第二章
第二章
ジリリリッ、っと目覚ましの鳴る音が聞こえてくる。
気だるい体を動かし、俺はその目覚ましを止めようと手を伸ばした。だが、次の瞬間には目覚ましの鳴る音は聞こえなくなった。
俺はその出来事に疑問を持ち、手を伸ばした先を見た。すると、そこには俺の指先から数ミリのところから真っ二つになった目覚ましがあった。
「なっ……」
俺は心底、驚いた。後数ミリ指を伸ばしていたら、俺の指は目覚ましと一緒に切断されていただろう。
そして、その目覚ましの間にはすらりと伸びた綺麗な指があった。この指が、この目覚ましを真っ二つに切断したなどと普通なら考えられないが、俺の横で未だに寝息を立てているこの美切には朝飯前の事なのだ。
だが、それはそれとして、目覚ましを真っ二つにした事は怒らなくてはいけない。
「おい、美切。起きろ」
俺は美切の事を揺さぶる。すると、美切は唸りながらも少しずつだが目を開け始めていた。「なんだ、早斗。もう朝か……、おはよう……」
「おはよう。と挨拶をするのはいいが、とりあえずは体を起こしてこいつを見て欲しい」
そう言って俺は目覚ましを指差す。むくりと起き上がった美切は寝ぼけ眼でそれを見る。そして、出た言葉は単調なものだった。
「これは……、時計か?」
「よく分かったな。さて、それはいいが、どうしてこれが真っ二つになっているか、理解できるか?」
「さぁ、知らない」
「どう見てもお前の仕業だろうが!」
まるで自分の仕業ではないかのように言う美切に対し、俺は怒鳴りつける。その声に、美切はまるで俺の方が悪いかのようにしかめっ面をしている。
「眠っている時にやったものだから仕方が無いだろう」
「仕方が無くないわ! 次はやるんじゃねぇぞ……」
「善処しよう……」
朝一番から無駄な力を使った俺は、これ以上厄介ごとが起きない事を祈り、登校の準備をし始める。
「着替えるからこっち見んなよ」
「別にお前の着替えなど興味は無い」
可愛げの無い返事を聞きながら俺は制服に着替える。うちの学校は学ランだ。首が苦しい事はあるがブレザーに比べたら、第一ボタンさえあけていれば面倒ではないので気に入っている。
着替え終わってようやく美切にこっちを向いていいと言う。すると、こっちを向いた実切が物珍しそうに俺の制服を見ていた。
「その服は何だ?」
「これは、制服って言って学校で決められた服だよ。学校にはこれを着ていかなければいけないんだ」
納得した美切はすぐに興味を無くしたようで窓辺へ寄っていった。美切が窓を開けると、朝の清楚な空気が入り込んでくる。その風に当たり、気持ち良さそうにしている美切はなんだかとても綺麗に見えた。
「さて、俺はこれから学校へ行くけど、お前はこの部屋から出るんじゃないぞ。下には親父がいるんだからな」
「うん、分かった、約束しよう」
本当に理解したのか怪しい返事だが、それでも俺はその返事を信じるしかなかった。
「それじゃ、行ってきます」
「うん、気をつけてな」
そう言うと、俺は部屋を出て一階へ降りた。親父はまだ寝ているようだったが起こす必要が無いと思い放置した。俺は適当に簡単な飯を二人分作り、さっさと飯を食べて玄関へ向かう。
靴を履いて仕度ができると扉に手を掛ける。しかし、やはり美切が何かしないか、とても気になっていた。だが、俺はさっきの約束を思い出し、信じる事にした。
*
学校の教室に入ると、昨日の出来事が嘘だったかのような感覚に陥った。友人達はいままで通り何も変わっておらず、平穏なままだった。
席に座り、いつも通りの様子で挨拶を交わす。だが、そんな中、一人だけ俺の異変に気付いた奴がいた。
「おっやぁ? 今日の早斗はなんだかお疲れ気味だねぇ。何かあったのかい?」
