第三章
第三章
翌日の朝。
俺はいつも通りの時間に起きると、制服ではなく、運動着に着替えた。昨日の夜に約束した通り、今日の朝から特訓をする事になったのだ。
起床時間は変わらないので睡眠不足だったりはしないのだが、これから怪我もするような激しい特訓を行なうのだと思うのと少しだけ、憂鬱な気分になった。
特に準備をする事のない美切は先に境内に出ていた。俺が準備を整わせて駆け寄っていくと、嬉しそうな顔でニヤリと笑っていた。
「よし、準備は出来たようだな。では、さっそく特訓を始めるぞ」
「はいよ。とりあえず、封界を発動させればいいんだろ?」
そう言って俺は封界を発動させようとする。しかし、その前に美切から静止の言葉が掛けられた。
「ちょっと待て。確かに封界を発動するのはいいのだが、条件がある」
「条件?」
「ああ、昨日は言い忘れていたのだが、封界は発動した瞬間、世界の時全てが止まる訳ではない。発動した者の精神力に応じて、その範囲の中だけ封界としての効果が現れるのだ。昨日、早斗が封界を発動させた時は、そんな事を考えずに発動したから一体どれくらいの範囲の封界が出来たのかはわからないが、今日は自分の意思で範囲を決めて発動して欲しい」
美切の説明を聞いた俺は、その内容を頭の中で反復させていた。てっきり俺はこの世界全部があのような空間になるのだと思っていた。だが、美切の説明では封界は限定された範囲だけに展開されるものらしい。
「今日は……、そうだな。この境内くらいの範囲を封界にしてくれ。心の中で願えばそのとおりになるだろう」
「境内の中だけか……」
俺は美切の指示に従って心の中で封界を展開する範囲を思い浮かべる。だが、そう簡単に決められた範囲を囲んで封界を展開するという感覚はつかめなかった。
「なんか……、無理っぽいんだけど。どうやって範囲を決めて展開すればいいのか分からないし」
「そうは言っても、これからは状況によって封界を展開してもらわないと困るんだがな。ほら、むやみやたらに封界を張って時間を止めては迷惑になるだろう? 封界の中と外では時間の流れが違うんだから、封界を解いた時に関係のない者達には無意識下で感じるくらいの時間の誤差が出るのだから」
そういう事は早めに言っておいて欲しい。それならば少なくとも昨日、封界を発動した時にここら辺一体の人達に迷惑をかけた事になる。まぁ、本人達が気付かないようなごく微細なものだからいいものを……。
「なんか、こう、具体的な表現はないのか? もうちょっと、ヒントになる説明が欲しい」
「具体的表現か……。私が封界を展開する時は、私を中心に円を作るような感じでやっているぞ」
「円か……」
俺は美切から美板ヒントを元にもう一度、封界を展開しようと試みた。頭の中で自分を中心にドーム状の空間を想像する。その中に、昨日感じた封界の感覚を作り上げていく。
頭の中にイメージが固定されたところで、俺は封界を展開した。
「封界!」
そう唱えるのと同時に、世界が時を止める。景色は鋼色をした空間になり、封界が展開された事を物語っていた。
「よし、よくやった。ちゃんと境内を包むような感じで封界が展開出来ているぞ!」
「良かった。結構難しいな、これ……」
「そのうちこの感覚にも慣れるし、封界の展開も速くなるだろう。何事も修練の積み上げが大切なのだ」
美切は難しい事をまるで簡単だというような感じで俺に言ってきた。俺はそう簡単にはいかないと分かっていたが、あえて何も言わない事にした。
「さて、では特訓の開始だな」
そう言うと、美切は光を放ち、刀の姿になった。俺は何をするのかと思ったが、すぐにその意味を理解する事が出来た。
『さぁ、私を持て。実戦では私を使って戦うのだからな。私の重さに慣れてもらわなくては困る。まずは、ただの素振りを五十回といった所か。それ以上は出来そうになさそうだからな』
「五十回? たったそれだけでいいのか?」
