第一章
第一章
まず、現状を理解したいと思う。
俺はさっき部屋に刀を置いて風呂に向かった。そして、風呂に入って戻ってきた。そして、部屋に戻ってきた。
「んっ……」
そしたら、謎の女の子が部屋に横たわっていた……。
「夢……、じゃないよな……」
俺は自分の目を疑いながら軽く自分の頬をつねってみた。しかし、やはり、痛い。
彼女は時代錯誤のようなボロボロの着物を着ていた。歳は自分と同じくらいだろう。そして何より、目に付いたのは日本人とは思えない血のような真紅の長い髪の毛だった。
っていうか、どうしよう……。
一番の問題はそこだ。何で俺の部屋に女の子が現れたのかは置いといて、このまま放置しておく訳にはいかない。なんにせよ、彼女を起こす必要がある。
俺は警戒しながら彼女に近寄っていく。怪我や病気などではないように見える。どちらかといえば、寝息も穏やかで起こすのを躊躇うような感じだ。
しかし、俺は勇気を振り絞って彼女を起こす事にした。彼女の傍らにしゃがみ込み、肩を揺すってみる。
すると、その反動で彼女の体は仰向けになった。それと同時に、彼女の長い髪の毛が流れて顔があらわになる。その時、俺はおもわず目を奪われた。
長い髪の下にあった顔は驚くほどに可愛かった。整った目鼻立ち、長いまつ毛、柔らかそうな血色のいい唇。その容姿はそん所そこらのアイドルなんか目じゃないほどの美少女だった。
しばらくの間、俺は彼女の顔に見入っていた。それほどまでに彼女の容姿はすばらしいものだったのだ。
しかし、それも長くは続かなかった。まだ濡れていた俺の髪の毛から水滴が彼女の顔に落ちたのだ。それと同時に彼女が顔をしかめた。そして、ゆっくりとその目が開いていった。
俺は思わず、彼女から跳ぶように離れた。起き上がった彼女はまだ寝ぼけているかのようにあたりを見回している。
しかし、すぐにその目は俺を捕らえた。そこでまた俺は驚いた。目が合った彼女の瞳は髪と同じく真紅の色をしていたからだ。その瞳に捕らえられて俺は思わず動けなくなる。すると、彼女は立ち上がり俺の方に向かってきた。
身長は百六十センチ程度だろうか、俺よりも頭一つ分程度低い彼女は俺を見つめたまま立ち尽くしている。しかし、次の瞬間、その表情は一変した。
「おい、お前……」
今までの可愛らしかった表情は消え去り、そこには怒りに近い真剣な表情をした彼女が俺に対して語りかけてきていた。
「ここに集まった刀の数、そして木刀などの練習具。お前はかなり腕が立つ剣豪なのだな」
「……はい?」
「まさか、目覚めてすぐにこんなにも恵まれた契約者を見つける事が出来るなんて、やっぱり私は選ばれたものだな!」
彼女は訳の分からない事を言いながら、自分の事を自画自賛していた。だが、俺は彼女が言っている事はさっぱり訳が分からなかった。俺はただ彼女が何者なのか、考える事しか出来なかった。
「おっと、そうなれば他の奴に取られないうちに契約をしておかないとな」
そう言うと、彼女はさらに近づいてきた。俺は何をされるのか分からずにただ、立ち尽くしていた。
「喜べ、この紅染美切村正がお前と契約してやる。これから、私とお前は協力者同士だ」
「はぁ? 何を言って――」
やっと思考が戻り始め、彼女に文句を言おうとした時、それは妨害された。俺の目の前には彼女の綺麗な顔があり、俺の唇は彼女の柔らかい唇によって塞がれていた。
突然の事に俺の思考はまたも停止した。ただ、感じていたのは彼女の温かく、柔らかな唇の感触だけだった。
十秒ほどしてからだろうか、彼女がゆっくりと俺から離れていった。だが俺は今、された事を理解する為に思考をフルに使っていた為、反論も出来ずにいた。
「あっ、ああああっ?」
「むっ? どうした? 感激のあまりに言葉にならないのか?」
……俺、今キスされたんだよな? ……俺のファーストキス?
