1:主人公が人気投票で一位にならない現象
漫画やアニメやゲームの主人公が人気投票で一位にならない現象。
読者にある程度感情移入してもらうには、親近感を持ってもらうには、想定読者の常識力とあまりにかけ離れたキャラクター造形はNGであり、主人公を構築する際には守らなくてはならないルールが幾つか存在する。
必然的にキャラクターの幅が狭まって他の作品と似たり寄ったりな人物造形になってしまい、結果的に破天荒な脇役の方に人気が集まるという傾向がある、というのがこの問いに対する模範解答らしい。
その考察が本当に真実なのかはさておき、主人公ではなく破天荒で常識破りな脇役キャラクターの方に羨望や憧れを抱いた経験自体は誰にでもあるのではないだろうか。クールなライバルキャラとか、少し陰のある悪役とかね。
俺はある。それも一度や二度じゃない。
法とか倫理とか道徳とか、そういう世間的な常識を振りかざし、仲間と共に健康的に切磋琢磨する熱血主人公よりも、世間の常識から外れた所で孤独に笑う厨二なクールキャラの方が俺は好きだ。
だってかっこいいじゃない。
世間から後ろ指を指されながら、主人公に説教されながら、それでもぶれずに自分だけの道を突き進んでいくキャラって滅茶苦茶魅力的だ。
確かに自分が実際その役をやるのはキツイ予感がするけど、眺めてる分には最高だと思う。痺れるし憧れる。
そして、俺の一押しは脇役は「ノーブル・エージェント」の哀しき悪役、最強にして最凶の暗殺者――リトア・フィエンドである。
表の顔は最悪の魔王、裏の顔は真の愛国者。
国と妹を守る為に自ら悪の道に墜ち、最期は妹の手によって殺されるというこれ以上ないくらい美味しいキャラだ。
なんとなく言葉にするには気恥ずかしい設定だけど、その妙な恥ずかしさが寧ろ快感なんだ。わかるだろ。
そんなことを思いながら、俺は据え置き型のゲーム機を起動した。
内部でモーターが唸る音が狭苦しい室内に薄く伝播し、安心感と心地よさを静かに運びながら、目の前のモニターにタイトルと制作会社の名前が太く浮かび上がり――。
*
ノーブル・エージェント
制作:RADIO ARIA
監督・脚本:永渕 巌
「……そろそろ寝た方がいいんじゃないか、シルフィー? さっきから眠そうだよ」
「そんなことありませんわお兄様。……私はまだまだ大丈夫です」
「本当? さっきから欠伸ばかりしてるけど」
「……大丈夫です」
暖炉の火が柔らかに燃えるフィエンド伯爵邸の談話室。
女王陛下に仕える暗殺者の一族が住まう屋敷の一室で、二人の兄妹が会話を交わしていた。
長い机を挟み、対面で瞼をぱちくりさせながら大丈夫と語るのは、今年十一歳になるシルフィーナ・フィエンド。
黒のネグリジェに袖を通し、背中に流すのは、鴉の濡れ場のように艶やかな黒髪。
つんと形の良い鼻と引き締まった口元、そして猫のように丸い瞳は、見る者全てを彼女の虜にしてしまう愛らしさ。
そして、そんな彼女を苦笑いしながら見つめるのは、兄のリトア・フィエンド。
妹と同じ黒の髪に黒の瞳を宿したその青年は、彼女と同じく優れた容貌。柔らかな印象を与えるシルフィーの目元とは違い、こちらは眼光の鋭い美青年だが、妹を見つめる彼の瞳は優しく細められていた。
「さあ、お話の続きを聴かせてください。……お兄様の御活躍をもっと聴きたいです」
手元のマグカップをぎゅっと握り締める。
眠気には負けないと、気合いをいれるように。猫のように丸い瞳を鋭く細め、目付き悪くリトアを睨む。
「けど、眠そうだよ? それに、もう遅いし」
「……大丈夫です」
「さっきウトウト頭が揺れてたけ」
「大丈夫です」
「けど」
「大丈夫です」
そのまま苦笑いする兄と、鋭くじっと見つめる妹で膠着状態。
シルフィーは物分かりの悪い方ではない。寧ろ、大人の言葉には素直な方である。
こうしてわがままを言うのは、兄のリトアに対してだけだ。
そして、一旦彼女が嫌々モードに入れば、テコでも動かない。
リトアは観念したようにふっと頬を緩め、小さく嘆息した。瞬間、妹の顔が花が咲いたように晴れやかになる。
「……わかったよ。それじゃ――」