『ふふっ、やってみればわかるさ。ほら、さっさと始めろ』
俺は素振りの回数の少なさに疑問を感じた。五十回などいつも部活では簡単に振っている回数だ。それどころか、逆に少ない方だと言ってもいいだろう。
しかし、俺はとりあえず美切に従う事にした。美切を手に取り、鞘から引き抜く。正眼に構えると、いつもの竹刀よりも手にズシリと重さが伝わるが、俺はそのまま素振りを始めた。
だが、俺は十回程度、美切を振ったところで異変を感じた。それは、いつもならまだまだ感じる事のないはずのない、疲れだった。
俺の動きが鈍くなったのに気付いた美切は、さっきまでこの素振りを甘く見ていた俺に対して声をかけてきた。
『どうだ、早斗。これが真剣の重さなのだ。竹刀なんかと同等に思っているからそんな体たらくになるのだぞ』
「くっ、畜生!」
美切の言う通りだった。いつものペースで素振りをしていた俺の腕はすでに疲れがにじみ出てきていた。
ここで初めて真剣の重さに重大な意味を思い知らされた。この特訓はただ、真剣に慣れるだけの訓練じゃない。真剣を扱う為の基礎。その全てが集まった訓練だったのだ。
真剣の重さは腕にどれだけの負担をかけるのか、竹刀とは違う重心の真剣をどのように振ればいいのか。一見、地味なように見えるこの訓練には、重大な意味があったのだと気付かされた。
俺は素振りをするペースを落とした。そして、どうやったら腕になるべく負担がかからずに振れるか考えながら微調整をして振るように改善していった。
『そうそう、飲み込みがいいぞ。その調子で真剣に慣れていけ。ほら、後半分だ』
美切に応援されながら、俺は残り半分を試行錯誤しながら振っていった。その甲斐あって、俺は何とか五十回の素振りを終わらせる事が出来た。しかし、素振りが終わると同時に美切を手放し、俺はその場に座り込んだ。
美切は光を放ち、人の姿に変わっていた。すると、美切は俺の方を見ながらあざ笑うように話しかけてきた。
「くくくっ、どうだった早斗? 真剣での素振りはきつかっただろう」
「てめぇ、分かっていて俺に無茶させやがったな!」
「いや、昔から言うだろう。『習うよりも慣れよ』、とな」
もっともな事を言いながらも、美切は俺の様子を見て楽しんでいるようだった。それが癪に障ったが、甘く見ていた俺も悪い訳で、黙っていた。
「さて、次は剣技の訓練だ。私と手合わせしてもらうぞ」
「って、まだやるのかよ。しかもお前と手合わせだぁ? またこの前みたいにぶちのめされるだけじゃねぇかよ」
「訓練は素振りと、手合わせの二つをまずはやっていく事にする。今はそれが限界そうだからな。それと、手合わせの方はちゃんと手加減はする。まぁ、それでも気を抜けば大惨事になるがな」
悪魔のような笑顔でさらりときつい事を言ってきた。しかし、それでも俺は毎日この特訓をこなしていくと約束したのだ。俺はいつも使っている竹刀に手をかける。
「俺の方は本気で掛かっていっていいんだよな?」
「勿論、まぁ、お前の今の腕じゃあ私に一本を入れる事も難しいだろうがな」
「へっ、上等だ!」
「気をつけろよ。竹刀といっても当たれば相当痛いぞ」
俺はそんな美切の忠告を聞いた後、心して立ち向かっていった。しかし、手加減されているのにもかかわらず、俺は結局、手合わせをしている最中に美切に一本も入れる事が出来なかった。
練習が終わり、俺が打ち身や打撲で苦しみながら地面に倒れていると、美切がふと何かを思い出したように声を上げているのに気付いた。
「おい、どうしたんだ?」
「えっ、ああ、いや、その……」
美霧は何か物凄く慌てて何かを誤魔化そうとしていた。俺は嫌な予感がしたが、その正体を聞くしかなかった。
「美切。はっきり言え。何を隠しているんだ」
「あ〜、その、な。封界の事で忘れていた事があったんだが……。言うと、怒られそうでな」
「安心しろ、怒る気力も残っていないから」
「そうか? それなら言うが……」
*