俺にそう言ってきたのは、ナツキと同じく幼馴染みに近い、『土屋 健太』だ。こいつとは中学から一緒につるんでいて、俺と同じく、刀マニアである。
俺は変に鋭い質問に内心ドキリとするが、何とか平常を保って返事をする。
「別に何もねぇよ。ただ、昨日、蔵の掃除をして疲れているだけだ」
「ふーん、そうなんだ。てっきり買った刀が呪われた妖刀だった……、とかなら面白かったのに……」
本当にこいつの感のよさには驚かされる。まるで覗き見をされていたのではないのかと疑いたくなるくらいだ。
こいつには絶対に美切の事は隠しておかないといけないと思った。こいつがもし、美切の事を知ったら何をしでかすか、わかったもんじゃない。
そんな事を考えていると、後ろから聞きなれた声が掛けられた。
「おはよう! 早ちゃん、土屋君。何を話しているの?」
「おう、沢井か。おはよう! いや、こいつが何となく元気ねぇなと思って気遣ってやっていたんだよ」
「『からかっていた』の間違いだろ……」
やって来たのはナツキだった。いつも通りのハネた髪の毛を気にする事無く、無邪気に話しかけてくる。
「昨日は大変そうだったもんね。一日中、蔵の掃除じゃ誰だって疲れちゃうよ」
そんな風に気遣ってくれるナツキだが、本当の疲れの原因はそうじゃない。大概は美切のせいだ。
「でも、その代わりに新しい刀をおじさんから貰ってたよね? あれって蔵の中にあったものでしょ?」
「あっ、馬鹿! 余計な事を言うんじゃない!」
俺は慌ててナツキに注意する。しかし、刀という単語をこいつが聞き逃すはずが無い。まずいと思った瞬間には、健太は俺の肩を掴んできていた。
「おい、いま聞き捨てならない事を聞いたぞ。新しい刀だぁ? 確か、俺達の約束では新しい刀や、レアな装飾品を手に入れたら教えるって事になっていたよなぁ?」
こいつの言う通り、俺達は今のような内容の約束をしている。この約束は、少ない小遣いをやりくりしながら、より多くの刀などを共有しようというものだ。
真剣ではないものとはいえ、その値段は結構なものである。安いものはニ、三万で済むけれど、中には模造刀なのに十万を越えるものもあるくらいだ。ましてや、真剣ともなればそれは高校生の小遣いなどでは買えやしない。
「い、いや、それはだな。お前には見せられないような酷いもので、言わずにいたんだ」
「でも、昨日は凄い嬉しそうにしてたよね?」
またしてもナツキが余計な事を言ってくれる。悪意は無いのだがいまの俺にとっては厄介な存在以外何者でもないな。
「なんか怪しいな。一体名を隠しているんだ? 大人しく観念したほうが身のためだぞ」
問い詰めてくる健太に対して、俺はなんと答えたらいいか考える。だが、その中にはどうにも答えられるような答えはなかった。
さて、どうしたもんか……。
頭の中で言い訳を考える。それとなく現実味があり、それでいて本当ではない事。そんな条件を満たした言い訳を考えた俺は苦しいながらも考え付いた嘘を健太に言う。
「実は、一旦は俺の手元に入ったんだが、その後に取り上げられたんだよ。何でも、御神刀の控えにするんだと」
「本当かぁ?」
「こんな事で嘘をついてどうする。俺だって悔しいんだ。これ以上は突っ込まないでくれよ」
自分で出来る精一杯のポーカーフェイスで健太に説明をする。健太はしばらく唸っていたがなんとか納得してくれたようで引き下がってくれた。
「そっか……、だったら早ちゃんも喜んでくれるよね……」
「んっ? なんか言ったか? ナツキ?」
「ううん。なんでもないよ!」
ボソッとナツキが何か呟いたようだったが、残念ながらよく聞き取れなかった。
何を言ったんだろう?