「まぁいい。さて、これからの行動だが、まずはお前にルールを説明しなければいけないな。おい、聞いているのか?」
だが、目の前の彼女はそんな事など気にしていないそぶりで淡々と話を進めていた。こいつはキスをしたっていうのに何も感じないのか?
そんなことを考えるうちについに俺の我慢の限界が来た。俺は目の前の彼女を睨みつけると、まず今の行動について追求をし始めた。
「うるせぇ! いきなりキスなんかしやがって! 何なんだよお前は!」
「何だ、いきなり怒鳴り始めて……。先ほど言っただろう、私は紅染美切村正。由緒正しい名刀『村正』の一振りだ!」
俺は思わず喋る言葉が無くなった。一体こいつは何を言っているんだ?
「その顔、こいつは何を言っているのかというような表情だな……。よし、いいだろう。今から証拠を見せてやる」
そう言い放った彼女は俺から距離をとり始める。二メートルくらい離れたところで止まり、こちらを向いてにやりと笑った。
「ではいくぞ! 見逃すなよ!」
その瞬間、彼女の体が光りだした。眩しい光を放つ彼女の姿が見えなくなっていく。俺は思わず、腕で目を覆い隠した。
その数秒後、畳に何かが突き刺さるような音がした。俺は腕をどかし、恐る恐る目を開けた。しかし、そこには彼女の姿は無く、蔵から持ち出した刀が畳に突き刺さっているだけだった。
「いっ、一体何処に行ったんだ……?」
部屋の中には彼女の姿は存在しなかった。あの光の中で、扉や人が動く音は聞こえていない。だとしたら、一体彼女は何処に消えてしまったのだろう。
しかし、俺がそんな風に驚きを隠せないでいると、何処からともなく彼女の声が聞こえてきた。
『何処を見ているんだ? 私はここに居るぞ?』
俺はまたも絶句した。確かに、信じられないが今の声はこの刀から聞こえてきた。
「うっ、嘘だろ……」
『いい加減に現実を認めろ。ここには確かに私がいるんだ。この紅染美切村正がな』
「村正……? お前はあの妖刀『村正』だって言うのか!」
俺は彼女が放った村正と言う言葉に反応した。しかし、その瞬間、部屋の中に先ほどと同じ光が溢れ、その直後に怒声が響いた。
「貴様ぁ! 私の事を妖刀等と呼ぶんじゃない!」
彼女は怒りをあらわにしながら、俺に掴みかかってきた。襟首をつかまれた俺はその勢いに押され、壁にぶつかる。
「いいか、私が嫌いな事は全部で三つある。妖刀呼ばわりされる事と、手入れをされない事と、下手糞に使われる事だ!」
「わ、悪かった……」
あまりの気迫につい俺は反射的に謝ってしまっていた。彼女はそれを聞くとようやく力を抜いて手を放してくれた。
「お前は契約者だから今回だけは許してやる。だけど、次は無いからな。もし次、また私を妖刀と呼んだら……」
「よ、呼んだら……?」
恐怖で怯える俺の顔の横を鋭い手刀が横切る。その手刀に巻き込まれた髪の毛がパラパラと畳に落ちていく。
「男の尊厳を切り落としてやる!」
「ひいぃ!」
俺は恐怖のあまりその場に尻餅をついた。その目の前では、悠然と彼女が仁王立ちをして俺を見下ろしていた。
その豪快ながらも優雅な立ち振る舞いを、俺はきっと一生忘れる事は無いだろう。
こうして、彼女と俺は出会い、俺の人生は――大きく変わる事になった……。
*
さっきの衝撃的出会いから数分後。俺は彼女と話し合いをしていた。
とりあえず、今まで話した事をまとめてみると、彼女は俺が蔵から持って来た刀であり、その名前を紅染美切村正。あの有名な刀匠『千子村正』の作品である『村正』の一振りらしい。
未だに微かに考えられない事だが、実際に彼女は俺の目の前で刀に変身して見せたのだから完全に信じない訳にもいかない。
「それで、さっき言っていた通り、あのキスは何の意味があったんだ?」
「君ではない、ちゃんと私の名前を呼べ」
「いや、でも紅染美切村正なんて言い難いし……。あ〜、間を取って美切って呼んでいい?」
「むぅ、まぁいいだろう。それでキスとはなんだ?」
「ああ、今の言葉は分かりにくいか。えっと、その昔で言う……せっ、接吻の事」
キスと言うにはあまり抵抗は無かったが、接吻という言葉を使うのは何故か抵抗があった。
俺が言い直してそう伝えると、美切はようやく理解したようで話を切り直してくれた。
「ああ! 契約の事だな」
「契約? 一体なんの?」
「お前が私と共に戦うという契約だ」
「戦うぅ?」
俺はまたしても想定外の言葉に仰天した。戦うって何とだよ……?