封界のおかげで特訓をしながらも、俺はいつも通りの時間に学校へ着く事が出来ていた。しかし、俺は自分の席に着くと同時に、机に突っ伏したまま動けなくなった。
「おい、どうしたんだよ……。なんか昨日よりも疲れが酷くなってないか……?」
俺の事を心配して声を掛けてくれた健太だったが、俺は返事をする事が出来なかった。それもこれも全ては今朝の訓練のせいだ。
あの後、美切が言ってきたのは衝撃の言葉だった。
確かに封界の効果もあって、手合わせで出来た痣や打ち身などは封界を解くと共に治っていた。しかし、だ。封界は怪我等を治すものの、身体的に消費したエネルギーや体力は元に戻らないという事だった。
つまり、今の俺は朝から激しい訓練をした状態で登校してきた状態であり、はっきり言ってとても疲れている。
「悪い、健太。担任が着たら起こしてくれ……」
「ん〜、分かった」
俺はそう言って今度こそ少しでも疲労を治す為、仮眠を取ろうとした。健太は俺の言う事を聞いてくれて、それ以上は声を掛けてこなかった。
ぼんやりとする意識の中で俺は、明日からこの問題をどうするか考えていた。毎日がこれでは敵と戦う前に俺が疲労で倒れてしまう。どうにか対策をとらなければ。
そんな事を思っているうちに、隣の席が動く音がした。ナツキが来たのだろう。しかし、それでも、俺はからだを起こす事は出来なかった。その前に健太がナツキに声を掛ける。
「おはよう、沢井。って、なんだ? お前もなんだか元気がないな?」
「うん、ちょとね。昨日は帰った後忙しかったの。そのせいかな?」
「早斗に続いて沢井もか……。なんで俺の周りの連中はこんなにも忙しい奴らで溢れているんだ?」
「あはは、ごめんね。私も先生が来るまで少し眠らせてもらおうかな」
「了解、担任が来たら起こすよ」
「うん、ありがとう」
ぼんやりと二人の会話を聞いていた俺だったが、そこで会話は途絶えた。ナツキが疲れているなんて珍しい。俺の知る限り、ナツキは健康には気をつけていて、いつも元気なんだが、こんな風に元気がないところは、久々に見る。
声をかけてやりたかったが、俺の疲労もピークに達していた為、後で声をかければ言いと思い、そのまま仮眠を取り続ける事にした。
しかし、その傍らでナツキの疲労の原因を考えていた。昨日、部活が終わって一緒に帰っているところまではいつも通り元気だった。という事は本当に俺と分かれた後に家で何かあったのだろう。
理由を聞いてみようかと思ったが、止めようと思った。もし、言える内容なら今の会話の中で話しているだろう。でも、ナツキは内容を言わずに、ただ忙しかったと言っただけだった。と、いう事は何か言いにくい事なんだろう。
だとしたら、向こうが話してくるまでこちらからは何も言わない方がいいだろう。そういう気遣いも必要だ。
結局、俺とナツキは担任が来るまで机に突っ伏していた。担任がやってきて俺達はようやく頭を上げた。疲労はこんなもんじゃ全然取れなかったが、何とか授業を受けられるくらいには回復をしていた。
俺は一時限目が始まる前にナツキに声を掛けていた。疲れている内容はともかく、体調の方がどのくらいなのかは聞いておきたかったからだ。
鞄から教科書を取り出していたナツキは、心ここにあらずという感じだった。
「なぁ、ナツキ。体調はどうなんだ? ただ疲れているだけか?」
「うん、そうだよ。ごめんね、変な心配かけちゃって。でも、大丈夫だよ」
「そうか、ならいいんだ。でも、もし何か俺が力になれるような事があれば言ってくれよ。俺はなんだって力になるからな!」
「早ちゃん……」
俺がそう言うと、ナツキは少し考えるような仕草を見せた。何か相談したい事でもあるのだろうか? 俺はそんな事を考えながら、ナツキが話すのを待っていた。
すると、ナツキは迷いながらも俺に相談を持ちかけてきてくれた。
「あのね、そうしたら早ちゃんに相談したい事があるの」
「ああ、俺に出来ることなら何でも相談してくれ」
