九 容疑者が多すぎる
ヴィヘム魔術学院には一六〇〇人超の学生と一三三人もの教員がいる。ステイシーの提案のもと教員全員の身体と衣服の魔術残渣を調べることになった。
現在学院にいる一三一人の教員すべての魔術残渣を数時間かけて確認を行った。二十四時間以内に自身の身体を対象に魔術を行使した可能性のある人間は三十七人にも及んだ。
取り調べように学院側から貸し出された教室の窓からは毒々しいほど赤い夕日が差し込んでいた。
「流石魔術学校。こんなにも頻繁に魔術が使用されているとは。特別な事情がない限り魔術用いるべからずという法律を作ってほしいですね」
ステイシーが苛立ちながら言う。真向いに座るアロンソは煙草をくゆらせながら言う。
「生活の水準が百年は後退するでしょうな」
ステイシーはこんな調子で捜査をしていても犯人が捕まるとは思えなくなってきた。ミカミを殺害できるなら不意をついたにしてもそれはある程度熟練した魔術師に違いないと思い教師だけでも魔術残渣を調べたが。正確を期すなら一六〇〇人超の生徒や一〇〇人近くいる教師以外の職員だって調べるべきなのだ。だがそれには刑事たちがかかりっきりになっても数日間はかかる。試薬だって持ってきた分だけでは間違いなく足りない。そのうえ後半になるにつれどんどん情報の精度も落ちていく。
「そもそもバレット君の仮説通りのことが起こったとも限らない。彼の話を鵜呑みにして数時間も無駄にしてしまった」
「その言い方はアンフェアではないですか」とアロンソ。「バレット君の話は筋が通っていましたし、あなたも納得したはずです」
「可能性としては、ですがね。だが蓋然性の問題としては、実際にそれが起こったかどうか証明するものは何もありません。いくつか説明のつかないこともありますしね」
しかしそれはドロシーを犯人とするステイシーの仮説についても同様だ。
「そうですね。確かにこんな言い方はアンフェアだ。僕はどうやらこの事件の異様さにほとほと参ってしまったらしい。全く情けない話ですが」
「自信をお持ちなさい。あなたの研究は警察の捜査に偉大な貢献をしている。この事件においてもね」
アロンソの吐く紫煙がステイシーの目に沁みた。
*
「——はい。そういうわけで、ドロシー・ミカミ以外の人物による犯行である可能性も十分に出てきました。もうしばらくの捜査が必要になるでしょう」
クエイクは受話器に向かって捜査の進捗を述べる。
『そんなことはどうでもいいからドロシー・ミカミを逮捕しろ』
「それはどういうことでしょうか」
『犯人かどうかなどは直接尋問すればわかることだ。たかだが二〇〇〇人弱の学園で起きた事件、早々に解決しなければ警察の威信にもかかわる』
加えて被害者はあのケイコ・ミカミ。注目度も高いというわけか。いやというより、
「サー・ヘイグストームのご意向ですか」
『ふん、今の発言は聞かなかったことにしてやろう』
魔術研究家でもあるヘイグストーム公爵がケイコ・ミカミに敵愾心を抱いているというのはよく知られた話だ。公爵の長男が昨年の飛竜杯——二十二歳以下の国民が出場することができる魔術の大会であり、国の紋章に描かれるワイバーンに因んでいる。ベスト十六以降は模擬戦によって勝敗が決められる——準決勝でドロシー・ミカミにほとんど手も足も出ず敗北して以来、それはより一層強くなったらしい。
同時に公爵が警察の捜査にしばしば圧力をかけてくるというのもよく知られた話であった。
「まさかとは思いますが、自白の魔術を使うおつもりですか」
『それも場合によっては止む無しだろう』
容疑者を強制的に自白させる魔術。その効果はある意味絶大だが、心身に強い負担があることで知られる。さらに近年はその苦痛から逃れようとするがために、やってもいないことを告白する容疑者が一定数いたことが知られている。クエイクに言わせればそんなものは自白の魔術でもなんでもない。ただの拷問だ。
しかし自白の魔術の悪名はかつてそれを受けた者の口から警察外にも徐々に漏れ始め、法廷で覆されたこともある。それを今日日十七歳の少女に用いようだなんて、組織の利益の面から言っても正常な判断とは言えない。
クエイクの頭には別の考えが過ぎった。ケイコ・ミカミはしばしば素人探偵を務め、多くの事件を解決してきた。そのことで警察は時として無能の誹りを受けてきた。そのケイコ・ミカミが孫娘の教育に失敗し、彼女の手で亡き者にされたという結末はヘイグストーム公爵の威信だけではなく、警察の威信をもいくらか慰めるのかもしれない。
クエイクも素人に現場を踏み荒らされることは好きではなかった。素人が事件を解決する度に出る警察の無能さを皮肉るような記事には忸怩たる思いを抱いてきた。だがこれは——。