「お前には私を使って他の『村正』を持つ契約者と戦い、勝ち続けて欲しいのだ」
「他の『村正』? まさか、お前……美切以外にも人になる奴がいるって言うのか?」
「その通りだ」
「っていうか、ちょっと待てよ。戦うって俺がか?」
「そうだ、お前が刀となった私を使い、同じ『村正』を持つ契約者と戦うのだ。そうして、死後まで残った『村正』が最高を名乗る事が出来て、さらに契約者は最強の強さを手に入れる事が出来るのだ」
俺はさらにいきなり突きつけられた無理難題に頭を押さえる。どうにもさっきから非現実的な出来事しか起きていない。自分の頭がおかしくなってしまったのではないかと思える。
しかし、もしこれが現実であるのならば、美切の言う事はこれからの俺の生活にかかわりのある事になるのだろう。だとしたら、今は美切に様々な事を聞いておいた方がいいのではと思った。
「でも、戦うってどんな風に戦うんだよ。お前らは真剣なんだろ? 斬り合いなんかしたら死んじまうぞ」
「それは平気だ。私達には試合をする為の特殊な能力がついている。その中には、『封界』と呼ぶものがある。その中では痛みや怪我などもするが、『封界』が解ければ何も無かったように元通りになるのだ」
「へぇ、それじゃあ一応は安心なんだな」
「ああ、しかも『封界』以外の空間で他の契約者に怪我をさせた場合、強制的に負けた事になる。だから、『封界』以外の空間で怪我をする事は無い」
一通りの説明を聞いて命の危険性が無い事を聞いた俺は安心した。無理やり巻き込まれた戦いで命を落とす事になんてとんでもない話だ。
それに、戦いで勝ち抜く事なんて絶対無理な事なんだからな。
「しかし、お前にはそんな心配など無意味だろう?」
「はっ? どうして?」
俺の呆然とした様子に美切は首をかしげる。
「どうしてって、ここに集められた刀の数。それがお前の強さを語っているではないか。相当なやり手なのだろう? 訓練具もあるようだし、体つきも悪くは無い。敵に負ける事など相当なやり手で無ければないだろう?」
俺は美切のいう事を理解して蒼白する。きっと俺の予想が間違っていなければ、美切はここにある刀を全て本物だと勘違いをしているのだろう。何しろ、昔の武士は刀の数で力を示していた事があるからな。例えば、武蔵坊弁慶とか……。
「あのさ、美切には悪いんだけどさ。勘違いがあるんだよね」
「勘違い? 何だ、それは?」
「ここにある刀は俺のコレクションであって、真剣じゃない物も混じっているんだ。それと、俺は決して強くなんか無い。剣道はやっているけど、仲間内じゃ弱いほうだ」
俺の言葉に今度は美切が絶句している。しばらく固まっていた美切が次に口を開いたのはじっくり一分程度経ってからだった。
「あ〜、それは勿論、謙遜なんだよな? 本当はそんな事はないのだろう?」
「いや、本当の事だ」
美切の期待を裏切るように俺は本当の事を言う。実際に俺は剣道部の中では下の方にはいる。一応、段位は持っているものの、それに見合った実力を持っているかも怪しい。
俺はこれで美切が諦めてくれると思っていた。しかし、美切は未だに俺の言っている事が信じられないようで肩を震わせていた。
「わ、私は信じないぞ。この私が契約者の実力を見間違えるはずなど無いのだからな!」
そう言うと、美切は部屋に立てかけてあった竹刀を二本取る。そして、その一本を俺の方に投げつけてきた。
「構えろ! この私がお前の実力を見極めてやる!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな事をしなくても俺は本当に弱いんだって!」