「うん、それじゃあ、今日の放課後に早ちゃんの家に行っていい? その方が、都合がいいから」
「別にかまわないぞ、散らかっていてもかまわないならな」
「ありがとう。それじゃ、放課後によろしくね」
そう言って一旦、会話は終わった。しかし、それでも良かった。少なくとも俺に相談できるような悩み事ならそんなに心配しなくても平気だろう。
とりあえず安心した俺は次の授業の準備に入る。後は放課後まで過ごすだけだ。ナツキも何となく元気が出たようだし、話してみてよかったと思う。
その後、授業は刻々と過ぎていった。放課後になり、ナツキと一緒に帰ろうとしたが、先に帰って準備する事があるからとナツキは先に帰ってしまった。家に行く時には携帯に連絡を入れるからと言っていたので、仕方なく俺は後からゆっくりと帰る事にした。
*
家に帰ると、親父は出かけているようで居間には美切しかいなかった。美切はテレビを占拠しながら帰ってきた俺に一言声をかけると、すぐにまたテレビへ集中し始めた。
何でも、テレビでまずは現代がどれだけ変わったかというのを調査しているのだとか。本当に熱心な奴だと思う。
俺は制服から着替える為に自室へ向かった。部屋に入ると、すぐに制服を脱いでハンガーに掛ける。タンスの中から適当な私服を取り出すと、それに着替える。ラフな格好になった俺はこれからどうしようか考える。
ナツキがやって来るまでは特にする事のない俺は、まだ引きずっている疲労を回復する為、ベッドに寝転んだ。そういえば、いい加減に美切の為に布団を持ってこないとまずいと思った。
美切は結局、昨日も俺のベッドに潜り込んできた。そのせいで俺の睡眠時間が削られた事は言わなくても分かるだろう。せめて刀の姿でいてくれれば問題はないのだけど……。
今のうちに布団を出しておけば、夜寝る前に苦労をしなくて済むだろう。そう思った俺はさっそく客間に向かった。
客間のふすまを開けると、圧縮袋に入った布団が出てくる。俺はそれを取り出すと、圧縮袋から取り出す。保存状態はいいのでこのままでも使えるだろう。そう思った。俺は布団を持ち上げると俺の部屋へ持って行こうとする。
しかし、ここで俺は考え付いた。なにも、美切が寝るところは俺の部屋でなくてもいいのではないかという事だった。というか、仮にも女の子の姿をした美切と同じ部屋で寝ているのは問題があるのではないかと気付いた。
そこで、俺は美切に今日から寝るところの話を持ちかけようとした。
だが、その時、俺の携帯が鳴り出した。着信はナツキからであり、これからうちに来るので境内に出てきて欲しいという内容だった。
俺は一旦、美切の寝る場所の話は後にする事にした。そして、俺は境内に出る事にした。
「ちょっと境内に出てくる。何か用があったら呼びにきてくれ」
「うん、分かった〜」
俺は美切にそう言ってから玄関へ向かった。返事はあったが、美切は眠たそうにしていた。境内へ出ると丁度、ナツキが階段を上がってきているところだった。しかし、その後ろには見知らない女の子がいた。
ナツキも俺を見つけたようでこちらへやってくる。俺も同じくナツキの方へ向かっていった。次第にナツキの後ろにいた女の子の顔が鮮明に見えてくる。
俺は驚いた。ナツキには悪いが、俺から見てその女の子はかなりの美少女だったからだ。
しかし、変わっている部分もあった。女の子はショートカットで、綺麗なアッシュブロンドだった。それと同じく、瞳の色も銀色だった。不思議な感じの女の子だったが、外国にはアッシュブロンドの人も居るので髪の色などには驚きはしなかった。
「ナツキ、そっちの彼女は?」
「あ、えっと、ね。彼女は守ちゃんって言うの」
とりあえず、名前を知る事が出来た。しかし、ナツキはそれ以外の事を何も言わなかった。勿論、ナツキの親戚という訳ではないだろう。そんな話は聞いたことがない。だとすると、ホームステイか? でも、今名前が守って言ったという事は、ハーフなのか?
