2:ノーブル・エージェントとは
《ノーブル・エージェント》とは、西の大陸ノーブルを舞台に繰り広げられる、剣と魔法の大人気ファンタジーRPGである。
人間、獣人、小人、妖精、精霊、巨人、竜、鬼……etc。
多種多様な種族、多彩な魔法詠唱、様々な武器が登場する超王道、ストレートど真ん中の和製RPGながら、綿密に作り込まれた登場人物の背景、女王陛下と百の貴族達が大陸を支配するという世界観、そして、プレイヤーの極めて高い自由度によって覇権を掻っ攫った一人用の据え置き型ゲームの金字塔的作品だ。
ゲームのあらすじはこうである。
勇者と魔王の争いが終結して数千年。
世界は勇者の子孫である女王陛下と、彼女に忠誠を誓う百の貴族達によって結成されたシュレオン大連合帝国の統治によってその平和を維持していた。
しかしある時、フィエンド伯爵家の若き天才暗殺者リトア・フィエンドが一家を惨殺し、魔王の生まれ変わりを名乗って行方を眩ませる。
平和を脅かす存在として、勇者の子孫である女王陛下は彼の討伐を世界に訴える。
こうして大陸は再び緊張に包まれ――だが、それから特に進展もなく、悪戯に月日だけが経過する。
そして、彼が行方不明となってから三年後。
帝都エスペラントにプレイヤーである主人公が現れる。
帝都の名門騎士学校に入学した主人公は、学園で学友達と切磋琢磨しながら、剣と魔法の腕を磨いていき――。
あれ、自由度が高いんじゃなかったのか、学園物の売りって自由度じゃなくね?
って思った人たち。
俺も初めはそう思った。自由度の高さを謳ってるのに学園が舞台なんかいって。
学園物って基本拘束イベント多いし。勿論、その何とも言えない心地よい束縛感が学園物の良さだし俺も好きだ。二度と取り戻せない青春はいつだって僕らの理想郷。
けれどこのゲームの良さは、理想の青春を追体験させてくれることじゃない。
自由度の高さは嘘じゃない。
というのも、ノーブル・エージェントは二部構成であり、学園パートはあくまでも第一部。第二部の帝国動乱編からが本番だからだ。
とある事件により、女王が束ねていた百の貴族達がばらばらになって、戦国時代の開幕。戦争の幕開け。
帝都の騎士学校には百の貴族の子弟達が集まっている。かつての学友が今では敵国の息子娘。
そしてプレイヤーは、学園パートで育てた主人公や仲良くなったキャラクターを使って、帝国の動乱を解決する為に世界各地を練り歩くのだ。
そんなん絶対面白いやつ。学園で切磋琢磨した愛着あるキャラ達で冒険とか燃えないわけない。 ここの自由度が半端なく、しかも敵国の人間同士一緒にいる事がバレると問題だから身分隠したりする。正体隠して影から暗躍って最高だよな。因みにリトア・フィエンドが本編にがっつり絡んでくるのも二部からな。
けれど、シナリオ構成の素晴らしさもさることながら、このゲームの本当の売りはまた別にある。
それは、NPCの多様性だ。
このゲームはNPCキャラの作り込みが半端なく、とてつもなくリアルなのだ。街の住人一人一人に至るまで詳細な背景が設定されている。
しかも、好感度や会話数によって喋る内容が微妙に変化し、中に誰か入ってるんじゃないかと疑心暗鬼になるレベルで個性を発揮してくれる。アニメとか漫画のキャラと実際に会話している感じ。全然NPC感がない。なんでもキャラに人工知能が搭載されているらしい。詳しいことはわからないけど。
だからこそ、一人の方が気楽だけどずっと一人だと寂しいというコミュ障の面倒くさい生態にもどんぴしゃで応えてくれるのだ。
それは当時、諸々の事情によって人間関係に軽くトラウマを抱えた俺にはこれ以上ないほどうってつけのゲームだった。
もうしばらく誰とも関わりたくない、けど、やっぱり一人は寂しい、なんかゲームやりたい……そんなジレンマに的確に応えてくれたのだ。流石金字塔。