目の前で机につっぷし、すやすやと寝息を立てる妹に、リトアは呆れたように微笑みを向けた。
先ほどのやり取りから、僅か十数分後。
遂に睡魔に耐えきれなくなった妹は、すやすやと寝息を立て始めた。
ぱちぱちと暖炉で木々が弾ける音に紛れて、可愛らしい呼吸音が耳朶を微かに揺らす。
リトアは立ち上がり、ソファーに掛けられていた毛布を手にとった。
それを妹の肩にかけようとし、はたと手を止めると、そのままお姫様抱っこの要領で妹を持ち上げる。
屋敷の住人とすれ違う度、微笑まし気な視線を浴びせられながら、リトアは妹を抱きかかえながら歩みを進める。
「……おや、会話は終わったのか」
妹を寝室へと運ぶ途中、向かい側から歩いてきた伯爵家の当主グラール・フィエンドが声をかけてくる。
リトアと似て長身痩躯の彼は、初老ながらも引き締まった体系をしていて、まだまだ現役の裏事屋であることを感じさせる。
だが、兄の腕の中で眠る娘を見つめるその瞳は誠実で優しい父親そのものだ。
隣にはグラールの従兄弟でありリトアの叔父でもあるイブシオンが並んでいる。
大方、二人で仕事の打ち合わせでもしていたのだろう。
「ええ、父上。この通りぐっすりです」
足を止め、応答する。
兄にしがみつくようにして眠る娘の姿に、グラールは苦笑いをした。
「……本当に、この子はお前のことが好きだな」
父親はしみじみとそう言った。
リトアは喜びと気まずさが入り混じったような表情で応える。
この妹は、父親よりも兄であるリトアに懐いている。それも圧倒的に。その事実に対し、父が陰でいじけているのを彼は知っていた。
「シルフィーはお兄ちゃん子だからなぁ。私になんて、てんで懐かない。一応これでも、叔父さんなのだけれどね」
イブシオンは肩を竦めて戯けてみせた。
屈強な身体にスキンヘッド、右目には縦の傷跡が三本入っており、フィエンドでも随一の強面だ。
中身もそれに負けず劣らずの剛毅さだが、意外とお茶目なところもあり、愛すべき叔父。
普段は気さくで悪戯っぽく、けれど任務の際にはどんな時でも冷静さを失わない。
味方にすれば心強いことこの上ない人物であり、実際に人望も厚く、フィエンド家の精神的支柱のような存在である。
「顔の傷を隠せば、話くらいはしてくれるかもしれないぞ?」
「かあー。この傷の良さがわからんとは、シルフィーもまだまだ子供だな。そう思わないか、リトア?」
だが、その風貌のせいで、懐かないどころか妹は逆に怖がっている。
内心ショックを受けていることを知っていたので、リトアはそれ以上深入りをしないことにした。曖昧な笑みを浮かべて問いを受け流す。幼い娘を巡る男達の嫉妬とは、意外に侮れないものである。
「そうだ、明日の――」
「父上。仕事の話は、シルフィーを運んでからでもいいですか?」
「ん? ああ、そうだな。ベッドで寝かせてやってくれ」
軽く会釈して、叔父と父親に別れを告げた。
仕事の話も大事だが、シルフィーの健やかな成長もそれに負けず劣らずリトアにとっては大切だ。
初老の二人は、そんな兄妹の様子を微笑ましげに見送った。
寝室まで妹を運び、ベッドの前まで辿り着く。起こさないようにそおっと寝かせてやり、羽布団を肩まで掛けてやる。
「……おやすみ、シルフィー」
寝息を立てる妹に、兄は静かにそう告げて部屋を出ようとした。
「……お兄様」
けれどそんな兄の背へ、寝静まったはずの妹から言葉が投げかけられる。
やれやれと少し呆れながら、リトアは妹を振り返った。
「起こしちゃったか?」
「いいえ、最初から起きてました」
「最初から?」
「ええ、その……抱き上げて頂いた時から……」
そう言って、シルフィーは恥ずかしそうに布団で顔を隠した。
当然リトアはその事実に最初から気付いている。暗殺者の彼にとって、相手の意識の有無を見破ることなど造作もないことだ。
抱き上げる際に、起こしてしまったのだろう。
だが、指摘すると妹が恥ずかしがりそうだったのと、わざわざ寝たふりをしているという意味を忖度し、触れずにここまで運んでやった。
それを自分からわざわざこちらに告げるとは、殊勝な妹だ。