「えっと、俺の名前は見凪 早斗って言うんだ。よろしく」
そう言って挨拶をしたが、守から返事は無かった。無言の空気が流れてとても重苦しい感じになる。
「あ〜、と、日本語。分かるよね……」
「うん、日本語で大丈夫だよ。その、ただちょっとだけ無口なだけなの」
その説明に俺はさらに訳が分からなくなる。ここまでで分かったのは名前と日本語が通じるという事だけだ。さすがに何かおかしい感じがしているのが分かったが、こっちから聞くのもなんだか躊躇われた。
しかし、そんな時、守が固く閉ざしていた口を始めて開いた。だが、その言葉は俺の予想をはるかに上回るものだった。
「村正の気配がする」
「えっ?」
守がそういった瞬間、後ろから怒声が聞こえてきた。それは紛れもなく、美切の声だった。
「早斗! 封界を展開しろ!」
「えっ! あっ、封界!」
俺はその言葉を聞いて反射的に封界を展開した。空間が鋼色に染まり、時間が止まる。しかし、その中で俺は驚く光景を見た。
「早ちゃん! なんで、封界が使えるの!」
「なっ! ナツキ、何で動ける!」
驚く俺とナツキだったが、その間に割って入るように美切が飛び込んでくる。振り上げた右腕は手刀の形を取っており、守を狙っていた。
だが、そんな美切の攻撃に対して守も同じく、手刀で構えていた。
「りゃあああぁぁ!」
気合を込めた美切の手刀が振り下ろされる。それに対抗し、守も腕を横薙ぎに振るっていた。二人の腕がぶつかり合った時、人の腕がぶつかったとは思えないような金属音が鳴り響いた。それはまるで、日本刀同士で切り結んだ時の音だった。
「まさか、こんなに早く他の村正が見つかるとは思わなかった。これも何かの縁なのか」
「私こそ。こんなにも早く、他の村正を倒せるなんて思わなかった」
「はっ! 調子に乗るなよ!」
そう言うと、美切は跳躍して守から離れる。すると、俺の横にやってきて、命令してきた。
「早斗、容赦は無用だ! 相手を打ち倒すぞ!」
「はぁ、ちょっと待てよ。お前らは何を熱くなってんだ!」
はっきり言って展開に思考が着いていけなかった。何で俺は急にナツキと戦う事になってるんだ? まさか、ナツキも俺と同じ契約者だって言うのか?
向こうを見ると、ナツキも俺と同じように戸惑っていた。当たり前だ、何しろいきなり幼馴染みが敵に変わったんだからな。
だが、そんな俺達をおいて美切達はすでに臨戦態勢を取っていた。急に俺の手を握ったかと思うと、その姿は光を放ち、すぐに刀の形へ変化していた。
俺は思わず、美切を落とさないように柄を握る。しかし、握ったのはいいがこの後どうしたら良いのかは分からなかった。俺は思わず、ナツキの方を見る。すると、向こうも同じように刀の姿に変化していて、ナツキが戸惑いながらも守を持っていた。
『ほら! 早く構えろ、早斗! 何時あいつが斬りかかってくるか分からんぞ!』
「いや、そりゃあ、ないだろう……」
何しろ、目の前のナツキは守を持ったままオロオロと俺の目の前で慌てていた。この様子ではもはや戦いなど出来るような状態ではない事がよくわかる。しかし、やる気のない俺とナツキを取り残して美切と守はやる気満々だった。
『ナツキ、早く構えて。そして戦って!』
「でも、でも、相手は早ちゃんなんだよ! 私、早ちゃんとなんて戦えないよぅ!」
『何をしている、早斗! 早く私を引き抜け!』
目の前では怒声とおろたえる声が響いていた。この場ではまともな思考を出来るのは、どうやら俺しかいないようだった。俺はとりあえず、ナツキを落ち着ける事から始める。
「おい、ナツキ、落ち着け。俺達が戦わなきゃこの勝負は意味がないんだ。だから、とりあえずこいつらを放って置いて話そう」