しかし、そんな事を言いながらも美切が構えている為に俺も構えを取らずにはいられなかった。だが、それは逆効果だった。
準備が出来たと間違って確認した美切は竹刀を正眼に構えてくる。その構えは弱い俺にでさえ分かるような無駄の無く、洗礼された構えだった。
だが、そんな構えに見惚れている場合ではなかった。
「やああああぁぁ!」
正眼に構えられていた竹刀は、素早く振り上げられ、俺の頭を狙って振り下ろされた。不意を突かれた俺はその攻撃に対し、とっさに竹刀を頭上に構えて、防ぐ事しか出来なかった。
一撃を防ぐ事が出来た。しかし、そんな事を喜んだ次の瞬間、俺は美切に体当たりをされていた。完全に弛緩しきっていた腹に重い衝撃が走り、俺は踏ん張りが利かず、そのまま後ろに吹き飛びそうになる。
しかし、俺が倒れる前にもう一度、俺の腹には衝撃が走っていた。それは今度こそ、美切が放った胴が俺に命中した衝撃だった。
俺はそのまま慣性にしたがって後ろに吹き飛んだ。壁に思い切りぶつかり、思わず俺は涙目になる。しかし、それだけでは終わらなかった。壁に掛けてあった刀が、その衝撃で落ちてきたのだ。
何本かの刀が俺の頭にぶつかり、俺を再起不能なまでに痛めつめる。ってか、マジで痛てぇ……。
「そんな……、こんな簡単な攻撃も防げないなんて……」
俺の心配などせずに驚愕の表情を浮かべている美切は、竹刀を落として床にへたり込んで俯いている。
「つぅ……、だから言っただろ。俺は強くなんて無いって」
俺は痛む腹を押さえながら、刀の山から抜け出す。あ〜あ、俺のコレクションが……。
俺は再度、美切の方を向いて語りかける。
「美切の事情は分かった。お前が刀であり、『村正』っていう事も信じてやる。だけどな、俺には戦う力なんて無いんだ。悪いけど、他の人間と再契約でもしてくれ。何なら腕の立つ奴を紹介してやるからさ」
ここまでぶちのめされた俺には、美切にそう告げる事しか出来なかった。
「……できない」
「あっ? なんて言った?」
俯いたままの美切が何かを呟いた。それは微かな声で語尾しか聞こえなかった。その為、俺はもう一度聞き直す事した。
だが、美切は勢いよく顔を上げると、俺を睨みつけながら大声で叫んできた。
「契約は一度しか出来ない! 他の人間とはもう契約できないんだ!」
「はぁ?」
「契約を解く事は出来る。けど、契約は一度しか出来ないんだ! もう、契約者を変える事は出来ない!」
「で、でも、俺は戦えないぞ! 今お前だって分かっただろ! こうなった以上は諦めるんだな!」
怒鳴り散らす美切に俺は現実を突きつける。しかし、俺の言葉など気にしないかのように美切は俺に訴えてきた。
「諦められない! 私は、最高の『村正』になるんだ! こんな事では諦められない!」
そう言う美切の目は驚くほどに真剣な目つきだった。俺は一瞬、その瞳に心を奪われたが、それでも無理なものは無理なのだと俺は思っていた。
さすがに美切も諦めてくれるだろうと思っていた。だが、それは違った。
「特訓だ……」
「へっ?」
「これから、私が毎日稽古をつけてやる! だから、私の契約者に相応しい人間になってもらうぞ!」
美切が言い出した事は俺の予想をはるかに超えたものだった。思わず、俺は情けない声を出して目を瞬かせる。
「そうだ、まだ他の『村正』の気配は感じない。その間にお前を鍛え上げて、強くすればまだ私にも機会はある!」
「お、おい! 勝手に話を進めるなよ! 俺はまだ一緒に戦うなんて約束していないぞ!」
「だったら、させるまでだ」
「へっ! そんな簡単に俺は了承なんかしないぜ。例え、どんなに殴られたってうんとは言わねぇからな!」
