四 空間移動魔術史概論
アビスコルとケビンなる猫は死亡し、シェーンフリースは独房に、そしてケイコ・ミカミは被害者だ。ステイシーの言うようにこの事件の犯人が空間移動魔術を使用したのだとすれば必然的に犯人はケイコの孫娘、ドロシー・ミカミということになる。
「お前の言う通りだとすれば孫娘が祖母を殺したことになる」
「近親者による殺人なんて、我が国の犯罪史を見るだけでも枚挙に暇ありませんよ」
クエイクが思わず口をへの字に結んだところで二名の部下が報告に訪れた。
一人目の部下が持ってきたのは、矢に塗られていた毒の出所の話だ。レシッグ医師によると、矢に使われていた毒はワイバーンの尾の毒である公算が高いという。
ワイバーンとはこの国の紋章にも使われる巨大な竜であり、数種類の強い毒を持つためにこれが平原にでも寝そべるとその体躯があった場所の草が物の見事に枯れてしまうという話だ。
ありふれた品物というわけではなく、この毒の出所から犯人を辿ることができるのではないかとクエイクは考えていた。ひとまずこの学院の魔薬学で使われている教材のことを調べるよう部下には命令を出していた。
「魔薬学のゼルバノフ教諭の話では、ワイバーンの尾の毒は確かに魔薬学準備室の薬品棚にあったのですが、今見たらなくなっているということです」
クエイクは顔をしかめた。
「聞かせにいってなんだが、どうしてそんなものが学校にあるんだ。魔薬学の授業で本当に使うのか」
「少量であれば心停止状態からの蘇生薬の材料となるそうです」
「それで、その毒を盗み出すことは誰ならできそうなんだ」
「それが、薬品棚のほうも魔薬学準備室の扉の鍵もどちらも比較的古く簡単な造りでして。鍵開けの魔術やピッキングなどで簡単に開けることができたのではないかと思われます」
「全くとんでもない学校だな」
「クエイク警視」とステイシーが警視の部分を強調して呼び掛ける。「あとで僕が鍵開けの魔術が使われた痕跡がないか見ておきましょうか」
「――頼んだ。もっともそんな管理では大方いつからなかったのかも検討がつかないのだろうな」
犯行前に盗み出したとは限らない。部下は苦笑いしてそのようですと答えた。別に笑うところではないとクエイクは内心ぼやく。
二人目の部下の名前はイーデン。まだ20そこそこの若者で、クエイクの部署に正式採用されたわけではなく、今後の働き次第でその行く末が決まる。同じ若者でもステイシーのような軽薄な雰囲気とは違い、いかにも正義感の強そうなはりきり坊やだ。
イーデンにはほか数名とともに部屋をくまなく捜索し、妙なものがあればすぐ報告するように言っていた。
「クローゼットのなかからボウガンのようなものが出てきました」
「なんだと」
イーデンはボウガンをぴくりとも動かさずそのままにしてきたというのでクエイクとステイシーは彼とともにクローゼットまで歩み寄った。クローゼットには床に積んである本の塔に当たらないように蟹歩きをしたり踏み越えたりしないと辿り着くことができなかった。
現場に踏み入れた瞬間にわかったことであるが、この部屋の持ち主は綺麗好きではなかったらしい。
横格子状のクローゼットの扉の一部が壊れている。壊れた個所を覗き込むと確かに弓矢を発射する機械が置かれていた。
「扉は元々壊れていたんだな」
「まさか自分が壊したとでもお疑いですか」
「そんなわけないだろ」
これだけの隙間があれば寸分も違わず矢を設置すれば、ケイコ・ミカミの遺体に突き刺さった矢は外へと飛んでいくだろう。
クローゼットを開けると噎せ返るほどのほこりの匂いがした。本が積まれている。ケイコはこのクローゼットも本の収納スペースにしていたらしい。
クロスボウの柄の部分には丈夫そうな紐がくくりつけられていて、それより少し手前に時計が付けられていた。3本あるうちの最も短い針には剃刀の刃のようなものが取り付けられている。
時計は止まっているのかと思ったが、よく見ると一番長い針が時折動いている。
「これは月時計だな。一番短い針は秒針ではなく分針。次に短い針は時針、もっとも長い針は月針だ」
魔術には月光を利用するものもあり、この月時計は月の運行が一目でわかるようにという目的で作られたものだ。
「しかしなんだこのおもちゃは」
「これは時限式のクロスボウですよ」とステイシーが感心したように眺めている。
「多分この紐は弦にくくりつけられていて弦が板を押し出すのをとどめていたんです。しかし時間が来ると剃刀の刃がこの紐を裂き、弦は板を押し出し矢が発射されるという仕組みです。剃刀は月針に付いていましたから最大で大体三十日ぐらい前から仕掛けられるということになりますね」
「ということは犯行は空間移動魔術が使えなくても可能ということだな」
「それはどうでしょうね」
「今お前がそう言ったんだろう」
「僕が説明したのはこの仕組みであって、これが実際に犯行に使われたとは言っていませんよ。これは犯人のブラフです。まずはクロスボウが放たれたときのことを想像してください。途中ケイコ・ミカミには当たらなかったものと考えてください」
クエイクは言われた通り頭に描いてみる。射線は部屋の入口のある壁とはほぼ並行に部屋を横切るような軌道だ。最終的には向かいの壁の本棚に突き刺さった。その軌道上にはケイコ・ミカミの遺体——正確には遺体があった場所を示す目張り——以外はほとんど何もなかった。
「想定される軌道と遺体の場所は整合性が取れているように思うが」
「じゃあ聞きますが、ケイコ・ミカミはこんなところで何をしていたんですかね」
ステイシーは指を差す。ケイコ・ミカミの遺体は彼女の執務机の五十cmばかり手前に倒れていた。矢の射線ともほとんど相違ない。もし時限式のクロスボウから放たれた矢によって彼女が殺害されたのだとすれば、彼女は一体こんな中途半端なところで何をしていたのか。そして仕掛けた犯人はほかならぬその時間に彼女がこの場所にいたことを知っていたことになる。
「となると犯人は予言者か?」
「まさか。多くの魔術研究者が予言魔術の不可能性を指摘していますし、これまで予言魔術師を名乗った人物は皆ペテンであると国は判断しています」
「本気で言ったわけじゃないさ。つまりお前はこれが犯人のブラフだと考えているわけだ」
「十中八九はそうだと思っていますよ」
「警視、ケイコ・ミカミ氏のお孫様をお連れしました」
部下の一人がそう叫んだ。
クエイクはドロシー・ミカミを別室に通させると、ステイシーを連れて同じ部屋へと入った。こういうときは女性の警官がいれば幾分か相手も緊張しないでいてくれるものだが、この国にはまだまだ女性警官は少ない。
十七歳という年齢を考えてみれば当たり前だが、ドロシー・ミカミがまだあどけない少女のように見えたのがクエイクには意外だった。
彼女は若干十七歳にして世界に三人しかいない空間移動魔術の使い手であり、そのほかにも多くの魔術を使いこなすという。いわゆる天才というやつだ。
ドロシーはこの学院のシンボルカラーである青を基調としたローブに身を包んでいた。その混じり気のない黒髪は祖母由来のものなのだろうか。ダークグリーンの瞳は涙で潤んでいた。
クエイクはその涙の真贋を判断しようとしてやめた。どうせ女の涙の真贋など自分にわかるものではないのだから。




