八 逆説
「それはいささか蓋然性が低いのではないかい。それにことはそれだけではない。バレット君、君は魔術残渣というものを知っているか?」
俺は首を横に振るほかなかった。
ステイシー刑事は刑事の一人に声をかけると霧吹きを持ってこさせる。そして懐から出してきたペンにその液体を吹きかけると、ペンは銀色の鈍い光を放つ。
「ふむ、では解説しよう、未来の推理作家に。推理小説に登場する警察というのはどうにも現実に即していないからね。
魔術が行使された対象には魔素が定着する。僕が開発したこの試薬——僕は今のところ魔術残渣検査薬と呼んでいるが——は魔素に反応し鈍い光を放つ。
光の強弱は魔術が使われてからどれぐらい時間が経っているかによって変化する。目安として十日程度経っていれば反応を観測できなくなる。
しかし一日足らずならば九九・九九パーセント反応する。当然捜査のためにミカミ学長のご遺体や衣服にもこの試薬を振りかけたが反応はなかった。
僕らが捜査に取り掛かって時点で、監察医の判定では死後十時間近くが経過していた。当然君の言ったようなことが起こったのであればその魔術も約十時間前に行使されたことになる。しかし繰り返すようにこの試薬は反応を示さなかった」
俺は言葉に窮すほかなかった。口のなかから水分が失われていくのを感じる。
「もう仮説は打ち止めかな」
ステイシー刑事の顔からはすでに俺に対する興味が失われていた。
「でも、やっぱりドロシーが犯人だとしたらおかしいですよ、この部屋の状況は。彼女が犯人だとして瞬間移動して出ていく必要なんてないはずだ。あえて言うなら人目に付かないようにしたという可能性もあるかもしれませんが。部屋を密室状態にしたのはどう考えてもおかしいです」
「そんなことを言うなら君の種々の仮説のとおり密室状態の部屋を出入りする方法を持った何者かが犯人だとして、自動で矢が放たれるクロスボウなんて置いていくのこそおかしいじゃないか。あれさえなければ完璧な密室なのに。
不可解と不可能がともにあるとき、重視すべきは不可能のほうだと僕は考えている。犯人は、つまりドロシー・ミカミは密室状態で部屋を出れば自分が犯人とされることに気付かなかったのか、あるいは鍵を開け忘れたとしか思えない」
それこそ馬鹿げている。時限式のクロスボウがドロシーの残した偽の証拠だとすれば、その目的は密室状態でのドロシー以外の人物の犯行可能性を残すためだ。そんな思考をした人間が密室になれば自分が犯人となることに気付かないはずがない。仮にうっかり密室であることや現場が密室になれば必然的に自分が犯人となることに気付かず鍵を開けずに部屋を出てしまったとしてもその後ずっとそれに気づかないということはいくらなんでもあり得ない。そして後で気付きさえすればドロシーには窓を破っておくなりなんなりの対策が取れたはずなのだ。
密室=ドロシー即犯人の理屈を理解していながらも、鍵を開け忘れるというのはより不自然だ。ドロシーは確かに多少抜けたところがあるが、ミカミ先生がドロシーにこの部屋で殺されたとすれば、彼女はそのとき弓を持っていたはずだ。
こちらに敵意を抱いている人間を前にわざわざ逃げ道をふさぐ理由がない。したがって鍵を閉めたのは彼女ということになる。
しかしこれもしっくりこない。なぜならそもそもドロシーにせよミカミ先生にせよ瞬間移動でいつでもこの部屋から脱出することができるのだ。二人の対峙において扉の鍵を閉めるということはなんら戦術的意味をなさない。
つまり鍵を開け忘れるも何も閉めること自体が不自然だ。ドロシーが犯人だとするならば、彼女はミカミ先生を殺害したあとわざわざ鍵を——。
いやこの考えは不十分だ。凶器が矢だからそれが弓で放たれたとは限らない。矢を念動魔法で動かしたり、ミカミ先生の身体に瞬間移動させることもできるかもしれない。あるいは矢をナイフみたいに身体に突き立てたたという可能性もある。
弓はともかく矢一本ぐらいならローブの袖にでも隠せるか。堂々と弓を引っ提げて魔術に用いる呪具と言い張るのも不可能ではない。ドロシーの表面的な用向き次第では他人に聞かれないように、ドロシーが鍵を閉めるのもミカミ先生が鍵を閉めるのも不自然ではない。いやそもそも——。
「逆なのかもしれない」
「逆だって?」
「この部屋にものが瞬間移動してきたわけじゃなく、この部屋からものが瞬間移動したんです」
「それは僕だって同じ意見だがね。ドロシー・ミカミがケイコ氏を殺害後、この部屋から瞬間移動したんだ」
「いやこの部屋からものを瞬間移動させたのはドロシーじゃなくて、ミカミ先生です」
「なんだって」
「犯人がこの部屋からミカミ先生によって自衛のために瞬間移動させられたんです。犯人がその行動を誘発したのか。偶然の産物なのかはまだわかりませんが」
ステイシー刑事がはっとした表情のあとうっすらと唇を噛む。
「その可能性はまだ検討していなかったよ」