俺はそう自信満々に啖呵を切ってみせる。こんな厄介な事に巻き込まれるなら一晩くらい殴られているほうがマシだぜ。
そう考えていた俺だが、美切は薄ら笑いをしたまま襲い掛かってくる気配は無かった。しかし、その代わりにあいつは俺とは反対側の壁に向かっていった。
すると、美切はおもむろに俺のコレクションである刀を一本手にして手前に掲げてみせる。
「いいか、お前が私との契約を拒否すればこの刀は真っ二つになる。勿論、お前がうんと言うまでは何本でも叩き割ってやるぞ。この部屋の刀が無くなるまでな!」
「なっ!」
それは俺にとっては最大級の脅し文句だった。俺にとって刀は命の次に大切なものと言ってもいい物だ。それを目の前で折られていくなんて立てられるはずが無い。
「てめぇ! 卑怯だぞ!」
「ふん! こっちだって必死なんだ。やれる事なら何でもするぞ! ほらほら、この刀がどうなってもいいのか?」
「くっ! 畜生ぉ!」
傍目から見れば一体何を必死にやっているのかわからないような状況だったが、俺にとっても美切にとっても、この瞬間は緊迫した時だった。
だが、人質(?)を取られた俺にとっては一刻の猶予も無かった。美切の手には徐々に力が入り、鞘が軋み始めていたからだった。
その為、俺は一時的にでも美切に同意する事しか出来なかった。
「分かった! 分かったから約束をするから刀を放してくれ!」
俺は頭を下げて刀を放すように願った。美切はそれを聞くと刀を放して満足げに笑った。「よし、約束したな。だけど安心するなよ。もし、約束を破るような事をしたら容赦なくここの刀を折ってやるからな」
俺は渋々、約束を守る事になってしまった。しかし、刀が折られるよりは、まだマシな筈だ。俺は自分にそう言い聞かせると、ため息をついた。
まぁ、少しの間こいつのわがままに付き合ってやるか。
そう考えていた俺は美切の方を振り向く。すると、美切は俺の方に手を差し伸べていた。
「まだ、名前を聞いていなかったな。名前はなんて言う?」
「俺は見凪 早斗だ」
「そうか、早斗か……。良い名だ。よろしくな、早斗!」
そう言った美切は俺に対して、微笑んでいた。その顔は今まで見た表情の中で一番俺の心を打つ何かがあった。
俺は美切の手を取り、立ち上がる。そして、苦笑いをしながら美切に言った。
「ああ、よろしくな。美切」
お互いに握手を済ませた俺達は、ひとまずの契約を済ませたのだった。
「しかし、一つ聞きたい事があるんだが、お前のその格好はどうにかならないのか?」
俺は手を離し、美切の着ている服を示す。今着ているのは袖や裾がボロボロに破けている酷い格好だった。
しかし、それは触れてはいけない話題だったようで、目つきをきつくして攻め立ててくる。
「これは今まで手入れされていなかったからこうなっただけだ! 何十年も蔵の中にこのままで放り出されていれば、こうなるのは当たり前だろう! 手入れをすればちゃんと直るわ!」
その言葉に俺は反応する。仮にもこいつはあの『村正』の一振り。しかも、本物だ。そんな名刀を自分の手で手入れ出来るなんて考えただけでも鳥肌物だった。
「よし! だったら今すぐ手入れしよう! あのボロボロのままじゃせっかくの名刀も台無しだ!」
「お、おお。それは嬉しいが……。なんか変に気合入ってないか?」
「気のせいだ! さぁ、早く刀の姿になってくれ。俺が完璧に手入れしてやるから!」
「むぅ、分かった……」
俺の言葉を信用した美切は光と共に姿を刀へと変えた。そこには少女としての美切は存在せず、ただ一振りのボロボロの刀が畳に突き刺さっていた。