リトアは軽く苦笑いしながら、ベッドに横たわる妹に目線を合わせるよう、しゃがみ込んだ。
「じゃあ、今度こそおやすみ、シルフィー」
「……はい、お兄様」
妹は渋々と言った様子で頷いた。
直ぐに起きたとはいえ、一度は睡魔に負けてしまったのだ。
流石にこれ以上引き下がれなかったのだろう。
だが、まだ未練は残っていたようで。
「あの、明日もお話をお聞かせくださいますか?」
「早く帰ってこれたらね」
「楽しみにしてます。お仕事……大変だとは思いますが、頑張ってください」
その言葉を手土産に、リトアは部屋を後にした。
扉を音を立てぬようにゆっくりと締め、視線を窓硝子に移す。分厚い雲に覆われた空は、今にも雨が降り出しそうだった。
その後、リトアは父親との打ち合わせに向かった。
諸々の確認を終え、ひと段落ついたところで、対面の父親はふぅっと小さく息を吐いた。
「……本当にお前は優秀だな。今直ぐにでも党首の座を譲りたいくらいだよ」
「そんなことはありません。私など父上に比べればまだまだです」
「謙遜するな。たとえ片腕を封じられていたとしても、今のお前なら私を御するなど容易いだろう。……シルフィーの扱いも、私より百万倍上手だ」
持ち上げてからのいじけたような物言いに、リトアは少し呆れ笑いを浮かべた。
やはりこの親父は、息子に対して対抗心を抱いているらしい。
会議の終了を見て取って、リトアは席を立つ。だが、部屋から出る寸前に何かを思い出したように立ち止まった。
「……そうだ父上。付かぬ事をお聞きしますが、この屋敷の警備体制は、現在如何様になっておりますか?」
「ん? 何か気になる点があるのか?」
「いえ。ですが、我々には敵も多い。……用心に越したことはありませんので」
「それはお前の言う通りだな。だが、現在の警備体制はお前が知っている通りだ。内部の我々と、外部の監視。人数はそれほど多くはないが……だが、盤石だ」
フィエンド家の一族は、女王陛下に仕える番犬として裏の仕事を請け負う、謂わば影の貴族だ。
だからこそ邸の住人から使用人に至るまで、全て血族の一員であり、必然的に警備は手薄になる傾向にある。
父の瞳を見据え、リトアは問うた。
「その根拠は?」
「お前と、私がいる」
グラールは力強く微笑んだ。
リトアは自信に満ち溢れるその表情に、深い礼でもって応えた。
「……お休みなさいませ、父上」
そして、自身の寝室へと移動する。
部屋に足を踏み入れたリトアは魔石灯の明かりをつけて扉をゆっくりと締めると、おもむろに懐へ手を入れた。
服の内側から取り出したのは、不格好な六芒星が形取られた黒いペンダント。
数年前、妹のシルフィーから押し付けられた魔除けのアクセサリーだ。
当時、彼は任務で手痛い失敗をしてしまい、生死の境を彷徨う大怪我を負った。奇跡的な回復を遂げ、結果的に何の後遺症もなく暗殺者として復帰することが出来たが、その時の傷跡は未だ彼の身体に刻まれている。
この六芒星を見ると、あの時のシルフィーを思い出す。
リトアの身体を心配し、泣きべそをかきながら任務への復帰に反対した彼女の怒りと慈しみに満ちた表情が、瞼の内側に浮かび上がる。
このペンダント自体、幼い妹がリトアの息災の為、使用人達の力を借りて精一杯造った努力の結晶ではあるが、特に特別な効力のないただの装飾品だ。
だがそれでも、彼は受け取って以来常にそれを持ち歩いている。
リトアは六芒星をぎゅっと握り締めた後、再び懐にしまった。
その後、いつものようにベッドの上で武器の手入れを入念に行う。
いつものように砥石を用意し。
いつものように剣を研ぐ。
「……全ては、女王陛下の……そして、シルフィーの為に」
深い井戸の底のような、仄暗い瞳で。
*
真夜中のフィエンド伯爵低。
女王陛下の番犬と謳われる暗殺者の一族が住まうその屋敷は、深夜であっても決して警戒態勢が解かれることはない。
けれどその日の洋館は、普段とは雰囲気が異なっていた。
廊下から聞こえるのは、虫のさざめきでも、巡回役の足音でもない。
喉を潰されて絶え絶えの呻き声と、鋭利な何かがビュンと空気を切り裂く音。
