。
部長は俺が攻撃を受けきった事に驚き、固まっていた。しかし、それとは逆に俺の体は即座に次の行動に移っていた。
逆胴を受けた状態から、舞風さんを弾くように振り払う。そして、素早く刃を反して部長へ斬り上げを仕掛ける。防御の遅れた部長は刀で何とか受けようとするが、踏ん張りが利かずにそのまま俺に押し切られた。
「ぐぅっ!」
左肩を斬られた部長は、今度こそ痛みに耐え切れず床に手を着いた。しかし、未だに右手には舞風さんがしっかりと握られたままだった。部長は息を切らせながら俺を見てくる。しかし、そんな部長の視線は今の俺には届かないものだった。
「それが、お前の能力か……? 一体どんな能力なんだか、こんな切り札を持ってるなんて、おもわなかったな……」
そんな風に話しかけてくる部長を無視して、俺は最後の仕上げにかかる。正眼に構え、残った部長の右腕を狙い定める。今は話している時間なんてないんだから。
「ああああぁぁっ!」
俺は部長の右腕に対して斬りかかる。しかし、部長は最後の力を振り絞り、その攻撃を防御してきた。だが、部長には抵抗する力など残っていなかった。俺の攻撃を受けた舞風さんは、部長の手から離れて床を滑っていった。
これで、終わった。最後は部長を――斬ればいい……。
俺の腕が振り上げられる。このまま美切を振り下ろせば、何もかも終わるんだ……。だから、俺は刀を振り下ろした。
しかし、その刃は部長に当たる事は無かった。目の前には息を切らせたナツキがいた。そして、ナツキは俺の美切を弾くと、思いっきり俺の頬を叩いて怒鳴ってきた。
「早ちゃん! いい加減にしなさい! 何時まで意識を持っていかれてるの!」
その瞬間、俺は今自分が何をしようとしていたのか気付いた。俺は危うく、部長を斬ってしまう所だった。
「ご、ごめん。また、コントロール出来なくなってた……」
俺とナツキのやり取りを部長は不思議そうに見ていた。しかし、それは当然の事だ。理由を知らなければ、一体何をしているのかと思うだろう。
「早斗、お前……」
「すいません、部長。止めを刺すつもりは無かったんです。でも、ちょっとミスっちゃいまして」
「ミスった?」
そう、これは俺の能力のデメリットなのだ。ナツキみたいに、身体的に負担はかからない。しかし、ある意味で厄介なデメリットだ。
「これは美切の能力『剣術模倣』の副作用なんです」
「剣術模倣……?」
「はい、そうです。この村正、美切の能力は『美切を使った事のある剣術家の剣術を、自分も使えるようになる』っていうものなんです。美切の中に残っている剣術を集中して引き出すんです。かなり強い能力なんですけど、制御が難しすぎてさっきみたいにそのまま闘争心で暴走しちゃうんです」
これが分かったのは能力が使えるようになって、ナツキと始めて練習をした時に分かった事だ。勢いに任せて能力を使ったら、完璧に意識を持っていかれて危うくナツキに大怪我をさせるところだった。
ナツキは何とか高速移動を使って、俺の美切を弾いてくれた。しかし、それでナツキは体力を使いすぎて倒れてしまった、なんてエピソードがある。
「ははっ、たった三日で能力を発現してくるなんて、思いもしなかったよ。特に、早斗の能力は本当に特殊だな」
そう言って部長は床に倒れこむ、もう本当は指一本も動かせる程の体力が残っていないのだろう。しかし、息を切らせながら部長は首を傾けた。それは、滑っていった舞風さんの方向だった。
舞風さんはすでに人の姿に戻っていた。そして、床に倒れている部長を見下ろしていた。そんな舞風さんに部長が声をかける。
「悪い、舞風。勝てなかったわ。お前を最高の村正にしてやれなくて、ごめんな……」
「怜也……」
舞風さんはその言葉を聞くと、部長に近寄っていって手を握った。
「別にいいよ、怜也。確かに、最高の村正になれないのは残念だけれども、僕は十分に嬉しかったから」
「はっ、お前も俺に似て本当に馬鹿だな。ここは怒るか落胆する場所じゃないのかよ?」
「怜也だって、力が手に入らなくて残念じゃないの?」
「別に、今のままでも十分強いからな、俺は」
そう部長が言うと、舞風さんは微笑んでこう言った。
「ふふ、やっぱり怜也も怒ったり悔しがったりしないじゃないか」
舞風さんは部長の体を支えて起こす。そうして、部長と舞風さんは言ってきた・
「さぁ、止めを刺せ。これで邪魔者はいなくなるんだ」
部長はもう抵抗する気など無いようで目を瞑っていた。俺はもう一度、美切を構える。そして、振り上げた。しかし、俺は美切を振り下ろさずに、部長にある提案を持ちかけた。
「ねぇ、部長。取引しませんか?」
俺がそう言うと、部長は目を開けて聞いてきた。
「……取引だと?」
「そうです。内容は、簡単です。今ここで村正の戦いから脱落するか、それとも――二度と俺達と戦わないと誓い、その他の事で村正の戦いを続けるか、という内容です」