「えっ、あっ、そっか。あくまで戦うのは私達でなきゃ意味がないんだよね」
ナツキに話をつけた俺は、まず封界を解く事にした。何時までも無意味に封界を張っていたら面倒な事になる。心の中で封界を解除するように願う。すると、封界は砕け散るように消えていった。
すると、手に持っていた美切が俺に対し怒鳴ってきた。
『こら、早斗! 何で封界を解いた! これでは戦えないではないか!』
「うるさい、黙れ。俺はナツキとは戦う気なんてないんだ!」
『何だとぉ!』
美切はそう言うと光を放ち、人間の姿へと変わった。だが、その形相はとてつもない怒りを込めたものだった。美切は俺の胸元を掴んで問い詰めてくる。
「早斗! お前は昨日私と共に戦うと宣言しただろう! それをさっそく破るのか!」
「宣言したさ! でも、戦う相手がナツキじゃ、話は別だ!」
「この女がなんなのだ! お前の恋人か妻か何かなのか!」
「わ、私が早ちゃんの。つ、妻!」
一体こいつは何を言っているんだろうか、恋人は百歩譲っていいとしても妻はないだろう。ああ、でも昔じゃ俺くらいの歳でも結婚ってしているんだっけ。というか、ナツキもなんで妻の方にだけ反応しているんだ?
「どっちでもない! ナツキは俺の幼馴染みであって、兄妹みたいなものなんだよ」
「なに、そうなのか……」
「う〜、兄妹か……」
『兄妹?』
俺の言葉にようやくヒートアップした場の空気が冷めていく。美切とナツキはそのまま黙り込み、守はようやく刀から人の姿に戻っていた。しかし、人の姿に戻った守は急にその場に倒れてしまった。その出来事に俺とナツキは驚く。
「えっ! 守ちゃん! どうしたの!」
「お、おい。大丈夫か!」
俺達は揃って守のそばに近寄る。すると、守は息を荒げて苦しんでいた。一瞬、病気か? と思ったが、守も美切と同じく刀なのだ。病気になどなるはずがない。
そんな中、途方にくれている俺達を見ていた美切が近寄ってきて守に手を当てていた。いきなりの行動に俺達はなす術も無く、美切が次の行動にでるのを待つだけだった。
しばらくの間、手を当てていた美切が守から離れる。すると、美切はこう言ってきた。
「こいつ、かなり酷い状態にあるようだな。大方、保存状態が酷かったのであろう」
「それって、どういう事なんだ?」
「つまりは、手入れ不足だな。私は目覚めてすぐに早斗に手入れをしてもらったから良かったが、こいつはしてもらっていないんだろう。私達にとって刀の姿の状態は健康状態と一緒だからな、今のこいつは病気と一緒だ」
「……なら、手入れをすれば治るんだな?」
「まぁ、そうだが。まさか、手入れをするなんて言うんじゃないだろうな?」
俺の事を美切が睨んでくる。それもそうだ、美切にとっては敵になる相手を今から介護するって言うんだからな。しかし、そんな状態を聞かされて刀を愛する俺が放っておけるはずが無い。
「早ちゃん、お願い。守ちゃんを助けてあげて!」
それに、ナツキからもお願いされているからな。
「美切には悪いが、守を手入れさせてもらうよ。例え、敵になるようでもこんな状態で放っておけない」
俺がそう言うと、美切はため息をついていた。それは俺に対しての落胆の表現なのだろう。その様子に少しだけ申し訳ない気分がした。
「そこまで言うなら仕方が無い。手入れをしてやってかまわない。だが、条件付だ!」
「条件?」
「手入れをして、そいつが治ったら必ず、そこの女と戦え。それが条件だ」
「私と?」
俺はその条件を聞いて使えると思った。美切はナツキの剣の腕を知らない。もし知ったら、絶対に戦いを避けるはずだ。そして、この場で守の手入れの妨害をしてくるだろう。そうすれば手ごわい敵が勝手に消えてくれるんだからな。