結局、その後すぐに先生が来てしまい、話しの続きを聞く事が出来なかった。しかし、俺の話も何とかうやむやに出来たので仕方ないと思い、諦める事にした。
*
今日一日の授業が終わり、放課後がやってきた。
鞄に教科書とノートを詰め込むと、俺はナツキに声を掛ける。
「おい、ナツキ。早く行こうぜ」
「うん、ちょっと待って。もう少しで準備が出来るから」
行くというのは部活の事だ。俺の入っている部活は勿論、剣道部。ナツキも俺と同じく剣道部員である。
元は俺がやり始めた剣道だったのだが、いつの間にかナツキも習い始めていた。今では趣味にもなっているようで、庭先で竹刀を振るっている姿を何度も見た事があるくらい熱心に剣道をやっている。
「お待たせ。それじゃ、行こうか」
そう言って剣道具を担いできたナツキは、元気よく歩いていく。俺も剣道具を担ぎ、その後ろをついていくのだった。
俺達が練習場にたどり着くと、すでに先に来ていた後輩が床を磨いていた。俺達は後輩に挨拶をすると、別れて更衣室に向かった。
ロッカーの中に制服をしまい、慣れた手つきで剣道着を着ていく。剣道はやっている時も気持ちがいいが、この袴に着替える時も気が引き締まり、心地がよい。
剣道着を着終わった俺は防具を持って練習場に戻る。すると、ほとんど同じタイミングで女子更衣室からナツキも出てきた。
ナツキは上着を白、袴を紺と組み合わせたものを着ていた。男の剣道着もそうだが、何故剣道着を着るとその人物は格好良くなるのか不思議でならない。
ナツキもその恩恵をもれなく受けており、いつもの雰囲気から変わり、凛々しく見える。
「ほとんど同時だったね!」
「競争じゃあねぇよ。でもまぁ、着替えるの、お前早いよな」
「そりゃあ、早ちゃんと一緒に何年も剣道やってるからね」
そう言うと先に歩き始めて下座に座る。すでに来ていたほかの部員達は、すでに防具を付けて素振りなどを始めていた。
俺達も素早く手馴れた手つきで防具を取り付ける。ほんの少しの時間で防具をつけ終わった俺達は立ち上がる。
「ねぇ、準備運動手伝ってよ」
「あ? 俺とか? 他の女子と組めばいいだろ?」
「まだ仲のいい子が来てないの。時間の無駄になっちゃうでしょ?」
「しょうがねぇな……」
俺は仕方なくナツキと準備運動をする事にした。まずは一人で出来るものをやった後に、背中合わせになって腕を組む。先にナツキが俺を仰け反らそうと背中を丸めるが、体格に差がある為、俺はナツキに合わせて適度に自分で仰け反る。
そして今度は俺が背中を丸める番だが、少しばかり力が入りすぎて半分固め技を掛けているような体制になってしまった。
「早ちゃん! 痛い〜! 力抜いて〜!」
「あ、悪い。もう少しゆっくり優しくするから」
「うん、優しくしてね……」
音声だけ聞いていたら、何かおかしな事をしているような会話になっていた訳だが、俺達は気にせず柔軟を続ける。
「今度はどうだ?」
「ん、いい感じ〜。このくらいなら気持ちいいよ〜」
「まぁ、気持ちいいところ悪いんだが、一旦止めてくれないかなぁ? はっきり言って目の毒なんだが……」
「はい?」
そう言われて俺は周りを見渡してみる。すると、どの部員も俺達の方から目線を逸らし、何となく気まずそうにしていた。
「イチャイチャするのは、部活の終わった後にして欲しいんだがなぁ」
「別にイチャイチャなんかしていませんよ、部長。ただ、柔軟をしていただけじゃないですか」
「やっている本人達の自覚がないのが一番の困り者だな……」
そう言って部長は頭を押さえる。確かに会話は妙な事になっていたが、やっていた事は真面目な柔軟である。怒られる必要はない。
だが、そんな俺達に対して文句を言ってきたのが三年生で剣道部部長の『加賀 怜也』だ。
面倒見がいい性格で後輩からは慕われている部長なんだが。
「ったく、いい加減に付き合っているって宣言すれば対処のしようがあるっていうのに……。なぁ、お前らってまだ付き合ってないのか? キスもしてないのか?」