MMO含めオンラインゲームも好きだけど、人間同士のやり取りは画面上であっても結構疲れる。
その点一人用は気分的に楽だ。発言内容とかをいちいち気にしないでもいいし、気にならない。夜に負の一人反省会を開く必要もない。
ギルドを影から牛耳る気分屋の姫とかもいない。
いつの間にか狙っていることにされ、あることないこと吹聴され、知らない間に全員から嫌われているとかもない。
強面系リア充の香りを漂わせるリーダーに、そういうことする場所じゃねーからとか切れ気味に言われることもない。せっかくのオフ会が、いつの間にか帰りの会の犯人つるし上げ糾弾大会みたいになってるなんてこともない。
話を戻そう。
とにかく、ノーブル・エージェントは素晴らしいRPGゲームなんだ。
あーそうだ。このゲームは素晴らしいゲームだ。一生やってたいと思えるくらい。
実際にゲームの登場キャラクターになりたいと思ったことも数え切れない。
どうにもならない現実なんか捨てて、ファンタジー世界で生きていきたい。そう何度願ったか。
けど――。
「よりにもよって、破滅エンドしかないようなキャラクターはあんまりだろ……いや、俺は好きだけどリトアさん……」
手のひらをじっと凝視する。
血に塗れた手のひらは、間違いなくノーブル・エージェントの哀しき悪役、リトア・フィエンドだった。
オープニングで一族を皆殺しにし、第二部では復活した魔王として妹に討たれる宿命にある、真実を知れば滅茶苦茶かっこいい不遇キャラ。
リトアの真相はこうだ。
彼はフィエンド伯爵家という裏事を生業とする貴族の一員でありながら、同時に女王陛下に仕えるスパイでもあった。
フィエンド伯爵家とは勇者によって滅ぼされた魔族の末裔であり、だからこそ、二度と争いが起こらぬように爵位と番犬の役割を与えられていたのだ。
リトアの役割とは、内部から彼等の動向を監視することであり、謂わば不測の事態が発生した時の捨て駒だった。
最初は特に問題なかった。
魔族の末裔とはいえ、数千年間平和を維持しているのだ。
内部で問題など起こりようもなかった。
だが――遂に事件は起こってしまう。
リトアの妹であるシルフィーナ・フィエンドが、魔王としての片鱗を見せてしまうのだ。
リトアが任務で失敗し、大怪我を負った出来事がきっかけだった。
そう、あのペンダントの事件だ。
兄を救う為、妹は魔王として覚醒。
瀕死の兄を救う代償に、魔王であることが判明してしまう。
結果的に覚醒は不完全に終わり、その時の記憶も失ってしまうが、フィエンド家の反応は違った。 魔王の再臨として、その事件を契機に女王の暗殺、そして帝国の転覆計画を着々と影で進める父。
表では優しい父親を演じながらも、裏ではシルフィーを利用し、国家転覆を企てていたのだ。
魔族として誇りを、フィエンドの人間は未だ失っていなかった。
彼等が仕えるべきは、勇者の子孫ではなく魔王だった。
最早どうにもならなかった。
女王陛下からリトアに下された命令は、フィエンド家の抹殺。
リトアは妹と一族の咎を全て自分で被り、魔王という仮面を被る生き方を選択した。
こうして、表の顔は最悪の魔王、裏の顔は真の愛国者という大人気不遇キャラ、リトア・フィエンドが誕生する。
因みに、ゲームはマルチエンドではあるが、リトアが救われるエンディングは存在しない。
多少の差異はあれど、真相を誰にも悟られることなく、彼は死んでいく。
監督・脚本曰く。
リトアにとっての救いは、まさに死なんです。偽りの魔王である自分が、真の魔王である妹に討たれ、そして彼女は英雄になる。
国は平和になり、主人公達と共に妹は幸福な人生を送る。
これ以上のハッピーエンドがありますか?