だけど、ここでナツキの事を言わず、そのまま守を手入れしてしまえば、俺達に勝ち目は無くなる。そうすれば、美切もナツキ達と戦う事を避けるだろう。そうすれば、守も治って、ナツキと戦わなくて済む。完璧な作戦だ。
「分かった。その条件を飲もう」
「ええっ! 早ちゃん、そんな事約束していいの!」
俺は驚くナツキに近寄り、先ほどまでの考えを話す。そして、俺に話を合わせるように言う。
「何だ、そういう事か。本当に早ちゃんと戦うのかと思った……」
納得したナツキは安堵していた。そして、話し通りに条件を飲んでくれた。
「わかったよ。私もその条件を飲むよ」
俺達がそう約束すると、美切は満足したようしたようで、何とか機嫌を直してくれていた。
「よし、約束したぞ。次こそ約束を破ったら、承知しないからな!」
「ああ、分かっているって」
「そして、やると決まったのなら早くしてやれ。仮にも同じ村正だからな。姉妹が苦しんでいるのを見ているのは気分が悪い……」
俺はその言葉に驚いた。てっきり、自分以外の村正はどうなろうが関係ないとか思っていそうだったからだ。しかし、今の言葉はどう考えても俺達人が家族を心配しているのと同じだ。本人もそう言っていたしな。
俺は照れながらも、守の事を心配している美切に言ってやった。
「安心しろ。守は必ず治してやるからさ。大事な姉妹だもんな」
「うるさい! さっさと連れて行け!」
そう言って照れ隠しをしている美切を置いておいて、俺は本格的に守も方へ気を配る。とりあえず、刀の姿へ戻ってもらう事にした。
「おい、守。手入れしてやるから刀の姿に戻ってくれ」
そう言うと、守はしばらく戸惑った後に刀の姿に戻ってくれた。俺は守を持つとさっそく部屋に戻る事にした。
*
守の状態は結構酷いものだった。まず、金属類のパーツが錆びていた。鞘も柄巻も、至る所がボロボロになっていた。唯一、助かったのは刀身が錆びていなかった事だ。刀身が錆びていたら、俺でもさすがに手のつけようが無い。
そうなったら、職人のところへ持っていかなければ直らない。そんな事になったら、金もかかるし、時間も掛かるから面倒な事になっていただろう。
俺は美切を直した時のように分解して、パーツを変えてやった。そのパーツを守が気に入ってくれるかは知らないが、とりあえず初期の状態とは見違えるほどに守は変わっていた。
手入れが終わり、ナツキへ返すと、守はすぐに人の姿に変化した。人の姿になった守は先ほどまで苦しんでいたようには見えないほどに淡々と立ち尽くしていた。
「良かった。とりあえず、もう大丈夫そうだな」
「守ちゃん、変なとこは無い? 苦しくない?」
「平気だよ、手入れをしたからもうなんともない」
「そう、良かった〜。ありがとうね、早ちゃん。今度ちゃんとお礼するからね!」
「別に良いさ。今回使ったのも、大して値段の高いものじゃないし」
俺はそう言っておいた。そうしないと、ナツキの事だから代わりのものを用意したり、金を渡してきたりしそうだからだ。
実際、今回の守の手入れで使った物の総額を合わせると、十万程度にはなる。そんな金をナツキに支払わせるのは何となく嫌だ。それに、こうやって使ってこその意味もあるしな。結局は自分の為というのも大いにある。
そんな時、手入れをしている間、ずっと黙っていた美切が声をかけてきた。
「おい、手入れは終わったのだろう。だとしたら、約束を守ってもらう時だ。表に出ろ」
「ああ、約束だな。いいぜ、戦っても。だけど、先に言っておく事があるぜ」
「むっ、なんだ。この期に及んで手を抜くとかじゃあないだろうな」
疑ってくる美切に対して、俺は信実を打ち明けてやる。
「いいや、全力で戦うぜ。だけど、俺が今まで全力で戦ってもナツキには勝てた事がないんだけどな」