「部長……。質問がストレートすぎです」
と、このようにお調子者なところが玉に瑕だ。この人が、警視庁のお偉いさんの息子だとはとても考えられない。しかし、剣の腕はさすがに本物であり、部長の座についているだけの事はある実力を持っている。
「まぁ、それは置いておいてだ。もうそろそろ部員も集まってきたし、練習を始めるぞ」
そう言うと、今までのふざけた調子を一変して部長らしい態度に変わる。部員に声を掛けて整列を始めていく。
部員全員を整列させると上座に顧問、部長、副部長が座り、ようやく部活が始まる。挨拶を交わすと、顧問から練習内容が聞かされる。その後は、部員による半試合形式のかかり稽古だ。
練習を始める為に部員達が一斉に面を付け始める。そして、面を付け終った人同士でペアを組み、まずは軽い打ち合いから始める。
ここからの練習は、男女が別れて行なう。こうなると、本格的に練習の始まりだ。練習場の中に部員の気合の入った声が響き渡る。
俺も面を付け終わり、立ち上がると、そこには部長が居て声を掛けてきた。
「ほれ、さっきの八つ当たりだ。見凪、かかって来い!」
「お手柔らかにお願いしますよ、部長」
お互いに礼をしてから、竹刀を構える。練習の時は実力が下の人からかかっていくのが常識だ。俺は何度か息を整えてから深く息を吸い込むと、大きな声を出しながら部長に向かっていった。
*
練習の前半が終わり、一旦休憩が入る。俺は最初のうちに部長にこってり絞られた為、後のほうになると体力がきつくなり、動きが鈍くなっていた。
練習はこの後、半試合形式のかかり稽古になる。それは約三分間の打ち合いを決められた時間ずっと練習相手を変えながら繰り返すものである。
それは、前半の稽古よりも場合によっては厳しくなるものであり、体力の無くなってきていた俺にはこれからが本当の地獄なのだ。
俺が練習場の床に座り休んでいると、男子よりも先に休憩に入っていた女子の休憩時間が終わった。女子達が立ち上がり、お互いに好きな相手と組んで練習を始める。その中にはナツキの姿も確認できた。
しかし、剣道をやっている時のナツキは、いつものナツキではない。練習の開始の声が掛かるとまた練習場に大きな声が響き渡る。だが、そんな中でもナツキの声は一段と高く響き渡っていた。
「やあああぁぁぁ!」
男子でも気圧されそうな気迫の声を上げたナツキは素早い動きで相手の面に竹刀を叩き込んでいた。その姿はあの気の優しいナツキでありながら、一人の剣士になった力強いナツキだった。
いつの頃からか、俺とナツキの実力は逆転していた。始めたのは俺の方が一年も先だったのに、その差はどんどんとつまり、いつの間にかナツキは大会で賞を取るほどまでに強くなっていた。
ほんと、あの性格であの強さはねぇよ……。
俺は休憩時間の大半を、ナツキを見ているだけで終わらせてしまった。そして、俺達男子も遅れながらかかり稽古に入る。
俺はナツキに負けまいと残りの練習に全力を注いだ。体力の限界もきていたが、それでも根性を出し、何とか今日の練習を乗り切る事に力を注いだ。
その甲斐もあって、俺の体力がなくなる寸前のところで何とか練習は終了した。他の部員も俺と同様に息を切らし、練習が終わった事を静かに喜んでいる。
少しして部長から整列の声が掛かる。俺達はもう一度、整列して座るとそこで挨拶をしてようやく本当に部活の終わりがやってきた。
「ふぅ……」
熱い空気の篭った面を取り外す。すると、火照った顔に涼しい風が当たる。その気持ちよさにしばらくの間、ぼーっとしているとナツキが声を掛けてきた。
「早ちゃん。この後、一緒に帰らない?」
「ん? ああ、いいぜ。特に用事もないし」
「良かった! それじゃ、また後で集合ね。校門がいいかな?」
「そうだな、それじゃ、また後で」
そう言うとナツキは更衣室の方へ走っていった。準備と違って、後片付けには時間が掛かるのだろう。男子と違って女子は汗の臭いとかを凄い気にするからな。そんな事を考えながら、俺も立ち上がり、更衣室へと向かった。更衣室は始まりの時と違い人で埋もれていた。
