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七 推理合戦Ⅰ

「ユダの窓?」とアロンソ巡査。

「ミカミ先生が言っていたことがあるんです。ジョン・ディスクン・カーっていうミカミ先生のいた世界の推理小説家で、密室派の総帥って呼ばれている人の作品です」

「そのトリックがこの事件でも使われたと?」

「わかりません。僕は『ユダの窓』のトリックを聞かされているわけではないんです。そしてもう永遠に知ることはできなくなった。

ミカミ先生がご自身のいた世界から持ち込んだ小説はただ一つ『Xの悲劇』だけですから『ユダの窓』は翻訳されていないんです」

 記憶だけに頼って翻訳できるほど読み込んではいないと語っていた。

『ユダの窓』というタイトルを俺が聞いたのはあるミステリ作家の法廷ものの出版を契機としたミカミ先生とそのミステリ作家の対談記事だった。

 法廷を舞台に事件の真相を検察側と弁護側が推理するという設定が斬新だと指摘する雑誌記者に対し、そのミステリ作家はミカミ先生の短編のほうが先で自分のオリジナルではないと指摘した。

 一方でミカミ先生もまた『ユダの窓』などの例を出し、自分もそしておそらくはディスクン・カーも起源ではないと語った。

「ミカミ先生は推理小説のトリックだけを換骨脱胎して伝えることはよしとしませんでした」

 件のときも対談の後で、そのミステリ作家にしつこく『どうせ読めないのだからトリックを教えてほしい』と頼まれたらしいが、諦めるよう言ったという。

 アロンソ巡査は少し肩を落としながら、なるほどと呟いた。

「ですが、空間移動魔術を使わずにこの密室を出入りする方法はすでに二つほど思いつきましたよ」

「なんと、二つも」

 アロンソ巡査が驚嘆したような声をあげたとき、部屋の入り口から肩をいからせながら初老の男性が闊歩してくる。その少し後には薄ら笑いを浮かべた、燃えるような赤毛の男。

「おやクエイク警視」とアロンソ巡査。「ドロシー・ミカミへの取り調べは終わったのですか」

「まさか。まだ何も始まっとらんよ。あの娘は何一つ認めようとしない。

 だが彼女の手荷物からは被害者の殺害に使われたのと同じ毒物が入った小瓶が発見された。時間の問題だろう」

「認めるはずがありませんよ。やっていないんだから」と俺。

「なんだ、君は」

「彼は」とアロンソ巡査。「ラッセル・バレット君。このヴィヘム魔法学校の、何年生だっけ」

「二年生です」

「そうそう二年生のラッセル・バレット君。ケイコ・ミカミ氏のもとで推理小説の勉強をしているそうでして、以前本官の管轄で起きた事件を彼が見事に解決に導いたことがありまして。なかなかの推理力の持ち主です」

「なるほど」と赤毛の男が割って入る。「子弟ともに名探偵というわけだね。だが僕たちも負けないよ。この仕事のプロだからね。僕たちはこの事件を被害者の孫娘、ドロシー・ミカミによる犯行だと考えているけれど、君は異論があるわけだ」

「ええ」

「ならばまずは密室の謎について聞こうか。犯人はどのようにして出入りしたというのか」

「それは——」

「バレット、いい加減にしろ」

「——いやウェッダーバーン副学長、ミカミ氏の助言で実際多くの事件が解決に導かれています。僕は彼の意見に興味がありますね。どうですか、警視」

「お前が聞きたいのなら好きにしろ」

「ではお言葉に甘えて、お耳を拝借。まず検討しなければいけないのは、犯人がヒートヘイズ先生やケブラー先生がいたとき、まだこの部屋にいた可能性です。いやひょっとしたら今もこの部屋にいるかもしれない。たとえば透明になる魔術なんかを使って——」