誰にも理解されず、彼の真相を知るのは女王陛下と我々プレイヤーだけ。だからこそ、美しいんです。
ああ、同感だよ。
中途半端に救いのあるエンディングよりも、こういうドSな展開好きだよ。
だけど脚本の人、リトアになるかもしれない人の気持ちも考えてくれよ。
「俺はこれからどうすればいいんだよ……」
気付けば、一階の玄関ホールまで降りてきていた。
天井には豪奢なシャンデリアが飾られ、中央には赤い絨毯が敷かれた幅広の階段。そして、ぴくりともしない幾つもの死体達が血の臭いを放っている。
その臭気に顔を顰めた。
とにかくこの場から立ち去ろう。
シルフィーを一人放置するのは可哀想だが、今の俺は裏切者だ。連れて行くことはできない。
後ろ髪引かれる思いで、出口まで足早に移動する。
流石最強の暗殺者だけあって、気分は重いが足取りは物凄く軽かった。ウサギになったような気分。今ならシャトルランとか無限にいけそう。
入口の扉を押し開けて外に出る。
湿っぽい外の空気が逆流してくる。
遮蔽物がなくなり、土砂降りの雨音と鳴り響く雷の音がより大きく聞こえる。
月の隠れた夜は想像以上に暗く、薄気味悪く感じた。
「遅かったな」
前方からしゃがれた声が聞こえた。
若干びくっとしながら視線を向ける。
森の狭間から現れたのは、隻腕の老人だった。 男は黒いローブを身に纏っており、顔には木の幹のように深い皺の刻まれ、糸目でこちらをじっと見つめている。
右の裾がだらんと垂れ下がっているのは、片腕を失っている証拠だ。
「……どうした、浮かない顔をして。お前ほどの男がらしくない。まさか、任務に失敗したのではないだろうな」
にやっと口角を上げ、冗談めかすようにそう言った。
このやけに渋い老人は事件の真の黒幕であり、リトア・フィエンドの協力者。前宰相、現相談役、女王陛下の影の右腕シグルズ・ユーグラデス。
天候を操る天才的魔術師であり、頭上から降り注ぐ大粒の雨は、足音と血の匂いを消す為にシグルズが降らせたものだ。
だが、協力者と言っても味方なわけではない。この腹黒い老人は、リトアのことを都合の良い駒程度にしか思っていない。
リトアに一族抹殺を命じたのもこいつだ。
そういえば、全てが終わってから庭で落ち合う予定になっていた。リトアに転生したのが衝撃的過ぎて忘れてた。
そのままじっと見つめ合うこと十数秒。
「……まさか本当にそうなのか?」
何も応えないこちらを不審に思ったのか、やや怪訝な雰囲気を醸しだし始める。
基本的にコミュ障だから初対面の威圧感ある老人とかどう喋っていいものかわからない。こういうタイプはいきなり切れ出すしな。
一見大物ぶっている輩ほど心が狭かったりするのだ。人間関係の豆知識である。
駄目だ、オタクモードの自分だとどんなボロを出すかわからん。
意識をリトアモードに切り替えて対応する。
一応リトアとして過ごした記憶も俺にはしっかりある。最強暗殺者プレイで何とか頑張ることにするわ。
早い話が成りきりである。
子供の頃、家に自分しかいない時に、好きな漫画のキャラクターに成り切ってカッコイイ台詞を叫んだ経験がようやく生きる。
うちの家そこそこ壁薄くて近所に丸聞こえだったらしいけど、その件は忘れた。
「対象は始末した。……あなたも、監視役ならわかっているはずだ。俺が何者かをな」
きりりと瞼を細め、低く艶のある声でようやく返事をする。ゲームで聴いた声がそのままだった。
厨二な台詞だが、正直滅茶苦茶かっこいい。
老人はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん。相変わらず可愛げがない。少しは悲しむ素振りでも見せたほうが、よほど人間らしいぞ」
皮肉な笑みを浮かべる。
これから魔王の看板を背負って生きていく俺に対する嫌味だ。
だが、こちらは口を噤んだまま。
老人の嫌味に一々反論しても仕方が無い。
厨二心を諸に刺激する台詞に若干テンションが上がったという事情もある。
こういうやりとり一度でいいからやってみたかったりするじゃんね。
冷血な仮面を被る孤高なキャラに憧れることもあるじゃんね。死ぬのは嫌なんだけどさ。
「報告します」
そうしてしばらく睨み合った後、びゅんと何者かが老人の足元に現れた。まだ年若い、こちらと同年代の青年だ。黒い装束を身に纏った男は、頭を垂れて報告する。