しかし、それでも何とか自分のロッカーにたどり着き、着替えを始める。胴着を鞄にしまい、汗を拭く。それと清涼スプレーを取り出し、体に吹きかける。そして、制服を着る。
手際よく着替えを終わらせた俺は荷物を手に取り、更衣室を後にする。
「お疲れ様でした〜。お先に失礼します〜」
部員の皆に声をかけ、部屋を出る。先輩と後輩からの返事を聞きながら、俺は待ち合わせ場所の校門へ向かう。しかし、やはりまだ、校門にはナツキの姿はなかった。
暗くなり始めた空を見上げながら、俺は校門の壁に寄りかかる。そんな時、ふと部屋においてきた美切の事が頭に浮かんだ。
約束を守ると言っていた事を信じている。だが、そうすると美切は朝から夜まであの部屋で一人待っているのだと思うと、少しばかり可愛そうな気がした。
しかし、人の姿では学校へは連れて行けない。逆に、刀の姿では学校には持って行けるが、街中で警官に職務質問された時にはまずい事になる。
少しはあいつをどうするかも考えないといけないな。
軽くそんな事を考えているうちに向こうからナツキがやって来るのが見えた。俺は、背中の反動を使って寄りかかっていた壁から起き上がる。
「ごめんね〜、待った?」
「平気だ。さっさと帰ろうぜ」
「うん!」
俺達はそうして校門を出て行った。家までは歩いて十数分なので、このままゆったりと二人きりで家まで帰る事になる。
何となく話す事がないので俺は黙っていたが、少しした頃にナツキの方から話しかけてきた。
「ねぇ、早ちゃん。最近調子はどう?」
「調子って、剣道の?」
「そう、最近は家のほうで練習しなくなったでしょ? それからは部活でしか剣道やらなくなったし、男女で練習する事は滅多にないじゃない……」
まぁ、確かにナツキの言う通りだ。俺達の通っていた道場は数年前に潰れてしまった。それから学校の部活に入るまでは、うちの神社の殿内で練習を行なっていた。しかし、それも親父からの注意で止める事になってしまった。
それ以来、直接ナツキと手合わせをしたのは、数えるほどしかない。最近は特に接触が少なく。高校に入ってからは一度も手合わせはしていない。
「まぁ、普通だよ。相変わらず、ナツキには勝てないだろうし、男子のほうでもそんなに強いって訳じゃない」
「そっか、でも、早ちゃんは頑張れば、もっと強くなると思うんだけどな」
「これ以上に練習しろっていうのか? 確かに剣道は好きだけど、朝錬とかは向いてないような気がするんだよな。時間もないし」
「そう……。でも、剣道の事を好きでいてくれるなら、今のままでもいいかな」
そう言ってナツキはそれ以上、練習の事を聞いてはこなかった。何となく、話を切ったのが俺だと思ったので今度は俺から話を持ちかけた。
「そういえば、もう誕生日プレゼントは準備してくれたのか?」
「うん、早ちゃんが喜びそうなものを見つけておいたよ!」
「また去年みたいに無茶をしてないだろうな? 去年は高級居合い刀を買おうとしてバイトとかしていたりしたからな。そういう無茶してまでプレゼントを用意しなくていいんだぞ?」
「大丈夫だよ。今年はちゃんとお小遣いで買えるようなものにしたから」
「そうか、ならいいんだ。楽しみにしているからな」
俺がそう言うと、ナツキは嬉しそうに笑っていた。ナツキは毎年、俺の趣味に合わせて刀関係のものをプレゼントしてくれる。それを俺は毎年楽しみにしているのだ。勿論、ナツキの誕生日には俺もそれなりのアクセサリーをプレゼントしている。
ナツキが心から喜んでくれているかは知らないが、プレゼントしてから数週間はそれを愛用していてくれるので、安心している。
そして今度は俺の番。明日の放課後は部活もないので、帰ったらすぐにプレゼントをもらえるだろう。俺はそれを心から楽しみにしていた。
そんな感じで話しているうちに、先にナツキの家に着いてしまった。
「それじゃ、おやすみなさい。早ちゃん! また明日ね」
「ああ、おやすみ。ナツキ」