「それはありえないよ、ええと——ラッセル・バレット君」と赤毛の男が遮るように言った。

「ヒートヘイズ教諭はこのとき索敵の魔術を使用して部屋のなかを探したそうだ」

 ヒートヘイズは面映ゆそうにその長髪を掻き上げた。

索敵の魔術とは、周囲の生命体を知覚する魔術だ。原則的に大きい生物ほど感知しやすい。虫ならいざしれずこの程度の広さで人間を感知しそこねることはないだろう。

 加えてヒートヘイズの前職は戦場で多くの武勲を上げる優秀な兵士だ。索敵の魔術は人一倍得意だろう。

 間髪入れぬ反撃にやや面食らう俺にアロンソ巡査が耳打ちする。

「彼はデュソル・ステイシー君。まだ若いですが階級は警部補で、相当の切れ者です。本来は研究者畑の人間で、多くの犯罪捜査のための魔術を開発しています」

 なるほど。魔術と捜査の専門家ということか。だが生命探知の魔術の存在ぐらいは俺も知っている。一つ目の仮説が反証される可能性は十分考慮していた。

「——これも推理小説では王道的なパターンですが、『内出血密室』というものがあります。要するにこの密室を構成したのがミカミ先生自身であるという可能性を検討する必要があります」

「ほう」とステイシー刑事は興味深そうな表情で腕を組む。「それはつまり」

「ミカミ先生はたとえばこの部屋の前なんかで犯人による襲撃を受け、この部屋に慌てて逃げ込んだのです。当然先生は閂をかけ部屋に立てこもります」

「それはどうだろうね。血のあとを見てみたらいい。部屋の中央に倒れていたミカミ氏の遺体の下では血液が数十センチにわたって絨毯に染み込んでいる。しかし扉から遺体のあった場所まで血痕は発見されていない。彼女が部屋の外で矢を受け、この部屋に逃げ込んだのならそれは不自然じゃないかな」

「矢や衣服が栓のような役割をして傷口をふさいでいたのかもしれません。それが遺体のあった場所で倒れたときの衝撃でずれて。いやそうでなくとも事切れてから時間が経つともに徐々に流れ出てきたという可能性も」

 ステイシー刑事は腕組みをしながらしばしうなり声をあげるとまた喋り出す。

「じゃあそれはそういうことにしてもいいさ。なら犯人はどうして部屋の前でミカミ氏を襲撃したんだい。誰かに目撃される可能性があるというだけじゃない。ケイコ氏が部屋へと逃げる可能性は考えられたはずだ。これはあまりにも悪手だよ」

「密室を作るのが狙いだったのかもしれません。密室を作るメリットは定かではありませんが、——たとえば、ミカミ先生とドロシー両方に恨みを抱いている人物とか」

「だとすれば毒の量がおかしいんだ。監察医のレシッグ先生の話によれば毒の量は致死量をはるかに超えており、ミカミ氏は矢を受けた瞬間から身動きも取る暇もなく即死したと思われるそうだ。彼女のような傑物を僕らの常識では測れないとしても、犯人の立場に立ってみれば部屋に戻ることもなく事切れる可能性は十分に考えられたはずだ。

そもそも世に名高いワイバーンの尾の毒などを使うことからして不自然じゃないかな。相手が世界最強の魔術師とはいえね」

 ステイシー刑事の反論に、俺は次の矢を継ぐことができず、場をしばし沈黙が支配した。ステイシー刑事の反論はどれも決定的なものではないように思えた。しかしこの内出血密室仮説にあまりにも多くの瑕疵があることもまた事実なようだ。

「——確かこの部屋に使われた防衛魔術は部屋の扉や窓が閉じられてなければ機能しないのでは」

「その通りだよ。施錠されている必要はないが、窓や扉が開いていたら機能しない」

 この魔術は内部と外部を隔絶する部屋という概念を利用した魔術なのだ。内部と外部が隔絶されてなければその前提条件が狂う。これは概念として隔絶されていることが肝要であり、小さな空気穴が空いているような場合はこの魔術は機能する。この防衛魔術とその手の小さなスペースを組み合わせた推理小説は枚挙に暇がない。残念ながらこの部屋にはその手の小さなスペースすら見付からないが。

「——ミカミ先生はどこかで襲われてこの部屋に瞬間移動してきたのでは。そのときたまたま部屋の扉か窓が開いていて先生は無事に瞬間移動することができた。そして自ら扉と鍵を閉めたんです」

これでようやく全体の一割ぐらいが終わったと思います。

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