「なっ! なんだと!」
「一応、段位は一緒なんだけどな。同じ段でも実力は桁違いだ」
「それじゃあ、戦ったら負けてしまうというのか……」
「うん、ボロ負け。ましてや、真剣での勝負なら一撃で負けるんじゃないかな?」
俺の言葉に美切は体をわなわなと震えさせていた。目は相変わらず俺を睨んだまま視線を逸らさない。その視線は明らかに俺がナツキの強さを黙っていた事を責めている目だった。
「んで、どうするんだ。ナツキ達と戦うか?」
「私はかまわない。勝てないと分かっていて戦いを挑んでくるのは愚か者のする事」
「なんだと! この死に損ないが!」
「私はそいつに借りがある。だから、今回だけなら戦いを挑んだ事を無しにしてあげる。なにより、これがここにいる全員の為になると思うから」
「くっ……」
守は結構クールなタイプで当たり方がキツイ方だと思っていたが、今の言葉からすると俺とナツキの為に、美切を説得してくれたように思える。心の中では結構、優しいのかもしれない。
美切はこれ以上、何も言えないようだった。その代わり、俺の方に近寄ってくるといきなり腹へ一発の拳を入れていった。
「ふん。今回は引いてやる。だが、いつか必ずお前達に勝ってやるからな!」
そう言うと美切は一階へ降りていってしまった。美切の機嫌を治すのは大変そうだが、何とか今回の騒ぎは終わったようだ。ナツキと戦う事にならなくて本当によかったと思う。
「早ちゃん。本当にありがとうね。おかげで守ちゃんも良くなったし、早ちゃんと戦わなくて済んだよ」
「当たり前だろ。いくら怪我をしないっていっても、真剣で斬り合うなんてしたくないからな。剣道なら別だけど」
「そうだね。なんか、生々しそうだし……」
「そういえば、ナツキは何処で守を手に入れたんだ? 美切はこの間の蔵にあった奴だったんだが」
「あの刀って美切ちゃんだったんだ。私は骨董品屋で見つけたの。中古で凄い安くて、お買い得だったから。本当は、早ちゃんの誕生日プレゼントにする予定だったんだよ。でも、昨日の夜にいきなり人になって、契約してくれとか言われてうやむやしているうちに契約しちゃったの」
「そうか、それで今日はあんなに疲れていたのか。精神的な方で」
不思議な偶然もあるものだと思った。まさか、こんなにも近くに村正が揃うなんて思いもしない。まるで、村正同士が戦うように引き寄せあっているようだと思った。
まぁ、こんな偶然もこれっきりだろう。そう簡単にぽんぽんと村正が出てきて戦うなんて事は止めて欲しい。
「それじゃあ、私達はこれで帰るね。なんか騒がせちゃったけど、また明日ね」
「ああ、気をつけてな。村正の事はまた今度話そう。なんか問題が起きたら、すぐに俺に相談しろよ。刀の事なら力になれるからな」
「うん、分かった」
そう言ってナツキが部屋から出て行く。しかし、その後ろの守は何故か俺の顔をじっと見つめ動かなかった。
「ん? どうした?」
「白帯守村正……。それが私の銘。覚えておいて」
そう言うと今度こそ、守はナツキについていった。なんでわざわざ銘を覚えてなど言ったのか分からなかったが、向こうから声を掛けてくれたのは、少しでも受け入れてくれた証だと思えた。
俺は大きく息を吐くともう一度、気合を入れる。俺にはまだやる事がある。もっとも面倒な事だ。
俺はそう思いながら、一階の居間へ向かった。どうせ、美切はそこでふてくされているのだろう。俺はこれから美切に謝りとおし、機嫌を直してもらい、明日からの訓練のスケジュールを調整してもらわなければいけなかった。今のままで訓練をしていたら体が持たないからな。
居間のふすまの前に立った俺はまずどうやって謝ろうか、考えていた。何気に、これが今日一番の問題になりそうだった。