ナツキが家に入るのを確認すると、俺も歩き始める。とはいっても、ナツキの家から俺の家まではたったの一軒と、境内の距離しかない。
母屋へ向かうと、俺はとりあえず、居間へ足を向けた。どうせ親父がいるだろうから、今夜の飯を何にするか聞いておいたほうがいいだろう。
そう思い、俺は居間のふすまを開けた。
「ただいま、親父、今日の夕飯はどう……す……る」
「おお、帰ったか早斗よ。そうだな、今日は寿司にでもするか」
「寿司か、どんなものかは知っているが、食べるのは初めてなので興味深いな」
ふすまを開けた先で俺を待っていたのは、今朝約束をしたばかりの美切だった。俺は堂々と居間のソファーに座っている美切に対して思わず、目がいってしまう。そして思った感想は一つだけ。
「てめぇ! 何を平然と約束を破ってるんだよ!」
俺はありったけの怒りを含んで美切を怒鳴りつけた。
「むぅ……、それはすまないと思っている」
「まぁ、早斗よ。落ち着け。美切ちゃんは悪くはない。悪いのは私だ」
「どういう事だよ……」
俺は怒りの矛先を親父に向ける。すると、親父はゆっくりと落ち着いた様子で話し始めた。
「そう、話せば長くなるのだが、始まりは朝起きていつも通りの飯を食べた後の事だった。早斗はもう学校へ行っているはずなのに、二階からなにやら音がしてきてな。気になってお前の部屋を見てみれば、なんとそこには可愛い女の子がいるではないか」
「ちょっと待て、親父は俺の部屋へ勝手に入ったのか」
「別に男同士なのだからいいではないか。別にエッチな物を見つかられてもあまり気恥ずかしくはないだろう?」
「そういう問題じゃねぇんだがな……」
俺は親父のあきれた理屈を聞きながら、さらにその話の続きを聞く事にした。
「そして、だ。素性を聞いてみれば、なんとその正体は昨日見つけたあの刀だというではないか。最初は私だって疑ったのだが、目の前で変身したり、手刀で物を切ったりと人間離れした技を見せられてな。それで彼女が名刀『村正』だと信じたのだよ。それからは、お茶を飲みながらいろいろ話をしていたところだったのだよ」
親父の話を全て聞いて、俺はようやくこの状態がどうやって成り立ったのか納得する。つまりは、美切は約束通り部屋にいたが、そこで親父に見つかり、無理やり部屋を連れ出されてきたって事だ。
「約束を破ってすまなかった……」
律儀に約束を破った事を謝り続ける美切に俺は視線を戻す。だが、もう怒りは湧いてはこなかった。俺はため息を吐きながら美切に声をかける。
「別にもう謝らなくっていい。お前は約束を守っていたんだ。お前は悪くないよ」
「本当か……?」
「ああ、本当だ。悪いのは親父だって分かったからな。怒鳴って悪かった」
「むぅ、父親には酷い態度だな……」
俺が怒っていないという態度を示すと、美切はようやく安堵の表情を見せてくれた。それと同時に、俺の肩の力も抜けていく。
そんな中、俺は親父達が何を話していたのかに興味が湧いた。
「そういえば、一体何を話していたんだ?」
「おお、その事か。うん、美切ちゃんとお前がした契約の事は聞いたぞ。どうだった、初めてのキスは……」
「なっ!」
俺は親父の予想外の質問につい驚いてしまった。俺もなるべく気にしないようにしていたのに、このくそ親父は……。
「まぁ、それは置いておいて、これから他の『村正』と戦わなければいけないという事は理解したぞ。それの為には、契約者であるお前もいなければいけないという事もな」
「それで、美切はどうしたらいいんだ?」
俺はてっきり、そんな事は自分でどうにかしろ。とか言われると思っていた。しかし、親父から出た言葉はそれとは違うものだった。
「美切ちゃんはこのまま家に居てかまわん。問題はお前だ、早斗」
「はぁ? 俺?」
「契約したからにはお前は美切ちゃんと一緒に戦わなければいけないのだろう? だとしたら、今のままでは到底、他の契約者にはかなわないだろうが。聞いているぞ、『村正』には強い契約者を見極める力があるそうじゃないか。だとしたら、他の『村正』は必ず強い契約者を見つけているはずだ」