その異常は可及的速やかに屋敷全体へと広がっていき、機械のような正確さと無慈悲さで物言わぬ死体を次々と生み出していった。
叫ぶ僅かな隙間さえ与えない。
ただ効率的に命を刈り取っていく姿は、残忍な殺人者というより、感情を失った自動人形のよう。
外周を埋める森林の葉を揺らす小雨の小気味良い音に紛れ、殺戮者は次々と殺人を実行していく。
寝静まっている者は、夢の中で。
偶然廊下に現れてしまった者は、息つく暇も与えずに。
反撃の隙は決して与えず、ただひらすら迅速に命を刈り取っていく。
「……何事だッ!」
「――」
だが、まさに殺人が実行されたその瞬間。
当主グラール・フィエンドが部屋の扉を押し開ける。
先ほどまで寝静まっていた彼は、けれどいち早く異変に気付き、凶行を防ぐべく飛んできたのだ。
ローブのようにゆったりとした白い寝衣に身を包んだ当主は、長年の勘から事態の異常性を瞬時に察知したらしく、臨戦態勢を取りながら、目の前で背を向ける謎の男を注視した。
身体には身体強化の魔法がかけられており、闇の中でも相手の姿がはっきりと視認できる。
豪奢に飾られた住人の自室。
分厚い雲に隠れる月の光しか光源が存在しないその部屋に佇んでいるのは、長身痩躯の何者か。闇に紛れるように黒い衣装に身を包んだ謎の人物は、背中を見せたまま微動だにしない。
だが、その足元に人形のように転がり白目を向きながらこちらを仰ぐのは、紛れもなく血族の一員だった。
「……ッ!」
既に事切れた同僚の姿を視界に収め、当主の瞳に力強い怒りの炎が灯る。
フィエンド家の一族は皆、保守的で連帯感が強く伝統を重んじる。忠誠心が高く、仲間意識の強い彼等にとって、目の前の事態は看過出来ようもない。
奥歯を噛み締め、懐に隠し持った愛剣を鞘から引き抜いた。
「ここが我がフィエンド家の土地と知っての凶行か卑しい賊めがッ!」
雨音の全てを掻き消すような叫びが、廊下に響き渡った。
「逃げられると思うな。屋敷に忍び込んだのが運の尽き、貴様は袋の鼠だ……ッ!」
グラールは怒りの形相顕わに謎の人物を睨めつけ、奥歯を深く噛み締めた。
それとほぼ同時に、首から提げた呼び笛に手を掛ける。普段は任務の最中に招集を告げる笛だが、非常時の連絡用も兼ねていた。これを吹き鳴らせば、屋敷に住まう一流の暗殺者達がすぐさまこの場所まで集う。
「貴様の蛮行必ずや白日の下に晒し、必ず後悔と償いを――」
だが、笛が甲高い音を響かせる寸前。それを阻止せんべく、黒尽くめの男は振り返り、無言で床を蹴って距離を詰めた。
フードが浅く翻り、隠していた顔が顕わになる。
その瞬間、当主の両目に宿った激しい怒りの感情は、ふっと息を吹きかけられた蝋燭のように揺らぎ形を失った。
黒いフードで顔の半分を覆ってはいるが、そこから覗く引き締まった口元に形の良い顎、他人を拒絶するような高く美しい鼻筋、そして、この世の全てを見下すような鋭い目元は、見覚えがないと嘯くことなど出来ない。
「お、お前は――」
だが、謎の男はその隙を逃せぬよう、剣の届く間合いに潜り込み、動揺を顕わにする当主の首下へ短剣を振り上げた。
グラールは強化された動体視力によって寸でのところで何とか反応し、切り結んだ刃に二人の間で火花が散った。
いつの間にか雨脚は強くなり、ざあざあと吹き付ける雨風が激しく木々を揺らしている。
「……ぐぅ……ッ!」
鍔迫り合いを繰り広げながら、グラールの口から荒い息が漏れ出す。
だがそれでも、目の前の人物は顔色一つ変えない。口元を無感情に結びながら、自由な左手で首元に掴みかかる。
咄嗟に当主は身を退くが、乱された思考のせいで反応がやや遅れた。グワンと獲物を狙う蛇のように伸ばされた腕は鍛え抜かれた太い首を鷲掴みにし、当主は苦悶の声を漏らす。
「……お…まえ……なぜ……リトア……ッ!」
「詮無きことだ」
壁際に追い詰められた当主に向かって発せられた言葉には、交渉の余地など欠片も含まれていなかった。
リトアは業物を握った右腕を振り上げ――けれど攻撃を繰り出す寸前、不意に体勢を低く逸らし、髪を縦に靡かせた。
先ほどまで彼の頭部があった場所を、びゅんと勢いよく鋭利な刃物が通過していく。