『しっかり手入れしろよ。手を抜いたら許さないからな!』
「分かっているよ。俺に任せておけ!」
俺は美切にそう言うと、押入れの中に入っているダンボールを取り出す。美切を畳から引き抜くと俺は部屋に座り、分解を始めた。
最初に目釘を抜く。すると、今までしっかりとはまっていた柄が抜けて、切羽、鍔、はばき、と次々と外れていく。
『んっ、久々の手入れは、はぁ、むず痒いな……』
美切が変な声を出すが今の俺にはあまり問題が無かった。今の俺にはただ、目の前にある刀を最高の状態へと整備する。それだけが、目的になっていたのだから。
刀身だけになった美切を俺は畳の上へ、そっと置いた。そうした後、俺はダンボールの中へ手を入れてコレクション達を取り出す。
ダンボールの中身は大量のはばきや鍔等だ。その数は部屋の床を埋め尽くさんとするくらい多い。その中でも、俺は美切に合うと思ったものを取り出して餞別していく。
「何か柄のリクエストとかはある? ある程度なら揃っているよ」
『いや、特には無いが……』
「それじゃ、俺の自由にさせてもらうぞ」
俺はさっそく、いくつかのはばきを合わせていく。俺は美切の性格や容姿を思い出しながら、これが似合うというようなデザインのものをはめ込んでいく。中でも一番こだわるのは、鍔だ。俺は時間を掛けて一つ一つ、パーツを組み込んでいく。
そして、ようやくパーツを全て決めた俺は、それらを素早く美切に合わせていった。組みあがった美切は、分解する前とでは印象が大きく変わっていた。はばきは地味だがしっかりとしたものを、鍔には薔薇の紋、そして柄巻には真紅のものを。
出来上がった感じを見て、俺はうっとりとため息をつく。刀の醍醐味はこうやって自分好みの姿に組み替えた時に得られる満足感がたまらないのだ。
今回の出来は俺のベストコレクションの中でも一、二を争うほどの出来だ。
『ほぅ、これは中々だな。思ったよりもいい感じに仕上がっているぞ』
「そりゃ、そうだ。俺に任せればこのくらい当たり前さ!」
俺が見切に見惚れていると、その姿が光だした。俺は眩しさに刀を落としてしまうが、刀が落ちる音はしなかった。その代わり、光が消えると同時に、美切の姿が見えていた。だが、その姿は手入れをする前とは大幅に変わっていた。
「むっ! 何だ、これは?」
その姿は、着物などではなく、現代の洋服だった。その姿はさっきまでの美切の古風なイメージを一変し、街の何処をうろついても違和感が無いほどに現代風になっていたのだ。
しかも、その服は見事に美切に似合っており、彼女の魅力をさらに引き出すようになっていた。はっきり言って、何も知らずに街で出会ったら思わず一目惚れをしてしまいそうな程に可愛かった。
「おい、これは何だと聞いている! 聞いているのか?」
「えっ? ああ、悪い。ボーっとしてた」
美切の姿に見入っていた俺は、話しかけられていた事に気付いていなかったようだ。俺は美切に服の説明をしてやる。
「それは現代の人が好んで着る服だ。洋服って言って今じゃこっちの方が普通の服になっているんだ。あんまり和服を着ている人はいないかな。まぁ、お正月とかには着るけど」
「ふーん、洋服ねぇ。確かに刀の間に何度か変な服を着ている人を見た事があるが、あれは外の国の服だったのか。まぁ、着心地は悪くないな」
美切は服が気に入ったのか体をせわしなく動かしている。やっぱり洋服が珍しいのだろう。
「恐らく、現代の物を使って私を手入れしたからこうなったのだろうな。まぁ、この方が外で動くなら不自然でないだろうな。何しろ、今の人は皆、このような服を着ているんだからな」
あっ? 今こいつなんて言った?
