第六章ー3
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誕生会当日。
朝からずっとそわそわしていた。
今日は早番業務で、朝七時からふれあい西家に出勤している。
朝方まで雨が降っていたが、いざ、太陽が昇ると晴れ渡るような青空が広がった。
いよいよ夏本番、という天気で、なんとも気持ちが良かった。
「ヒロ、集中しろー」
「あ、すみません」
呆れ半分で松岡主任に注意され、慌てて謝る。
一人の御利用者に一大イベントがあるからといって、他の御利用者への対応を疎かにするわけにはいかない。
そうであるからこそ、何事も起こらないように、普段以上に通常業務をきちんと行わなければならなかった。
今は昼食後、十三時。
口腔ケアやトイレ誘導が終わり、御利用者も職員もバタバタする時間を終え、フロア内が落ち着いている時間だ。
彩花は仕事を終えて、こっちへ向かっている時間かなぁ、なんて、ぼんやりしていたら、松岡主任に注意されてしまった。
落ち着いているからこそ、できる仕事もある。
御利用者と職員と繋ぐ連絡帳の記入や、その他、御利用者の日々の様子をパソコンに打ち込む事務作業など、そういった業務はこの時間に行う必要があった。
落ち着いているからといって、ぼーっとして良い時間ではない。
俺が気を取り直し、作業に戻ろうとすると、
ピンポーン!
玄関の呼び鈴が鳴る。
なんだろうと立ち上がる。
俺が玄関へ向かうと、そこには、なんとなく見たことがあるような御婦人が立っている。
「すみません、西条ヨシの家の者です」
えっ、と声をあげそうになる。
迎えは十五時頃のはず。随分早い。
「主人の仕事の都合で十五時頃とお伝えしていたのですが、主人が早く帰ってきたもので……。早めの方が良いかと思いまして、迎えに来たのですが、迷惑でしたでしょうか?」
「あ、いえ! とんでもないです!」
先に連絡が欲しかったところではあるが、早く来て迷惑なんてことはない。
少しお待ちくださいと声をかけ、フロアで待機している松岡主任に声をかける。
ちょうど昼食を食べ終え、先ほど、トイレにも行ってもらったところだ。荷物もまとめてあるし、あとは帰るだけの状態になっている。
「今、お連れしますので」
「すみません、よろしくお願いします」
御婦人は頭を下げられる。
綺麗なお辞儀だった。
年は五十代中盤、といったところだろうか。キツメ目でスタイルが良く、パキッとした雰囲気が印象的だ。
似ている、と見た瞬間に思った。
事前の情報共有は電話でのやり取りだったため、会うのは今日が初めてだった。
彩花の、お母様だ。
彩花の特徴的なキツネ目は、母親譲りのようだった。
「桜川さんですよね?」
「え、あ、そうです」
いきなり名前を呼ばれてびっくりする。
「本当に良くして頂いて、ありがとうございます。北条さんからもいろいろとお話を伺っております」
「いえ! そんなことは……。先日は事故を起こしてしまいまして、申し訳ございませんでした」
「ああ、いえ、気になさらないでください。認知症が進んできたことはわたしも理解していましたし、仕方のないことだと思います。主人もわたしも気にしていませんので」
俺はすみませんと頭を下げる。
西条さんが玄関へ来るまでの間、再度、これまでの様子や、最低限、伝えなければならないことを手短にお伝えする。
「西条さん、ご家族の方がお迎えに来られましたよ」
「そうだね、ありがとう」
玄関へやってきた西条さんは、利用開始当初に見せてくれていた花が咲いたような、素敵な笑顔を見せてくださる。
余程、帰れることが嬉しいのだろう。
車への移動をお手伝いし、ウォーカーや衣類、連絡帳なども車に積み込む。
「西条さん、楽しんできてください」
窓越しに手を振ると、西条さんはにこにこと穏やかな笑みを浮かべて振り返してくださる。
「では、ありがとうございました」
「はい。では、また明日、お待ちしております」
彩花のお母様も車に乗り込み、程なくして、発進する。
西条さんは、最後までこちらに手を振っていた。
「あの調子なら、心配ないかもな」
「そうですね」
車を見送り、松岡主任とフロアへ戻る。
ここから先は家族の領分だ。
介護職員に出る幕はない。
俺は再度、時計を見上げ、
「もう向かってると良いけど……」
何事もなく、彩花が新潟へ向かっていることを願った。