それは、グラールの従兄弟であり、腹心イブシオン・フィエンドの愛刀。反りのついたカタナと呼ばれる武器。
異変に気付いたのは、グラールだけではない。
闇に妖しい輝きを放ちながら虚空を切り裂く刀の斬撃を、リトアは身体を捻って躱す。同時に、懐から隠し持った小型のナイフを乱入してきた人物に向け的確に投擲し、カウンターを繰り出した。
「……ちぃッ!」
イブシオンは初投を躱し、二本目を刀で弾く。けれど三本目が頬を擦り、続く四本目が肩を直撃し、小さく苦悶の声を漏らした。
肩を庇うように身を退こうとした際に、更なる追撃が襲いかかる。
「させるか!」
だがその追撃は、再び寸でのところで加勢してきた者の横槍によって阻まれた。
リトアは闇から繰り出される攻撃を身を逸らして躱し、後退って地面に手のひらを這わせる。
「大丈夫ですか、イブさん、当主!?」
「東棟はおそらく全滅です、人の気配がしねぇ……ッ」
当主の他にも異変に気付いた者達が駆けつけたのだ。
次の瞬間、部屋に人の気配が一気に立ち篭め、四方八方から総攻撃が繰り出される。
「生きて帰れると思うなぁッ!」
「……」
血気盛んな様子を見るに、暗殺者としてそれほどキャリアを積んでいない若手連中だ。
とは言っても気配を察知してここまで辿り着いた以上、その実力に疑問符は付きようがない。
「1、2、3、4、5……6人」
一転攻勢。
勢力図はひっくり返り、リトアは防戦一方を強いられる。
「油断するな、敵はただの賊ではないッ!」
けれどリトアは相手の攻勢を、野生動物のようにしなやかな身のこなしによって紙一重で避け続けた。まるで真夜中の舞踏会で軽やかにステップでも踏みように。
状況を瞬時に把握し、意識を防御に切り替えたのだ。如何に優秀なフィエンドの人間でも、防御に徹した相手を撃ち破るのは容易いものではない。
そして冷静に部屋の隅まで素早く移動し、攻撃の方向を限定して、一カ所に誘い込んだ後――。
「貰ったぁ――」
「おい、やめろ! 罠だ!」
射程圏内に入った敵に、刃を一閃した。鮮血が迸り、壁に赤い血飛沫がペイントされる。切り伏せられた者達がどさりと崩れ落ち、新鮮な血液が床を赤黒く染めていった。
「冷静になれ、相手は一人だ! 立ち止まるな、斬られるぞッ!」
「ひぃ……っ」
不測の事態に相手が怯んでいる隙に、リトアは更なる追撃を加えていく。
いくら返り血を浴びようとその手が休まることはない。室内を縦横無尽に駆け巡る斬撃は、無慈悲な死体を次々と生み出していく。
辛うじてイブシオンだけが目にもとまらぬ曲芸のような剣舞を刀の刃で受け止めたが、一度ペースを崩された若手連中はものの数十秒で壊滅した。
「シルフィーが泣くぞ、小僧ッ子があ……ッ!」
鍔迫り合いの最中、相手の正体に気付いた叔父が吠える。
瞳には限りない困惑と怒りの炎が広がり、額からは大粒の汗が滴り落ちた。だが、彼はそれでも冷静さを失ってはいなかった。
フィエンドの精神的支柱は伊達ではない。
イブシオンは何とか震える腕で攻撃を支えながら、背後のグラールに喝を入れた。
「何をやっているかぁッ、応援を呼べグラール!」
「……っ」
半ば呆然と片隅に立ち尽くしていた当主は、その言葉で我に返った。
信頼していた者による突然の裏切りに、先ほどから動揺を隠せずにいた。だが、フィエンド家に刃を向ける者は、誰であろうと敵だ。
こんなところで、立ち止まっている場合ではない。
「すまない、死ぬなよイブシオン!」
「当たり前だ! まだシルフィーに好きと言われていない!」
勇猛な笑みを見せる従兄弟の姿。
グラールはその様子に背中を押され、部屋の外まで駆け、廊下へと躍り出た。
死にいく仲間達の姿を瞼に刻み込み、笛を吹き鳴らす。
その音を確認したイブシオンは、目の前のリトアにふっと笑みを浮かべた。
先ほど投擲を受けた右肩からは未だに血が滲みだしており、全身からは大粒の汗が滴っていた。
「……それは大型の魔物を殺す用の毒だ」
「ただでかいだけの大木と、私を一緒にするなよな……ッ?」
イブシオンは軽口を叩く。
だが、リトアはまるで笑っていなかった。