俺の言っている事に部長は唖然としている。それもそうだろう、止めを刺さない事もおかしい事だし、さらにその取引の内容もおかしなものである。
「その他の事ってなんなんだよ。大体、戦わないでどうやって村正の勝敗を決めるんだ?」
「それは俺が知っているんですよ。その内容は、ただ力だけで戦うんじゃない。刀として、美術品として、その美しさで勝負するんです」
「僕が……、美術品?」
「そうです、刀は美術品でもある。その形は勿論、地金、刀身の形、刃紋、ハバキ等もろもろ、全部が完璧にけ産されて作られた芸術なんです。それを利用するんです」
俺の突拍子のない取引の内容に、舞風さんですら驚いて固まっている。俺はまだ完全に理解していない二人に内容を話す。これこそが、俺の計画の最終段階なのだから、しっかりと理解してくれないと困る。
「俺が発見したんですけど、美切達はある条件を満たすと刀身の模様が替わったり、地金が綺麗になったりするんです。どうしてそうなるのかは分かりませんが、俺は思いついたんです。こんな要素があるのなら、力で戦わなくてもこの戦いを解決する方法として使えるんじゃないかって」
「じゃあ、もしその条件を受けるって言うなら止めを刺さないっていうのか?」
「はい、そうです!」
俺がはっきりとそう言うと、部長は真顔でこう言ってきた。
「お前……、馬鹿だろ」
「馬鹿で十分です! だって俺はそれが一番いい方法だと思ったから!」
部長は俺の言葉を聞き届けると、笑い始めた。それはいつもの、部活で見れる。部長の笑顔だった。
「いいぜ、その条件飲んでやるよ。だから、封界を解除してくれないか?」
「はい、いいですよ」
俺は部長の言う通り、封界を解除する。鋼色の世界が砕け散り、ようやく明るい世界に戻る。
しかし、次の瞬間世界はまたして鋼色に染まった。間違いなく封界だ。そして、それを展開したのは、部長である。そして部長はこう言ってきた。
「こうなる事は予想してなかったのか? 人を信用しすぎだぜ?」
「いえ、分かってやっている事ですから、それに……」
俺は美切を前に突き出し、宣言する。
「もし、約束を破るような人なら容赦なく、倒せますから……」
俺は能力を発動し、部長を威圧する。すると、部長はため息をついて封界を解除してきた。そして、部長は荷物をまとめて練習場の出入り口へと向いながらこう言ってきた。
「そりゃ、怖い。精々、約束は破らないようにしないとな」
「お願いしますよ、部長」
そう言うと、俺と部長は笑い合った。そして、いつもの感じに戻った部長は帰ろうとしていた。
「出入り口の鍵閉め、しっかりしとけよ。それと……、貸し一つだからな。いつか必ず返す。待ってろよ」
部長は置き台詞を言っていくと、そのまま本当に帰ってしまった。緊張の続いていた練習場にようやく、平穏な空気が流れる。俺は床に大の字になって転がると、気だるそうに声を出した。
「あ〜、疲れた〜、痛かった〜、緊張した〜」
「早ちゃん、緩みすぎ……」
「だってさ、本当の事じゃん。ナツキだって疲れただろ?」
「それは……、そうだけど」
そんな風に話していると、手に持っていた美切が光を放った。横では守も変化していて人の姿になっている。手から離れた美切は人の姿になり、こちらを見下ろしていた。
「お〜、美切もお疲れ。なんとかなったな〜」
だらけきった俺はだらしのない声で美切に声をかけた。しかし、その美切は何故かしかめっ面をしており、なにやら嫌な予感がしていた。不穏な気配に俺が先に声を掛けようとした時、予想通りに美切から喝が飛んできた。美切の手刀が俺の顔の寸前まで振り下ろされる。
「この、馬鹿者が! あれほど意識を持っていかれるなと言っていたのに、簡単に暴走しおって!」
「だって、実戦で使ったのは初めてで、緊張してたんだから仕方ないだろう!」
「そのミス一つで作戦全部が意味を失くすところだったのだぞ! 仕方ないでは通用しない!」
美切の正論に俺は何も言えなくなる。確かに、あれは本当に失敗だった。もし、ナツキが止めてくれていなければ、俺は部長を斬っていただろう。俺はその事を重々認識すると、起き上がり、三人に声をかけた。
「美切、悪かった。確かに美切の言う通りだ。俺のミスは許されないものだったんだよな。それと、ナツキと守。俺を止めてくれてありがとう。おかげで、俺の意思を貫き通す事が出来たよ」
「ふん、もっと特訓をして早く扱えるようにするんだな」
「良かったね、早ちゃん」
「お疲れ様」
三人からの言葉を受けた俺は、笑みを浮かべる。そして、立ち上がると元気良くこう言った。
「よし、さっさと帰ろうぜ!」
俺達は、荷物を持って練習場を出た。鍵を職員室に届けると、俺達は今日の出来事を話しながら帰る事になった。