「死体の確認、終了致しました。全員息絶えております」
「うむ、よくやった」
「はっ」
どうやらシグルズの部下であるようで、手足となって邸の調査をしていたらしい。逃げ出した者がいないかどうかも彼が調べていたようだ。
彼はこちらに向き直り、再び頭を垂れた。
「……リトア殿。貴方の働き、この国の人間として、厚く御礼申し上げます」
個人的にやや複雑な心境だが、礼を言われて不快になることはない。
シグルズは慈しむような視線を彼に向けた後、そっと笑みを浮かべた。
「此度の調査、誠に大義であったロイ。褒美を取らせよう」
そして、跪く青年に向け、腰の剣を抜き放ち――刃を振り下ろした。
首が切断される嫌な音が、ざあざあと木々を揺らす雨音に紛れながらも、はっきりと鼓膜に刻みこまれる。
ごろんとこぼれ落ちた頭部。切断面から噴き出した血飛沫が、雨に濡れた地面に染みこんで、直ぐに見えなくなっていく。
困惑しながらも、俺は冷静に状況を把握していた。
用済みとなったから殺したのだ。
フィエンド家の真相を知っていいのは、俺とシグルズと、女王陛下だけ。そういうことだろう。
厨二キャラを演じることで上がっていたテンションが、一気に落ち込んだ。
グロテスクな切断面に、血液が逆流していくような感覚を覚える。
同時に、怒りに似た不快な感情が湧いてきた。
なにやってんだこいつ。
「……捨て駒だったのか、そいつは」
「いいや、十年来の付き合いになる。私の愛弟子だ。私が育てた中で、最も出来が良いのがこいつだった」
「愛弟子を殺したのか」
「私が死ねと言えば、喜んで死ぬ。こいつはそういう男だ」
ふっと視線を亡骸に向ける。その死に顔は、確かに安らかなように見えた。
心境を見透かしてか、目の前の男は意地の悪い笑みを浮かべた。
「この男に同情するか? お前も似たようなものだろう。国の為、肉親を殺したのだ。貴様と私は同類だよ」
老人はしたり顔を向けた。
確かにそうなんだけどさ。
今の俺はただのゲームオタクなんだよ。
目の前で人が死ねば、多少ショックも受けるんだ。それが見ず知らずの人間だったとしてもさ。
「……褒美、と言っていたが」
「国の礎となって死ねたのだ。これ以上の褒美はあるまい」
シグルズは、本心からそう言っているのだ。
心の底から、国の為に死ぬのが当然であると言い放っている。
だが彼の場合、何かそこに崇高な理念があるわけではない。
このゲームの裏の裏まで知り尽くした俺は知っている。
奴にとって国とは大きな玩具だ。
要するに、こいつはハイパーブラック企業の経営者みたいな感じだ。
会社の存続の為、異常な献身を部下に強いる。価値観の狂った部下は、喜んでそれに尽くす。
ただ、そこらの経営者と少し違うのは、こいつも異常に働くところだ。
玩具の為なら全力。意外にストイックな老人である。……悪役には変わりないが。
「真相を知っていいのは、私とお前と、女王陛下だけだ。火種は早めに摘んでおくに限るだろう?」
老人は踵を返す。
どうやら、話は終わりらしい。
俺は無言で見送った。
「もうじき雨が上がる。そうなれば獣人達が血の臭いに気付くだろう。先ほどの笛の音にしても、耳ざとい梟共は既に勘付いているかもしれん」
けれど、不意に立ち止まり、背を向けたまま静かに告げた。
「……そうそう、忘れていた。女王陛下から最後の伝言だ。此度の件、誠に大義であった、これからの人生は好きに生きよ。とな」
シグルスは闇に紛れ、直ぐに見えなくなった。
それから程なくして雨脚は弱くなり、雲はすぅーっと掻き消え、夜空に星が瞬き始める。
一人になった俺は、さっきの言葉を胸の内に反芻した。
好きに生きる、か。
「……いいな、それ」
よく考えたら今の俺って未来とか全部知ってるわけだし。上手くやれば、報われる未来だって掴めるんじゃないか。
しかも今はまだ本編開始前。
これから三年以上の時間がある。
それに今は作中最強の暗殺者だし。
……よっしゃ。急にやる気出てきた。
俺はシグルズに殺された男にそっと視線を移し、心の中で冥福を祈った。
ここは仏教国じゃないとか関係ない。
何となくそうしないと、自分の気が晴れないからやっただけだ。
清々しいほどの偽善者だけど、まぁ、しょうがない。来世では上司に恵まれてくれよな。
よし、俺も頑張ろう。