グラールは部屋の方へと振り向いた。瞳に映ったのは殺戮の瞬間だった。
「ぐぉぉぉおおぅぅぅぅうううううう!」
「イブシオンッ!」
リトアの剣はイブシオンの刀を真っ二つに両断し、そのまま身体ごと切り裂いた。命が絶える光景を氷のように冷たい瞳で流し見、廊下へと素早く移動を開始する。
グラールの元へ目にもとまらぬ剣閃が襲いかかってくる。
「ぐうっ……!」
剣戟の鈍い音が廊下を貫く。
真夜中の伯爵邸で、父と子による理不尽な剣戟が繰り広げられる。
衝突に次ぐ衝突。
だが、戦況は紛れもなくリトアの方に利があった。
しかしグラールはそれでも、戦友を失った悲しみを怒りに変え、鬼の形相で息子へと食らい付いた。
「貴様の企みもこれまでだ、すぐに屋敷の者が集ってくる! 逃げられると思うなよぉ……ッ!」
だが、リトアは氷のように冷たい表情を崩さない。
至極落ち着いた口調で、短く返事をした。
「もう遅い」
「何ッ?」
「お前が最期だ」
それは他の協力者を示唆する台詞か、それともたった一人で一族を殲滅させたのか、はたまた、ただの揺さぶりか。
父の瞳に燃えたぎる怒りは激しさを増し、微かな動揺が広がった。
「貴様まさか……シルフィーすらも……ッ」
「お前が知る必要はない」
だが、その瞬間――廊下に面した端の部屋。その扉が外向きにゆっくりと開き、中から件の少女が現れた。
「……誰?」
視線の先、廊下の端にはシルフィーナ・フィエンドが瞼を擦りながら立ち尽くしている。
騒ぎの音に、目を覚ましてしまったのだろう。
黒のネグリジェに袖を通し、鴉の濡れ場のように艶やかな黒髪を背中に流す少女は今年十一歳になるグラールの愛娘。
つんと形の良い鼻と引き締まった口元、そして猫のように丸い瞳は、見る者全てを彼女の虜にしてしまう愛らしさ。
寡黙で口数が少なく、引きこもり体質なのはフィエンド家の血を反映しているが、彼女の場合それを無愛想というより高貴と表現した方が適切だろう。
「……来る…な……ッ!」
「……お父様?」
少女は寝惚け眼で二人に歩み寄る。
「痛っ……」
そして、足元の某かに気付いたのか、そこではたと歩みを止めた。
倒れるのは、白目を剥き既にこの世から去った者の哀れな姿。
「きゃ――――」
咄嗟に悲鳴が口から溢れ出し――しかしその声は、天より炸裂した巨大な雷鳴によって掻き消された。
光を失った夜の世界に凄まじい閃光が弾け、深く沈み込んだ闇を打ち払う。
その瞬間に生まれた刹那の隙を突き、グラールは右手の刃を振り仰ぐ。鋭利な切っ先が、リトアの鼻先を掠めた。
「……ッ」
転瞬、グラールは僅かに緩んだ拘束を抜けだす。脇を潜ってへたり込む娘の方へと駆け出し、必死にその手を伸ばす。
「シルフィー!」
だが、その手が娘に届くことはなかった。
次の瞬間、再び闇が覆った屋敷の廊下に、紅い血潮が噴き上がる。
リトアによって背後から斬り抉られた肉は娘の目の前で膝を突き、小さな身体に覆い被さるように倒れ込んだ。
グラールは急速に精気を失っていく瞳で娘の方を見た。その姿を瞼の内側に焼き付けようとするように。
その手が娘の頬に触れる。未だに状況が飲み込めないシルフィーナに向け、微笑みとも強がりとも区別の付かない笑みを浮かべた。
「お……お父様?」
「逃げろ……シルフィー……愛しき我が――」
だがその最後の言葉も、無慈悲に轟く雷鳴によって掻き消される。
たった一人残された幼い娘。
へたり込む廊下に響くのは、より激しさを増す雨音と、こちらに歩み寄る何者かの足音だけ。夢と現実の区別すら付かぬ呆然とした時が流れるまま、少女は目の前で彼女を睥睨する男を見上げた。
怒りでも憎しみでもなく、困惑と得体の知れない恐怖に静かに涙と吐息が溢れ出す。
謎の男は少女を見下ろしながら、顔の上半分を覆っていたフードを脱いだ。
「……リトア……お兄様?」
竜が唸るような雷鳴を背に少女を見下ろすのは、伯爵家の長男であり、正当後継者リトア・フィエンド。
寡黙で口数が少なく他人を寄せ付けぬ無愛想ではあるが、フィエンドの歴史上最強と謳われる暗殺者で、王都の名門騎士学校を弱冠十二歳で首席卒業し、妹のシルフィーにだけは無防備な笑顔を見せる自慢の兄。