「それで、どうしろっていうんだよ」
俺が不思議そうに聞きなおすと、親父は俺を見ながらこう言った。
「特訓をしろ。美切ちゃんともそう約束をしたんだろ」
「マジで……?」
「マジもマジだ。お前には間違いといえど契約をしたという責任がある。それをしっかり果たさなければならない」
いつにない親父の真剣な見幕に俺は思わず、息を呑む。親父がここまで厳しく物を言ってくるのは、母さんが死んだ時以来だろう。
俺と親父の会話を美切は、何も言わずにただじっと聞き入っていた。しかし、その目には期待が溢れていた。そんな目を見て俺は断るに断れなくなってしまった。
それに、もとより、美切の事は何とかしなければいけないと思っていた。昨日はただ、流れに身を任せていただけだったが、今は違った。
俺は心の中で思いを固める。こいつにはもう俺しか頼れる人がいないのだ。現代に何も分からず放り出され、弱い俺なんかと契約してしまっても、与えられた役目を実行しようとするその意思。俺はそれに引き寄せられた。そして、心動かされた。
「分かった。俺は特訓するよ! それで、美切を最高の村正にしてやる!」
俺がそう言うと、美切は満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。女の子独特の柔らかさに、心臓がドクリと高まるが俺は押しのける事ができず、ただ苦笑いをするしか出来なかった。
「よし、それでこそ私の息子だ。よ〜し、今日は本当に寿司を頼もう! 久しぶりの豪華な夕食だ!」
親父は俺の言葉を機嫌良さそうに電話を取り、寿司を注文する準備に入り始めた。そんな横では、俺から離れた美切が何かを囁いてきていた。
「早斗、今から言う事を強く願いながら言ってくれないか?」
俺はその願いを分からずに引き受けた。すると、美切は俺の耳元である言葉を言ってきた。それを俺に復唱して欲しいという。別に断るような事じゃないと思い、俺は美切の言う通りにその言葉を呟いた。
「封界……」
俺が美切に言われた通りの言葉を呟いた瞬間、異変は起きた。周囲の空間が白と黒、そして鋼色に染まる。それはまるで世界が金属のように固まったような感覚を覚える光景だった。俺は思わず声を上げる。
「これは……!」
「これが封界。私達が戦う時に用いる特殊な空間。決戦場。ここでは現実の空間とは隔離された空間で時間も止まっている」
俺は美切の言葉にあたりを見渡す。すると、さっきまで意気揚々と寿司を頼もうとしていた親父が石像のように固まっていた。
目の前に回って手を振ってみたり、突いてみたりしたが、まったく反応がなかった。それどころか、親父は押しても引いてもまったく動かなかった。
「すげぇ、本当に動かねぇ」
「この空間で物が壊れたり、怪我をしたりしても、封界が解ければ何も無かった事になる。これからは特訓で使う事になるから慣れて欲しい」
「特訓で?」
「時間も静止する。怪我も封界を解けば治る。これほど特訓に適している空間は無いだろう」
確かに、これなら時間も気にせずに特訓に気を配れるな。怪我をするっていうのが前提になっている事が少しばかり気になるが、この空間が便利だっていう事はよくわかった。
「ところで、これってどうやって解除するんだ?」
「簡単だ。心の中で空間の解除を望めばいい」
俺は解除方法を聞くと、すぐに解除をしようとする。頭の中でこの空間が解けるように願う。
すると、何かが砕ける音と共に、変化した世界の色が元に戻った。親父も動き出し、何も無かったかのように寿司を選んでいる。
「明日からはこれを使って特訓をするからな。心しておけよ」
「お手柔らかにな……」
俺は美切にそう言うと、自分の部屋へ向かった。今では親父が美切にどんなものが食べたいかなどを聞いていた。
さっきまではこれ以上強くなる必要なんて無いと思っていたのが、急に変わるなんて、いつ何が起きるか分からないもんだ。俺は心の中でそう思いながら、風呂へ入る準備を進めていた。