「ちょっと待て、今お前は外で動くって言ったな!」
「ああ、そうだ。何しろお前に同行して、他の『村正』を探さなければならないんだからな」
「付いて来るだぁ?」
「当たり前だろう。常に刀の姿をしていてもいいが、それでは何かと不都合があるだろう。それに、この姿の方が他の『村正』を感知しやすい」
俺はこの状況になってやっと美切との差をはっきりと感じた。今は何気なく会話しているが、実際に考えてみれば美切はこの現代の常識ってものを知らない。現に、さっきもキスの意味を知らなかった。
このまま美切を外に出したら、きっと時代錯誤な事をわめき散らす危ない子にまってしまうだろう。
そう考えた俺はまず、美切に現代の常識を教える事にした。
「ちょっと待て、美切。今、この状態でお前を外に出す訳にはいかない」
「むぅ、なんでだ。私に何か問題でもあるというのか?」
「大有りだ! お前は現代の常識を知らないだろう。そんな状態で一緒にうろつかれたら迷惑なんだよ! まずは家である程度の常識を覚えてから街に出ろ。そうじゃなきゃ、俺は戦いの事、手伝わないからな!」
俺が少しばかり強く言うと、美切は落胆した表情になった。しかし、さすがに俺の言う事も
理解してくれたのか、渋々うなずいてくれた。
「だとしたら、早く私に現代の常識を教えろ。一秒たりとも無駄には出来ないのだからな」
素早い対応能力に俺は呆然とする。でも、それだけ必死なんだって事は俺にもよく伝わっていた。
「お前が必死だって言うのはよ〜く分かった。だけど、今日はお預けだ」
「何でだ?」
「今日はもう夜も晩い。それに明日は学校があるから早めに寝なきゃいけないんだよ」
「学校? 何だ、それは?」
美切にしてみれば、本気で分からないから聞いているのだろうが、俺にとってはいちいちそれを言い直すのがとても面倒くさかった。
「学校って言うのは、昔の寺子屋だよ。それなら分かるだろ」
「おお、寺子屋か。それは分かるぞ。なるほど、今は学校というのか……」
「そう、だから話の続きは明日、俺が学校から帰って来てからだ」
「しょうがない。それまでは我慢してやる。なるべく、早く帰って来るんだぞ」
そんな無茶な、と思いながら俺は部屋の照明を消して、ベッドに潜り込む。ようやくこの忙しかった一日が終わるのだと安心した。
だが、そんな安心した瞬間、ベッドの中に美切が潜り込んできた。
「ちょっ、お前、なんでベッドの中に入って来てるんだよ!」
「何でって、私だって人の姿の時は人と大して変わらない構造をしているのだぞ。床などでは体が痛くて眠れないだろうが」
「っていうか、お前眠るのかよ!」
しかし、俺の言葉に対して美切からの返事は無かった。その変わり、背中からは穏やかな寝息が聞こえてくるだけだった。
寝るの、早ぇ……。
しかし、俺は美切をベッドから出す事はしなかった。なんだかんだいっても、こいつも疲れているのだろうと思ったからだ。
俺はそのまま背中を向けると、自分も目を瞑った。すると、すぐに睡魔はやってきた。
蔵の掃除や、美切との出会い。今日は本当に忙しくて疲れる日だったが、それでも明日は変わらない。
俺は早々に睡魔に体を任せて、眠りに落ちていくのだった。