フィエンドの面々ならば誰もが絶大な信頼を置く任務達成率九十九パーセントの仕事人。
少女の胸の内、更なる困惑と共に薄らと安堵が広がる。
だが、こちらを見下ろす兄の瞳は氷のように冷たく、人間味を感じさせない。
人が変わってしまったようなその表情に、シルフィーの背に怖気が走った。
「な、何か言って下さい……これは、冗談なのですよね?」
口端に僅かな笑みを浮かべ、縋るように問うた。
だが、兄の口から溢れた言葉は、
「俺が冗談でこんなことをすると思うか?」
明確な拒絶。
「……哀れな妹だ。現実を目の当たりにしても、現実逃避を繰り返す」
「お、お兄……様?」
「だが、逃避は力無き者に許された最後の手段。……だからこそ、俺はお前に現実を突き付ける。逃げることなど、許さない」
リトアはしゃがみ込み、怯える妹と目線を合わせた。
そして次の瞬間、
「リト……ア……ぁぁああッ!」
物言わぬ死体と化したはずの父親の身体が震え出し、なんとか起き上がるのと、計ったように心臓に刃が突き立てられることが同時に起こった。
「ぐぬぅ……ッ!」
身を捩った体勢のままグラールは呻き声を漏らし、そのまま崩れ落ちた。
「今度こそ、老ぼれは寝る時間だ」
そして、そのまま今度こそ息絶えた父親。肉の抉られた胸部の狭間に指を突き刺し、臓物の欠片を引き出した。
赤黒い塊を指先ですり潰し、躊躇わずそれを口に含んだ。
目の前で繰り広げられる凶行に、少女は小さく悲鳴を上げる。
「ひっ……」
どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。
あの兄が。どうして。どうして。どうして。どうして。
どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。
「不思議か? だが、いずれはこうなる運命だった。この結末は、最初から決まっていたんだ」
立ち上がり、指先の血肉を舐め取りながら、リトアは続けた。
「フィエンド家には、魔族の血が流れている。数千年前勇者によって滅ぼされた魔王の末裔、飼い慣らされた番犬、それが俺達の真実だ」
「……は…ぇ?」
「俺は魔王の生まれ変わりだ」
激しい雨音が外気を振るわせる深夜の伯爵邸に、その声は静かに木霊した。
「だが、未だ完全ではない。……俺が完全な魔王になるには、お前の力が必要だ」
血に濡れたその手が、ゆっくりと床に座り込むシルフィーに伸ばされる。
狂気に満ちた愉悦の表情に底知れない恐怖を感じ、無意識に背後へと躙り避ける。
だが、少女の頬に触れる寸前でその手の動きは止まった。
「だが――まだその時じゃない」
そう言って立ち上がり、リトアは踵を返した。
完全に事切れた父親の死体の傍ら、妹を一人だけを残して廊下を進んで行く。
「俺はこの屋敷から、お前以外の全てを消し去る。何もかもを無慈悲に奪い取っていく。お前はそうやって、現実逃避をしながらただ黙って見ていろ」
挑発的なその言葉に、妹の心は掻き乱される。
「……う……うぐぅ……」
気付けば一心不乱に立ち上がり、遠ざかるその背を追いかけていた。
「……どう…して…! 優しかったお兄様が……どうして!」
そして、発せられる言葉は怒りでも憎しみでもなく、ただ純粋に兄に縋る逃避の言葉。
「甘えるな」
だが、リトアは舌打ちをしながら少女を拒絶した。
縋るその手を振り解き、思い切り床へと突き飛ばす。
「お前に優しくしていたのは、優しい兄を演じる必要があったからだ。この屋敷での立場が不要になった今、仮面を被る必要はない」
「……ぇ…え?」
「失せろ」
そう言って、少女の頬を縦に刃で裂く。
薄皮一枚を剥がれた皮膚からは赤い血が伝う。
シルフィーナ・フィエンドは頬に指先をそっと這わせ、赤い血潮を眺めた。
「……あ……ああ……」
正気を失った少女の口からは、言葉にすらならない混乱が溢れ出す。
魔王はその様子を歯牙にもかけず、背を向けて歩き出す。
だが、
「……リトアぁぁぁぁああああああああああ!」
心臓を潰されたはずの父親が、最後の力を振り絞って立ち上がり、精神力だけで魔王に挑みかかった。
それは、流石のリトアにとっても想定外。この日初めて不覚を取った瞬間だった。
「……ッ」
そして――父親の刃は、リトアの心臓部を確かに穿った。金属同士がぶつかるような鈍い音がギィンと室内に響く。
それは、間違いなく致命的な一打。
息絶える父親による、娘への最後の置き土産。
だが、それでもリトアは崩れない。
狂気に満ちた父の瞳をじっと睨み返し、目にもとまらぬ速さでその首を冷静に撥ねた。
「……目障りだ」
そして、こぼれ落ちたその首は、
「……いゃ……」
少女の足元に転がった。変わり果てた父親の姿に、シルフィーの顔色は急速に青ざめ、
「いやああああああああああああ!」
その瞬間を最後に、少女は意識を失った。
振り向きもせず、魔王は再び踵を返す。
「……」
しばらく廊下を歩んだ後、彼は徐に懐に手を入れた。
その手には、あのペンダントが握られている。
だが、六芒星の中央は鋭利な刃物で貫かれたように穿たれていた。
リトアは自らの命を救ったそれをぎゅっと握り締め、何かに迷うような素振りを見せた後、再び懐にしまった。
……そうそう、リトア・フィエンドと言えばこの場面だよな。
OPでの殺戮シーン。
リトアが最悪の魔王という仮面を被って生きていくことを選択する場面。
本当は国と妹を守るための苦渋の決断なのに、それをおくびにも出さず、深い悲しみを心に秘めたまま家族を皆殺しにする、真実を知れば涙なしには見れない名シーン。
”俺”は心の中でしみじみとリトアの気持ちを噛み締めながら、廊下を一歩踏み出した。
……って、あれ。
俺?
立ち止まって前後左右を確認する。
視界に映るのは、親の顔より見たというのは流石に誇張し過ぎだけど、それでも数十回、数百回は見た覚えがあるフィエンド家の屋敷の内装。
床には高そうな絨毯が敷いてあって、壁には高そうな抽象絵画が飾ってあり、端には観葉植物なんかが置いてある。
ぱっと斜め下に視線を移すと、さっきリトアが止めを刺した住人が苦悶の表情を浮かべながら息絶えている。
やばい、間近で見るとかなりグロイ。
視線を外して窓の外に向けると、嵐が吹き荒れ、時折雷をゴロゴロ。
手のひらにはべったりと赤黒い血液がこびりついていて、全身血まみれ。
背後を振り返れば、かわいいかわいいリトアさんの妹。シルフィーナ・フィエンドちゃんが気を失って倒れている。
まあ、そりゃそうだよな。実の兄が突然豹変して一家惨殺したら普通失神するわ。可哀想なシルフィーナ。
けど、仕方なかったんだよ。
こうしないと国が破滅しかねないし、シルフィーの命も危なかったんだよ。
奴は本当は真の愛国者なんだよ。
たった一人で孤独に戦い抜いた、本物の英雄なんだよ。
頑張れシルフィー。負けるなシルフィー。お兄ちゃんのリトアもこれから頑張るからさ。
そう、リトアもこれから頑張るんだよ。
破滅しかない未来だけど、それでも奴は怖じけず前を向いて突き進むんだよ。
かっこいいよな。端から見てる分には最高に泣けるわ。
もう一度背後を振り返る。
そこにはさっきと変わらぬ妹の姿。顔色悪く、苦悶の表情を浮かべている。
たまらず、自分の髪を鷲掴みにする。イケメン特有の清潔感ある柑橘系の匂いがふんわりと香る。
いいよな、イケメンは。全身血まみれでも良い匂いして。
徹夜明けでも油臭くならないんだろうな。
ちらり、窓ガラスに薄らと映る自分の姿を確認する。
窓に映るのは、鋭く尖ったナイフのようなイケメン。そこから醸し出すどこか儚げな雰囲気は、砕かれた硝子を加工して造った脆く美しい刃物のよう。
なんだこいつ。思わず詩人と化してしまうくらいの美青年だ。
お姉さん系やら妹系やら、老若男女問わずどんな世代からも愛される系のイケメンだ。
FFの主役やれるわ。顔だけで金になるタイプだ。
ていうかこれあれだ。
完全に転生してるわ。
リトア・フィエンドに転生してるわ。
今この瞬間前世の記憶思い出した系だわ。どうすんだ、これ。
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